死にたがりの狼は薔薇の鎖で縛られる【完結】

騎士は赤薔薇に剣を捧げる１

　意気揚々と闘技場を横切って、歩み寄ってくる愛しい人の身体を持ち上げる。羽根のように軽い身体が宙を舞って、腕の中に納まった。ピンク色に染まった頬、得意げに踊る水色の瞳。王から放たれて刺さる闘気がメリーが何かをしたのだと告げている。

　気で慎重に膜を作り、弾き返しながら無茶な恋人にキスをした。

「俺の白い薔薇。あなたは本当に素晴らしい」

　愛の言葉を囁くと、美しい瞳が嬉しそうに輝く。それが愛しくて、もっとと言葉を重ねていると、メリーの瞳が潤んで唇から小さな吐息が漏れた。

「お前ら陛下の御前でいいかげんにしろ」

　恋人同士の睦言をパトリック先輩が遮った。メリーが怒りの声を上げる。不機嫌そうなメリーも美しい。

　学園のプレートの甲冑に外套という騎士見習いの正装をしたパトリック先輩は、まさに美丈夫という姿だった。その姿に会場からざわめきが起きる。

　ちらりと上げた厳しい青の目が俺の格好を見て眇められる。あの後、２人で寝てしまい、会場に入るのがぎりぎりで、メリーが着替えるのを手伝っていたから俺はまだ正装をしてない。とはいえ、俺の体術の正装は簡単なものだから、ものの五分もかからずに着替えることが出来るのだが。

「早く着替えて来い」

　頷いてメリーを見ると、メリーはむうという反抗的な目でパトリック先輩を睨んでいる。昨日の件で、なにか言うつもりなのだろうか。

「メリー……」
「行け」


　言いよどんだ俺にパトリック先輩が声をかける。パトリック先輩を見ると、目で行けと合図された。メリーがすっと俺の腕から抜け出して真っ直ぐに立った。目はパトリック先輩を睨んだままだ。ならば早く行って帰ってくるほうがいいだろう。早足に控え室に戻る。体術の正装は黒のズボンに打ち合わせのある白の道着だ。ブーツを履いて、学園紋章の縫い取りのある帯を締める。たっぷりとした帽子のついた外套を羽織るとするりと控え室の扉をくぐった。

　控え室から廊下を足早にメリーのいた方向に戻る。


────なんだろう。


　何かの気配を感じて立ち止まる。

　一瞬感じたそれは、あっという間に消えてしまった。

　ルーカス王の闘気か？……いや違う。王の気は確かに強大で圧倒されるものではあったけれど、こんな風に得体の知れない不安を感じさせる類のものではなかった。

　ぐるりと回りを見回し、気であたりをさぐるが何も感じない。

　気のせいだろうか。

　いやな予感がして心臓の音が早くなる。

　何故メリーを置いて来てしまったのか。

　歩く足が速くなる。気がつくと飛ぶように走っていた。

　歓声の響く観客席の片隅に入り、気を這わせる。メリーはどこだ……いた。気の狂うような安堵を感じながら、気配を感じた方に走り込んだ。階段の上から下を覗き込むと、目立たない片隅に銀色に輝く姿が見える。

　なんの躊躇もせずに、上の段から飛び降りた。音もなく着地した俺を、呆然とした薄い水色の瞳が見上げる。

　驚きの表情に心臓が大きく音を立てた。何かされたのか？

「メリー？」

　顔を覗き込むと、驚いた表情が霧が晴れるように消えて、水色の目が俺の身体を舐める。ぱっとあがった美しい顔が、愛しさを湛えてほうと柔らかくなった。

「ロー。とても……似合っている」

　ほっとしてメリーを抱きしめた。
　するりとメリー腕が外套の下に潜り込んでぎゅっと抱きつくと、すりっと身体をこすりつける。

「いつもの服もいいけど、正装には格別のものがあるね」

　嬉しそうにほんのり赤らんだ顔が可愛くて、軽くキスをした。鼻と鼻をすり合わせて親愛の情を示すとくすくすと掠れた声が笑う。

「何もありませんでしたか？」

「そうだね。まあ、ちょっと……びっくりしたけど」

「びっくり？」

「パトリックも恋に狂うらしいよ」

　パトリック先輩が？あの岩のような人が？恋に、だと？狂うとは理性を失うということ？いや、それは……

　想像出来ずに目が泳いでしまう。うーんと唸ると、ははっとメリーが楽しげに笑った。

「わたしと同じ反応をするんだね。思わず愕然としてしまったよ。
　まあ、本人がいうんだから本当なんだろうけど、あのパトリックがと思うと……」

　パトリック先輩が誰かに恋焦がれていると知って、嫉妬したのだろうか。
　胸を焦がすものが案外に痛くて戸惑ってしまう。

「……気持ち悪いというか。不気味だというか。まあ見たくないのは確かだよね」

「は？」

「ん？パトリックが陛下相手に頬染めてるところなんて、地獄絵図でしかないと思わないか？喘いでいるところとかさ。すっごい気持ち悪い……」

「ええと」

「よくあんなのを抱く気になれるよねえ。ルーカス王も」

　嫌そうに顔を歪ませて俺の喉元に顔をこすりつけると、ぞわぞわと身を震わせている。ああ、狂うをそういう意味に取っているのか。

　確かにルーカス王はパトリック先輩よりかなり年上だし、パトリック先輩も子供の時代があったのだろうから、ないこともないのかもしれないが……

　あの王がそういう嗜好だとは思わない。どう見てもルーカス王は抱かれる方の人間だろうし、パトリック先輩は抱くほうを好むだろう。

　でも、それは俺には関係ないことだ。俺に抱かれることを喜ぶメリーがパトリック先輩をそういう目で見ているならば、二人は性的嗜好が同じということで、俺にとっては都合がいい。

「そうですね。俺のメリーがこんなに美しいことを神に感謝しなくては」

　にこりと笑うと、メリーの顔がぽっと赤くなる。
　俺のメリドウェンは色恋という部分では初心な人なのだ。なんて可愛らしいんだろう。

　マントの中にメリーを引き込み、抱き寄せて観客席へ向かった。闘技場では戦いが始まろうとしていた。


パトリック先輩とセルウィン王子が闘技場の端に立っている。

「騎士見習いパトリック。前へ」

「エルフの王子剣士セルウィン。前へ」

　２人が中央に向かって歩いて行く。

「待て！」

　観覧席から朗々と響く声がする。……ルーカス王だ。

　赤い巻き毛が弾むように観覧席から闘技場に向かって降りてくる。闘技場の柵を片手で軽々と飛び越えると、闘技場にふわりと立つ。赤と黒の衣装に包まれた姿は若々しく、咲いたばかりの赤い薔薇のようだ。

　かかる髪を払うと笑みを浮かべて手を差し伸べる。

「パトリック。余の剣よ」

　差し伸べる手にパトリック先輩が歩み寄って片膝をつき、胸に手を当てると頭を垂れる。

「我が君」

「祝福を授けよう」

　王が手を伸ばすとパトリック先輩の剣を抜いた。

　誰が止める間もなく、剣が王の手のひらを舐める。ざわっと会場がどよめく。ぽたぽたと闘技場に王の血が落ちた。パトリック先輩は微動もせずにそれを見ている。

「受け取れ。パトリック」

　刀身をつかみ剣の柄をパトリック先輩に向けると血にまみれた剣を王が差し出した。

　ゆっくりとパトリック先輩は剣を受け取った。

　厳しいままの顔。何も感情は読み取れない。だからこそわかる。先輩は腹を立てている。そして、王はパトリック先輩を怒らせる為に血を流したに違いない。

　先輩は剣にキスをすると立ち上がった。

　高々と剣を掲げて堂々とした声で叫ぶ。


「我が君に、勝利と栄光を」


　観客席から地鳴りのような歓声が湧き起こる。

　頷いた王が先輩に微笑んだ。軽く振った手から血があたりに飛び散る。ぎりっと先輩が歯をくいしばる音が聞こえるようだ。傷つかぬ手を高々とあげ、下ろした手から血を滴らせながら、王が観覧席に戻って行く。

　どさりと座った王が脚を組むと、大慌てで近づいて来た側近に手を差し出した。皮肉で美しい微笑がその顔に浮かぶ。

　それを見上げる無表情なパトリック先輩の顔の中で、青い目だけが燃えるように輝いている。

「あれは、火の妖精の護りの儀式だよ」

　メリーが腕の中で呟く。

「火のエルフは他のエルフより気性が激しくて、自分の血を炎に見立てて他者に与えることで護符にするんだ。王の血は薄まっているから、それほど効果はないだろうけど、よほどパトリックが気に入っているんだろうね」

「パトリック先輩がそれほど喜んでいるとは思いませんが」

　メリーの手を取るとその手のひらにキスをする。

「どんな強い守りが得られるのだとしても、あなたのこの手から血が流れるところなど見たくない」

　メリーの顔が真っ赤になる。ああ、エルフは恋人の手のひらにキスするんだったと思い出してにこりと笑う。

「わたしは血を使うだとか、そんな野蛮なことをしなくても、防御系の魔法使いだよ」

　赤らんだ顔でつんと上を向くと、銀色の髪を払う。

「賢いメリーはそうしてくれると信じていますから」

　川のように流れる髪を撫で付けると、まだ痣の消えない手に指を絡める。