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5.サウラスにて
5-7. 出発
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「マジかよ……オティアンのヤツ……!」
オレが腹立ち紛れに格子を拳で叩くと、
「やめておけ」
とルチアーノに手首を掴まれて止められた。
久しぶりに近くで見るルチアーノは、随分やつれていた。金の髪はくすんでいるし、衣服は薄汚れてヒゲも微かに伸びている。
「やあ、久しぶり……。ごめんな、助けに来たつもりだったんだけど……」
オレが謝ると、ルチアーノは一瞬苦く笑ってから、首を左右に振った。
「……まさかこんな風に再会するとはな。お前はあのエラストの男と、向こうへ行ったんだとばかり思っていたが」
「カレルが一人で出て行った後、偶然ジョヴァンナに見つかって、堂者見習いと誤解されて無理矢理こっちに連れてこられたんだよ。あの人、全然話を聞いてくれないんだよね……。ルチアーノたちは?」
「お前たちと、オティアンがいなくなった後すぐ、泊まっていた部屋に軟禁された。ここに移されたのは五日ほど前だ。おそらく、私たちより前に雪山の聖堂に辿り着いた巡礼たちも、この街のどこかに幽閉されているのだろう……もしかしたら既に殺されているかも知れないが……」
あり得る話だ。ジョヴァンナにとっては、石の回収役である巡礼は邪魔者でしかない。オレは鉄格子から手を離し、マイアリーノが寝かされているベッドに近寄った。
枕元に立つと、懐かしい顔が見えた。特徴的な鼻を隠すように顔の半ばまで毛布で覆われている。元々色白の顔は血色を失って青みがかって見え、頭の両端で力なく垂れた耳も色あせていた。
「マイアリーノは……いつから具合が悪いの?」
「雪山で調子を崩して以来、徐々に弱ってきている」
「あの時からずっと? 病気なのか?」
「いいや……おそらく、寿命がきたのだろう」
「寿命!? この子はオレより年下だろ!? なんで!?」
「彼女たちは不安定な存在なんだ。個体によるが、成体になってから五年程度しか生きられない。時期が来ると、胸の辺りに石が浮いて来る。生きながら身体と命が離れてしまうんだ。マイアリーノも……時間の問題だろうな……」
ルチアーノはマイアリーノの身体を覆う毛布をそっとずらし、襟元を少しだけはだけさせた。酷く痩せて、細い鎖骨がクッキリと浮いている。その下に、以前はなかったビー玉くらいの大きさの突起ができている。皮膚の下に滅石の赤い色が透けて見えていた。
「マジかよ……。本当に死んでしまうの? 何とかならない? 薬とかは?」
「ない。ここに来てからはほとんど眠っている。何人か同じ症状の混ざり者を見た経験からすると……もう長くはないだろう」
ルチアーノは痛ましげに顔をしかめ、マイアリーノの襟を閉じ、毛布をかけ直す。
「……ヒデェ……」
オレは頭を抱えてベッドの傍らに座り込んでしまった。
大人になってから五年で死ぬ? 本当ならエラスト人の寿命は百五十年なのに? 分かってるのに何の手立ても考えずに、彼女たちを森の奥で隠してた大聖堂の関係者はあまりに酷い。
「お前たちが集めた石も全て取られてしまった。すまん」
「そんなのはもうどうでも良いよ!」
ルチアーノに謝られ、オレは思わず怒鳴り返す。ルチアーノは「……すまん」とだけ言って目を伏せた。
「ごめん、怒鳴って。でもそれはもう、しょうがないよ。例え滅石があったとしても、オレはもう願いを叶えるためにそれを使う気にはなれないし……」
「私も無理だ」
「そもそも、オレの願い事なんかもう、どうでも良いよ……。オレは、どうしたら良いんだろう。ジョヴァンナの言い分の方が正しいように思えるけど、戦いになったら絶対人が傷つくし、最悪、死ぬじゃないか……話し合いでどうにかできないのかな……」
オレはマイアリーノのベッドに腰掛け、さっき聞いた話を頭で整理しながら独り言のように呟いた。
「ジョヴァンナは武力で聖都を制圧して、政権を握るつもりだよね。そしたらフィオレラはどうなるんだろう。ジョヴァンナは、命願教自体を否定してない。新サウラスの人たちも教えを信じてる。彼女がフィオレラに替わって大聖女の位に就くつもりなんだろうか……?」
「ファタリタから命願教自体を排除することは無理だ。それしか信じる物が無い。しかし私は、ジョヴァンナが大聖女の位を狙っているとは思えない」
ルチアーノは自分のベッドに腰掛け、疲れた様子で顔を両手で覆った。
「だよね。オレはジョヴァンナは王様になるつもりだと思う。命願教は理想的な形に戻して残し、自分は政治だけやるつもりじゃないかな」
ジョヴァンナのドが付くほどの合理主義と、強烈に前へ進む気性は、宗教者と言うより乱世の王様だ。
ルチアーノは「王?」と首を傾げている。
そっか、他国と争いがない宗教国家のファタリタには『王』って概念がないのか。
「そう、王様。国民を代表して国の進むべき道を決めていく役割の人。宗教は人の心を導くだろ? 王様は生活を導く……って感じかな。軍を揃えて他の国との争いに備えたり……。そういや、ファタリタの回りって敵対勢力がないのかな? エラストは今までは敵対してなかったっぽいけど、海の向こうとか、どうなってるんだ?」
「海の向こうには神の帳がある。帳の向こうに出ることはできない。帳があるから、ファタリタは外から攻撃されることがない……と、伝説には伝えられている。本当かどうかは知らないが、海の向こうには何も無い。舟を漕ぎ出しても、いつの間にか霧に巻かれて、気がついたら港に押し戻されるんだ」
「神の帳……」
オレは細く開いた窓の側に寄り、外を見た。
オレたちがいる建物は海に突き出した岬の上に立っているようで、窓の外では凪いだ水面が春の日に輝いていた。水平線の辺りは霧で曖昧に滲んでいる。あの霧が神の帳なんだろうか?
「お前も神などいないと思うか?」
急に質問され、俺は首をかしげてルチアーノを振り返った。
「ルチアーノは? いると思う?」
ルチアーノは溜息をついて艶を失った金髪を掻き上げ、首を横に振った。
「正直、分からん。しかしフィオレラは信じている。人が命と願いの輪を回し続ける限り、神はファタリタを守ると」
オレはイールンの地下聖堂での出来事を思い出した。あの時、オレは声を聞いた。
『願え』という声。
あれが神の声だって言うんなら、神はきっと存在してる。
オレは首からぶら下がっている命願石を服の上から強く握った。
「……この状況を変えるための鍵は、フィオレラが握ってる……フィオレラはオレが石を持って戻るのを待ってるんだよね? オレの石があれば神が力を取り戻すから」
ルチアーノは黙ったまま頷く。
「じゃあ行かなきゃ! 戦いが始まる前に、オレがフィオレラと……」
オレが立ち上がって言いかけた時、部屋の扉が開いて兵士が何人も踏み込んできた。兵士たちは鉄格子の鍵を開け、素早くオレとルチアーノの両手首に縄をかける。ついでに頭に袋を被せられ、視界を奪われた。
「何だよ! オレたち逃げようと思ってなんか……!」
「大人しくしろ。お前らは、このまま捕虜としてサウラス軍に同行するんだ。殺しはしないが、自由は無い。舌を切られたくなければ、静かにしてろ」
「マイアリーノは!? 具合が悪いんだ。無理をさせれば死んでしまう!」
「気の毒だが、あの娘も一緒に来てもらう。死なせるなと言われているから、できる限り楽な状態で運ぶことになっている」
「……ホントに? 絶対酷い扱いはしないでやってくれよ」
見えないけど声の方に顔を向けて頼むと、任せろというように背中を軽く叩かれた。すぐに手首を縛った縄が前に引っ張られ、足元の見えない不安な状況下で歩かされ始める。ものすごく歩きにくいし、どこへ連れて行かれるのか、不安と恐怖しか感じない。
───だけど、外に出られた方がまだ逃げ出せる可能性はある。
オレは不安を押し殺しながら、必死で自分を励まして足を前に運び続けた。
*******
目隠しを取られて真っ先に目に入ってきたのは、海だった。まさか突き落とされて殺されるんじゃないかとビビったのもつかの間、不安定に揺れる足元の感覚で、すぐに自分が大きな船に乗っているんだと気がついた。
オレとルチアーノは、帆柱を挟んで背中合わせにくくりつけられている。回りにはかなりの数の男たちがいて、それぞれ忙しそうに甲板の上を行ったり来たりしていた。
オレの目の前には、オティアンが腕を組んで立っていた。
「オティアン! マイアリーノは!?」
「……最初にする心配がそれか。お人好しもいい加減にしろよ。彼女はジョヴァンナの船室で寝てる。女官が付き添ってるから心配するな」
オティアンは苦笑して俺の前に膝をつき、身体を縛った縄をほどき始める。
「オレたちは、どこに連れて行かれるんだ? 聖都に向けて進軍するんじゃないの?」
「この船はサウラスの兵を乗せて、エラストに向かってる。オレたちはエラストの支援を受けて、西から聖都へ入る。エラストには明日の朝には着くだろう。向こうにカレルがいるなら、お前をダシに有利な取引ができるから、連れて行った方が良いとジョヴァンナに頼んでやったのさ。感謝してくれても良いぞ」
オレはしばしつけられていたせいで強ばっている身体を怖々動かしながら、オティアンを睨んだ。胴体は自由になったけど、右足首には鎖が付いたままで、その先は帆柱に打ち付けられている。
「するわけ無いだろ」
自由になる方の足で蹴ろうとすると、オティアンは肩をすくめてそれを避け、オレの足元にパンとスープの入った皿を置いた。
「暴れると貴重な食料がひっくり返るぞ」
それだけ言って踵を返し、舳先の方へと行ってしまう。オレはそれを睨み付けた後、帆柱の裏に回ってルチアーノの縄をほどいた。結び目は固く、指でほどくのはかなり時間がかかった。ようやく解けた時には爪は欠け、指先に血が滲んでいた。痛い。けど何とか解けて良かった。
「すまん、助かった」
ルチアーノは酷く憔悴した顔で言う。オレは一人分しか用意されていない食事を彼と分け合って食べ、後は体力を温存するために柱の陰でごろ寝した。ルチアーノも静かに目を閉じている。
寝転がって空を見上げると、雲一つ無い薄い水色がどこまでも広がっていた。時折、高いところを白い鳥が横切っていく。カモメだろうか。
風は穏やかで船はあまり揺れず、滑るように海面を進む。あまり高くない帆柱には単純な三角の帆が張られていた。
オレは頭の中でファタリタの地図を思い出す。
横長の楕円のようなファタリタの都は、中央よりも西寄りにあった。サウラスと聖都の間には高い山脈があるから、西のエラストが協力してくれるなら、船で兵を運んで西から攻めた方が話が早いんだろうと見当を付ける。
───エラストに着いたらカレルと会えるだろうか。
なんて言って顔を合わせれば良いんだろう。
「久しぶり」? 「ごめん」? 「会いたかった」?
どれも合ってるけど、どれも違う気がする。カレルがサウラス軍と一緒に聖都へ向かうってなったら、オレは彼を止めるべきなんだろうか、それとも励ませば良いのか?
全然分からない。
考えていると頭が痛くなってきて、船酔いしそうだった。オレは眩しい陽光から逃げるように腕で顔を覆い、船の揺れに身を任せて目を閉じた。
オレが腹立ち紛れに格子を拳で叩くと、
「やめておけ」
とルチアーノに手首を掴まれて止められた。
久しぶりに近くで見るルチアーノは、随分やつれていた。金の髪はくすんでいるし、衣服は薄汚れてヒゲも微かに伸びている。
「やあ、久しぶり……。ごめんな、助けに来たつもりだったんだけど……」
オレが謝ると、ルチアーノは一瞬苦く笑ってから、首を左右に振った。
「……まさかこんな風に再会するとはな。お前はあのエラストの男と、向こうへ行ったんだとばかり思っていたが」
「カレルが一人で出て行った後、偶然ジョヴァンナに見つかって、堂者見習いと誤解されて無理矢理こっちに連れてこられたんだよ。あの人、全然話を聞いてくれないんだよね……。ルチアーノたちは?」
「お前たちと、オティアンがいなくなった後すぐ、泊まっていた部屋に軟禁された。ここに移されたのは五日ほど前だ。おそらく、私たちより前に雪山の聖堂に辿り着いた巡礼たちも、この街のどこかに幽閉されているのだろう……もしかしたら既に殺されているかも知れないが……」
あり得る話だ。ジョヴァンナにとっては、石の回収役である巡礼は邪魔者でしかない。オレは鉄格子から手を離し、マイアリーノが寝かされているベッドに近寄った。
枕元に立つと、懐かしい顔が見えた。特徴的な鼻を隠すように顔の半ばまで毛布で覆われている。元々色白の顔は血色を失って青みがかって見え、頭の両端で力なく垂れた耳も色あせていた。
「マイアリーノは……いつから具合が悪いの?」
「雪山で調子を崩して以来、徐々に弱ってきている」
「あの時からずっと? 病気なのか?」
「いいや……おそらく、寿命がきたのだろう」
「寿命!? この子はオレより年下だろ!? なんで!?」
「彼女たちは不安定な存在なんだ。個体によるが、成体になってから五年程度しか生きられない。時期が来ると、胸の辺りに石が浮いて来る。生きながら身体と命が離れてしまうんだ。マイアリーノも……時間の問題だろうな……」
ルチアーノはマイアリーノの身体を覆う毛布をそっとずらし、襟元を少しだけはだけさせた。酷く痩せて、細い鎖骨がクッキリと浮いている。その下に、以前はなかったビー玉くらいの大きさの突起ができている。皮膚の下に滅石の赤い色が透けて見えていた。
「マジかよ……。本当に死んでしまうの? 何とかならない? 薬とかは?」
「ない。ここに来てからはほとんど眠っている。何人か同じ症状の混ざり者を見た経験からすると……もう長くはないだろう」
ルチアーノは痛ましげに顔をしかめ、マイアリーノの襟を閉じ、毛布をかけ直す。
「……ヒデェ……」
オレは頭を抱えてベッドの傍らに座り込んでしまった。
大人になってから五年で死ぬ? 本当ならエラスト人の寿命は百五十年なのに? 分かってるのに何の手立ても考えずに、彼女たちを森の奥で隠してた大聖堂の関係者はあまりに酷い。
「お前たちが集めた石も全て取られてしまった。すまん」
「そんなのはもうどうでも良いよ!」
ルチアーノに謝られ、オレは思わず怒鳴り返す。ルチアーノは「……すまん」とだけ言って目を伏せた。
「ごめん、怒鳴って。でもそれはもう、しょうがないよ。例え滅石があったとしても、オレはもう願いを叶えるためにそれを使う気にはなれないし……」
「私も無理だ」
「そもそも、オレの願い事なんかもう、どうでも良いよ……。オレは、どうしたら良いんだろう。ジョヴァンナの言い分の方が正しいように思えるけど、戦いになったら絶対人が傷つくし、最悪、死ぬじゃないか……話し合いでどうにかできないのかな……」
オレはマイアリーノのベッドに腰掛け、さっき聞いた話を頭で整理しながら独り言のように呟いた。
「ジョヴァンナは武力で聖都を制圧して、政権を握るつもりだよね。そしたらフィオレラはどうなるんだろう。ジョヴァンナは、命願教自体を否定してない。新サウラスの人たちも教えを信じてる。彼女がフィオレラに替わって大聖女の位に就くつもりなんだろうか……?」
「ファタリタから命願教自体を排除することは無理だ。それしか信じる物が無い。しかし私は、ジョヴァンナが大聖女の位を狙っているとは思えない」
ルチアーノは自分のベッドに腰掛け、疲れた様子で顔を両手で覆った。
「だよね。オレはジョヴァンナは王様になるつもりだと思う。命願教は理想的な形に戻して残し、自分は政治だけやるつもりじゃないかな」
ジョヴァンナのドが付くほどの合理主義と、強烈に前へ進む気性は、宗教者と言うより乱世の王様だ。
ルチアーノは「王?」と首を傾げている。
そっか、他国と争いがない宗教国家のファタリタには『王』って概念がないのか。
「そう、王様。国民を代表して国の進むべき道を決めていく役割の人。宗教は人の心を導くだろ? 王様は生活を導く……って感じかな。軍を揃えて他の国との争いに備えたり……。そういや、ファタリタの回りって敵対勢力がないのかな? エラストは今までは敵対してなかったっぽいけど、海の向こうとか、どうなってるんだ?」
「海の向こうには神の帳がある。帳の向こうに出ることはできない。帳があるから、ファタリタは外から攻撃されることがない……と、伝説には伝えられている。本当かどうかは知らないが、海の向こうには何も無い。舟を漕ぎ出しても、いつの間にか霧に巻かれて、気がついたら港に押し戻されるんだ」
「神の帳……」
オレは細く開いた窓の側に寄り、外を見た。
オレたちがいる建物は海に突き出した岬の上に立っているようで、窓の外では凪いだ水面が春の日に輝いていた。水平線の辺りは霧で曖昧に滲んでいる。あの霧が神の帳なんだろうか?
「お前も神などいないと思うか?」
急に質問され、俺は首をかしげてルチアーノを振り返った。
「ルチアーノは? いると思う?」
ルチアーノは溜息をついて艶を失った金髪を掻き上げ、首を横に振った。
「正直、分からん。しかしフィオレラは信じている。人が命と願いの輪を回し続ける限り、神はファタリタを守ると」
オレはイールンの地下聖堂での出来事を思い出した。あの時、オレは声を聞いた。
『願え』という声。
あれが神の声だって言うんなら、神はきっと存在してる。
オレは首からぶら下がっている命願石を服の上から強く握った。
「……この状況を変えるための鍵は、フィオレラが握ってる……フィオレラはオレが石を持って戻るのを待ってるんだよね? オレの石があれば神が力を取り戻すから」
ルチアーノは黙ったまま頷く。
「じゃあ行かなきゃ! 戦いが始まる前に、オレがフィオレラと……」
オレが立ち上がって言いかけた時、部屋の扉が開いて兵士が何人も踏み込んできた。兵士たちは鉄格子の鍵を開け、素早くオレとルチアーノの両手首に縄をかける。ついでに頭に袋を被せられ、視界を奪われた。
「何だよ! オレたち逃げようと思ってなんか……!」
「大人しくしろ。お前らは、このまま捕虜としてサウラス軍に同行するんだ。殺しはしないが、自由は無い。舌を切られたくなければ、静かにしてろ」
「マイアリーノは!? 具合が悪いんだ。無理をさせれば死んでしまう!」
「気の毒だが、あの娘も一緒に来てもらう。死なせるなと言われているから、できる限り楽な状態で運ぶことになっている」
「……ホントに? 絶対酷い扱いはしないでやってくれよ」
見えないけど声の方に顔を向けて頼むと、任せろというように背中を軽く叩かれた。すぐに手首を縛った縄が前に引っ張られ、足元の見えない不安な状況下で歩かされ始める。ものすごく歩きにくいし、どこへ連れて行かれるのか、不安と恐怖しか感じない。
───だけど、外に出られた方がまだ逃げ出せる可能性はある。
オレは不安を押し殺しながら、必死で自分を励まして足を前に運び続けた。
*******
目隠しを取られて真っ先に目に入ってきたのは、海だった。まさか突き落とされて殺されるんじゃないかとビビったのもつかの間、不安定に揺れる足元の感覚で、すぐに自分が大きな船に乗っているんだと気がついた。
オレとルチアーノは、帆柱を挟んで背中合わせにくくりつけられている。回りにはかなりの数の男たちがいて、それぞれ忙しそうに甲板の上を行ったり来たりしていた。
オレの目の前には、オティアンが腕を組んで立っていた。
「オティアン! マイアリーノは!?」
「……最初にする心配がそれか。お人好しもいい加減にしろよ。彼女はジョヴァンナの船室で寝てる。女官が付き添ってるから心配するな」
オティアンは苦笑して俺の前に膝をつき、身体を縛った縄をほどき始める。
「オレたちは、どこに連れて行かれるんだ? 聖都に向けて進軍するんじゃないの?」
「この船はサウラスの兵を乗せて、エラストに向かってる。オレたちはエラストの支援を受けて、西から聖都へ入る。エラストには明日の朝には着くだろう。向こうにカレルがいるなら、お前をダシに有利な取引ができるから、連れて行った方が良いとジョヴァンナに頼んでやったのさ。感謝してくれても良いぞ」
オレはしばしつけられていたせいで強ばっている身体を怖々動かしながら、オティアンを睨んだ。胴体は自由になったけど、右足首には鎖が付いたままで、その先は帆柱に打ち付けられている。
「するわけ無いだろ」
自由になる方の足で蹴ろうとすると、オティアンは肩をすくめてそれを避け、オレの足元にパンとスープの入った皿を置いた。
「暴れると貴重な食料がひっくり返るぞ」
それだけ言って踵を返し、舳先の方へと行ってしまう。オレはそれを睨み付けた後、帆柱の裏に回ってルチアーノの縄をほどいた。結び目は固く、指でほどくのはかなり時間がかかった。ようやく解けた時には爪は欠け、指先に血が滲んでいた。痛い。けど何とか解けて良かった。
「すまん、助かった」
ルチアーノは酷く憔悴した顔で言う。オレは一人分しか用意されていない食事を彼と分け合って食べ、後は体力を温存するために柱の陰でごろ寝した。ルチアーノも静かに目を閉じている。
寝転がって空を見上げると、雲一つ無い薄い水色がどこまでも広がっていた。時折、高いところを白い鳥が横切っていく。カモメだろうか。
風は穏やかで船はあまり揺れず、滑るように海面を進む。あまり高くない帆柱には単純な三角の帆が張られていた。
オレは頭の中でファタリタの地図を思い出す。
横長の楕円のようなファタリタの都は、中央よりも西寄りにあった。サウラスと聖都の間には高い山脈があるから、西のエラストが協力してくれるなら、船で兵を運んで西から攻めた方が話が早いんだろうと見当を付ける。
───エラストに着いたらカレルと会えるだろうか。
なんて言って顔を合わせれば良いんだろう。
「久しぶり」? 「ごめん」? 「会いたかった」?
どれも合ってるけど、どれも違う気がする。カレルがサウラス軍と一緒に聖都へ向かうってなったら、オレは彼を止めるべきなんだろうか、それとも励ませば良いのか?
全然分からない。
考えていると頭が痛くなってきて、船酔いしそうだった。オレは眩しい陽光から逃げるように腕で顔を覆い、船の揺れに身を任せて目を閉じた。
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