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1.果ての空へ
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このお話は前作「エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/543220625/787768488
の脇役を主人公にしたスピンオフ長編です。前作の内容を軽く説明するマンガを冒頭につけましたので、そちらを見て頂けたら、この作品だけでもお読み頂けるかと思います。
前作は加筆修正完全版をKindleで公開しておりますので、もし読んでみようかなと思われましたら、そちらもよろしくです~
https://amzn.asia/d/e53MT8k
雲を突くノール山の頂、雪のちらつく薄青の空に白い煙がたなびいていた。作り手の分からなくなった空の巣籠たちが、オレンジ色の炎の中で音もなく灰になっていく。巣籠に込められた祈りも望みも、叶えられないまま燃やされ、消える。
山頂から少し下った岩棚で、オティアン・マカーノンは石に腰を下ろし、燃えていく巣籠をじっと見ていた。銀の睫毛に縁取られた紫の右目は瞬きもせず、見開かれたまま乾ききっている。もう片方の目は醜い傷跡で塞がれ、二度と開くことはない。
風が吹いて火の粉が散り、オティアンの長い髪を散らす。露わになった耳に、遠くから湧き起こる歓声が聞こえた。声の出所は山頂の岩屋だ。誰かの巣籠に卵が入っていたのだろう。新しい命の誕生を喜ばしく思うのと同時に、オティアンの胸には虚しさが溢れた。
ファタリタ大陸の北部に連なるノール山の麓には、古くから自らを「翼持ち」と称する一族が住み着いている。オティアンもその一人だ。
翼持ちは見た目はヒトと変わらないが、本性は鳥だ。いつでも鳥に姿を変えて、自由に空を飛ぶことができる。ヒトや獣の足では登れないノール山の険しい頂にたどり着けるのは、翼持ちだけだった。
ノール山は翼持ちにとっては神聖な山だ。雲の上にある頂の、そのまた上の空には、翼持ちたちの神がいる。翼持ちの番は子が欲しくなると、二人で巣籠を編んでノール山に運ぶ。神が二人を認めれば、籠に卵が入るのだ。
オティアンも、かつて愛した人と二人で巣籠をここに運んだ。
もう十年以上も前のことだ。
二人は心を込めて巣籠を作ってノール山へと運んだが、いつまで経っても卵が入らなかった。しかし、オティアンはそこまで悲観しなかった。若かったのもあるし、卵を得られなかったのはオティアンたちだけではなかったからだ。その当時は、どのつがいの巣籠にも卵が入らなくなっていた。二人だけが神に認められなかったというわけではない。待っていれば、いずれは愛する人と卵を抱けるだろうと楽観していた。
けれども、番の相手はそうではなかった。キアンナという名の美しい人は、オティアンよりも相当な年上で、巣籠にいつまで経っても卵が入らないことを酷く気に病んでいた。
翼持ちは短命の種族だ。大概は五十歳を超えることなく死んでしまう。キアンナはすでに四十を超えていて、若いオティアンを一人残してしまうことを恐れていたのだ。
『どうしても君に雛を残してあげたいんだよ』
そう言って、キアンナは出かけていった。当時ノルポルで「命を生む秘法」があると盛んに布教されていた、命願教の教えを聞きに行ったのだ。
オティアンは家で大人しくキアンナの戻りを待っていた。しかし音沙汰のないまま三日が経ち、十日が過ぎると、さすがに心配で居ても立ってもいられなくなり、キアンナを迎えに行くことにしたのだ。しかし、訪ねていったノルポルの教会にキアンナたちはいなかった。聞けば、ファタリタのもっと大きな教会へと移動したのだという。
オティアンは噂を頼りにキアンナの足跡を追った。何年もかけてファタリタ中を訪ね回ったが、愛する人の消息は全くつかめなかった。
見つからなかったのはキアンナだけではない。ノルポルからファタリタに移った翼持ちたちは、皆忽然と消えてしまっていたのだ。オティアンは一族の仲間を探して流浪の旅を続けたが、いつの間にか、旅の目的はキアンナの捜索から次第に命願教への復讐へと変わっていった。オティアンはファタリタ内の反命願教勢力と手を組み、命願教会を潰す手はずを少しずつ整えていった。
そして去年の冬、とうとう復讐を果たす時が来たのだ。
あの時のことを思い出すと、オティアンの脳裏には一人の若者の顔が目に浮かぶ。真っ黒な目と髪が少しだけキアンナに似ていた青年、ユシマ アキオ。出会ったときは、甘ったれで世間知らずの坊ちゃんだと思った。一人では何もできない弱々しいアキオを、オティアンは利用するつもりでいた。しかし彼を利用した結果、オティアンの復讐計画はめちゃくちゃになってしまった。
オティアンは、アキオを恨んではいない。
アキオがいなければ、自分の憎しみは多くの人の命を奪っていただろう。彼のおかげで、すべては丸く収まったのだ。命願教の邪な教えは正され、ノール山には神が戻ってきて、翼持ちたちの巣籠には卵が入るようになった。ファタリタ大陸は救われた。
しかし、オティアンの愛する人は戻らなかった。
十三年もの間、ノール山の頂に置かれたままだった二人の巣籠も空のまま。
役目を果たせなかった巣籠を、今、オティアンは自らの手で焼いている。
風が激しくなり、火の粉と灰を巻き上げた。真っ直ぐ正面を向いたままの顔に、吹き付けてくるのは灰だろうか、それとも雪だろうか。オティアンは見えている方の目をゆっくりと瞬かせ、またじっと炎を見つめながら、右目を失ったときのことを思い出した。
傷を負ったのは、ファタリタ聖都の地底湖でのことだ。
アキオを誘い出して地底湖へと連れていき、そこで彼を利用するつもりだったのだが、追いかけてきたアキオの庇護者カレルにやられてしまったのだ。
オティアンはほっそりと優美な外見をしているが、そこらの兵士などよりはよほど腕が立つ。一対一の戦いで後れをとるようなことは滅多にないが、あのときは相手が悪すぎた。
翼持ちが鳥になって飛べるのと同じように、ファタリタの西にあるエラスト島の民は四つ足の獣に変身できる。エラスト出身のカレルは、巨大な熊になって追ってきたのだ。小屋のような巨体を持つ怒り狂った熊と戦って勝てるはずがない。丸太のような腕の一撃をギリギリで避けられたのは、オティアンが猛禽の目と反射神経を持っていたからだ。
致命傷は避けられたものの、右目と右上半身に深い傷を負ったオティアンは、瀕死の状態で地下通路を逃げて、命願教の古い神殿へとたどり着いた。幸運なことに、神殿内には儀式で使う麻酔効果のある香や、清潔な布、供え物の食物や蝋燭が沢山残されたままだったので、オティアンはなんとか生き延びることができたのだ。
回復にはひどく時間がかかった。
春から夏の間中、ずっと古い神殿の奥で寝たり起きたりを繰り返し、秋の初めにようやく飛べるようになったオティアンは、故郷ノルポルに帰り着き、ようやく自分が伏していた間に何があったのかを翼持ちの仲間たちから知らされた。
ファタリタでは、サウラスの女領主ジョヴァンナが王を名乗り、命願教上層部は大聖女フィオレラを除いて全員投獄されたらしい。命願教の教えはいまだに残っているが、獄につながれるのを免れた大聖女が改革に乗り出している。
改革の一環として、フィオレラはノルポルへ謝罪したいと言ってきたが、翼持ちたちは当然のごとくそれを拒絶し、今後ノルポルは一切ファタリタと関わらないという通告を突きつけた。
同じように命願教によって被害を受けたエラストは、ノルポルト同じく謝罪ははねつけたが、ファタリタとの交流は続けるという選択をしたらしい。オティアンにその話をした翼持ちの長老は、エラストの態度に腹を立てている様子だった。
喜ばしい知らせもあった。
長らく不在だったノール山の神が戻ってきたおかげで、新しく運ばれた巣籠には、今までの空白を埋めるようにいくつも卵が入ってきていたのだ。生まれた雛も順調に育っているらしい。
冬を目前にしたノルポルはどこも明るい空気に満ちていたが、オティアンにはすべてがぼんやりとした夢のようだった。自分の周りに真空の膜があるように、喜びも悲しみも遠くにしか感じられない。
流浪の間はあんなにも戻りたかった故郷なのに、いざ戻ってみればオティアンに居場所はなかった。集落のどこにいても、もういないキアンナの記憶ばかりが蘇ってきて辛い。
オティアンはノルポルで無為な日々を過ごしていたが、やがてそこに一人の女が番になって欲しいと訪ねてきた。一度は断ったがしつこく言い寄られ、断るのも面倒になってオティアンは言われるまま女を受け入れ、とにかく早く卵を得たいのだと説得されて、巣籠をノール山に運んだ。
女を特に愛しく思うわけではなかったが、卵を得れば、それなりに協力して世話をしただろうと思う。しかし神は二人の間に子を育てるほどの情がないと判断したのか、オティアン達の巣籠に卵は入らず、女は落胆して別の相手の元へと去った。
風が吹いて小さくなった炎が音もなく消え、灰が舞う。女と作った新しい巣籠も、キアンナと編んだ古い巣籠も、同じように黒いひとかたまりの灰になった。
目の奥が鈍く痛み、オティアンは白く長い指で目元を押さえる。知らぬ間に泣いていたのか、冷えた指先がわずかに濡れた。見えない右目からも涙はこぼれるようで、右頬の傷にも水滴が伝っている。まだ生々しい傷跡を辿って涙の滴は頬まで流れ、同じように深い傷跡の残る胸の上に落ちた。
──もうあと少しカレルの踏み込みが深かったら。ほんのわずか、自分の反応が遅れていたら。
「あっさり死ねていたのに……」
薄い唇からもれた呟きには無念がにじむ。今のオティアンは、これ以上自分が生きる意味がわからなくなってしまっていた。
今まではほんの一筋残されていたキアンナに会えるという希望は、全く消えてしまった。
命願教に復讐するという目的もなくなった。
翼持ちたちは明るい未来に向かって歩き始めているが、自分は新しい愛を探すこともできず、ただうずくまっているだけ。
それでも、生き残ってしまったからには、なんとか暮らしていくしかない。
オティアンは深く息を吐いて立ち上がり、ほっそりとした長身を大きな鳥の姿へと変えた。白い頭に灰色の翼をもつ大鷲だ。片目は潰れ、胸の羽毛も一部禿げてはいるが、飛べないほどではない。吹き上げてくる風に向かって翼を羽ばたかせ、強い脚で剥き出しの岩肌を蹴って地面を離れる。
上空からノール山の頂に立つ岩屋の周りを一巡りすると、ちょうど卵を抱えて出てきた一組の番が見えた。片方はついこの間、自分と巣籠を編んだ女だ。幸せそうに笑って新しい相手と身体をすり寄せ合っている。オティアンは怒るでも悲しむでもなく、ただボンヤリと安堵した。
きっとキアンナがいなくなった遠い昔に、自分の心は壊れてしまったのだ。
それを命願教への憎しみや、一族への義務感という薄皮一枚で包んで、なんとか形を保っていただけだ。皮一枚を取り払ってしまえば、灰になった巣籠のように崩れてしまう。絶望すら残らなかった。何もない。心も頭も空っぽだ。
空っぽになったオティアンは、白く冷たい雲の中を飛んでいく。
行く当てはない。ただ地上に降りたくないだけだ。何も考えないまま、ひたすら風に流される。
故郷の集落を通り過ぎ、ファタリタ大陸の北端の崖を眼下に見たまま飛び越した。続くのはひたすら海だ。黒緑の水か激しい風にあおられて逆巻く。
オティアンは風に乗ってさらに高度を上げた。薄い雲をすり抜け、暮れていく空の色に隻眼を眇める。
──このまま空の果てまで飛んで、誰も知らない場所で息絶えてしまえたら……
そう、静かに願った。
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の脇役を主人公にしたスピンオフ長編です。前作の内容を軽く説明するマンガを冒頭につけましたので、そちらを見て頂けたら、この作品だけでもお読み頂けるかと思います。
前作は加筆修正完全版をKindleで公開しておりますので、もし読んでみようかなと思われましたら、そちらもよろしくです~
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雲を突くノール山の頂、雪のちらつく薄青の空に白い煙がたなびいていた。作り手の分からなくなった空の巣籠たちが、オレンジ色の炎の中で音もなく灰になっていく。巣籠に込められた祈りも望みも、叶えられないまま燃やされ、消える。
山頂から少し下った岩棚で、オティアン・マカーノンは石に腰を下ろし、燃えていく巣籠をじっと見ていた。銀の睫毛に縁取られた紫の右目は瞬きもせず、見開かれたまま乾ききっている。もう片方の目は醜い傷跡で塞がれ、二度と開くことはない。
風が吹いて火の粉が散り、オティアンの長い髪を散らす。露わになった耳に、遠くから湧き起こる歓声が聞こえた。声の出所は山頂の岩屋だ。誰かの巣籠に卵が入っていたのだろう。新しい命の誕生を喜ばしく思うのと同時に、オティアンの胸には虚しさが溢れた。
ファタリタ大陸の北部に連なるノール山の麓には、古くから自らを「翼持ち」と称する一族が住み着いている。オティアンもその一人だ。
翼持ちは見た目はヒトと変わらないが、本性は鳥だ。いつでも鳥に姿を変えて、自由に空を飛ぶことができる。ヒトや獣の足では登れないノール山の険しい頂にたどり着けるのは、翼持ちだけだった。
ノール山は翼持ちにとっては神聖な山だ。雲の上にある頂の、そのまた上の空には、翼持ちたちの神がいる。翼持ちの番は子が欲しくなると、二人で巣籠を編んでノール山に運ぶ。神が二人を認めれば、籠に卵が入るのだ。
オティアンも、かつて愛した人と二人で巣籠をここに運んだ。
もう十年以上も前のことだ。
二人は心を込めて巣籠を作ってノール山へと運んだが、いつまで経っても卵が入らなかった。しかし、オティアンはそこまで悲観しなかった。若かったのもあるし、卵を得られなかったのはオティアンたちだけではなかったからだ。その当時は、どのつがいの巣籠にも卵が入らなくなっていた。二人だけが神に認められなかったというわけではない。待っていれば、いずれは愛する人と卵を抱けるだろうと楽観していた。
けれども、番の相手はそうではなかった。キアンナという名の美しい人は、オティアンよりも相当な年上で、巣籠にいつまで経っても卵が入らないことを酷く気に病んでいた。
翼持ちは短命の種族だ。大概は五十歳を超えることなく死んでしまう。キアンナはすでに四十を超えていて、若いオティアンを一人残してしまうことを恐れていたのだ。
『どうしても君に雛を残してあげたいんだよ』
そう言って、キアンナは出かけていった。当時ノルポルで「命を生む秘法」があると盛んに布教されていた、命願教の教えを聞きに行ったのだ。
オティアンは家で大人しくキアンナの戻りを待っていた。しかし音沙汰のないまま三日が経ち、十日が過ぎると、さすがに心配で居ても立ってもいられなくなり、キアンナを迎えに行くことにしたのだ。しかし、訪ねていったノルポルの教会にキアンナたちはいなかった。聞けば、ファタリタのもっと大きな教会へと移動したのだという。
オティアンは噂を頼りにキアンナの足跡を追った。何年もかけてファタリタ中を訪ね回ったが、愛する人の消息は全くつかめなかった。
見つからなかったのはキアンナだけではない。ノルポルからファタリタに移った翼持ちたちは、皆忽然と消えてしまっていたのだ。オティアンは一族の仲間を探して流浪の旅を続けたが、いつの間にか、旅の目的はキアンナの捜索から次第に命願教への復讐へと変わっていった。オティアンはファタリタ内の反命願教勢力と手を組み、命願教会を潰す手はずを少しずつ整えていった。
そして去年の冬、とうとう復讐を果たす時が来たのだ。
あの時のことを思い出すと、オティアンの脳裏には一人の若者の顔が目に浮かぶ。真っ黒な目と髪が少しだけキアンナに似ていた青年、ユシマ アキオ。出会ったときは、甘ったれで世間知らずの坊ちゃんだと思った。一人では何もできない弱々しいアキオを、オティアンは利用するつもりでいた。しかし彼を利用した結果、オティアンの復讐計画はめちゃくちゃになってしまった。
オティアンは、アキオを恨んではいない。
アキオがいなければ、自分の憎しみは多くの人の命を奪っていただろう。彼のおかげで、すべては丸く収まったのだ。命願教の邪な教えは正され、ノール山には神が戻ってきて、翼持ちたちの巣籠には卵が入るようになった。ファタリタ大陸は救われた。
しかし、オティアンの愛する人は戻らなかった。
十三年もの間、ノール山の頂に置かれたままだった二人の巣籠も空のまま。
役目を果たせなかった巣籠を、今、オティアンは自らの手で焼いている。
風が激しくなり、火の粉と灰を巻き上げた。真っ直ぐ正面を向いたままの顔に、吹き付けてくるのは灰だろうか、それとも雪だろうか。オティアンは見えている方の目をゆっくりと瞬かせ、またじっと炎を見つめながら、右目を失ったときのことを思い出した。
傷を負ったのは、ファタリタ聖都の地底湖でのことだ。
アキオを誘い出して地底湖へと連れていき、そこで彼を利用するつもりだったのだが、追いかけてきたアキオの庇護者カレルにやられてしまったのだ。
オティアンはほっそりと優美な外見をしているが、そこらの兵士などよりはよほど腕が立つ。一対一の戦いで後れをとるようなことは滅多にないが、あのときは相手が悪すぎた。
翼持ちが鳥になって飛べるのと同じように、ファタリタの西にあるエラスト島の民は四つ足の獣に変身できる。エラスト出身のカレルは、巨大な熊になって追ってきたのだ。小屋のような巨体を持つ怒り狂った熊と戦って勝てるはずがない。丸太のような腕の一撃をギリギリで避けられたのは、オティアンが猛禽の目と反射神経を持っていたからだ。
致命傷は避けられたものの、右目と右上半身に深い傷を負ったオティアンは、瀕死の状態で地下通路を逃げて、命願教の古い神殿へとたどり着いた。幸運なことに、神殿内には儀式で使う麻酔効果のある香や、清潔な布、供え物の食物や蝋燭が沢山残されたままだったので、オティアンはなんとか生き延びることができたのだ。
回復にはひどく時間がかかった。
春から夏の間中、ずっと古い神殿の奥で寝たり起きたりを繰り返し、秋の初めにようやく飛べるようになったオティアンは、故郷ノルポルに帰り着き、ようやく自分が伏していた間に何があったのかを翼持ちの仲間たちから知らされた。
ファタリタでは、サウラスの女領主ジョヴァンナが王を名乗り、命願教上層部は大聖女フィオレラを除いて全員投獄されたらしい。命願教の教えはいまだに残っているが、獄につながれるのを免れた大聖女が改革に乗り出している。
改革の一環として、フィオレラはノルポルへ謝罪したいと言ってきたが、翼持ちたちは当然のごとくそれを拒絶し、今後ノルポルは一切ファタリタと関わらないという通告を突きつけた。
同じように命願教によって被害を受けたエラストは、ノルポルト同じく謝罪ははねつけたが、ファタリタとの交流は続けるという選択をしたらしい。オティアンにその話をした翼持ちの長老は、エラストの態度に腹を立てている様子だった。
喜ばしい知らせもあった。
長らく不在だったノール山の神が戻ってきたおかげで、新しく運ばれた巣籠には、今までの空白を埋めるようにいくつも卵が入ってきていたのだ。生まれた雛も順調に育っているらしい。
冬を目前にしたノルポルはどこも明るい空気に満ちていたが、オティアンにはすべてがぼんやりとした夢のようだった。自分の周りに真空の膜があるように、喜びも悲しみも遠くにしか感じられない。
流浪の間はあんなにも戻りたかった故郷なのに、いざ戻ってみればオティアンに居場所はなかった。集落のどこにいても、もういないキアンナの記憶ばかりが蘇ってきて辛い。
オティアンはノルポルで無為な日々を過ごしていたが、やがてそこに一人の女が番になって欲しいと訪ねてきた。一度は断ったがしつこく言い寄られ、断るのも面倒になってオティアンは言われるまま女を受け入れ、とにかく早く卵を得たいのだと説得されて、巣籠をノール山に運んだ。
女を特に愛しく思うわけではなかったが、卵を得れば、それなりに協力して世話をしただろうと思う。しかし神は二人の間に子を育てるほどの情がないと判断したのか、オティアン達の巣籠に卵は入らず、女は落胆して別の相手の元へと去った。
風が吹いて小さくなった炎が音もなく消え、灰が舞う。女と作った新しい巣籠も、キアンナと編んだ古い巣籠も、同じように黒いひとかたまりの灰になった。
目の奥が鈍く痛み、オティアンは白く長い指で目元を押さえる。知らぬ間に泣いていたのか、冷えた指先がわずかに濡れた。見えない右目からも涙はこぼれるようで、右頬の傷にも水滴が伝っている。まだ生々しい傷跡を辿って涙の滴は頬まで流れ、同じように深い傷跡の残る胸の上に落ちた。
──もうあと少しカレルの踏み込みが深かったら。ほんのわずか、自分の反応が遅れていたら。
「あっさり死ねていたのに……」
薄い唇からもれた呟きには無念がにじむ。今のオティアンは、これ以上自分が生きる意味がわからなくなってしまっていた。
今まではほんの一筋残されていたキアンナに会えるという希望は、全く消えてしまった。
命願教に復讐するという目的もなくなった。
翼持ちたちは明るい未来に向かって歩き始めているが、自分は新しい愛を探すこともできず、ただうずくまっているだけ。
それでも、生き残ってしまったからには、なんとか暮らしていくしかない。
オティアンは深く息を吐いて立ち上がり、ほっそりとした長身を大きな鳥の姿へと変えた。白い頭に灰色の翼をもつ大鷲だ。片目は潰れ、胸の羽毛も一部禿げてはいるが、飛べないほどではない。吹き上げてくる風に向かって翼を羽ばたかせ、強い脚で剥き出しの岩肌を蹴って地面を離れる。
上空からノール山の頂に立つ岩屋の周りを一巡りすると、ちょうど卵を抱えて出てきた一組の番が見えた。片方はついこの間、自分と巣籠を編んだ女だ。幸せそうに笑って新しい相手と身体をすり寄せ合っている。オティアンは怒るでも悲しむでもなく、ただボンヤリと安堵した。
きっとキアンナがいなくなった遠い昔に、自分の心は壊れてしまったのだ。
それを命願教への憎しみや、一族への義務感という薄皮一枚で包んで、なんとか形を保っていただけだ。皮一枚を取り払ってしまえば、灰になった巣籠のように崩れてしまう。絶望すら残らなかった。何もない。心も頭も空っぽだ。
空っぽになったオティアンは、白く冷たい雲の中を飛んでいく。
行く当てはない。ただ地上に降りたくないだけだ。何も考えないまま、ひたすら風に流される。
故郷の集落を通り過ぎ、ファタリタ大陸の北端の崖を眼下に見たまま飛び越した。続くのはひたすら海だ。黒緑の水か激しい風にあおられて逆巻く。
オティアンは風に乗ってさらに高度を上げた。薄い雲をすり抜け、暮れていく空の色に隻眼を眇める。
──このまま空の果てまで飛んで、誰も知らない場所で息絶えてしまえたら……
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