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6.願い事

6-3. 帰還

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 天幕の中では全員が声を荒げて議論をしている最中だった。オレが息せき切って飛び込むと、一瞬で視線が集中する。

「カレルが……! 戻ってきた!」

「何だって!? どこに? 無事なのか?」

「無事じゃない! 死にかけてる! 自力じゃ歩けない、お願い、助けて!」

 とりあえず一番近くにいたジョヴァンナの副官の袖を引っ張ると、素早く兵士を呼んで担架を持手配してくれた。オレはカンテラを持って、カレルの倒れている場所へと担架を誘導する。

 川辺へ下りると、カレルはさっきと寸分違わぬ姿で倒れ伏していた。うつ伏せのまま担架に乗せられ、医療用のテントへとすぐに運ばれていく。
 オレもそっちに着いていきたかったけど、伝言を頼まれていたことを思い出して、首脳陣が集まっている天幕へと走り戻った。

「カレルは? 無事か?」

 中へ入ると、ティトーがまずオレに駆け寄って聞いてきた。

「生きてる……と、思う、多分。意識を失う前に伝言を預かった。黒い騎士はエラストの仲間だって言ってた。戦ったらいけないって」

 ヒュッと息を呑む音が複数聞こえた。

「まさか……同族が……? そんな事、あるはずが……」

 途切れ途切れに言うティトーに、ジョヴァンナが眉間の皺を深くして頷いた。

「なるほどな。あの人間離れした膂力、エラスト人だと思えば納得がいく」

「我々が同族に向かって剣を取るなど、天地がひっくり返ってもあり得ない!」

 ティトーが激昂すると、長老が前に出てそれを押さえた。

「なにか仕掛けがあるんだろうよ。どっちにせよ、カレルから直接話を聞かなきゃわからん」

「そのとおりです。情報がなければ何事も判断できない。目を覚ましたらすぐに知らせてくれるよう頼んでおきましょう」

 副官の男が疲れたように首を振り、天幕の外に出て行った。入れ替わりに、食事と酒が運ばれて来る。
 会議の場は、陰気な晩餐会場へと変化した。

*******

 知らせを待ちながら食べる食事は、砂を噛むように味気なかった。指先にはさっき掴んだカレルの手の冷たさがまだ残っている。オレはあまり食べられず、残ったパンをズボンのポケットに押し込んだ。誰も食欲があるようには見えず、ジョヴァンナは酒ばかり呷っている。

「私は、」

 ルチアーノがポツリと呟くと、全員の目がそっちへ向かった。

「聖都の中を一番よく知っている。一人で中へ忍び込んで、教主達を殺害すれば……」

「そんな事はしなくて良い。暗殺で権力を得ても、長くは続かん」

 ジョヴァンナは全部聞くまでも無く断ったけど、ルチアーノは思い詰めたような顔で俯いている。

「しかし……」

「くどい。日の下に引きずり出して、教主どもに悪事を吐かせなければ意味が無い。我々は教主に全ての罪状を被せ、フィオレラを『正しい』命願教の象徴として据え直す。順番を間違えればフィオレラごと殺す羽目になるぞ」

 ドン、とジョヴァンナが杯をテーブルに叩き付けるのと同時に、天幕の外から兵士が飛び込んできて、全員が待っていた言葉を伝えた。

「負傷者が目を覚ましました!」

*********
 
 全員でカレルの寝かされているテントへ入ると、中は一杯になった。
 医療者らしき中年の男は、簡易寝台に横たわるカレルを見下ろして状況をテキパキと説明する。 

「背中に矢傷が二カ所。矢尻は綺麗に抜けたので、致命傷ではありません。酷いのは左胸の切り傷で、かなり深い上に不衛生な状態です。薬で洗いましたが、膿んだらやっかいだ。今のところ命に別状はないが、今後どう容態が変わるかは運次第です。あまり無理はさせない方が良いでしょう」

 カレルは背中と胸の傷に障らないよう、クッション代わりのボロ袋で支えられ、横向きに寝かされている。裸の上半身には包帯が巻かれ、足元は毛布でくるまれていた。意識が戻ったと言うけれど、目は閉じたままだ。

「分かった。一つ二つ、質問をしたいだけだ。少し外してくれ」

 ジョヴァンナが手を振ると、男は血の付いた布を抱えて外へ出て行く。ジョヴァンナは出入り口の布の揺れが収まったのを見て、すぐにカレルの頭の側に膝をついた。

「君がカレルか。噂はかねがね耳にしていたが、初めて会うのがこんな形で残念だ。アキオから伝言は聞いた。詳しく教えて欲しい」

 カレルはひび割れた唇を微かに動かし、ほとんど聞き取れない声で話し出した。

「……昼の戦闘に、オレもいた……黒い戦士として……」

「本当か!? どうして!? お前ほど一族を大事にする男はいないのに、何故だ!?」

 ティトーが詰め寄ろうとするのをジョヴァンナが押さえる。

「みな……操られて……自分がなくなる……あの赤い石……」

「滅石のことか?」

「薬で……眠らされて、アレを肉の下に植えられて……わけが分からなくなる……オレは自分でえぐり出せたが……」

 カレルは震える指で胸元を覆う包帯に触れた。

「自分でやったのか。よく耐えたな。……それを取り出しさえすれば皆元に戻るんだな?」

「……わからないが……おそらく」

 短く答え、カレルは溜息と共に再び目を閉じた。また意識を無くしたみたいだ。ジョヴァンナは長く息を吐き出して立ち上がる。

「参ったな。アレを全部生け捕りにして、胸を切り裂いて石を取り出せと?」

 後ろでひっそり様子を見ていた長老が首を振る。

「……そりゃ難しいね。こっちも無傷じゃすまないよ。一人一人囲い込んで捕まえられれば何とかなるかも知れないが。あんたんとこに強い眠り薬みたいなのは無いのかい?」

「儀式で使う薬茶を相当煮詰めれば……使えるかも知れませんが、飲ませるのも一苦労でしょうね。しかし、無いよりマシでしょうから作らせましょう。エラストの方々には黒いのを引きつけて時間稼ぎをして頂いて、我々は人数で押し切って中へ入り込むしかない」

「チッ、多少の犠牲は出るだろうが、やむを得ないな」

「ルチアーノ殿にもお出まし願って、騎士団の方を説得して頂こうか」

「騎士団は大聖堂に忠誠を誓っている。元の部下が私の説得を聞くとは思えないが……」

「やらんよりマシだ。良い文句を考えろ」

 ジョヴァンナとその副官はルチアーノと話しながらテントを出て行く。エラストの二人とオティアンもその後に従い、オレは一人取り残された。

 カレルの傍に座って、擦り傷だらけの肩に触れると、可哀想なくらいに冷えていた。奥に積んである毛布を掴んできてソロッと上に掛ける。力なく投げ出された指先も冷たくなっていた。両手で挟み込んで何度も擦ると、わずかに体温が戻ってくる。

「死なないでよ……死んだら嫌だよ……まだ何にも話せてないじゃん……」

 くすんと鼻を啜ると、わずかに血の臭いを感じた。胸に巻かれた包帯に新しい赤が滲んでいる。眉間に皺を寄せているのに気付いて額に手を伸ばすと、さっきまでの冷たさとは打って変わってじんわりと熱い。ぬるりと脂汗で指が滑る。発熱している。
 額にかかる髪を耳に掛けてやり、医者を呼びに行こうと立ち上がると、ズボンの裾に指が触れる。

「お医者さんを呼んでくるだけだよ。すぐ戻るから」

 枕元に膝をついて言い聞かせると、ひび割れた唇が俺の名前の形に動いた。

「いるよ。ここに」

 行くな、とまた唇が動く。酷く重たげに手が動いて、オレの膝に触れた。力の入らない長い指がズボンの硬い布地の上でもがく。オレはその手をギュッと握りしめた。

「行かない。ここにいる。だから休んで、頼むから……!」

 耳元で囁くと、安心したように手から力が抜ける。オレは傷に障らないよう気をつけてそーっと毛布の上からカレルの背中を撫でた。熱が出てるのは良いことなのか、悪いことなのか。不安でしかたがない。

 泣いても仕方が無いのに、後から後から涙が溢れて仕方がなかった。

『一人にすると、どこまでも一人で行っちゃう人なのよ』

 イザベルの言葉が耳によみがえる。

 思い出してみれば、カレルは最初からそうだった。
 後先考えずに牢を抜け出して、オレがボートに引っ張り込まなきゃどうするつもりだったんだ。
 ケンカ別れした日だって、勝手に我慢して勝手にキレて勝手に出て行った。

 こんなことになるなら、嫌がられても、苦しくても、一緒にいれば良かった。足手まといのオレが一緒にいたら、カレルはこんなになるまで無理しなかっただろう。後悔してもしきれない。

 オレは簡易寝台の側に膝を抱えて座り、じっと苦しそうなカレルの様子を見続けるしかできない。医者は他にも診るべき負傷者が多いのか、いつまで経っても戻って来ない。

 どのくらい時間が経っただろうか。
 カレルが低く呻いた。目が覚めたのだろうかとそっちを見ると、乾いて荒れきった唇から苦しげな息を漏らして眉を寄せていた。額に触れるとびっくりするほど熱かった。熱が上がって苦しいのかも知れない。脱水になったらマズいよな。水を飲ませた方がいいのかな。
 狭いテントの中を見回すと、隅に水差しとひび割れた椀があった。椀に水を注いでチョットだけ飲んでみると、変な味も匂いもない、普通の水だ。

「カレル、水。飲める?」

 口元に宛がってみたけど、意識がないみたいで水は零れて顎を濡らす。仕方ないから、口移しで飲ませることにした。ほっぺたの内側に水を溜めたまま、半開きで荒い息を漏らしているカレルの口を自分の唇で覆う。少しずつ舌で水を送り込むと、喉が動いて飲み込んでくれたのが分かった。
 それが、とても嬉しかった。カレルの身体は生きようとしてる。

 何度か同じ事を繰り返すと、満足したように呼吸が穏やかになった。額に手を当てると相変わらず熱は高いけど、表情は楽そうに見えた。熱が上がりきって峠を越したのだろうか。そうだったら良いな。

 オレは安堵のあまりお椀を投げ出して、剥き出しの土の上に座り込んだ。なんだかどっと力が抜けて、急にお腹が減ってきた。
 そういえば、ポケットにパンを入れてあったはず……とズボンを探ると、パンの欠片と一緒に滅石が一粒出てきた。河辺でカレルが握ってたやつだ。
 パンをかじりながら、泥と固まった血で汚れた石をシャツの袖で拭っていると、首からぶら下げている命願石を入れた袋から光が漏れた。袋を逆さに振ると、虹色に光る石が眩しさを増す。

「何だろ……?」

 お願いセットが揃ったから反応してるんだろうか?
 光はオーロラのようにゆらゆらと揺れ、段々と一方向に向かって伸びていく。伸びた先はテントの隅だ。外と内を隔てる重い布をめくると、光は真っ直ぐに北へ向かって伸びた。その先には聖都の端を示す湖がある。

「こっちに来いって言ってる?」

───もし、このたった一つの滅石で願いを叶えてもらえるとしたら……

 黒い騎士を全員元に戻して欲しい、というのはアリなんだろうか?

 もしもそれが叶ったら、みんなは余計な戦いをせずに済む。もし叶わなくても、犠牲は特にないんだし、やってみて損はないはずだ。

 テントの中を振り返ると、カレルは落ち着いた様子で眠っていた。あんなに傷ついて戻ってきて、「戦うな」って伝えてくれたんだから、黒い騎士たちと戦わずに済んだら喜ぶよね。

 オレは、多分それができる。
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