翼の統べる国

たまむし

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14.飛べない鳥-2

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 ハリファの部屋は三階にあった。他より少し広い部屋で、ベッドの代わりに低い寝椅子と吊寝床がある。床には水煙草の盆が置かれ、小さな低いテーブルに焼き菓子の入った器と茶器があった。

「椅子はないの。床に座って」

 ハリファは草の蔓を編んだ物入れを開けて、竪琴を取りだしている。

「あなたの部屋 広間と似ている? ほかのとちがう」

 オティアンが問うと、ハリファは濃い睫に縁取られた瞳を瞬かせ、

「驚いた。来たばかりなのに、よく見てるわね。そうよ。私は半分ファナ人だから、部屋もファナ風なの。下の広間もそう。アミラートゥトも半分ファナの血を引いてるから、ファナ風の娼館があったらウケるんじゃないかって、前の娼館主が改装したらしいわ。私は半年前にここに来たから、詳しくは知らないけど」

 と言った。アマジヤ人はファナ人を低く見てはいるが、物珍しさは愛でるということだろうか。

「それは おもしろくない話」

 オティアンが不愉快げに鼻を鳴らすと、ハリファは

「もう慣れてる。売りになるものは何でも使うわ」

 と軽く笑って、オティアンの手に竪琴を持たせた。

「調律はできる? このネジを閉めれば弦が張る。右から左に音が高くなる仕組みよ」

 小ぶりの竪琴は立ったままでも弾けるし、あぐらをかいて膝に乗せても丁度良い大きさだ。指先で弾くと素朴な音がした。
 和音の多いファタリタの音楽を再現するのは難しそうだが、ノルポルの古謡ならどうにかなりそうだ。指先でつま弾きながら寂しい旋律を口ずさんでみると、ハリファは感心したように口元を両手で押さえた。

「良いじゃない! 広間で演奏するには寂しい旋律だけど、しんみりする夜に聞くには良い感じ。どういう歌なの?」

「つがいの鳥の片方が いなくなった 歌。もっと明るい曲がいい?」

「そうね、陽気なのも弾けた方が良いわ。簡単なのを教えようか?」

「おねがい」

 竪琴を取り戻したハリファは簡単な曲を繰り返し弾いてみせ、

「覚えた? じゃ、やってみて」

 とオティアンに竪琴を渡して、自分は水煙草に火をつけた。
 真剣に練習するオティアンの横で、ハリファはゆったりと煙草をくゆらせる。開けっぱなしの窓から入る風が、甘い煙を緩やかに空中に漂わせ、たどたどしい竪琴の旋律と、水煙草の筒の中であぶくがはじける音だけが部屋を満たしていく。

「あなた、もうアミラートゥトと寝た?」

 集中していたところに唐突に尋ねられ、オティアンは思わず大きく手元を狂わせた。

「いいえ!」

「どうして? 随分気に入られてるみたいだったのに。焦らして値をつり上げてるの?」

 あけすけな物言いにオティアンは渋い顔をする。

「ちがう。ことわられてる。もしかして ウムト 妻がいる?」

 そう問うと、ハリファはケラケラ笑って否定した。

「いいえ。小皇子アミラートゥトは妻を持てないのよ。側女も駄目。子どもが生まれると面倒なことになるから。寵愛した女の腹に子が宿ったら、国から追放されるか殺される」

「ひどい。アマジヤの法?」

 オティアンは眉を寄せて顔をしかめた。どうもこの国では、子どもの命が随分軽いらしい。雛を何より大事にするノルポル人には、到底受け入れられない感覚だ。

「そう。本人もそれを分かってるから、遊ぶときにはすごく気を遣ってる。ウムトが普通の金持ちなら、何としてでも取り入って妻にしてもらいたいけど、残念だわ」

 ハリファは溜息をつき、煙草の煙を吸い込んだ。

「でも、あなたは男だから問題ないわよ。ここでレムリにこき使われるより、ウムトの妾になったほうが絶対に楽よ! それで、ウムトから寵愛と金をぶんどって金持ちになったら、あなたが私を愛人にしてよ」

 ハリファは鼻と口から白い煙を吐き出しながら、冗談めかして笑う。どこか自暴自棄な様子に、

「ここは 辛い?」

 と質問すると、ハリファは煙を払うように手を振った。

「辛いって程じゃない。他に比べたらレムリは全然良心的な主よ。けど……私には先がないのよ。娼婦は老いたら稼げなくなる。その前に、身の振り方を考えなきゃいけない。大抵は囲い者になるか、貯めたお金で店を持つか……たまに客と惚れ合って普通に所帯を持つ子もいるけど、そんな幸運は滅多にない。お金が貯まる前に子を妊んでしまったら悲惨よ」

 ハリファの話は、言葉が分からない部分を差し引いてもオティアンにとっては理解の外だった。
 ファタリタでは、ここで言う娼婦の役目を負うのは聖女や聖職者だが、かれらは信仰に基づいて一生を教会で過ごす。生活は保障されているし、仕事はいくらでもある。もし信仰を捨てて還俗しても、社会では尊敬される立場だ。ノルポルやエラストでは、そもそも身体を売る者も買う者もいない。

「そして私は半分ファナ人だから、ここを出た後の道がない」

 ハリファは憂鬱そうに煙を吐き出しながら続ける。

「なぜ?」

「一晩遊ぶ相手にするなら物珍しくて良いけど、アマジヤ人の妻になるには相応しくないからよ。商売を始めようとしても、土地や店を借りるのが難しい。でもファナに戻る手立てがないの」

「どうして ファナの人たちは そんな扱いを受ける?」

「ファナは天空神に見放された土地だから。でも私は母がファナ人だってだけで、ファナに行ったこともない。生まれも育ちもアマジヤよ。父親がいないから貧しかったのは確かだけど、でも同じくらい貧しいアマジヤ人は沢山いる」

「見放された土地? なぜ?」

「ファナ人が放った矢が初代皇帝の翼を射たって伝説があるから。それでファナは神の怒りを買って、作物の育たない土地になった。でもそんなのただの伝説よ。私たちに何の関係もない。エルヴィラ様とウムトが生まれたおかげで、昔よりはファナへの蔑視もマシにはなったらしいけど……」

 ハリファは溜息をついて煙草の吸い口を弄んだ。

「……ウムトが店に遊びに来て、私を指名してくれたときはすごく嬉しかった。彼も半分ファナだから、私の苦しさをわかってくれて、ここから救ってくれるかも、って。……でも駄目だった。ウムトは誰も救えない。あの子は私と同じくらい不自由な籠の鳥」

 ハリファは遠い目をして煙草を吹かす。部屋を吹き抜けていた風はいつの間にか止んで、煙は同じ場所にとどまり続けている。甘く官能的な香りは、濃くなり過ぎると苦さが勝った。

「ごめん、愚痴っちゃった! 今のは忘れて頂戴」

 ハリファははぐらかすように明るい声を上げ、煙草の火を消した。

「さ、私は夜に備えて仮眠するわ。竪琴は貸してあげるから、後は自分で練習して」

 竪琴を押しつけられたオティアンは、ハリファの部屋から追い出される。

 暗い廊下に出ると、どこかから押し殺した女の泣き声が聞こえた。どうやらここは思ったよりも楽しい場所ではないようだと、オティアンはようやく気づいて憂鬱な溜息を漏らした。
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