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6.願い事

6-7. 最後の願い

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 気がつくと、オレはとても静かな場所にいた。

 自分の息の音すら響きそうな静かな、何も無い空間。眩しい光で満たされているのに、どこにも影はない。
 目の前に手をかざすと、見慣れた自分の指が見えた。折り曲げると拳になる。ギュッと握ると伸びた爪が手のひらに刺さって痛い。

 死んでも肉体の感覚は残るのかな? それとも、痛いって事は生きてるって事なのかな?

 深呼吸すると、目の前が揺らいで影ができた。影は鏡に映したようにオレと同じ形なる。どこにでもいる平凡な顔、ひ弱そうな手足。
 最後に見るのが自分の顔なのは嫌だな。最後に目にしたい顔は、もっと別にあったのに。

『望みは……?』

 目の前のオレが言った。沢山の人の声を一つに重ねたような不思議な声。同じ声をオレはイールンの地下聖堂で聞いた。

「あんたが神さま……?」

『ここではそう呼ばれるが、私はただ長く生きているだけの存在だ。望みを喰い、生きる糧を得る。異界からお前を引っ張り込んだのはただの偶然だったが、異質な魂の味は良いなあ……もっと早くに別の世界を覗けば良かったよ』

 オレの顔をした神は薄く笑い、舌なめずりする。自分の顔に浮かぶ酷薄な笑みに背筋が凍る。

「引っ張り込んだ? オレを? 異界から? なんで?」

『理由はない。単に目が合ったからだ。私はこの世界に飽きている。ここでは同じ魂、同じ願いが巡るばかりで、新しいものは何一つない。異界の新鮮な望みを糧に、私は別の世界へ飛ぶつもりだ。さあ、私に力を与えてくれ。お前は何を望む?』

「お願いより先に質問して良い? アナタが消えたらこの世界はどうなる? 消えたりする?」

『消えやしない。この世界は私より前から存在している。私が去っても、何も起こらない』

 神は興味無さそうに淡々と答えてくれる。
 助かった。質問はお願いにカウントされないらしい。じゃあ、一杯質問して一番良い願いを叶えてもらわないと損だ。オレは必死で頭を回転させた。

「でも、命の石や、海の向こうとここを隔ててる帳は?」

『石は残る。帳は消える』

「帳が消えるとみんな困るんだ。オレがアンタにここに残って欲しいって頼んだらどうなる?」

『はは、残ったところで私は早晩消えてしまう。意味は無い』

「じゃあ、永遠に帳を消さないで欲しい、は?」

『それも無理だ。あれは私の力で作ったが、今は私の力で維持しているわけではない』

「じゃあ誰がやってるんだよ?」

 オレの姿をした神はおもむろに両手を広げる。広げた腕の下に、銀色に輝く巨大な檻が二つ現れた。一つ目の檻には、金色に輝く毛に覆われた見たこともない大型の動物、もう一つにはフェニックスみたいな鳥が、どちらも鎖に繋がれて苦しそうにのたうっている。

『先々代の大聖女殿がどうしてもと頼むので、帳を維持するため、ここ土地の古い存在に力を借りた。しかし私が出て行けば、これらは帳のために力を使ったりはしないだろう』

「それ……どこの神様だよ……」

西エラストと、ノルポル

 予想通りの答えにオレは息を詰めて拳を握った。

「全っ部、お前のせいじゃないか……!」

 コイツが混ざり者の神様を捕らえたせいで、彼らの一族は数が増えなくなった。混ざり者たちは、コイツの作った石を身体に取り込まされておかしくなった。
 コイツが作った石があるせいで、ファタリタの人達は行動を縛られて、自由に進めなくなってる。

 全部コイツのせい。
 善悪の判断をしない神様が願いを叶え続けたせいで、この世界はおかしくなった。

───だったら、全部を元に戻せば良いんじゃないか? 石も、帳もない世界に。



「さあ、望みは決まったか?」

 望みを叶えるだけ・・の神がオレの心を読んだように誘いかける。
 オレは望みを口にしかけ、直前で思いとどまった。

───本当に全てを元に戻してしまって良い?

 石も帳もなくなった後の世界を想像すると、どうしても言葉が出てこなくなってしまった。

 だって、帳がなくなれば、この国は外敵に攻められる可能性がある。
 その上、実質的にファタリタの人口上限を決めている石がなくなれば、人は無制限に増える。

 増えすぎた人間が何をし始めるか、オレは自分の世界の歴史で散々学んできたはずだ。
 貧困、疫病、戦争、支配層と被支配層の分断、格差と差別……諍いの絶えない世界。

 オレがここで最後の選択をすれば、平和なこの世界に争いを呼び込むことになる。

 でも、それを選ばなければ、エラストとノルポルは遠からず滅んで、ファタリタもいずれ緩やかに滅ぶだろう。

 戦争と繁栄を繰り返す世界か、安らかに眠るように死んでいく世界か。

───そんな選択を、オレが、一人で?

 考えると手が震えた。手どころか、全身が震えてくる。責任重大なんてもんじゃない。オレの望みに世界の運命がかかってる。
 そんなの、背負えっこない。

───無理だ……

『無理か? では、元の世界に戻ってしまえば良い。沢山ある世界の一つが滅んでも、我々には何の関係もない。痛みを感じる必要も無い』

 元の世界・・・・
 その言葉で懐かしい日本の景色が脳裏に鮮やかに蘇り、オレは息を呑んだ。

 便利で、快適で、安楽な、オレが生まれ育った世界。
 疎遠にはなってたけど、友達だっている。好きな音楽も、映画も、ゲームも、アニメも、マンガも。
 引きこもってるオレに愛想を尽かさずいてくれた家族もいる。最後にお母さんの顔を見たのはいつだったんだろう。側にいた時は鬱陶しいだけだったけど、いつだって心配してくれてた。思い出すと胸が痛んだ。

 ここを捨ててあっちへ戻れば、全部元通り。
 バッドエンドのゲームを忘れるように、この世界のことも忘れてしまえば良い。
 何もかも放り出して、布団にくるまってしまえば良い。そうすれば楽になれる。


『願え、さあ! 邪魔が入る前に、私が消える前に、早く!』

 オレの顔をした神は急かすように言う。



───楽になれる? 本当に?
 後味の悪いゲームのエンディングを忘れるように、頭の隅っこに追いやってしまえる?

 ここで体験したことは、オレにとって全て現実だ。空気の温度や湿度、口に入れた食べ物の味、目にしたものの色、景色の広がり、言葉を交わした人の声、触れ合った肌の感触、胸に吸い込んだ香り。身体全部で覚えてる。
 頭が忘れてしまっても、きっと身体が思い出す。
 馬を見ればその背で揺られたことを。雪に触れれば凍えかけたことを。露天風呂に入っても、シチューとパンを食べても、教会のステンドグラスを見ても、空を見ても、海を見ても、きっとここであったことを思い出す。

 プレッシャーで全身が強ばって、ひどい頭痛がしてきた。
 なにも選べない。どっちを選んでも後悔する。

 オレは頭痛と吐き気に耐えかねて両手で頭を抱え、その場にしゃがみ込む。その瞬間、真っ白い空間が微かに震えた。


 どこか遠いところで誰かが叫んでるのが聞こえる。その叫びに呼応するように、檻の中でうずくまっていた金の動物が、全身を震わせて吼えた。ライオンのような、虎のような、恐ろしい咆吼が空気を震わせ、白い空間に細かくひびが入り始めた。
 ひび割れの隙間から、今度はもっとハッキリ外の声が聞こえてくる。

 声はオレの名前を呼んでいた。何度も。繰り返し。
 知ってる声だ。いつもオレを励まして、安心させてくれた声。

「……カレル……?」

 一番大きく入ったひび割れに手を当てると、卵の殻を割るように壁が壊れ、真っ暗な向こうから腕が伸びてきた。知ってる腕だ。暖かくて、力強くて、優しい。
 触れた瞬間、胸のずっと奥の方で溢れかけていた何かが、堰を切って溢れ出した気がした。

「アキオ……行くな!」

 顔を見る暇もなく、抱き寄せられる。どうやってカレルがここに辿り着いたのかは分からない。向こう側からは強い風が吹いてきて、ドンドン壁を壊し始めた。

「願いを言え! 異世界から来た人間。今、お前が願わなければ、私はここで消えてしまう! これが最後の機会だ、願え!」

 後ろで神が叫んでいる。顔を上げると、カレルは見たこともないような、今にも泣きそうな顔でオレを見下ろしていた。

「行くな」

 掠れて震えた声が耳に届く。離れたくないと強く思った。


 バッドエンドのゲームは忘れてしまえる。
 でも、カレルがその世界でオレを探してると思ったら、オレはきっと正気じゃいられない。

 誰かと一緒に眠れば、いつも側にいた彼の事を、誰かと間近で見つめ合えば、きれいな若草色の目のことを思い出すだろう。もしも向こうに戻ったオレが、何もかも忘れて誰かと愛し合うことがあっても、きっと相手に彼の面影を探す。


 何が一番良い選択なのかは分からない。
 オレが望んでも望まなくても、この世界はいずれ荒れる。
 だけど、今、大勢の人が生きて生活している世界を見捨てて一人のうのうと生きるなんて、できない。オレはそこまでクズじゃない。
 救世主じゃないただのモブのオレは、今目の前にいる大事な人を不幸にしない道を選べばいい。難しい事じゃない。
 後のことは、この世界のみんなで考えていく。オレより頭が良くて、知恵や経験があって、力のある人達が一杯いる。それを頼っていけば良い。


「行かない」

 オレはカレルの背中に両腕を回して、力一杯抱きしめ、そして離した。

「オレはここに残って願い事を叶えてもらうよ。叶えれば悪いことが起こるかも知れないけど……」

 カレルは一度オレを強く抱きしめ、腕をほどいた。
 若葉色の綺麗な目に、オレの顔が映ってる。なんの取り柄もない平凡な顔だけど、彼の目に見ていてもらえる価値のある人間でありたいと思った。

 カレルは屈んでオレと目線を合わせ、

さいを振るまで、結果がどうなるかは誰にも分からない。物事には必ず良い面と悪い面があるものだ。今、賽を振れるのはお前だけだ、アキオ。望むことを叶えれば良い。何があっても、オレはお前を守る」

 と、そう言ってくれた。
 先に願い事の内容を聞こうとしないのはカレルらしい。信じてくれているのだと思うと、責任を担うことへの怖さが少し和らいだ。

「うん」

 覚悟を決めて、オレは自分と同じ顔をした神に向き直る。温かい手のひらがオレの背中を押してくれた。


 吹き荒れる風の中、オレは最後の願いを口にする。


「全部消してくれ、命の石も滅石も命願石も。アンタの存在ごとこの世界から全部消して、二度とここに戻って来るな!」



『その願いを待っていた。異界の人よ』

 弾けるように神は笑った。

 風が更に強くなり、神を中心に光が渦を巻く。じっと立っていられなくてたたらを踏むと、後ろからカレルが身体を支えてくれた。

 目を眩ませる真っ白な光の中、笑い声が弾けて遠ざかっていく。光量が収まるにつれ、空間を包んでいた白い壁が白い丸い石に変わり、次々に光の泡になって消え始める。

 光が収まると、オレは上下左右の分からない真っ暗闇に立っていた。すぐ後ろで支えてくれていたカレルはいなくなっていて、一人きりだ。

 突然、目の前の暗い空間を横切って、遠くから赤と白に輝く石が一つ飛んできた。石の光は流星のように尾を引いて走り、オレにぶつかる前に弾けて消える。
 一つ消えると、また一つ、もう一つ……。光る石は次々と空から落ちて消えていく。まるで星の雨だ。

 息を呑むほど美しい光景に、ポカンと口を開けたまま上を見上げていると、空一杯に点滅していた赤と白の光は、ゆっくりと数を減らして、最後に空は真っ暗闇になった。
 その闇の中を、金に輝く獣と、炎をまとった鳥が駆け去って行く。エラストとノルポルの神が、自分たちの土地へと還っていくんだ。


 最後の最後に残った光は、オレの足元にあった。命願石が一つ、弱々しく明滅している。拾い上げると、七色のモヤの向こうにぼんやりと自分の顔が映った。

『思ったより力を取り戻せたから、お前からは願いの代償を取らずにおいてやる。餞別代わりに、こっちに呼び出す時に落とした欠片も戻しておいてやろう。……ではさらばだ、異界の人よ』

 勝手な神様は一方的に言い残し、オレの手に残った最後の石も煙のように消える。


 それきり、オレは真っ暗な空間に投げ出され、意識を失った───



*********



 最初に戻ってきたのは聴覚だった。何人もの声がオレの名前を呼んでる。

───分かってるって、そんなに呼ばないでよ……

 誰かがオレの胸を叩いてる。鼻と口から息を吸い込むと、肺が猛烈に痛んだ。勝手に身体が跳ねて咳が出る。激しく咳き込むと抑えきれない吐き気に襲われ、咄嗟に横を向いて吐いた。びっくりするほど大量の水が喉から逆流してきて、鼻からも目からも水が溢れて止まらない。
 死にそうになりながら、水を全部吐ききると、ひどい寒気に襲われた。

 そうだった、オレは地底湖で溺れたんだった……

「アキオ! 良かった……!」

 掠れた低い声がして、抱き起こされた。何度も何度も確かめるよう背中を撫でられ、息苦しいほど抱きしめられた。

「カレル……?」

 声はほとんど出なかったし、目も霞んで見えないけど、カレルだと分かった。温かい腕に抱かれると、安心して全身の力が抜けていく。

「来てくれてありがとう……」

 吐息だけでそう言うと、冷え切ったオレの頬に温かな滴が落ちてきた。

───泣かせちゃって、ごめんね

 続く言葉を言う前に、オレはもう一度意識を失った。


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