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たまむし

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【二年前】帰り道

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「宮脇、料理上手いのな」

 帰りがけ、アパートの階段を降りながら、清高は柔らかい声で言った。

「アホ。カレーなんか誰が作ってもおんなじ味や」

 三段ほど間を開けて後ろからついていく宮脇が呆れたように返事する。

「そうかも。でも美味かったよ。ごちそーさま。寝かしてくれたもの助かったわ。サンキュ」

 階段を降りきって、水はけの悪い駐輪場をすり抜けながら清高は後ろを振り返って笑う。宮脇はまんざらでもない顔で「おう」と短く答えた。

「良いおかーさんと妹さんだね」

「まあな。口うるさいけどな」

「そんで宮脇は良いおにーちゃんだ」

「……るっさいわ」

 軽く蹴る振りをすると清高は声を上げて笑い、軽く腰を折って

「じゃーこの辺で。また連絡するわ」

 と、駅へ続く路地を歩き出す。
 サンダルの踵を引きずって歩く後ろ姿を見送っていると、急に名残惜しさに駆られ、宮脇は小走りであまり姿勢の良くない背中を追いかけた。

「何だよ? 見送り?」

 清高が立ち止まって怪訝そうに片眉を上げる。宮脇はちょっと暗い空を見上げて言葉を探し、

「ちゃう……コンビニ行くんや。牛乳買う」

 と言い訳するように呟いた。

「なら一緒に行こうぜ」

 清高はフッと目元を緩めて再び歩き出す。

 駅までは、人通りも街灯も少ない住宅街が続く。家々から漂う夕飯の匂いや風呂の湯気の匂いに包まれながら、二人は並んで歩いた。
 特に話をすることもなかったが、不思議なくらい穏やかな時間だった。
 まるで幼い日に初めて親しい友達ができた時のように、宮脇の胸は密かな嬉しさに満ちている。隣にいるヤツはどうなんだろうと、チラリと目を向けると、どうとでもとれるような微笑を返されてドギマギしてしまう。
 ツラが良すぎるのも考え物だ。
 向こうは黙って笑っているだけなのに、こっちは都合の良いように解釈して好印象を募らせてしまう。


「じゃあね」

 帰宅時でそれなりに混み合った駅前につくと、清高はアッサリ手を振って跨線橋を上っていった。家は線路を挟んで逆側にあるらしい。
 宮脇はだらしないサンダル履きが見えなくなるまで見送って、おもむろに家路についた。コンビニには寄らず、牛乳は買わないままだった。



「おにーちゃん、お帰り。ねえあのお友達の人、どこで知り合ったの? すっごく顔が良かったんだけど!」

 自宅に帰り着いた途端、妹の弾んだ声が飛んできた。

「止めとけ。アイツ彼女持ちやぞ」

「ちょ……違うよ! そんなんじゃなくて、単にお兄ちゃんの知り合いにいなさそうなタイプだから、どこで知り合ったか気になるだけだよ」

 良子はそう言いながら、自室に向かう宮脇にじゃれついてくる。

「同じ学校の子?」

 母親までもが興味ありげに聞いてくるので、宮脇は溜息をついて、

「花邑商業の三年。名前はキヨタカ。ケンカしかけて仲良うなっただけや。もうほっとけや」

 と襖を閉めて自室に籠もった。

 敷きっぱなしの布団へうつ伏せに倒れ込むと、知らない匂いが鼻先をくすぐる。清高が寝ていたせいだ。

「……っ!」

 宮脇は思わず飛び起きて、乱れた鼓動を誤魔化すように、短く借り上げた癖毛をぐしゃぐしゃにかき回した。残り香一つで取り乱す自分が嫌だ。
 もう一度ゆっくりと仰向けに寝転がると、やはり嗅ぎ慣れない涼しげな匂いがした。香水だろうか。小洒落てやがる。でもアイツには似合ってる。
 宮脇はなんとも言えない面はゆさを堪えながら、スンと鼻をすすって目を閉じた。




 
 清高の自宅は、線路と国道を挟んで宮脇の家と東西逆の位置にある。向こうは平坦な土地が続く工業地、こっちは緩い坂道沿いの住宅地だ。
 再開発の予定もない古い建売住宅街は、無人のまま放置された空き家が目立つ。しんと静まりかえった路地を、清高は低く鼻歌を歌いながら歩いた。
 腹も、気持ちも、心地よく満たされている。宮脇を遊びに誘ったのは単なる気まぐれだったが、思いのほか楽しかった。それに、いくら寝不足で参っていたとは言え、神経質な自分が他人の布団であんなに気持ち良く眠れたのは予想外だった。

 宮脇の側に居ると気が抜ける。
 彼の隣だと、清高は求められる「花商のキヨタカ」を演じる必要もなければ、姉や他の誰かの代わりにされることもなく、憎悪や恋情のように面倒な感情を向けられる事もない。うっすらと好意に満ちた気遣いが心地良く、楽で居られる。
 同性の友人というのは、こんなに楽だったのか。もっと早くに作れば良かった。

 しかし清高のフワフワとした上機嫌は、自宅に辿り着いた途端、急降下した。
 赤ん坊の元気な泣き声が門の外まで聞こえてきている。赤ん坊に罪がないのは分かっているが、耳障りなものは耳障りなのだ。
 玄関の引き戸を開けると、狭い三和土にはベビーカーがデンと鎮座して邪魔だ。身体を横にして隙間を通り抜け、なるべく耳をふさいだまま暗い二階へ上がろうとすると

「ちょっと!」

 と居間から顔を出した姉に呼び止められた。

「何?」

「何? じゃないわよ。オムツ買って来てってメッセ送ったじゃん! なんで手ぶらで帰ってきてんの」

「は? 知らねーし。自分で買いに行けや」

「ハ? テメーそんな口きけるご身分か?」

 腕に赤ん坊を抱えたままの姉が下から睨め上げてくる。堂に入ったガンつけに、清高は深く溜息をついた。ここで断ると後が面倒だ。不本意ながら従うしかない。

「わかった。今から買ってくる……」

「じゃあコレ。店員に見せて選んでもらって」

 姉は見本とばかりに未使用のオムツを一つ清高の手に叩き付けた。

「は!? コレ持って行けってか!?」

「銘柄もサイズもいっぱいあるの! 適当に買ってこられても使いもんにならねーの!」

 ぴしゃりと言って、姉はリビングに戻ってしまう。

「マジかよ最悪……」

 清高は指先で摘まんだオムツを嫌そうに眺めた後、丸めてポケットに突っ込み、脱いだばかりのサンダルに再び足先を引っかけた。


 すっかり暗くなった中、ダラダラと坂を下って近所のスーパーへ向かう。真っ直ぐに生活用品の棚で、持たされたオムツと同じ絵柄のパッケージを探したが、種類が膨大で分からない。
 恥を忍んで店員に聞くか、適当に買って帰って姉にぶたれるか。
 究極の二択で迷って立ち竦んでいると、

もといか?」

 と声を掛けられた。
 振り返ると、栄養ドリンクのパックをいくつも抱えた壮年の男性が立っている。背は高くないがガッチリした体格の強面で、姿勢は良いが顔色が悪い。山上有香の父だ。清高は無言で軽く頭を下げて会釈した。

「それ、泰巳ちゃんの子どものか?」

「……そっす。どれか分かんなくて」

「ああ、そりゃそうだよなあ。オレもわからん」

 山上は清高の手からオムツを取り上げて、近くで棚整理をしていた店員に声を掛けてくれた。清高は山上の気遣いにホッとする。
 店員に教えてもらったオムツを手に取ってレジに並ぶと、山上も同じ列に並んだ。

「……基、ちょっと時間良いか?」

 精算が終わると、山上に呼び止められる。清高が訝りつつも頷くと、

「あまり人に聞かれたくない話だから」

 と山上はスーパーの外のベンチへと清高を誘った。

 駐車場脇に置いてあるベンチに並んで座ると、山上はポロシャツの胸ポケットからタバコを出して火をつけ、深々と煙を吸い込んで吐き出した。

「お前は吸ってないよな?」

 じろりと睨まれ、清高は肩をすくめた。

「好きじゃないんで」

「好きかどうか判断できるって事は、吸ったことあるんだなあ? 未成年よ」

「……ケムリが、っす」

 慎重に答えると、

「おう、そりゃスマン」

 山上は清高に煙かかからないよう若干身体を横向けた。それに向かって清高が先に質問する。

「今日非番ですか?」

「いや、今からまた捜査本部よ」

 山上は現職の刑事だ。県警の生活安全課に所属していて、清高を含めた素行不良の少年はしばしば世話になっている。買い込んだ栄養ドリンクは現場への差し入れか、と清高は納得した。

「サシハラの件、本部立ってるんですか」

 サシハラというのは、先日清高と宮脇を襲った金谷のバックにいる半グレ集団のリーダーだ。山上は美味そうに深々と煙を吸い込み、特大の溜息と共に吐き出した。

「サシハラってか、金谷の扱ってた薬物の件だな。サシハラは行方不明のまま。お前が通報してきた日に金谷に刺されたのは、サシハラの手下の友部ってチンピラだ。今はまだ病院で、だんまりを決め込んでる。友部が金谷の店に薬物を下ろしてたのは確実だが、薬物の出所はまだつかめてない」

「ああ、なんかカードに混ぜて売ってたって言うヤツっすか?」

「そうだ。ゲーム用のカードを二枚に剥離して、間に薬物のシートを挟んで売ってた。経口摂取でLSDに似た幻覚症状を起こす新種のドラッグだ。東京でも同じようなのが出回り始めてるって噂で、そっちへ問い合わせたら、どうもメキシコから入ってきてるらしいと回答があった」

「へ~、メキシコ……南米でしたっけ」

 あまり想像のつかない国だ。サボテン、タコス、そんな物しか清高の頭には浮かばない。

「南米の、麻薬カルテルとマフィアで回ってるような国だよ。あっちと繋がりのある老舗の組も、正体不明の新参にシマを荒らされて敏感になってる。お前も十分気をつけろ。何かあったらすぐ連絡して欲しい」

 短くなったタバコを携帯灰皿でもみ消した山上は、清高に向き直って低く言った。

「そんな、おおげさっすよ。オレはクスリとは関係ねえし」

「いや、金谷がお前を狙ってたのは賭博の怨みもあるが、大元はサシハラの指示らしい。何か心当たりはないのか?」

 清高は初めて聞く話に目を丸くした。

「ハ!? イヤ、オレはサシムラなんか知らねっすよ! 半グレと関わった事もねえし」

「オレもそう思うんだがな。サシムラの行方が分からない以上、目的も分からない。まあしばらくは夜遊び止めて大人しくするんだな。自宅近辺は重点的に警邏するように指示してあるが、泰巳ちゃんにも何かあったらすぐ110番するように伝えておいてくれ」

 それだけ言って、山上は足を引きずるように駐車場へと遠ざかっていく。

 ずっしり胃が重くなる話を聞いてしまった清高は、夜空を見上げて溜息をついた。曇っているのか、夜空には月も星も見えない。
 ひどく嫌な気分だ。
 自分がケンカで怪我をしたり、同じようなロクデナシ仲間が傷つくのは何とも思わないが、犯罪に巻き込まれるのは別だ。清高は素行の悪い不良少年だが、自分の不始末で家族に迷惑をかけたくはなかった。タイミングの悪いことに、今は家に姉の子もいる。

 不安に駆られ、清高はオムツの袋をぶら下げて家路を急いだ。

 家の前に帰り着くと、開けっぱなしの掃き出し窓から幼児番組の音楽が小さく漏れ聞こえていた。テレビに向かってご機嫌にバタつく赤ん坊の横で、姉はちゃぶ台に伏せて眠り込んでいる。

「ねーちゃん、窓あけっぱにすんな。戸締まりちゃんとしろ!」

 清高はオムツの袋を姉にぶつけ、窓を乱暴に閉めて鍵をかけた上で、厚手のカーテンをしっかりと引いた。

「……ッテェな。何すんの」

「ウルセエ。最近この辺は治安悪いんだよ。なんか変な人影見えたり、知らねえヤツがピンポン押しても絶対出るな。なんかあったらすぐ警察に通報してくれ。気になることが起きたら有香ん家に泊めてもらえ」

「何? 何の話? 治安良くないのは前からじゃん」

 泰巳は弟によく似た形の良い眉を寄せて渋面を作る。

「違う。昔より危なくなってンだよ! アンタとっとと赤ん坊連れてダンナんとこ帰れよ」

「帰るも何も、ここはアタシの家だっつの。ダンナが土下座して謝るまで帰らないよ!」

「なら、とにかく戸締まりは気をつけろ。親父にも言っといて」

「テメーで言えや」

 姉弟で言い合っていると、赤ん坊がむずかるような声を上げた。テレビの賑やかな音楽は終わって、CMになっている。

「おーどちた~? ねむねむかな~? ちっちかな~?」

 見たこともないような優しい顔で赤子を抱き上げる姉に思い切り舌打ちしてから、清高は階段を駆け上がって二階の自室へ戻った。
 たっぷり昼寝したはずなのに、なんだか酷く疲れている。
 ベッドに寝転がると、階下から派手な泣き声が響いてきて、神経がチリチリと焼けるように苛立った。今夜もろくに眠れそうにない。スマホを見ると、原田からの着信が一件。かけ直す気にもなれなかった。



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