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5.サウラスにて

5-6. 秘密.2

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「おいで、私の可愛い子たち」

 ジョヴァンナが今までとは打って変わった穏やかな声で外に呼びかけると、部屋の外から軽い足音がして幼稚園児くらいの女の子と、それよりもう少し小さい男の子が飛び込んできた。

「かあさま、もうお話は終わった? サラたちと遊べる?」

 ガウンの足元にまとわりつく子どもを二人まとめて抱き上げ、ジョヴァンナは

「この子たちは、大聖堂の赦しも、婚姻も無しに生まれた。私が腹を痛めて産んだ私の子だ。この子たちが、神など不要だと証明している!」

 と高らかに言い放った。ルチアーノは呆然と母子を見上げている。

「……あり得ない……」

「サウラスの民はもうすでに、結婚と受胎の秘儀がただの大聖堂の金稼ぎの手段だと知っている。教主どもが押しつけてくる教義が嘘だと知っている。これ以上、大聖堂に従う意味がどこにある?」

 オレは混乱してジョヴァンナを見上げ、

「待って待って、分かんない。なんで神様と子どもが関係あるの? 結婚と受胎の秘儀って何?」

 とストップを掛けた。

「何故君の質問に答える必要がある?」

 ジョヴァンナは冷たく言う。それは確かにそうなんだけど! オレが言葉に詰まると、今まで全く会話に参加してこなかったオティアンが初めて口を開いた。

「それはオレも知りたい。北の一族はオレで最後だからどうでも良いが、エラストは受胎の秘儀について知りたがってる」

 ジョヴァンナは面倒そうに息を吐き、子どもを腕から下ろして部屋の外に導いた。

「サラ、ミケーレ、すまないがもう少し待っていてくれるか? かあさまはもう少しお仕事があるんだ」

 ドアを閉めると、しばらく不満げな子ども声が聞こえていたが、それが遠ざかって聞こえなくなると、ジョヴァンナは腕を組んで長椅子に座りなおした。

「君に答えてやる義理は無いが、オティアンには借りがあるから教えてやろう。隠すほどの事でもないしな」
 ジョヴァンナは淡々と命願教の根本について語りはじめた。

「まず、命願教が『命の循環』について説いていることは知っているな? 人間はみな神の欠片いのちを持って生まれ、死んだ後もそれはこの世界に残る。祝福された男女の一組は、先人が残した神の欠片いのちを受け継いで、新しく産み直す。命は尽きず、巡り続ける。我々は巡り続ける輪の中に生きている」

 それはオレが堂者見習いの振りをしている間、耳にたこができるくらい聞かされ続けた説教と同じだった。今更解説されたところで新しい発見はない。オティアンもつまらなさそうな顔で軽く頷くだけだった。

「……受胎の秘儀とは、これをそのまま実行するだけさ。神の欠片いのちとは、人が死んだ後に残る石のことだ。それを二つに割って男女が一つずつ飲んで交われば、間に子が産まれる。ただそれだけのことだ」

「石……滅石のこと?」

「そう。君たち巡礼者が集めて回る滅石というものは、人が死んだ後に残る命の種だ。
  地方聖堂は、近隣で死者が出れば、必ず弔いに赴いて滅石を回収し、保管する。それを十年に一度、祭りの時期に巡礼が集めて聖都に持ち帰り、大聖堂で『浄化』が行われる。浄化を終えた石は、改めて各地の聖堂へと配布される。各地の聖堂は金と引き換えに石を男女二人に与え、交わらせるのさ。
 問題なのは『浄化』のプロセスだ」

 ジョヴァンナは立て板に水の如く滑らかに喋り、テーブルから茶菓子を一つ摘まんで苛々と噛み砕いた。

「大聖堂は『浄化』を経ない滅石によって子を授かれば、穢れた子・・・・が生まれると地方聖堂の堂主を教育してきた。
 しかし、それは嘘だ。私は浄化されていない石を飲んで子を産んだ。サラもミケーレも何も問題なく育っている。
 そもそも、元の命願教の教えの中に『命の浄化』という概念はない。堂主ロドリゴは古い文献を元に大聖堂の『浄化』を非難したが、教主達に疎まれ、サウラスに左遷されたのさ。そして教主達は都合良く教義を曲げていることを隠すために、聖堂書庫を閉鎖した」

「あ……聖堂の書庫……記録が廃棄されてるって聞いた」

 オレは旅の始めの方でカレルが言っていたことを思い出す。彼は、苦労して忍び込んだ書庫が空だったと嘆いていた。
 ジョヴァンナはオレに向かって頷いて

「そうだろうな。教主どもは正しい教義が復活することを恐れている。私は堂主ロドリゴと協力して、浄化を経ずとも健やかな子が産まれることを自分の腹を使って証した後、この街では子を望む男女に無条件で石を与えると布令を出した。
 その結果、人は増え街は活気づいた。この結果を世に知らせ、教主どもを排除するために、私は聖都に向けて兵を挙げる。以上だ。なにか言いたいことはあるか?」

 と、両腕を広げてオレたちを順番に見回した。
 ルチアーノは俯いて考え込んでいる。オレが恐る恐る手を挙げて、

「あの、ルチアーノが滅石を沢山持ってたと思うんですけど、それは返してもらえるんですか……?」

 と聞くと、ニッコリ満面の笑みを浮かべたジョヴァンナに

「アレは人の命と等価だ。返すと思うか?」

 と聞き返される。オレは「ですよね……」と引き下がるしかなかった。

 オレの次はオティアンが壁から背を離して前に出る。

「人間と石の話は分かった。問題は、その繁殖方法がエラストの混ざり者にも実現可能なのかということだ。混ざり者は女の腹から生まれ出てくるわけではないからな」

「知らん。それは混ざり者の問題だ」

 バッサリ斬り捨てられ、オティアンはうんざりしたように顔をしかめて首を左右に振った。

「混ざり者の問題をどうにかしないと、エラストの協力を得られない。だから君たちは困ってるんじゃないか」

 オレは何かの手がかりになるかと、かなり前にカレルが話してくれたことを整理しつつ話してみることにした。

「あの、前にカレル……エラスト人の仲間が言ってたんだけど、命願教徒に誘われてファタリタに渡った人達がかなり沢山いるらしいんだ。その人たちは、受胎の秘儀を受けるために金を稼ごうとして、ファタリタ人に悪条件で雇われてるって。その中で、お金を貯め終えて試してみた人はいないのかな……?」

 オティアンとジョヴァンナは「心当たりがない」「知らないな」と首を振ったが、意外にもルチアーノがオレの疑問に答えてくれた。

「……おそらく、既にいるのだと思う。マイアリーノのような者が生みだされ始めたのは、ここ十年程のことらしいから……」

 ルチアーノの暗い声を聞いて、オレは納得と落胆を同時に味わっていた。ジョヴァンナの話を聞いた時からそんな気はしていたんだ。そんな簡単なことなら、誰かがとっくに試すだろうって。

 ルチアーノの言葉を聞いたジョヴァンナは、テーブルを叩いて激昂した。豪華な茶器が微かに跳ねて耳障りな音を立てる。

「貴様は馬鹿か! なぜそれを知っていて、止めなかった!?」

「知っていたら止めている! 私は監督を任されていただけだから、彼女のような存在が一体なぜ、どうやって生みだされたのかは知らなかったんだ! 一時期、エラスト人が我が国に押し寄せていたのは知っていたが、単に出稼ぎとしてしか認識していなかった。マイアリーノたちの出自と、エラストの混ざり者に関係があるなど気づけるはずもない……」

「ハッ! 大聖女の犬は言い訳ばかりが上手いな!」

 ジョヴァンナは苛立ちを紛らわせるように床を思い切り蹴りつけ、不愉快そうに鼻を鳴らした。

「考えようとしてこなかったのは私の落ち度だ……。しかし、私の着任以来、新しい混ざり者は増えなかったんだ。失敗と判断されて、計画が中止になったか……フィオレラが止めたのかもしれない……」

「あの子のような者達を、同族が取り返しに来ることもなかったんだな?」

 冷ややかに質問したのはオティアンだった。

「ない。マイアリーノたちは厳重に隠されていた」

「エラスト人が我が子を捨てることはあり得ない。子を取られたら、どこに隠されようが、一族を挙げて取り返に来るぞ。しかし、ファタリタで間諜活動をしていたカレルは、その話を全く知らなかった。……ということは、親となったエラスト人は口封じに始末されている可能性が高い」

「まさか! そんな事をフィオレラが許すわけがない!」

「内輪の話がどうであれ、事実を見れば、ファタリタは助けを求めてやってきたエラストの者を踏み躙ったことになる。これでエラストがファタリタを許す理由はなくなった」

 オティアンは腕組みを解き、ジョヴァンナに向かって

「これでエラストはオレたちと共に立つぞ。彼らは一族の誇りを傷つけたものには、必ず復讐するだろう。もう待つ必要は無い」

 と静かに力のこもった声で言う。ジョヴァンナは口元に大きな笑みを浮かべて頷き、オティアンに歩み寄りって彼の胸を三度強く叩いた。

「元より待つつもりはなかったが! 軍議は予定通り夕刻開く。君も出席しろ」

「御意」

 二人は声を掛ける暇も無く部屋を出て行く。放置されたオレは慌てて後を追おうとしたけど、いきなり現れた屈強な兵に掴み上げられ、鉄格子の向こうに押し込まれた。

「ちょ……オレは何にもしてないんだけど!!」

 鉄格子を揺らして大声で訴えても、兵はオレを一瞥もせずに部屋を出て行く。念入りなことに、ドアの向こうで鍵がかかる音がした。
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