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4.サウラスへ

4-7. 別れ、そして新しい出会い

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 ポカンと宙に放り出されたような頼りない気持ちで、雪の中立ちすくむ。気がつくと涙がこぼれていた。

「どうされました? そんな薄着で外にいると、風邪を引いてしまいますよ」

 背後からリーナの気遣うような声が聞こえ、オレは慌てて垂れてきた鼻水をすすり上げ、目元を乱暴に拭った。

「だ、だいじょうぶです。ちょっと外の空気が吸いたくなって! 冷えちゃったし、お風呂行っても良いですか!?」

「え、ええ……でも……」

「ありがとう! じゃあ!」

 オレはみっともなく赤くなった目をリーナに見られたくなくて、ことさら明るく笑って手を振り、通路を走って温泉小屋の扉の中に飛び込んだ。


 木の良い香りのする小屋の中は、昨夜と同じように薄暗い。床の炉には灰を被せてあったけど、中の空気はまだ十分に温かかった。
 隅っこの床で膝を抱えて座り込むと、涙がどっとあふれ出した。

───カレルが居なくなっちゃった……

 いつか別れる日が来るのは承知の上だった。
 でも、こんなふうにすれ違うのは想定外だ。

 次の祭りで自分の願いを叶えて、その後カレルとお別れするとしても、会おうと思えば普通にまた会える距離感でいられると思ってた。学校を卒業して友だちと別の進路に行くことになるのとおんなじで、ちょっと疎遠になっても、いつでも声を掛けられる距離にいられるのかなって。
 なんなら、祭りが終わった後は、今度はオレがカレルのやりたいことの手助けをできたら良いなとか、思ったりしてた。まあ、冷静に考えたらオレが役に立つわけないんだけど。

 でもカレルは違ってた。

 オレのことが欲しいって。あんなに思い詰めた声で。あんなに飢えた目をして。

「なんでだよ……」

 あんな風に求められるほど、オレは価値のある人間じゃない。
 顔は中の下だし、物知らずだし、怠けものだし、体力もなければ知力もそこそこ。身体だって中途半端な半人前だ。

 強くて行動力があって、冷静で、めちゃめちゃカッコイイ大人の男のカレルとじゃ、差がありすぎる。ルチアーノもオティアンも、それぞれすごいけど、オレにとって一番身近で、一番支えになってくれて、一番特別なのはカレルだ。

 けど、だからこそ、オレは彼に応えたくない。

 特別な人の、たった一人の特別なポジションになるのは怖い。
 だって一度でもそんな風に扱われてしまったら、捨てられた時にどんなショックを受けるか、想像もしたくない。

 だってオレだぜ?
 カレルが何を勘違いしたのか分からないけど、セックスアピールゼロだし、人格面でも特に何の魅力もないじゃん。最初は物珍しさで燃えても、すぐ飽きるに決まってる。

 沢山いる友達のうちの一人で良いんだ。格下の友達の一人でいい。
 オレはモブでいい。モブが良い。

 情けないのは分かってる。でもオレはどうしたら良かったわけ?
 大人しく抱かれりゃ良かった?
 そんなの、カレルは勘が良いから、バレるに決まってる。引き留めるために嫌々抱かれたって悟られたら、何もしないよりお互いに傷つくよ。

 どうしようもないやりきれなさと寂しさで、しゃくり上げながら泣いていると、急にドアが勢いよく開かれて、オレは涙と鼻水でぐっちゃぐちゃの顔を跳ね上げた。

「おや、新しい堂者の子かな? こんなところでどうした?」

 マントに付いた雪を払いながら中に入ってきたのは、一人の女性だった。
 輝くような自信に溢れた派手な顔は、オレよりは年上っぽいけど、中年と言うほどでもなさそうだ。フードを下ろすと、中から豊かな赤い巻き毛がこぼれ落ちる。分厚いマントの下に革の胴当てをつけ、ぴったりしたズボンの腰に長剣を下げた姿は、この国ではあまり見かけない女騎士のようだった。

「可愛い顔を汚して……誰かにいじめられて泣いていたのか?」

 女騎士はオレの目の前に膝をつき、顔を両手で挟んで上を向かせてそう言った。冷えた両手のひらはカサついて皮膚が分厚い。力仕事をする人間の手だ。

「いや、オレは……」

 泣きすぎて嗄れた声で答えようとすると、女騎士はサッと立ち上がってベンチに腰掛け、

「ああ、君は男の子か。世話役は女にして欲しいと言ってるんだがな……まあ良い。湯浴みを手伝ってくれ」

 と長靴を履いたままの足を投げ出した。

 オレが借り物の白ローブを着ているせいで、堂者と間違われているようだ。他人に身の回りの世話をさせていると言うことは、この女騎士は身分が高いのだろうか。
 言い訳を考えるのも面倒なので、オレはひざまずいて彼女の靴を脱がせた。

「靴はその辺に転がしておいて、中で背を流してくれ。君もついでに湯に浸かって良いぞ」

 女騎士は悪戯っぽく片目をつむり、豪快に着ている物を脱ぎ捨てる。Gカップくらいありそうな胸が惜しげもなく晒され、オレが思わず視線を下に向けると、キュッと上を向いたお尻が目に飛び込んできた。
 人生で初めて、母親以外の女の人の裸を見てしまった!
 衝撃で、さっきまでの涙も悲しさも吹っ飛んだ。

「あ……あわわ……」

 女騎士は恥じる様子もなく、お尻をプリプリさせながら風呂場へと行ってしまう。
 今のうちに逃げてしまおうかと思ったら、

「そこの君! 遠慮しなくて良いぞ。こっちへおいで」

 と良く通る声で呼び止められた。
 仕方なく服を脱ぎ、腰回りに布を巻いて浴室に入ると、お湯に浸かった女騎士から石鹸を押しつけられ、髪を洗うように命じられた。

 半露天の浴場は、朝の光が差し込んでいて明るい。おかげで目の前にあるセクシーな全裸の女体が、透明なお湯越しにハッキリ見える。よく鍛えているようで、女騎士の腹筋はオレより余っ程深く割れていたし、腕の太さはオレの1.5倍くらいあった。
 髪の後は背中も流すように言われた。ほっそりしつつも程よく女らしい脂肪のある背中を、泡立てた布で擦る。

 年上の綺麗なお姉さんと二人でお風呂。
 すごく美味しいシチュエーションなのに、女騎士があまりにも堂々としているせいでエッチイベントだとは到底思えないのが残念だ。ラッキースケベを狙って胸に触ったら、即座に殴り倒されそう。
 緊張しつつ背中を流し終えると、「ありがとう。もう良いよ」とようやく解放されたけど、今度は一緒に湯に浸かれと命じられた。

 なるべく離れた場所で小さくなっていると、

「君、名前は?」

 と聞かれた。

「アキオです……」

「アキオ……あまり聞かない響きの名だな。サウラス生まれではないだろう? どこかから逃げてきたのか?」

「はい……いや、えと、昨日ここに辿り着いたばっかりで、」

「あの吹雪の中をか!」

 オレは旅の巡礼で堂者ではないと言いたかったのに、女騎士は話を途中で遮って大げさに驚いた。

「それは大変だったな。せっかくここまで来たのに、寂れていて驚いただろう?」

 曖昧に頷くと、女騎士は人なつっこい笑みを浮かべてオレの方に近づき、秘密を打ち明けるように囁いてくる。

「じつはな、ここは見せかけだけの聖堂なんだ。本物は山の南側、サウラスの新市街にある。君が働くのもそこになるだろうから、私が連れて行ってやろうか」

「いや! それはっ……」

「遠慮しなくて良い。ここの人員が交代するまで後一月はあるからな。それまで閉じ込められているのも時間の無駄だろう。さあ、行こう。あまり長湯するとのぼせてしまう!」

 女騎士は早合点でせっかちな上、強引で人の話を聞かない、オレの最も苦手な陽キャタイプのようだ。
 有無を言わせず立ち上がらされ、オレは脱衣小屋の方へと引きずって行かれた。当然のように髪を乾かせと命じられ、身支度を手伝わされる。なるべく身体を見られないようにオレ自身も着替え終えると、ウールの裏地付きのマントを被せられた。

「そのまま外に出たら凍え死ぬからな。しっかり身体に巻き付けておけ」

 女騎士はそう言って、小屋へ通じる通路の脇にある潜り戸から直接外に出た。外は簡易な厩のようになっていて、豪華な馬具をつけた白い馬が一頭繋がれていた。女騎士は一人でここへ来たようで、お供の姿はない。リーナや、その他の人影も見当たらなかった。


 女騎士が馬上から手を伸ばしてくるにいたって、オレはようやく早口で事情を説明しはじめた。

「あのっ! オレ、本当は堂者じゃなくて、巡礼なんです。仲間が待ってるんで、宿舎の方へ戻りますね」

「巡礼? そうは見えないぞ。もしかして堂者をやめて家に帰りたくなったのか? やめとけ、やめとけ。今更戻ったところで、お前に居場所はないぞ。それより、はやく聖堂での生活に慣れた方が良い」

 女騎士は豪快に笑いって白馬の上から身を乗り出し、尻込みするオレを鞍の前に掬い上げた。

「違うんですって! 本当に巡礼なんです!」

「暴れるな。放り出されたいのか」

 そう言ってオレを横抱きにしたまま馬の横っ腹に思い切り蹴りを入れ、全力で走らせ始める。

「うわっ! わわわわっ!!」

「口を閉じろ。舌を噛むぞ」

 横柄に命じられ、オレは必死で口を閉じて馬から落ちないように身体を強ばらせた。

 昨夜オレたちが辿った道とは別方向へ向かっているようで、宿舎の建物があっという間に背後に遠ざかる。女騎士の肩越しに後ろを振り返ると、宿舎の横には古い聖堂の塔が立ち、そこから小さな集落に向けて道が続いているのが見えた。
 あの集落がサウラスの町だろうか? オティアンはあんな小さな街で店を開いているのだろうか。あんまり彼らしいようには思えない。

「コラ、大人しくしていろ。誰も追っては来ていないから、安心すると良い」

 無理矢理身体を捻って後ろを見ていると、分厚い手袋をはめた手で前を向かされた。オレはもう諦めて大人しく運を天に任せることにし、鞍の前に捕まって体を楽にした。後ろで女騎士が笑った気配がする。

「アナタは一体誰なんです?」

 振り返らずに尋ねると、女は屈託のない声で

「ジョヴァンナと呼んでくれ。サウラスで用心棒のようなことをしている」

 とだけ言った。

 用心棒は嘘だろう。戦い慣れてはいそうだけど、衣装や馬具の豪華さからして、どちらかというと彼女自身が用心棒的な部下に守られるのが相応しい立場の人のように思える。

 素性を探りたくて色々と質問したけど、ジョヴァンナはそれ以上は何も答えてくれず、逆にオレの家族や出身地について根掘り葉掘り聞かれた。オレはそれには答えられないので、結果的に二人とも黙ったまま馬に揺られることになる。

 戻って来る時のために、なるべく道を覚えておきたかったけど、延々と続く背の高い針葉樹の森はこれといった特徴もなく、どこをどう進んでいるのか全く分からない。

 ジョヴァンナは巧みに馬を操って凍り付いた谷を下る。
 針葉樹の林を抜けると、急に積もっている雪が少なくなった。空気も明らかに湿度と暖かさを増す。たった数時間しか移動していないのに、まるで別の国に来てしまったかのようだ。







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<作者より>
次回から5章です。
5章は丸っとカレル出てきません。BL的な掛け合いも薄いので、BL展開だけ読みたい場合は6章手前の「エラストにて」まで飛ばしてください。
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