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【二年前】真相
しおりを挟む気がついた時には病院の個室のベッドで、点滴の管を腕に刺されて寝転がっていた。
霞む目を瞬いて首を横に向けると、真っ赤な目をした姉と視線がぶつかった。目が合った途端、繊細に整った美しい顔がみるみる般若のような表情に変わり、
「バカ弟! 死ね!」
と一言罵声を投げつけられる。清高が何かを言う前に姉は憤然と病室を出て行ってしまった。
入れ替わりに看護師と若い医師が入ってきて、テキパキと熱を測られ、点滴の針を抜かれて、医師から病状を説明された。
清高は寒さと疲労と飢えで弱っていただけで、症状はただの風邪。念のために今晩一晩は病院で過ごし、明日の検査で異常がなければ退院できるらしい。
入院費用や着替え一式などは、警察から連絡を受けた姉が抜かりなく用意してくれていた。今後一生姉に頭が上がらない借りができてしまった、と清高は苦々しい思いを抱く。
次に病室を訪れたのは、有香だった。
泣き腫らした顔で何度も謝られ、清高は苦笑する。
「なんで謝るの? 有香は何にも悪くないじゃん。悪いのは全部オレだよ」
「だって……アンタが男に走ったのって、アタシのせいじゃん……アタシがアンタを傷つけたから……アンタは原田なんかと……」
それを聞いて思わず乾いた笑いが漏れた。
「ハハ……んなこと考えて泣いてたわけ? ちげーよ、オレが……そうなのは有香とも姉貴とも関係ないし。単にオレ自身がそういう傾向ってだけ。別に女が嫌いとかじゃねーし」
「でも……」
「悪いけど、性癖歪められるほど、オレ有香のこと好きじゃないし」
笑って言うと、有香は泣き腫らした目で清高を睨んだ。
「アタシだって好きじゃないわよ!」
そこへ、栄養ドリンクの箱をぶら下げた有香の父親が顔を出した。
「おっと、邪魔したかな?」
有香は泣き顔を隠すように俯き、父親の脇をすり抜けて病室を出て行く。父親は去って行く娘の後ろ姿をしばらく見送った後、ベッド脇の椅子にどかりと腰を下ろした。
「体調は?」
疲れ切った顔で尋ねられ、清高は緊張しながら答える。
「もう大分いいです。熱も下がったし……」
「そうか……明日退院だってな。悪いが、その後すぐに事情聴取だ。ウチの若いのが同行する」
「りゅ……原田はどうなったんすか?」
「指原を殺した事はすぐにゲロった。アイツの持ってた拳銃と、指原の死体に残ってた玉の線条痕が一致した。現場は霞町の店のガレージ。動機は仲間割れだとよ。ホントかどうかはしらねえが」
原田の店で嗅いだ腐臭がふと鼻先に蘇ってきて、清高は思わず口を塞いだ。あの時、まだ死体がガレージにあったのかも知れない。自分も殺されてもおかしくなかったのだ。今更恐怖に駆られて身体が震えた。
「お前は殺されなくて本当に運が良かったよ。バイトしてたんだってな? アイツがドラッグのディーラーだって、気がつかなかったのか?」
「いえ……全く……。店は普通だったし、客も……」
清高が首を振ると、山上は深く溜息をついて頭を掻いた。
「まあ、あの店は単なる隠れ蓑だったみたいだな。帳簿にもおかしな所はなかったし。現物も出てこねえ。原田は殺人の方で実刑食らう気満々だ。薬の件を吐いたら、本国から殺し屋が来るだろうからな。あっち流のやり方で殺されちまわないように、しばらくムショ暮らしするつもりなんだろ」
山上は見舞いに持ってきた栄養ドリンクの箱から一本小瓶を引き抜いて、一息に飲み干した。
「……オレ、監禁されてる時にカードの現物見ました。バレたらヤバいから破いてトイレに流しちまったけど……」
「もう何日も前だろ? 今更下水さらっても無理だろうなあ。まあ明日、署で詳しく聞く」
山上はそう言って、何かを押し殺したような顔で黙り込んだ。
窓の外は秋晴れで、色づきはじめたポプラの葉が風に揺れていた。薄青い空に箒で掃いたような雲がたなびいている。日射しは明るいが寒そうだ。
たっぷりした沈黙の後、清高は
「原田……オレのこと、なんか言ってたっすか……?」
と、恐る恐る切り出した。山上はポケットから煙草を取り出し、口に咥えかけて止める。
「……ただのバイトだってよ。監禁したのは、高飛びする時の弾よけにしようと思ったからだとさ。事情聴取の後、しばらくは行動確認の刑事がつくかも知れんが、大人しくしてれば問題ない」
原田が自分について詳しく語らなかったのは、罪状をこれ以上重くしないためなのか、それとも気遣いからなのか。どっちにせよ、自分もあの男との関係を口に出すことはないだろう。清高はやるせない気持ちで目を閉じた。
「世話かけて、すみませんでした……」
「一般市民の世話すんのが警察だし、子どもの面倒見るのが親の仕事さ。気にすんな。言いたくないことは言わなくて良い。事情聴取に備えて、しっかり休んどけ」
そう言って、山上は清高の髪を脂臭い指でくしゃりと撫で、疲れた様子で病室を出て行った。
一人になると、色んな考えが頭の中でゴチャゴチャに広がって、とてもじゃないが大人しく寝ていられない。清高は、姉が持ってきてくれたらしいスリッパを爪先に引っかけて、狭い病室中をウロウロと歩き回った。
事情聴取でどこまで話せば良いのだろう? 原田と交わした会話は細部まで覚えているが、彼は一言も具体的な話をしなかった。用心深い男だ。なのに、どうして殺人の方は簡単に警察に嗅ぎつけられたのだろう。理解に苦しむ。
原田がいなくなった今、清高の胸に残るのは虚無感ばかりだ。
優しい顔も、甘い言葉も、作ってくれたリングも、全てが打算の上にあったのだと思うと、悲しさよりも寂しさが勝った。
好きだったのだ。ちゃんと自分の方を見て欲しかった。
もっと早く言葉でだけでも「お前だけだ」と言われていたら、清高はきっと喜んで原田と同じ地獄に落ちただろう。原田がそれをしなかったのは、もしかしたら彼に残っていた良心のせいかもしれないし、単に清高が子ども過ぎたからかも知れない。今はもう、確かめる術はなかった。
清高は一晩中、収まりのつかない胸の内を抱えて煩悶した。
あまり眠れないまま朝を迎えたが、朝食の後に呼ばれた検査では、退院しても良いとのお墨付きをもらうことができた。
昨日山上の言ったとおり、私服の刑事に付き添われて退院手続きを済ませ、警察署に向かう。事情聴取は長くかかった。
「君、原田とどういう関係だったの?」
何度刑事に聞かれても、清高は「ただのバイトです」とだけ繰り返した。押収されたスマホには原田と清高のやり取りは発着信の履歴以外残っていない。「たまにシフトの調整とかで連絡を取ってただけです」と答えつつ、原田はいつかこうなることを予想していたんだろうか、と清高は思った。関わった証拠が最低限しか残っていないから、清高は犯罪の疑いを容易に逃れられる。
「殺された指原は君の回りを嗅ぎ回ってた。原田が指原を殺した原因は、君なんじゃないのか?」
刑事に鋭く問いかけられ、清高はふと息を止めた。
「……まさか。僕はただのアルバイトです」
「でも金谷との件で君は指原の怨みを買っていた。原田が君を守るために指原を殺した可能性は?」
「あるわけない。僕にそんな価値はないです」
キッパリと答えながら、微かに指先が震えるのを止められなかった。まさか、という気持ちと、もしかして、という予感がない交ぜになって胸を抉る。
刑事は疑り深そうな顔をしていたが、指原絡みの質問はそれまでになった。
事情聴取から解放された後、清高は呆然としながら警察署前の花壇の縁に座り込んだ。指先の震えはまだ止まっていない。
どうして指原を殺すことになったのか、今すぐ原田に問い質したかった。あれだけ慎重な男が、短絡的に人を殺す訳がないのだ。
その原因が自分にあるとしたら?
自分は本当に原田に必要とされていたのかも知れない。……真実、愛されて、いたのかも知れない。
怒濤のような後悔が胸に押し寄せた。
「なんなんだよ……今更……いまさら、もう……」
両手で顔を覆って呻く。もう、どうしようもなかった。
原田はおそらく実刑で塀の向こうに行く。裁かれない罪も負っている彼は完全な犯罪者だ。愛されていようが居るまいが、二度と顔を合わせるつもりはない。
しかし、過去を思うと清高の心は千切れそうに痛んだ。
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