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1.異世界のモブ、牢から逃げる
1-1. ヒキニートすぐ死ぬ
しおりを挟むドンドン!
ドアが叩かれる音で目が覚めた。
遮光カーテンの隙間からは眩しい光が差し込んでいる。枕元のスマホを見ると、午前十一時。
全然まだ午前中じゃないか。冗談じゃない。
ベッドに横たわったのが朝方六時前だったから、睡眠時間はたったの五時間足らず。
眠る前は、ハマっているゲームをエンディングまで進めて最高の気分だったのに、目覚めは最悪だ。
うつ伏せになって枕で頭を覆っても、しつこいノックの音は消えてくれない。ドアの向こうにいるのは母のようで、恨みがましい小言が切れ切れに聞こえる。
「ウッセーんだよ!」
ドアに向けて枕を投げると、音は止んだ。
「秋央、アンタいい加減にしなさいよ」
ウンザリしたような母の声の後に、階段を降りていく重い足音が聞こえた。
いい加減にして欲しいのはこっちの方だ。
オレだって、いつまでも狭い部屋で閉じこもって、ゲームばかりしていたい訳じゃない。早くこんな田舎の家を出て、都会で一人のびのび暮らしたい。
もう一度チャレンジさせてもらえるなら、いくらだって頑張ってみせる。
だけど、たった一回の失敗でオレの行く手をふさいでここへ閉じ込めたのはそっちじゃないか!
オレはべとつく髪を両手でかきむしり、ベッドに突っ伏する。ずいぶん長いこと取り替えていないシーツの汗臭さが鼻を突いた。
息苦しくて顔を横向けると、散らかった部屋が目に入ってうんざりする。
机の前に貼られた黄ばんだ紙が、開けっぱなしの窓から入ってきた秋風に吹かれてペラリと床に落ちた。
大きな字で「絶対合格! ××大学!」と書かれたその紙は、一年前にオレが自分で書いて貼ったものだ。埃だらけの床に力なく落ちた紙が、もう叶うことのないオレの夢を象徴しているようだった。
──半年前の春。
絶対の自信を持って母と見に行った××大の合格発表。その掲示板に自分の受験番号がなかったオレの気持ちを分かってもらえるだろうか?
小学校の頃から、オレはとにかく地元を離れたかった。
どこの田舎だってそんなモンだろうとは思うけど、ここでは何より地縁と血縁が重んじられて、自分自身の努力や才能なんかは二の次だ。
みんな、何とかさん家の息子さん、何とかさん家のお父さん、何とかさん家のお祖父ちゃんって、家の名前で呼ばれる。自分自身の名前で呼ばれることなんて、学校以外じゃほとんどない。
ナントカさん家の息子さんは、高校を出れば地元の企業に就職or家業の手伝いをして、三十過ぎたら地元のナントカさん家の娘さんと結婚して、ナントカさん家の跡継にする子どもを作って、年を取って死んだらナントカ家代々の墓に入る……
オレはそれがたまらなく嫌だった。だってオレは湯島さん家の息子さんじゃなくて、アキオって名前の一人の人間だ。
一度でいいから一人になって、自分に何ができるかを探したかった。
でもオレには、身一つで家を飛び出すほどの度胸も根性もなかった。
安全に地元を離れる方法として、オレに選べそうだったのは都会の大学へ進学だけだった。だから、田舎を離れたい一心で全力で勉強に打ち込んだんだ。
なのに、落ちた。
不合格を知ったその日、オレは「もう一度挑戦したいから、大きい街の予備校に通いたい」と泣いて両親に頼み込んだ。両親は苦笑いして首を振るだけだった。
「記念受験だったんだろう? お前はよく頑張ったよ、もう十分だ。農協か役所の試験なら、父さんのコネもあるし、余裕で受かるさ。しばらくはウチの田んぼの手伝いでもして、来年はそっちを受けたら良い。元気出せ、な?」
親父の罪のない励ましの言葉に、オレは深く絶望した。
──違う、そうじゃない。
オレは何の変化もないぬるま湯みたいな地元から、外に出たいんだ!
しかし、どう訴えても、両親にも親戚にもオレの気持ちが伝わることはなかった。
そうして、絶望のどん底に突き落とされたオレは、いじけて部屋に閉じこもり、パソコンとスマホで時間を潰すだけの芋虫になった。
親やら同居の祖父母と顔を合わせると、グチグチ小言を言われるので、部屋を出るのはトイレの時と、母親がドアの前に持ってくる食事を受け取る時だけだ。
ぐう~っ……
食事の事を思い出すと、途端に腹の虫が鳴いた。夜食を食べたのが真夜中過ぎだったから、そろそろ空腹も限界だ。
オレはノロノロと立ち上がり、無断侵入防止用にドア前に置いたコミック入り衣装ケースを少しだけずらして、ドアを細く開けた。明るい廊下に人影はない。床に置いてあるビニール袋を素早く取って中に戻り、重い衣装ケースで元通りドアを封鎖する。
袋には菓子パンと紙パックのジュース、スナック菓子が入っている。引きこもり初期は母の手料理が置いてあったけど、反抗を示したくて食べずにいたら、そのうち保存の利く市販品だけ置かれるようになったのだ。
母もせっかく作った料理を無駄にされるのは嫌だろうから当然の処置なんだけど、オレは自分が家族から蔑ろにされている気がして、ますます頑なに部屋から出たくなくなってしまう。
本当はウチの野菜や米の味が恋しいけど、今更そんな格好悪いことを言い出すことはできない。
オレは袋を抱えて椅子に腰掛け、半自動的に菓子パンを口に運びながらゲームを起動させる。
ロード画面に華やかな女の子達のグラフィックが次々に現れ、クラッシックなロゴが光った。
今一番ハマってプレイしているゲーム、最近復刻版が発売されたばかりのビジュアルノベルアドベンチャー「聖女の願いが叶う刻」だ。
妙にシビアな世界観と、ちょっと……いや、かなりえっちなストーリーが売りのこのゲーム、オリジナルが発売されたのは十年以上前なのだが、女の子のビジュアルが今でも全く古びていなくて素晴らしい。
攻略対象は幼なじみの正統派ヒロインから合法ロリ、エッチなエルフ、クッ殺女騎士、素朴モブ女、ババア、ケモ……。ありとあらゆる女の子とR18な展開を楽しめる。シナリオもラブラブからNTRまで幅広く、全てのルートをやり尽くしたくなる名作だ。
昨日一通り幼なじみヒロインラブラブルートを攻略し終えたオレは、次はどの娘にしようかとキャラクター紹介を熟読する。
やはりラブラブの次はクッ殺女騎士NTRルートが良いだろうか。でもオレあんまり寝取られには興奮しないんだよな……。
ドンドンドン!
オレの熟考を邪魔するようにドアがノックされた。さっきよりずっと乱暴だ。
「ウッセーなババア! 用もねえのに来るんじゃねーよ!」
パソコンの画面から目を離さないまま叫ぶと、
ドカン!
重い音がして、ドアがすごい勢いで開いた。侵入防止用の衣装ケースが吹っ飛んで壁にぶつかり、中に入っていたコミックが雪崩のように床にこぼれる。
「何してくれてるんだよ!」
憤慨して椅子から立ち上がると、ドアの前にいたのは母ではなく、鬼瓦のような顔をして仁王立ちになった伯父の姿だった。
オレは驚きのあまり目と口をまん丸にして開いたまま、全身を硬直させた。
オレはこの伯父が大の苦手なんだ。今では真面目に農家しながら二児のパパしてるけど、昔はヤバ目の不良だったらしくて、夏でも脱がない長袖シャツに隠れたゴッツイ腕と背中には、イカツイ刺青が入っている。昔からこの伯父に「お前は根性が足らん!」と小突き回されてきたオレは、この人の顔を見ると反射的にすくみ上がってしまう。
「おい、アキオぉ!」
腹の底に響く声で呼ばれ、オレは咄嗟に背を丸めて両手で頭を庇った。
「ヒッ! ごめんなさいぃ!」
「オマエはいつまで部屋でウジウジウジウジやっとんじゃ!」
伯父はズカズカと側まで踏み込んできて、太い腕で机の上のモノを全部薙ぎ払った。床に落ちたパソコンの液晶にひびが入ってブラックアウトする。容赦ない暴力が次に自分の身に降りかかってくることを予想して、オレは恐怖で震え上がった。
「ひいっ!」
「こんなもんでチマチマあそんでるから人間が腐るんじゃ! お母さん泣いてるぞ! いい加減にせえ!」
伯父は何も無くなった机にバン!と両手をつき、ほとんど白目になった三白眼でオレを睨む。
「で、で、でも……」
「でもも何もない! グチャグチャ言ってねえで外へ出ろ! 今日稲刈で忙しいのは知ってるだろうが!」
伯父のデカい手が胸ぐらを掴もうと伸びてくる。オレは必死に逃げた。
「逃げるな!」
そんなことを言われても、掴まったら絶対殴られる。殴られて力尽くで外に連れ出されて、稲刈りで集合してる親族一同の前で公開処刑される。そんなのは絶対嫌だ。
オレの自室は二階の西端で、窓の外には狭い屋根が張り出している。屋根に触れるくらいの場所に大きな柿の木が生えていて、それを伝って下りれば玄関を通らず外に逃げられるのだ。小学生の頃はしょっちゅう使った脱出ルートだ。
窓際に追い詰められたオレは、久しぶりにそのルートを使おうと、窓から身を乗り出して、愕然とした。
──柿の木がない……!
オレが引きこもっている間に切り倒されてしまったのか、数メートル下の地面には切り株だけが虚しく残っていた。
───どどどdどうしよう……!
迷っている間にも、鬼瓦のような顔を怒りで真っ赤にした伯父が、
「待たんか!」
と怒鳴り声と共に窓から身を乗り出してくる。
パニックになったオレは、何も考えずに屋根から飛び降りた。
二階の屋根から地面までは、たったの三メートル程度。大した距離じゃない。悪くても足首をくじくくらいで済むはずだ。
飛び降りる瞬間、オレはそう判断したけれども、半年以上部屋から一歩も出なかった身体は、オレが思った以上に弱っていた。
飛んだつもりの足は瓦の上で滑り、身体全体がくるりと回って頭が下になる。
ヤバいと思った瞬間、感覚がスローモーションに切り替わった。
屋根から必死に手を伸ばす伯父の引きつった顔が見え、そして自分の足の先に、うろこ雲が美しく並んだ秋空が目に入った。ゴウッと耳元で風が鳴る。
──あ、死ぬ……
オレは妙に落ち着いた気分でそう思い、静かに目を閉じた───
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