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5.2 トラブル-2
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小柄な男は若者の足音が十分遠ざかったのを確認してから、オティアンに声をかけた。
「アンタ、ファタリタ人か」
男が話したのは紛れもないファタリタ語だ。オティアンは驚きすぎて返事をするのも忘れてしまう。
「驚かせてスマン。オレはレムリ・キニア。エラストの北部スィルン村の出身だ」
男はそう名乗って片手を差し出してくる。エラストはファタリタ大陸の西隣にある島だ。思いもよらない言葉に、オティアンはますます混乱して握手どころではない。
「ここは……エラストなのか? さっきの若者が話していた言葉は何なんだ?」
「ここはエラストじゃない。チェファタル島。アマジヤ皇国の南の端っこだ」
「チェファタル? アマジヤ? 聞いたことがない……ここには君の他にもエラスト人がいるのか?」
「いいや、オレだけさ。聞いたことなくて当然だよ。オレはこっちに来てからかなり経つが、自分以外で故郷の言葉を話す人間と会ったのは、アンタが初めてだ。もうファタリタ語を話すことなんてないと思ってたから、懐かしくて涙が出そうだ!」
レムリは目尻に涙を浮かべてオティアンを強く抱きしめ、体を離してから改めて右手を差し出した。オティアンはその手を握り返し、ようやく自分が名乗りもしていないことに気がついた。
「オレはオティアン・マカーノン。全く言葉が通じなくて、どうしようかと思っていた。君はどうしてここに?」
レムリは握手をほどいて肩をすくめる。
「来たくて来たわけじゃない。番になった娘と西の海へ舟を出したら、運悪く季節外れの嵐に巻き込まれたんだ。舟は転覆して、気がついたら知らない海岸にオレ一人だけ打ち上げられてた。それが当時のアマジヤ帝国の西の端っこだったんだ」
「それは……大変だったな。舟の相手は……?」
オティアンが遠慮がちに問うと、レムリは深く溜息をついて首を振った。
「わからねえ。何とか助かってれば良いんだが、望みは薄いだろうな」
失った番を探し続ける苦しさは、オティアンも身に染みて知っている。
「すまない。無神経なことを聞いた」
そう謝ったが、レムリは気にしていない様子だった。
「いや、もう二十年も前のことだ。気持ちの整理はとっくに付いてる」
「二十年? どうしてエラストに戻らないんだ?」
「戻れないんだ。さっき地図を見ただろ? ファタリタもエラストも載ってないんだ。アマジヤは広大な領土を持つ国で、周辺国との貿易も盛んだが、どこへ行ってもファタリタのファの字も見つからないし、誰もそんな国は知らないと言う。何度も何度も否定されて、オレは自分の頭が狂っちまってるのかと思った。ファタリタもエラストも、オレの頭にだけある幻なんじゃないかって……でも、そうじゃなかった! やっぱりファタリタは存在してる! あんたがその証拠だ!」
レムリの目には涙が浮かんでいた。エラストの獣人は百五十年以上生きるため、レムリの見た目は少年と言っても通りそうなくらい若々しいが、表情には過ごした時間の重さがにじんでいた。
「……苦労したんだな」
「まあね。でもオレは獣態が猫だからさ。猫はどこにいても可愛がられるし、しゃべる必要もないだろ? 猫の姿で上手いこと人間にすり寄って、徐々に言葉を覚えたんだ。話せるようになってからは、人の姿になってトントン拍子に金を稼いだ。いまではここで娼館の主さ」
「娼館?」
耳慣れない言葉にオティアンが首を傾げると、レムリは一瞬ハッとしたように口を噤んだが、
「そっか……知らねえよな。ファタリタで言う命願教会みたいなもんだよ。こっちには命願教はないから、公の夫婦以外は金を払って”そういうこと”をする」
と説明した。オティアンは娼館の意味を理解して、小さく頷く。先ほど会ったハリファが随分物慣れた様子だったのは、男を悦ばせる生業に就いているからだったのだ。
「なるほど、ここは性を売る場所ということか」
「おっと、咎め立てはなしだぜ! こっちでは認められてる商売で、オレはそれなりに良心的なやり方で経営してんだから」
オティアンは良いとも悪いとも答えずにただ肩をすくめた。
命願教会と娼館のどちらがマシかなど、考えるだけ無駄だ。それに、ファタリタでも性の売買はあった。命願教の教義で禁じられた欲望を持つ者のため、相手を斡旋する商売が密かに存在していた。オティアンは行方知れずの恋人を探すため、そういう業者と関わったこともある。表向きにならないだけの話だ。
「さっきの若者は、オレをこの店の”商品”と勘違いしたってことか? 君は、気を失っていたオレを拾って勝手に売った?」
そうだとしたら、あの若者が妙に色めいた目をして自分を見ていたのに納得がいく。しかしレムリは、慌てたように両手を振った。
「んな訳ねえだろ! オレの店は契約なしに人を働かせることはない。そもそも、男娼は置かない方針だ。アイツがオレの断りなしにアンタをここに運んでたんだよ!」
迷惑そうにそう言って、さっきの青年から受け取った金の輪を指で弄んだ。
「運んだ? どこから?」
「海で溺れてたのを助けたとか言ってたぞ。ところで、アンタも混ざり者だよな? どこの村の出身だ? オレと同じように、乗ってた舟が難破して流されたのか? 詳しく聞かせてくれ」
矢継ぎ早に問われて、オティアンは静かに首を振る。
「オレはエラスト人じゃない。ノルポルの出だ。海に出たのは……自殺するつもりだったんだ。番の相手をを亡くして、生きる望みを失った。死に場所を探してひたすら飛んで、偶然この辺りで力尽きた」
それを聞いたレムリはギョッとした顔で飛び上がった。
「アンタ、翼持ちか!」
何をそんなに驚くのかと怪訝に思いつつオティアンが頷くと、レムリは盛大に顔をしかめて頭を抱える。
「マジか。同胞に会いたいとは思ってたけど……よりにもよって翼持ちかぁ~!」
「なにか不都合があるのか? ここでも混ざり者は忌み嫌われている?」
「違う。ここにはそもそも混ざり者がいないから、忌み嫌われるも何もない。もしも変化するところを見られたら、化け物扱いされるだろう。その点ではオレも正体を知られるのはマズいんだけど、翼持ちはもっとマズい」
怪訝そうなオティアンの前に、レムリは上着のポケットから地図を取り出して広げて見せた。
「アンタ、ファタリタ人か」
男が話したのは紛れもないファタリタ語だ。オティアンは驚きすぎて返事をするのも忘れてしまう。
「驚かせてスマン。オレはレムリ・キニア。エラストの北部スィルン村の出身だ」
男はそう名乗って片手を差し出してくる。エラストはファタリタ大陸の西隣にある島だ。思いもよらない言葉に、オティアンはますます混乱して握手どころではない。
「ここは……エラストなのか? さっきの若者が話していた言葉は何なんだ?」
「ここはエラストじゃない。チェファタル島。アマジヤ皇国の南の端っこだ」
「チェファタル? アマジヤ? 聞いたことがない……ここには君の他にもエラスト人がいるのか?」
「いいや、オレだけさ。聞いたことなくて当然だよ。オレはこっちに来てからかなり経つが、自分以外で故郷の言葉を話す人間と会ったのは、アンタが初めてだ。もうファタリタ語を話すことなんてないと思ってたから、懐かしくて涙が出そうだ!」
レムリは目尻に涙を浮かべてオティアンを強く抱きしめ、体を離してから改めて右手を差し出した。オティアンはその手を握り返し、ようやく自分が名乗りもしていないことに気がついた。
「オレはオティアン・マカーノン。全く言葉が通じなくて、どうしようかと思っていた。君はどうしてここに?」
レムリは握手をほどいて肩をすくめる。
「来たくて来たわけじゃない。番になった娘と西の海へ舟を出したら、運悪く季節外れの嵐に巻き込まれたんだ。舟は転覆して、気がついたら知らない海岸にオレ一人だけ打ち上げられてた。それが当時のアマジヤ帝国の西の端っこだったんだ」
「それは……大変だったな。舟の相手は……?」
オティアンが遠慮がちに問うと、レムリは深く溜息をついて首を振った。
「わからねえ。何とか助かってれば良いんだが、望みは薄いだろうな」
失った番を探し続ける苦しさは、オティアンも身に染みて知っている。
「すまない。無神経なことを聞いた」
そう謝ったが、レムリは気にしていない様子だった。
「いや、もう二十年も前のことだ。気持ちの整理はとっくに付いてる」
「二十年? どうしてエラストに戻らないんだ?」
「戻れないんだ。さっき地図を見ただろ? ファタリタもエラストも載ってないんだ。アマジヤは広大な領土を持つ国で、周辺国との貿易も盛んだが、どこへ行ってもファタリタのファの字も見つからないし、誰もそんな国は知らないと言う。何度も何度も否定されて、オレは自分の頭が狂っちまってるのかと思った。ファタリタもエラストも、オレの頭にだけある幻なんじゃないかって……でも、そうじゃなかった! やっぱりファタリタは存在してる! あんたがその証拠だ!」
レムリの目には涙が浮かんでいた。エラストの獣人は百五十年以上生きるため、レムリの見た目は少年と言っても通りそうなくらい若々しいが、表情には過ごした時間の重さがにじんでいた。
「……苦労したんだな」
「まあね。でもオレは獣態が猫だからさ。猫はどこにいても可愛がられるし、しゃべる必要もないだろ? 猫の姿で上手いこと人間にすり寄って、徐々に言葉を覚えたんだ。話せるようになってからは、人の姿になってトントン拍子に金を稼いだ。いまではここで娼館の主さ」
「娼館?」
耳慣れない言葉にオティアンが首を傾げると、レムリは一瞬ハッとしたように口を噤んだが、
「そっか……知らねえよな。ファタリタで言う命願教会みたいなもんだよ。こっちには命願教はないから、公の夫婦以外は金を払って”そういうこと”をする」
と説明した。オティアンは娼館の意味を理解して、小さく頷く。先ほど会ったハリファが随分物慣れた様子だったのは、男を悦ばせる生業に就いているからだったのだ。
「なるほど、ここは性を売る場所ということか」
「おっと、咎め立てはなしだぜ! こっちでは認められてる商売で、オレはそれなりに良心的なやり方で経営してんだから」
オティアンは良いとも悪いとも答えずにただ肩をすくめた。
命願教会と娼館のどちらがマシかなど、考えるだけ無駄だ。それに、ファタリタでも性の売買はあった。命願教の教義で禁じられた欲望を持つ者のため、相手を斡旋する商売が密かに存在していた。オティアンは行方知れずの恋人を探すため、そういう業者と関わったこともある。表向きにならないだけの話だ。
「さっきの若者は、オレをこの店の”商品”と勘違いしたってことか? 君は、気を失っていたオレを拾って勝手に売った?」
そうだとしたら、あの若者が妙に色めいた目をして自分を見ていたのに納得がいく。しかしレムリは、慌てたように両手を振った。
「んな訳ねえだろ! オレの店は契約なしに人を働かせることはない。そもそも、男娼は置かない方針だ。アイツがオレの断りなしにアンタをここに運んでたんだよ!」
迷惑そうにそう言って、さっきの青年から受け取った金の輪を指で弄んだ。
「運んだ? どこから?」
「海で溺れてたのを助けたとか言ってたぞ。ところで、アンタも混ざり者だよな? どこの村の出身だ? オレと同じように、乗ってた舟が難破して流されたのか? 詳しく聞かせてくれ」
矢継ぎ早に問われて、オティアンは静かに首を振る。
「オレはエラスト人じゃない。ノルポルの出だ。海に出たのは……自殺するつもりだったんだ。番の相手をを亡くして、生きる望みを失った。死に場所を探してひたすら飛んで、偶然この辺りで力尽きた」
それを聞いたレムリはギョッとした顔で飛び上がった。
「アンタ、翼持ちか!」
何をそんなに驚くのかと怪訝に思いつつオティアンが頷くと、レムリは盛大に顔をしかめて頭を抱える。
「マジか。同胞に会いたいとは思ってたけど……よりにもよって翼持ちかぁ~!」
「なにか不都合があるのか? ここでも混ざり者は忌み嫌われている?」
「違う。ここにはそもそも混ざり者がいないから、忌み嫌われるも何もない。もしも変化するところを見られたら、化け物扱いされるだろう。その点ではオレも正体を知られるのはマズいんだけど、翼持ちはもっとマズい」
怪訝そうなオティアンの前に、レムリは上着のポケットから地図を取り出して広げて見せた。
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