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白薔薇は狼を捕まえる4

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 弱々しく微笑むローに微笑みかけると、その唇を奪う。
 まだ血の味の残るキスに身体が震えた。

 ああ、ローが欲しい。

「出発は明日でいいのかな?」

「今日の予定だ」

「少しは気を効かせて欲しいんだけどね。そんなに戦況が悪いのかい?」

「最悪の一歩手前というところか」

 相当悪いということか。
 ため息をついた。

「結界を張った時に、外から悲鳴が聞こえた。待ち伏せされているんじゃないかと思う」

「切り開いて行くしかないだろうな」

「やれやれだね」

 くるりとローに向き直ると、その腕の中に飛び込んですりっと身体をこすりつけた。ローがそっと腕を回して来る。
 まだ涙の残る目を見上げると、ローが弱々しく微笑んだ。
 暗い影の残る瞳に心が痛む。
 何度も殴られた犬のように絶望に晒されたローは、まだこの幸運を信じ切ることが出来ずにいるのだろう。

「わたしとローはこの先の作戦の打ち合わせがあるので、先に帰らせていただきます。
 出発の時間には間に合うように支度をしますので、絶対に邪魔をしないでくださいね?」

 とびきりの笑顔で辺りを見回した。
 呆気に取られた父上や兄上が一様に頬を染めている。

 パトリックが渋い顔で眉を寄せている。

「鍵は必ず掛けろ。戦力が減る」

「ノックでカムインは無用なトラブルを避ける手段だと思うけどね」

 手をひらひらと振ると、短縮で呪文を唱えて指を鳴らした。
 母上の部屋に飛ぶと、母上が涙ながらに飛びついて来た。

「ロー!記憶は?」

「間に合いました。ぎりぎりでしたが」

 母上がローの顔を鋏むと瞳を覗き込む。

「ああ、本当に良かった」

 母上がわたしに抱きつく。

「あなたも、器が……」

「すっかり安定したようです。ローのお陰だ」

 さあと母上がもう一つの手をローに差し出した。
 おずおずと近づくローを母上が二人をまとめて抱き締める。

「ありがとう……ロー。ありがとう……メリー。
 あなたたちがお互いを助けたことは、とても素晴らしいことだわ」

 ローの耳がぴくりと揺れて、そっと手を握られた。
 そこにいるのかと問う瞳に笑顔を浮かべる。

「これからもっと素晴らしい事を起こすつもりです」

「あなたとローならきっと出来るわ」

「ついては父上達がお帰りになる前に、ローと二人きりで作戦会議をしたいのですが、どこかいい場所はありますか?」

 母上がきょとんとして、それから、笑い声を立ててわたしの頬を優しく叩く。

「情熱的なのは結構ですけれど……ローが戸惑っているのではありませんか?」

「ローはわたしのいる所なら、どこでも一緒に来てくれるそうです」

 ね? と目を向けると、わたしの顔を見ていたローが、一瞬呆然としてから頷く。握った手に力が入った。

 そうだよ、ロー。わたしはここにいる。

「ローとあなたは西の塔がお気に入りでしたけれど」

「じゃあ、そこに急ごう」

 ローの手を引いて母上の腕の中から出ると、くるりと身を翻して腕を開いた。

「抱いてはくれないのかい?」

 ローが宝物のようにわたしを抱きあげた。
 薄い布の巻かれたローの首に鼻をこすりつけると、ローが緊張した。
 訝しげなわたしの目を悲しげなローの瞳が見返す。

「急ぎましょう」

 部屋を出ると、フェアロスが控えていた。
 わたし達を見ると、フェアロスの顔が輝く。

「ご無事でしたか」

 ローが頷いて、静かに言う。

「塔に行きます。王とパトリック先輩が戻ったら呼びに来てください」

 心得たというようにフェアロスが頷く。
 ローが王宮を通り抜けて行く。その足取りは確かなもので、ローがここに長く滞在していることを感じさせた。

 どれぐらいの期間、わたしは器を失っていたのだろう。
 黄泉の入り口はこちらとは時間の流れが違っているとクルフィンは言っていた。

 常春の妖精の城は、季節が解り難い。
 急にローの足が鈍って終には止まってしまう。

「どうしたんだい?」

「セルが……ひどい怪我をしていて。
 もし、今日俺達が発つならば、あなたの無事な姿を……」

 そこは、地下にある妖精の樹の根に繋がる扉の前だった。
 もし、そこにセル兄がいるのであれば、瀕死であるということだ。

「連れて行ってくれ」

 扉を開けて地下へと進む。

 天井が開けられていた。

 光を取り込んだ空間に大きな泉とそこに突き出した根。
 澄んだ水の中にセル兄が下半身をひたして横たわっている。

 血の気のない蒼白な顔。いつもの陽気さの面影もない姿に心が痛む。

「フェアロスが命に別状はないと言っていたけど……悪いのかい?」

「沢山の闇を吸い込んでしまった。
 それが肉体を蝕んでいるんです。精神も……」

 それをここで浄化しているのなら、思わしくないのだろう。
 ローの腕の中から滑り降りると、兄の顔に触れる。

 はっと開いた瞳が黒い。
 瞳の白い部分にまで闇が染み込んでいるのだ。

「セル兄様……」

 ぱちぱちとセル兄が目を瞬かせた。

「麗しのメリドウェンが見える気がするね。
 可愛くて邪気のないほうじゃなくて、美しくて辛辣な方のが」

「なんとか戻れたようですよ」

「ナルが喜ぶね」

「セル兄様は喜んではくれないのですか」

 ぷうと頬を膨らませて見せると、ふふっとセル兄が笑う。

「毎日さ……発狂しそうで正直辛いよ」

 水から上げた裸の腕の中にどす黒く染まった血管が浮き出ている。

「国土が血で穢れているから、妖精の樹の浄化の力も弱くなってるみたいでさ……」

 ひゅっと吸った息にセル兄が咳き込む。

「兄上……」

「……本当に戻って来たんだね。ローは? そこにいるのかい?」

 ローが静かに傍らに膝をつく。セル兄がローの手を握った。

「本当に良かった……」

 頷くローにセル兄が薄く微笑む。

「メリーのこと……よろしく頼むよ」

「なんですか、この辛気臭い雰囲気は」

 セル兄とローがピキンと固まる。

「命に別状ないと聞いたのですけど、違うのですか?」

「い、いや、そうなんだけどね?」

「そういう雰囲気でローの同情を買うのは、やめていただきたい」

 ローが呆然とわたしを見る。ふうとため息をついた。

「ローは真面目なんですから、謀らないで欲しいな」

 立ち上がって手を握ったり開いたりした。
 器の魔力は既に回復して来ている。

 ローの側にいると回復が更に早くなるようだ。

「さあ、兄上なんかの手を握ってないで、わたしの手を取って」

 差し出された手を取ると、ローを立ち上がらせた。

「少し魔法を使おう。多分、今のままでも大丈夫だと思うけど、ローの気をわたしに循環させて欲しい」

 両手を繋ぎ合うと、ローがすうっと目を閉じた。
 微かだった気の量が増えて、血の中を熱いものが駆け巡って行く。

 びくんと身体が跳ねた。
 あ、これは……ちょっとまずいかもしれない。
 濃密な気が内側から官能を掻き立てる。立っていることが難しくなって、ローにもたれかかった。

「………あっ、うんっ……ん……はっ……」

 こうなることを、ローは解っていたに違いない。
 上がりそうになった嬌声をローの唇が吸い取る。

「止めますか?」

 低い声が耳元で囁いた。その声に熱くなった欲望をローに擦りつけたくて仕方がなくなる。

「い、いつもこうなるのかい?」

「衰弱したあなたに気を流すことは……こういうことだったんです。
 気を強く流した後のあなたは俺を酷く求めたので……それでまた衰弱してしまう。どうしようもなかった……」

 はあと息を吐いて、ローの瞳を見る。
 辛そうな瞳。くしゃりと歪んだ顔にローの痛みの深さを読み取った。

 ゆるりと手をローの頬に当てて引き寄せると唇を重ねる。

「でも、これはわたしの魔力の回復にはとてもいいようだよ」

 くてりとローの肩に頭を乗せてはあと息を吐く。
 とろりとした目でセル兄を見ると、体の位置がずらされて顔を隠された。成る程。兄に官能に潤む顔は見せたくないということか。

 首元でくすくすと笑う。

「それはダメです。メリー」

「ローは独占欲の強い夫だと思うよ?」

 後ろからセル兄の声が聞こえて目を剥いた。
 夫? 夫だって??

「夫?……わたし達は結婚したのかい?」

 びっくりしたわたしの顔を見て、またローが悲しそうな顔になる。

「……嫌……ですか?」

 ローがそれを思いつくとは思えなかったから、思いついたのは父上や兄上だろうなと思う。さぞかしわたしを出汁に楽しんだに違いない。

「ローが正式な夫であることに何の不満もないよ。
 式は盛大だったんだろうね?」

 後ろでセル兄が息を飲む。
 余計なことを言って墓穴を掘るのは双子の兄達のお家芸だ。

「あなたは星のように美しかった」

 ローがうっとりとした笑顔を浮かべた。
 結婚式はローにとっては楽しい余興だったらしい。

 ならばいい。

 わたしは儀式や慣例を嫌うから、どんなに説得されても式は公にはしなかっただろう。それを知っていて、父や兄はローをうまく言いくるめて結婚式をあげさせた。しかし、それが、ローの苦しみに満ちた日々の中で輝いているのならば、それは良いことだ。

「ローがわたしを見て喜んでくれたのなら何よりだ。
 ローの正装もさぞかし素晴らしかったのだろうね。
 覚えていないのが残念だよ。落ち着いたら着て見せてくれないかな」

 ローが躊躇いがちに頷く。
 にこりと笑って見せるとローの顔が綻んだ。

「さて、ここをやっつけてしまおう」
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