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狼は瞳をひらく3

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「エドワード!」

「少々疲れましたが大丈夫。わたしの老いた身の事など心配なさるな。ご武運を……光り輝く我が君よ……」

 王が昂然と頭を上げる。その顔に陶然とした笑顔が浮かんだ。

「痛まぬ」

 ぐっと突き上げられた腕。ぱりぱりとその身を雷光が包む。

「身中の光は消えていませんが、痛みを遮断し、焼かれた部分を治癒いたしました」

「でかした。エドワード」

 王が赤い髪を肩から払って笑い声をあげる。

「……ここからの私は……強いぞ?」

 妖艶な笑みを浮かべた口が開いて、ゆっくりと差し出された真っ赤な舌が見せつけるように唇を舐める。細く優雅な身体が両手を開いて、赤い薔薇の蕾が開くようにくるりと回転する。

 巨大な魔法陣が闘技場に展開した。

 歓喜の歌を歌うように音の高低が響き渡り、指が鳴った。魔方陣の中のグールが苦しみの声をあげて塵になり、押されていた兵が歓喜の声をあげて剣を振り上げる。

「ルーカス王!万歳!」

 鳴り止まぬ声を優雅な腕の一振りが止める。

「グールには回復の魔法を使え!伝令を出すのだ!
 決して近づかず、遠くから回復の魔法をかけよ。
 回復薬を2階から振り撒け。
 子供や老人を集め、通れぬように地面に聖水を撒け。やつらはそこを通る事は出来ない」

 王の指示に鬨の声が湧き立つ。

 メリーの兄のナルウィン王子がグールを斬りつけた。グールが塵になって消えて行く。

「剣に聖なる祝福を唱えよ」

 俺の耳元を矢が通り抜ける。後ろに迫ったグールに矢が刺さって崩れ落ちた。

「回復薬を矢先に含ませろ!」

 セルウィン王子が叫ぶ。

 黒騎士ガレスが剣を振るいワイバーンの首を落とす。フロドウェン王子が指を鳴らして火球を放つと傷を焼いた。

 劣勢だった戦場に火が灯る。

 王の指が鳴るたびに範囲で展開される回復の魔法に次々と沸くグールが倒れ、疲労困憊していた兵が立ちあがり剣を構える。

 パトリック先輩が片手でメリーを肩に抱いていた。
 放つ聖なる闘気に弱いグールは近づくことが出来ないようだ。近づいたグールは軽く振られた剣にあっけなく倒れた。

 メリーはぐったりと動かない。乱れた髪が、ただ、その肩で揺れていた。生まれながらの生気に溢れた姿が、今は壊れた人形のようだ。その姿に激しく心が痛む。

 メリーを見てしまった。振り返ってはいけなかったのに。


「オオカミ!」


 王の詰る声が聞こえた。
 はっと振り返った先に、アーシュがいた。

 ひゅんと振られた剣をぎりぎりでかわす。頬にちりっとした感触。ふわりと切れた毛が宙に舞う。指が鳴って捕縛の呪文が立ち上がって身体を縛った。ぎりぎりと締め上げる力に声が漏れた。

「僕のものだ。そうしないといけないんだ」

 アーシュが近づいてきてうっとりとオレを見上げた。
 薄い茶色の目が狂気の色を浮かべる。

「ローを連れて行かないと……僕が殺されちゃうんだよ」

 そうか、と納得する。アーシュは自分の命を守るために俺を連れて行こうとしているのか。愛ではないのだ、恋慕でも。かつてそうであったように、利用するだけの為に、アーシュは俺を欲している。
 武器である俺を必要としているだけなのだ。

「俺はメリーのものだ」

「僕がいなくなったからだろ?ローが愛しているのは僕じゃないか!」

「違う。俺はもう、メリーだけのものだ。
────メリーを愛している」

「うるさい!」

 アーシュが叫ぶ。その手の中に紫色の光が妖しく輝く。

 体中に生えた毛が逆立っていく。本能があれを食らってはいけないと叫んだ。

 アーシュの捕縛の魔法が気の力を吸うものでないことに感謝する。メリーの捕縛の魔法だったら、今の俺では抜けることが出来なかったろう。

 気を捕縛の魔法に通した。ばらばらと崩れていく捕縛の間から、足を振り出してアーシュの腕に絡めてそのまま引き倒す。

 紫の光が宙に真っ直ぐ飛んで行った。

 引き倒したアーシュの上に馬乗りになって手刀を振りあげる。


「ロー!」


 叫ばれて、びくんと手が止まる。その声は、アーシュが俺に命令する時の声だった。

 はあと息を吐いた。

「何してるの?」

 止った指先にアーシュがにやりと微笑んだ。そして、いつもの通りに俺を蔑むように見る。俺はその目を恐れていた。嫌われるのを恐れて従っていた。

 心が過去に引き戻される。

 アーシュが事態を察して妖艶に嗤う。

「ロー……離すんだ」

 従いたいという心と従ってはいけないという心が争う。

「ロー……一緒においで。僕を助けて」

 ずっと一緒だった。ずっとずっと。ずっと恋焦がれていた。

 俺を利用していた。そしてまた、利用しようとしている。

 ぶんと頭を振って意識を保とうとした。そして、保てないことに違和感を感じる。

「ロー?」

 聞こえる声が蜜のようだ。

 見たくないのに目がアーシュを見る。求めるような薄い茶色の目に喉が鳴った。

 そして、自分の異変に気づいた。

「俺に……何をした」

「何もしてないよ?」

「嘘を……つくな……」

「さっきの捕縛にいい子になる呪文を混ぜたんだ。ちょっとした催眠なんだけど、元々ローは僕に従順だったから、とても良く効いてるみたいだよね」

 やられた。悔しさに歯がガチガチと鳴る。

「僕の上から降りなよ」

 離してはいけないという思いと、従いたいという思いがせめぎ合う。
 幼かった頃のアーシュが微笑む。可愛い笑顔、ふさふさの尻尾。

 いつからだった。

 あの笑顔が冷たく、蔑むような嘲笑に変わったのは……。

 ──いつだった。

 ぶるぶると手が震える。

 幼馴染だった。好きだと思っていた。でも、どうだった?

 俺はモリオウで、アーシュは俺ほどは強くなかった。
 なのに、おれはどうしてアーシュに従って狼の巣を出たのだ?

 苦しい息を吐いた。

 満ちていた気が消えて、生えていた毛が抜けていく。

 身体の下にいるアーシュと、幼い頃のアーシュがゆらゆらと入れ替わる。

 シンオウにわざと負けた日……俺は落ち込んでいた。死にたいと願う程に。義父であるシンオウに実力では勝っていながら、俺はシンオウになることを恐れてわざと負けたのだ。

 それは恥ずべきことだ。

 オオカミ族は強さを求める種族だ。

 俺には肉体的な強さがあっても、精神的な強さがない。
 そう自分で認めることは死に値する恥辱だと思えた。


 そして、アーシュがやって来た。
 妖艶な笑みを浮かべて……

 そして、ここを出て行こうと俺を誘った。

 俺は従った。一言も反論しなかった。

 それは……俺がオオカミであるならば、その時のアーシュが俺よりも強かったことを示しているのではないのか。


 それまでのアーシュはどうだった?

 アーシュはよく食い物を持ってきてくれた。

 子犬のように俺に付きまとい、いつもにこにこ笑っていた。

 俺の言うことはなんでも聞いたし、多分……おれがそうしたいと言えば身体を開いていただろう。教わったことを試してみたいと言えば。

 誘われていたかもしれない。
 はにかんだ笑顔のアーシュを思い出した。
 俺は強かったし、強い者の庇護に置かれることは弱いオオカミには重要なことだ。奥手な俺は気がつかなかったが。

 今ならはっきりとわかる。あのアーシュは俺を誘っていた。

 そして鮮やかに思い出す。その頃のアーシュは俺に触れていた。

 またがる下の感触から、俺の気にあてられてアーシュが苦痛を感じているとわかる。このアーシュは俺に触れることが出来ない。

 思い出の中の幼いアーシュが差し出した干した肉。受け止める手は確かに触れていた。


「お前は……誰だ?」


 惹きつけられる力を振りほどこうと頭を振る。

「ローのアーシュだよ?」

「違う!」

 黒目の多い薄い茶色の目を見つめる。


「アーシュは弱かった。罪のない子犬だった……だが、お前は強い……」

「そうだね。僕はローより強い。だから従いなよ!」


 アーシュが手を差し出した。
 指先にうにょうにょとした黒い虫が蠢いていた。

 耳から入れるつもりなのか。

 あれが入れば俺は……



 音が聞こえた。

 美しい楽器の音色。



 いや、それは人の声だった。
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