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第37話 銃撃戦

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「ヒィ……! イヒィ……!!」


 死にかけの草食動物にような、か細く情けない声が室内へ静かに響く。

 ここはシグマ大帝国内を第二都市メンデルへと向けて走行中の高速旅客列車『リンドブルム四号』の三両ある一等客車の内の一つ、一号車の幾つかあるコンパートメントの室内だ。

 本来、この世界の基準を考慮しても優雅で贅沢な長距離列車の旅をこの車内で過ごしていた筈の俺が、今は何故か床へ這い蹲っている。

 何か物を床へ落としたわけでも、列車が急カーブを高速で通過中に席から投げ出されたわけでもなく何故冬場の冷たい床へと這い蹲ることになったのか?
 
 その原因は俺の目の前にいる2人にあった。
 正確には5人なのだが、今のところ5人中3人はこちらへ一切の関心を示さずに周囲を警戒中なので、目下2人だけが俺に対して強い関心を示しているからだ。

 そしてその2人によって暴力の洗礼を受けた俺はボロ雑巾のような状態を晒していた。

 髪はボサボサで顔は腫れ上がり、鼻血をポタポタと垂らして身体は小刻み震えて続けている。そして恐らくだが、鼻の骨が折れているらしいがそれ以外の爪や歯が折られていなかったり、目や指が潰されていないのは不幸中の幸いと言って良いのだろうか?


「中々に口を割らないな。
 パッと見た感じだと、直ぐに謳うと思ったのだが……」

「どうしますか?
 何も謳わないのであれば、このまました方が得策かと愚考しますが?」

「そうだな……もう少し痛めつけて何も謳わないのであれば、貴官の酌量で処理しろ。
 私は公女確保へ向かった第一小隊一小の支援に回る」

「はっ! 了解しました」


 手の甲にナイフが刺ささり、血を流しつつそのまま床に縫い留められた俺のことなど存在していないように淡々と話をしている2人。

 ひとりは二十代半ばと思われる中肉中背かつ筋肉質な体つきの実直そうな青年で、もうひとりは十代半ばくらいと思われる美しい銀髪の長髪ロングヘア―をひっつめた見目麗しい少女である。

 男の方は兎も角、少女の方は美少女と言って差し支えない美貌で、街中ですれ違えば男でなくても確実に振り返らずにはいられない美貌の持ち主だ。

 『但し、そのたおやかな手に無骨な回転弾倉式拳銃リボルバーを握っていないならば』という注釈付きではあるが……


「そういう訳で、お前をもう少し痛めつけさせて貰うぞ。
 今直ぐに我々の聞きたいことに答えてくれたら、楽にしてやることもやぶさかではない」


 しゃがみ込んで俺の前髪を掴み強引に顔を上げさせた少女が無表情のまま淡々とした口調で話し掛けてくるが、彼女の話を黙って聞いて内容を理解出来る思考も首を振って答える余裕は今の自分には無い。

 自分が出来たことは黙って震えることしかできなかった。そしてそんな只々震えていることしか出来ない俺を黙って見つめていた少女は掴んでいた前髪を放して立ち上がる。


「答える気はないか。
 では中尉、よろしく頼むぞ」


 最初から大して期待していなかったのだろう。
 特に表情を変えることなく己の傍で黙って立ったままだった男に向き合った少女はその後の指示を出してコンパートメントを立ち去るべく背を向ける。


「はっ! お任せ下さ……」


 そして彼女の後ろ姿を敬礼をしつつ見送ろうとしていた少尉と呼ばれた二十代半ばの男は上官からの指示に了解の返事をしている最中、自分の視界におかしな事象が写っていることに気付いた。

 こちらへ後ろ姿を見せつつ部屋を出て行こうとしている上官の姿が陽炎のように揺らいで見えているのである。だが、それも一瞬のことで、その陽炎の中から灰色の開襟制服を着用しケピ帽を被った長身の女魔族――――魔王領国防省保安本部付魔導少将アゼレア・フォン・クローチェの姿が現れたのだ。


「え……? は?」


 突如発生した想定外の事態に唖然という他にない表情を露わにした中尉はそのまま思考停止を起こす。
 時間にしてほんの2~3秒程ポカンとしたまま立っていたが、そんな彼が見た最期の映像は自分に向かって繰り出されて来る黒い革手袋を嵌めた左拳であった。


「フンッ!!」

「あぶわっ!!」


 激しい怒りと殺意を含んだ裂帛の声が聞こえた直後に響いてきた短い悲鳴によって何か異変が発生したことに気付いた少女は素早く己の後ろへと振り返るが、その時既に超大型重機並みの強大過ぎる力によって中尉の頭部は“パァン!”という高所から落ちてきた物が勢い良く地面に叩き付けられるような激しい衝撃音と共に、水を並々と湛えた水風船が破裂するかの如く粉々に砕け散った後だった。

 
「中尉ぃー!? おのれぇーっ!!
 貴様、一体何処から現れたぁ!?」


 文字通りの血煙が室内に舞う中で突然の異常事態はいえ、これくらいのことで慌てたのでは大隊の指揮官は務まらない。

 少女――――リグレシア皇国親衛隊省武装親衛隊本部直轄第二四襲撃撹乱大隊隊長エルザ・ディレット親衛隊少佐は目の前で部下が殺されたことに激しい憎悪を募らせつつも右手に握っていた回転弾倉式拳銃リボルバーの銃口を突如現れたアゼレア女魔族へと向ける。

 だが、エルザが銃を構えるよりも早く、アゼレアの右手に握られた旧チェコスロバキア製自動拳銃――――CZ75の銃口が既に彼女の姿を捉えており、銃口がエルザの方へ指向したときには今まさに射撃が始まろうとしていたところだった。


「死ね」


 一切の感情が宿っていない聞いた者をゾッとさせるアゼレアの声が室内へと静かに響く。

 アゼレアは拳銃の照準が碌に定まっているかなどお構いなしに、銃口がエルザのいる方へ向いたことを直感で感じ取った直後に一切の躊躇なく銃の引き金を引き絞ったのである。


「っ!?
 危ないっ! 大隊長殿ぉーーッ!!」


 その事をエルザの傍で控えて警戒態勢を維持していた人間種であるバーンズ軍曹は自分の上官が撃ち殺されてしまうことを直感的に感じ取り、自らが盾となってアゼレアの前に背を向けて立ちはだかった。
 

「軍曹ぉーー!!」


 連続して室内に鳴り響く銃声とそれに続く絶叫。
 無警告で発射された9ミリNATO弾――――それも『ブラックタロン』という凶悪な殺傷能力を有するホローポイント弾を背面から胴体に6発も撃ち込まれたバーンズ軍曹はその場へと崩れ落ちる。

 胴体に6発もの銃弾を受けた彼はほぼ即死だった。
 彼の体へ命中したブラックタロンはその体内にて容赦なく弾体の持つエネルギーを解放して内臓類や肺、神経、脊椎などを悉く破壊し尽くした。


(お逃げ……ください……!)


 エルザの顔を見上げるような姿勢で床へと崩れて落ちていく中、既に物言わぬ骸となったバーンズ軍曹の目はそう進言していた。


「くっ! バーンズ軍曹達が殺られた!!
 脱出だ!! この部屋から出るんだっ!!」

「は、はい!」


 続けざまに尚もこちらを撃ち殺そうとするアゼレアへ向けて抱えていたバーンズ軍曹の遺体を投げ付ける形でほんの僅かな隙を作ったエルザとその部下達は室内から逃亡を図る。

 このままあの女魔族と戦ってしまっては身を挺して自分を庇ってくれたバーンズ軍曹の勇気を完全に無碍とする行為であり、更にまだ生きている部下を危険に晒してしまいかねない。

 その為、腑が煮えくり返りそうになる感情を何とか押し殺しつつ、アゼレアに殺されなかった部下らと共に客室から通路へと出ようと扉を開けたエルザは異常を察知して室内へ突入しようとしていたクルーガー大尉と鉢合わせして正面衝突を起こしそうになった。


「丁度良い!! それを貸せ!」

「は、はっ!?」

「そいつも寄越せ!」


 突然のことに困惑するクルーガー大尉を尻目に拳銃を銃嚢へ素早く仕舞ったエルザは彼が携えていた水平二連銃身型の散弾銃一丁と五本の束に纏められていた発破火薬ダイナマイトを奪い取るように取り上げたあと、そのまま銃口を室内へ向けて躊躇うことなく発砲する。

 直後に駄目押しとばかりに魔力によって指先へ生み出した小さな炎を用いて持っていた五本束の発破火薬の導火線へ点火して室内へと放り込むが早いか客室出入り口の扉を勢いよく閉めた。


「今のうちに退がれ!」

「は、はい……!」


 数秒後、車両を揺るがす大きな爆発音が響いた直後、通路に面している車窓の硝子が衝撃波で全て砕け散り、コンパートメントの扉が吹き飛んで通路の壁へと激突した。


「少佐殿、中で一体何が!?」

「例の上級魔族だ。
 何処に隠れていたのかは知らんが、突然現れおった!
 カービン中尉とバーンズ軍曹が殺られた。
 一号車の制圧は諦める。
 貴官は私の代わりに貴賓車の制圧を最優先で進めるのだ。
 いいか、手段は問うな!」

「はっ!」


 発破火薬の爆発によって生じた煙が車窓から吐き出されて行く中、矢継ぎ早に指示を下すエルザに対して次第に冷静さを取り戻しつつあったクルーガー大尉は上官の指示を受けて次に起こす行動を整理して順序を考え始めていた。


「あの化け物がこちらへ本格的に仕掛けて来る前に制圧し切るのだ。
 教会特高官の件もある。 急げよ」

「はっ! 了解しました!」


 あの上級魔族の女は先程の攻撃など屁とも思っていないだろう。だがあれぐらいしないと直ぐに追撃を受けてここに居る自分自身を含めた全員が皆殺しの憂き目に合うのは確実だった。

 流石にあの程度の爆発で足止め出来たとは思っていないが、怒り狂って直ちに部屋から出て来ないところを見るに一応は足止めさせることに成功したと言って良いだろう。
 

「……の設置状況はどうなっている?」

「既に設置完了しています」

「よし!
 貴賓車の制圧は貴官に任せる。
 いずれにしても、あの上級魔族を足止め出来るのは私しかいないだろうからな。
 我々はこの通路を固守する」

「はっ! 少佐殿、ご武運を」

「貴官もな……」


 エルザから直接命令を受けたクルーガー大尉はすぐさま何人かの部下を引き連れて貴賓車が連結されている一号車前方へと通路を駆けて行く。


「いいか戦友諸君、相手は上級魔族だ。
 二等客車を制圧した第四小隊と食堂車からこちらへ移動中である第三小隊とであの化け物と教会特高官達諸共挟撃し、これを撃破する。
 いいな?」

『はっ!!』


 それを見送ったエルザ・ディレット親衛隊少佐は彼らの後を追うように残りの部下達と共に一号車前方へと歩いて行く。

 目的は貴賓車を制圧援護のため向かって行ったクルーガー大尉に代わって貴賓車へと続く通路の死守である。


(まだだ。
 を使う為にも、ここで魔力を解放するわけにはいかん……)


 部下を数人引き連れたエルザはクルーガー大尉から借り受けた散弾銃とその残弾の数を確認しつつ、銃の薬室を解放して新しい散弾が再装填されていることを確認し勢いよく薬室を閉鎖した。





 ◇





 あまりの痛みにナイフが刺さっている手の甲を見ていることしかできず、周囲の様子を気に掛ける余裕が一切無かった俺の視界に見慣れたブーツの爪先が写る。


「ア、アゼレア……なのか?」

「ええ、そうよ。 
 それよりも孝司、手が……」


 こちらの誰何に対して答えるアゼレアの声はひどく弱々しいものだった。少しでも手を動かそうものならナイフの刃と手の神経が触れてしまって激痛に襲われること必至なので、俺は未だにアゼレアの顔を見上げることすら出来ずにいる。

 だが、何時迄もこのままというわけにはいかないので俺は意を決してアゼレアに刺さっているナイフを引っこ抜いて貰う決心を固めて彼女へお願いした。


「すまないけれど引っこ抜いてくれないかな」

「分かったわ。
 痛いだろうけれど、我慢して」

「ああ。
 ゆっくりじゃなく、一思いに一気に引き抜いて貰えれば嬉しいな」

「任せて。
 じゃあ……いくわよ!」

「うぐおぉぉぉ!! ほおおおぁぁぁーーー!!」


 ナイフが引っこ抜かれた瞬間、それまで刃が刺さっていたところの手の甲がカッと熱くなり傷口から血が滴り落ちる。
 
 そして血が流れ出るのに合わせてドクドクという脈動が激痛と感じられてとても気持ち悪い。


「ちょっと大丈夫!? 孝司」

「おおおぉぉぉ!!
 あぁーーっ!!
 何処かへ行って大声で叫びたいくらい凄く痛いよっ!」


 もしアゼレアが目の前にいなければ俺は床の上を痛みに任せて転がり回っていたことだろう。だが、その痛みが徐々に感じられなくなっていっていることに気付き、手を見ると刺された箇所の傷口が徐々に塞がっているではないか。


「ああっ!?
 ほら見て見て! 傷が塞がり始めてる……」

「凄いわね……」


 出血の痕こそなくならないものの、俺とアゼレアは5分ほど傷口が塞がっていく光景を静かにそして唖然としつつ見守っていた。そして傷口が完全に塞がったことを確認した俺は手指を盛んに動かしてみたが違和感や痛みはなく、手の感触が刺される前と全く同じ状態へ戻っていることを実感する。


「ところでアゼレア、あいつらは一体全体何者なんだい?」

「それは私が聞きたいくらいだわ。
 最初は強盗かと思ったけれど……どうもそれとは違うようね」

「そのようだね……」


 先程の銃撃といい、ダイナマイトを束でお見舞いしてきたことといい彼らがただの強盗などではないことは一目瞭然だった。

 第一に俺を痛めつけているときに彼等は金品の在処について一切尋ねず、終始アゼレアの所在についての質問しかしてこなかった。

 まあ、当の本人はショットガンによる直撃弾やダイナマイトの爆発などは全て片手間のような感覚で防いでいたので傷ひとつ受けていないが……

「恐らくだけれど、彼らは魔族よ」

「魔族? ってことはアゼレアと同じ?」

「ええ、そうよ。
 少なくとも貴方を痛めつけていた少女……というか女は確実に中級魔族よ」

「よく分かるね」

「ほんの一瞬だけれど、私があの女に銃口を向けた瞬間に僅かながら魔力を感じ取れたのよ。
 反射的に魔法障壁を展開しようとしたのだろうけれど……」

「そうか……」

「でも、ただの中級魔族ではないわ。
 魔力量やその強さは恐らく上級魔族……それも中堅の伯爵級に相当するものよ。
 そして銃口を向けられる直前まで伏せていた魔力操作の腕前や彼らの統率された撤退行動といい……これだけ見てもあの女とそれに率いられていた男達の一団がよく訓練された軍人の集団であることがよく分かるわ」


 傷口が完全に塞がり精神的な余裕ができたことで俺はウエットティッシュで乾いた血を拭き取ってアルコールで手を消毒しながら、あの少女と男達の集団の正体についてアゼレアと考えていたが彼女は既に奴らのことを魔族であると看破していたらしい。

 因みに俺をさんざん痛めつけてくれた少女はアゼレアの見立てでは上級魔族に匹敵する強さを持つ中級魔族だということで、彼女が撃った拳銃の銃弾から身を守るため魔法障壁を展開しようとしたときにほんの少し漏れ出た魔力からあの少女の大凡の魔力量とその特性を推し量ることで大まかな出身種族と階位を特定できたというわけである。


「あの女には気を付けないといけないわ」

「気を付けると言うと?」

「恐らく出身種族の母体は魔女族だと思うけれど、多分堕天使族の血も入っている筈よ。
 翼はなかったみたいだけれどね」


 アゼレア曰く『魔女族』というのは元々は普通の人間種だったらしいのだが、魔法や呪術に傾倒するあまり術式で己の肉体を遺伝子レベルで改造していった者達が数百年の歳月を経て世代を重ねることで人間種離れした寿命と肉体を手に入れることに成功した者達の末裔なのだと言う。

 対する『堕天使族』は人間の背中――――背中の肩甲骨付近から鳥の主翼と似た羽が生えている種族のことで、人間と鳥の中間のような存在である『鳥人族』の上位互換のような存在らしく、遺伝子の問題で女性ばかりしか産まれない魔女族と違ってこちらの種族は男性もしっかりと生まれてくるのだということだ。

 但し、種族名の由来として何故『堕天使』という名称が用いられているのかは諸説あるらしいのと、諸種族研究者達の間でも意見が別れているのでといった正解は未だ見つかっていないのだとか。

 そして俺をボコボコにしてくれたあの少女は魔力反応とその特性から魔女族と堕天使族の混血ハーフではないかとのことだ。


「それでどうするんだい? アゼレア」

「どうするって言うと?」

「いや……」


 正直に言うと何故いきなりあの少女が率いている軍人と思しき集団が俺を襲ってきたのかは分からない。

 そして彼らがこの列車で何をしようとしているのかは分からないが、銃まで持ち出してきているのだからどうせ碌でもないことを企んでいるということだけは予想できた。

 だからこそ俺はアゼレアに言うのだ。
「この列車から離れるべきである」と……


「はっきり言って今ここで列車から降りるのは簡単よ。
 でも、今は降りるべきではないわ」

「それはどういう……」

「外を見てごらんなさい」


 そう言われて車窓から外を見て俺はアゼレアの意見に納得と諦めの混じった声が出る。


「あ~……」

「分かったでしょう?」

「うん。 分かった」


 現在、この列車は山深い渓谷に敷設された線路上を走行中である。ガラス窓が吹き飛んだコンパートメントの車窓から見えるのは目測で高さ約10メートルを軽く超えるとても背が高く幹が太い針葉樹林の森と、あとは山頂に雪をいただいた標高の高い山脈、そして青く澄み切った空だけなのだ。

 そして先程までは刺された痛みで全く気付かなかったが、
吹き込んでくる風が寒い……というか露出している手や耳、顔の皮膚が寒さで痛い。

 神様に弄られた体にとってこれくらいの寒さなど平気な筈だが、目に映る光景を通して精神的に体が寒いと感じてしまうのである。

 急いでストレージの中から防刃繊維が編み込まれた黒い革手袋とウール地で織られた緑色のクルーザージャケットを取り出して着込みながら、車窓の外を流れて行く深い針葉樹林の森を見ていた。


(線路を除けば周囲に人工物はおろか山小屋さえ見当たらない……)


 アゼレアの言った通り列車から降りるのは簡単である。
 だが降りたところで周囲に広がるのは針葉樹林の深い森と山脈だけ。

 列車が過ぎ去った後の線路を延々と歩くという手段もなくはないが、次の駅に辿り着くまでにかなりの距離を歩く必要がある。

 勿論、途中野宿をしつつ移動することもできるが、これだけ深い森の中であればどんな魔物が潜んでいるかわかったものではない。アゼレアの魔力と武力、そして俺の持つ近代兵器を持ってすればどんな魔物とて敵ではない。

 それこそ数万に届く魔物の群れや一個師団の軍隊が襲って来ようともアゼレアは鼻歌混じりに消し飛ばしてしまうに違いない。

 それはいいのだ。
 いいのだが……問題は今列車が走っている場所が非常に不味いのである。

 
(渓谷の……しかも山頂に雪をいただいた状態の山脈に線路の両側を挟まれているこの場所で強力な軍用攻撃魔法を撃てば確実に雪崩は避けられないだろうなぁ)


 皮肉なことにアゼレアの凶悪過ぎる強大な魔力は精神系や反魂系、吸血族が得意とする血液を触媒とした術式を除く物理的攻撃を伴う攻撃魔法の場合、威力を絞った一番弱い部類のものでも米軍や自衛隊が使用する155mm榴弾砲の威力に相当する。

 その為、自然災害を誘発させるような場所や非戦闘員がひしめく市街地における軍用攻撃魔法の使用は非常によろしくないのだ。

 勿論、人口密集地での戦略級・戦術級軍用攻撃魔法の使用など論外ではあるが、そうでなくとも通常状態で攻撃魔法を使用した場合、その一撃あたりの破壊力は大和型戦艦の主砲と同レベルである。

 アゼレアが列車に残って先程の軍人と思しき集団と戦闘になろうが、列車から脱出してこの左右に広がる深い森の中に潜んでいるであろう魔物と戦った挙句に通常の攻撃魔法を放てばどのような結果になるかはもうお察しことだろう。

 繰り返し攻撃魔法を使用したことによって発生する爆風や空気を震わせる衝撃波などの影響によって鉄道を見下ろす山脈に降り積もっている雪が雪崩となって渓谷へと流れ込み、森の木々の合間を縫って殺到した大量の雪が文字通り雪崩を打ってこの列車を襲うのだ。

 そうでなくとも高位上級魔族と中級魔族による攻撃魔法の応酬へと発展すれば、この列車など簡単に吹き飛ばされてしまうに違いない。

 それに列車から降りて延々と線路を歩いて行くにしろ、いつ襲って来るかもわからない魔物の襲撃を四六時中気にしていたら体力よりも先に神経の方が擦り減らされてしまう。


「アゼレアとしてはどうするべきだと思う?」

「そうねえ……孝司を痛めつけてくれたお礼をまだしていないし、ここで逃げ出したりしたら魔導少将の名折れだわ」

「じゃあ……」

「ねえ、孝司ぃ。
 私の銃CZ75の予備弾倉と弾薬ってどれくらい残っているのかしらぁ?」

(あっ、これはヤベェ……)


 拳銃から弾倉を引き抜いて中に残っている弾丸の数を確認しつつ、こちらへ獰猛な笑顔を見せるアゼレアに対して俺は自身の中に巻き起こった恐怖を誤魔化す為に、慌ててストレージに保管している予備の弾倉と弾薬及び自分が使用する自動小銃の状態確認を始めたと同時、隣の車両から爆発音と振動が伝わって来た。

 そしてその直後に隣のコンパートメントからそれとは別にもの凄い破壊音が響いてきたのである。





 ◆





 同時刻、一等客車の先頭車両である一号車と貴賓車の連結部では熾烈な銃撃戦が繰り広げられていた。


「後方の車掌車とはまだ連絡が取れんのか!?」

「駄目です!
 先程から何度も伝送器で呼び掛けていますが、一向に応答がありません!」

「糞! 何ということだ。
 よりにもよってこのようなときに襲撃など……!」


 銃弾が飛び交う中、貴賓車を護衛の主力である鉄道公安隊とその補助役である治安警察軍の彼らは必死になって貴賓車と一号車との連絡通路を守っていた。

 定時連絡を行うよりも前、貴賓車前方に連結されている前方車掌車で監視任務に就いていた鉄道公安官が車両上空の異変に気付いて報告を入れようとした直後に後方車掌車との連絡が取れないことに気付く。

 それから僅か数分後にいきなり正体不明の集団がこの貴賓車と一号車とを繋ぐ連絡通路へと殺到して来て銃撃戦が始まったのである。

 こちらの被害は連絡通路を警備中だった鉄道公安官二名が殉職し、銃声を聞いて現場に駆けつけた治安警察軍の兵士一人が重傷を負っていた。

 そして今、こうやって狭い通路で一進一退と言うには非常に分の悪い防衛戦を続けながら彼ら公安官達は後方車掌車と連絡を取ろうとしていたが、こちらからの呼び掛けに対して伝送器は沈黙を守り続けている。

 しかも、連絡が取れないのは後方車掌車だけではなく、食堂車や二等客車で警備中の公安官達とも一切の連絡がつかないのだ。

 そのような状況に対して貴賓車で対応に当たっていた公安官や兵士達は全員が愕然とした表情を浮かべている中、ただ一人だけが別の表情を浮かべていた。


「そいつは違うぞ」

「ガーランド保安官?」


 公安官や兵士達に混じって違う制服を来た者がこの場を指揮していた今回の警護責任者である鉄道公安隊のクルツ主席へ落ち着いた口調で話し掛ける。


「こんなときだからこそ襲撃されてんだよ。
 じゃねえと、こんだけの護衛が乗り込んだ旅客列車が襲われるわけねえだろうが」

「それは……」

「相手は間違いなく玄人プロだ。
 他の客車の制圧はついで。 
 明らかにはこの車輌一点狙いで襲って来てるぞ」

「それはまさかとは思いますが……来賓の情報が漏れていたということですか?」


 警保軍所属ルーク・ガーランド独立上級正保安官の話には暗に裏切り者がこの身内の中に存在していることを示唆していた。


「そういうことだな。
 この貴賓車に乗っているが誰なのかを連中は知っていると考えるべきだろう」

「では……!」

「十中八九、こっちの誰かが漏らしてるだろうぜ。
 恐らく、この貴賓車の内部構造や警護計画、その他諸々も込みでな……」


 ガーランド保安官から聞かされた内容は恐るべきものであった。今、貴賓車と一号車との連結部で撃ち合っている相手にこちらの手の内が完全に知られてしまっているという事実。

 何とも厄介な事態ではあるが、問題はそれだけに留まらない。

 ガーランド保安官の推測によると、こちら側に内通者――――つまりは裏切り者がいるかもしれないという事実が鉄道公安官や治安警察軍兵士らに動揺を与えてしまっているのだ。


「でもって連中の狙いは例のお偉いさんの拉致が目的だろうよ。
 拉致して何を成そうをしているのかは分からんがな……」


 そう言いつつガーランド保安官はビラール公安官に対して背を向ける。代わりに向き合ったのは己と同じ制服を着た若い独立保安官補であった。


「おい! お前は姫さんにぴったり張り付いとけ。
 俺は連中と少し遊んでくる」

「はっ! 了解しました!」


 見送りの敬礼を受けつつ、部下からを受け取ったガーランド保安官は分厚い布でぐるぐる巻きにされていたの梱包を解き、手にズッシリとくるその重さを実感しつつ、今も銃撃戦が続いている貴賓車後方部へ悠然とした足取りで向かって行った。





 ◆◆





「退がれぇ! 退がるんだ!!」」

「糞が! 魔法障壁の所為でこっちの弾が通らんぞ!!」

「多分あの中に魔族か魔導師がいるんだ!
 見つけ次第、集中的に弾を叩き込め!」


 防衛に当たる鉄道公安官達は列車の中での銃撃戦という事態に対して明らかに慌てふためていている様子がこちらから見ていてもよく分かった。


「やはり警察関係者羅卒は戦闘慣れしていないな。
 技量だけで言えば、まだそこら辺の兵卒がに思えてくるぞ。
 この調子で行けば制圧も直ぐに終わるか?」

「でしょうね。
 まあ、人数も武器の数もこちらの方が勝っていますから。
 それに公安官らの撃つ弾が我々の魔法障壁を抜くことは不可能に近いでしょう」

「だな」


 銃撃戦を仕掛けた張本人達――――リグレシア皇国親衛隊省武装親衛隊本部直轄第二四襲撃撹乱大隊副長のクルーガー大尉と第一小隊長であるノバック中尉はなんとも緊張感の欠片もない様子で話をしていた。

 まあ、銃撃戦とはいえ相手の撃つ銃弾はこのクルーガー大尉の展開した魔法障壁によって全て防がれてしまうのに対し、彼らの撃つ銃弾は障壁を突き抜けて相手側に当たってしまうのだから反則もいいところだろう。

 そんな状況にも関わらず相変わらずこちらへ向けて銃を撃ってくる公安官達だったが、彼らの銃を撃つときの銃声に混じって数倍大きな発砲音が響いてきたのはこれまで彼ら魔族達ですら聞いたことのない代物だった。

 それだけであれば大して気になるものではなかっただろうが、そうは問屋が出庫停止処分である。

 クルーガー大尉が展開した魔法障壁に命中したそれは多少の抵抗があったものの、障壁を貫通してその向こう側にいたノバック中尉を文字通り粉々に吹き飛ばしたのだ。


「何ぃ!?」

「え? ノバック小隊長殿!?」

「爆弾だ! 伏せろぉー!!」


 誰が言ったのか定かではないが、『爆弾』という言葉にこの場にいた全員が反応して各々が防御体制をとるが、先程と同じ発砲音……いや、砲撃音が響いた直後に何かが破壊される破砕音と絶叫が通路に響き渡る。


「ぎゃあぁぁーー!!」

「腕がぁー!」

「衛生ーっ!!」

「障壁を再展開しろっ!!」

「はっ!」


 現場は死屍累々の様相を呈していた。敵の攻撃により胴体を粉砕されて頭とそれぞれの手足が四方八方に飛び散っている死体、腕が吹き飛んでしまいショックで床を転がりつつ大量の血を流す者、応急処置の為に衛生兵を呼ぶ小隊員、そんな彼らの傍で冷静に指揮をとるべく指示を下すクルーガー大尉とそれに応える先任下士官の曹長。

 そんな彼らを嘲笑うように更なる攻撃が彼らへ襲い掛かって来た。


「うわぁっ!?」

「何だあの銃は!?
 完全に防護障壁を抜いてきたぞ!」


 この混乱の中誰かが異変に気付いたらしく、砲撃のあった方角を指差しつつ大声で叫ぶ。

 クルーガー大尉がその声に釣られて視線を向けた先には巨大な――――それこそ人間種の子供の拳が簡単に入ってしまうくらいに大きな口径を持つ銃……というか砲を構えたシグマ大帝国の保安官が貴賓車の通路上に悠然と立っていた。

 異様な風体をした保安官だった。
 見た目にはシグマ大帝国内務省警保軍の制服を着用しているものの、身に付けている装備はクルーガー大尉達の知るそれとは全く違うものを身に付けていた。

 通常の保安官ならば片手剣サーベルの他に警保軍標準装備用の拳銃を装着している筈だが、あの保安官は魔剣と思われる両手剣を佩用し、拳銃も明らかに大型で大口径のリボルバー回転弾倉式拳銃を装備している。

 そして何よりもあの保安官から漂う殺気や気迫は彼が只の保安官でないということをはっきり物語っていた。


「どうします?」

「どうするもこうするもないだろう!
 情け無い話だがの砲弾が我々の展開する防護障壁で防げぬとなれば少佐殿にお任せするしかあるまい……」


 今頃、少佐こと我等が大隊長殿は自分達の直ぐ後方において例の上級魔族と一戦を交えている筈だが、クルーガー大尉以下第一小隊の全員が彼女の勝利を確信していた。

 何せその為に途中の停車駅だったカティン市で転移魔法の陣を使用して態々本国からやって来たベルグマン中尉に対上級魔族用の兵器を持って来させたのだ。

 二十一年前の事とはいえ、あの殲滅魔将を魔力の暴走で研究施設ごと消し飛ばした実績を持つ対上級魔族用の魔力逆転装置から得られた記録データを基に製作されたものなのだから、並みの上級魔族では太刀打ち出来る筈もないだろう。

 そういう裏事情を知っているクルーガー大尉は、たかが人間種の保安官相手に情けないとは思いつつも、確実に任務を完遂する為に己の上官の力を頼るという判断を下したのである。


「では……」

「一時撤退だ。 
 後退するぞ! 後退! 後退っ!」


 そして彼らは清々しい程の素早さでもって自分達の持ち場を放棄したのだった。





 ◆◆





「……っち! 逃げやがった」


 公安官達が先の銃撃戦のときに築いた即席の遮蔽物バリケードへ身を隠しつつ、次弾を装填して再び射撃を開始しようとしたときには相手の姿は既に見えなくなっていた。

 相手がさっさと退却したことに対して舌打ちするガーランドだったが、直後に自分の名前を呼ぶ聞き慣れた声を耳にして直ぐにその怖い表情を打ち消して声が聞こえて来た方向へと振り向いた。


「ガーランド保安官!」

「お?
 お前、姫さんに張り付いとくように言っといただろう」


 声の主は直属の部下であるビラール独立保安官補だった。
 彼の右手には二連銃身型の散弾銃が握られており、左側には茶色い厚手の布で織られた袋を持っている。


「姫殿下は公安官らが周囲を固めていますので応援に来ました。
 これ予備の弾薬です」

「おう。
 別に態々応援に来る必要性はなかったんだがなぁ……」


 「まあ、いっかぁ……」と言いながら若い保安官補の部下から予備の弾薬を受け取ったガーランドは頭をボリボリと掻きつつキャンペーンハット帽子を被り直す。


「ところでその….…異様な形状の銃は一体何なのですか?」

「こいつか?
 装備課が試作したゲテモノで、今は俺の私物だ。
 万が一のことを考えて前の駅で停車していたときに急遽転移魔法の陣を使って本省から地元の保安官事務所へ送って貰っていたんだが、まさか直ぐに出番が来るとは思わなかったぜ」

「はあ……?」


 ビラールは己の上司が先程まで盛大に射撃していた銃を見やる。

 口径は凡そ五十ミリ程だろうか?

 鋼鉄製の分厚く重い銃身に中折れ式の構造を持つ銃は日本人が見れば警察の機動隊が装備している37mm口径のガス銃を連想させる外観を備えていた。

 だが、機動隊のガス銃よりも口径・サイズ共に一回り大きいこの武器は『銃』というよりは『砲』と呼んだ方がしっくりくるだろう。

 それくらいにこの銃は厳つい雰囲気を周囲へ振り撒いている。

 おまけに機動隊のガス銃と違って照星と照門のサイズが大きく、銃を構えれば直感的に目標への照準を定め易い構造になっている。

 だが、最大の特徴は形状ではなく銃口付近にあった。

 外観からは全くわからないが銃口の直下にある先台の先端内部には球状に加工された水晶のような特殊な魔法石が埋め込まれており、これが銃の引き金と連動して銃口の直前に三つの魔法陣が瞬時に出現する仕掛けになっている。

 そして口径五十ミリという大口径の銃口から発射された銃弾というには大き過ぎる弾体がこの魔法陣の中を突き進むと風魔法の作用により、超音速に匹敵する加速力を次々に与えられて飛翔していく。

 所謂、地球でいうところの超電磁砲レールガン兵器に相当するような銃器で、大掛かりな装置や膨大な電力を必要とせず、火薬の燃焼によって飛翔する弾丸を三つの魔法陣の中を進ませるだけで良いのだ。

 本来であれば黒色火薬使用する上に大きくて重い弾体を発射するのだから、初速も低くなり射程も短くなるため魔族の展開する魔法障壁を突破するには役不足ではあるものの、扉などの障害物を破壊するくらいには使えるこの銃が少し発想を変えるだけで立派な対魔法障壁用の兵器として運用出来ていた。

 お陰で超音速に匹敵する初速と威力を得たことで並の中級魔族や長耳族の展開する魔法障壁程度であれば物理的な力業のごり押しでもって障壁を貫通させることが可能になったのである。

 しかも、魔法を使用するため大電力の使用によるプラズマ化などで銃身や弾体が溶解したり変形することがないので安定した射撃が行えることを可能としていた。

 だが、射撃時の衝撃と銃本体の重量は中々なものなので、それに耐えられるガーランドの人並外れた腕力と体力にビラールは内心畏怖の念を覚えていた。

 
「よし! 一旦戻るぞ」

「は? 追撃するのではないのですか?」

「んなわけないだろう!
 俺達の任務はあくまで姫さんの警護だ」

「はあ……?」

「さあ!
 通路出入り口の防備を固め直したら持ち場へ戻るぞ」

「はい!」

(まあ、一等客車にはあの上級魔族怪物がいるんだ。
 撤退したってことは嫌でも確実に鉢合わせすることになるんだろうが……追撃した挙句に連中とのドンパチに巻き込まれたらそれこそ本気マジでたまったものじゃねえからな)


 追撃を行わないことに対して『暴風のガーランド』という物騒な二つ名を知る保安官補はガーランドが襲撃者の追撃を行わずにさっさと貴賓車の奥へと戻ることに対して不思議なものでも見たような顔を向けてきていたが、当の本人はそれどころではなかった。

 部下がやって来たことで銃撃戦の興奮冷めやることのなかったガーランドは一息付けたことで冷静になることができた。

 よくよく考えてみれば一等客車の一号車には魔王領からやって来た高位上級魔族である女魔導将軍がいるのである。もしあの女将軍がこの前のように大規模攻撃魔の陣を展開したら正直言って危険どころの話ではない。

 しかも、あの時と違って状況が状況である。
 帝都ベルサにおいて治安警察軍や憲兵隊を相手にした警告や脅迫の為ではなく、本気で敵を制圧する為に己の持つ全魔力を平気で解放することだろう。

 そうなってしまってからでは全てが遅過ぎるのだ。
 下手すると一号車どころか全ての編成車両を機関車ごと粉々に消し飛ばしかねないとガーランドは考えていた。

 そして後にガーランドはこのときの考えが正解であり誤りであったという考えに至ることになるなど夢にも思わなかったのである。





 ◇





 ガーランド保安官が銃撃戦を終えて貴賓車へと戻るよりも少し前の時間、室内が爆破によって見るも無惨な状態へと変わってしまった一等客車の一号車内にあるコンパートメントではこの世界には存在しない複数の銃器が自分達の本来の意味での異世界実戦初デビューの時を今か今かと待っているところだった。


「準備は良いかしら? 孝司」

「ああ。 も準備が整ったところだよ、アゼレア」


 自動拳銃CZ75を右手に持ち、薬室の点剣を終えたアゼレアはこちらに対して準備完了の確認を行い、俺は引き切っていたボルトのコッキングレバーを離す。

 するとボルトキャリアーに連結されているボルトがバナナ型マガジンの一番上に位置している初弾を前方へと運び去り、勢いよく薬室を閉鎖した。


「じゃあ、行くわよ」

「うん」

「取り敢えず先頭車両へ向かうわ。
 状況を把握するにしても、先ずは機関車が敵の手に落ちていないかを確認して無事であればそれで良し。
 敵の手に落ちているようだったら、排除して機関車を停車させる必要があるわね」

「分かった」


 俺とアゼレアは、お互いに気配を殺しつつ先程の襲撃によって扉が既に存在していないコンパートメントを出ていく行こうとしたが、何かに気付いたアゼレアが左手で静かに「止まれ」の合図をこちらへ送る。
 


「……来るわよ!」


 アゼレアがそう言った瞬間、複数の銃から撃ち出された銃弾が俺達を襲う。だが、その全てがアゼレアの展開した魔法障壁によって防がれて塵のように消え去ってしまう。


「ぐわっ!!」

「曹長ッ!!」

「構うな! あの女魔族を集中的に叩け!!」

「撃てぇっ!! 撃ちまくるんだ!」


 銃撃を己の魔法障壁で受け止めている間に撃ち返すアゼレア。その銃弾を胸部に受けてもんどり打って倒れる仲間のことなどお構いなしに更に多くの銃弾を浴びせてくる敵の集団とその指揮官である銀髪の少女。


「孝司、後ろから来るわよ!」

「了解!」


 気配を感じとったのか、はたまた足音を吸血族の持つ鋭敏に耳で聞き取ったのか、依然として猛然と拳銃を射撃中のアゼレアがこちらへ振り返ることなく声だけで我々へ迫る新たな脅威に対する警告を発し、俺はそれに応える。


「ふっ!」


 短く息を吸い、アゼレアに背中を預ける状態で俺は自動小銃ことAKー74を躊躇なく射撃した。


「何っ!?」

「ぐぶ……!」

「伍長死亡!!」


 2号車へと続く通路の角から姿を現した敵を視認した瞬間に引き金を引く。セミオートで撃ち出された5.45mmワルシャワパクト弾が男達へと襲い掛かる。

 ダットサイト越しに見えたのはこちらに対して驚いたような表情のまま倒れていく男の姿だった。

 だが不思議だったのは彼らが通路の角から姿を見せたとき、先頭に立っていた男はこちらを狙っているというよりも何かに追われているような焦った表情を浮かべていたことだ。

 その為、彼がこちらに気付いたときには既に発射されていた5.45mm弾が奴の身体へ突き刺さり、その弾丸が持つ特異な内部構造で持って筋肉や内臓、神経組織や血管をズタズタに引き裂いている最中だった。


「敵だ! 撃て撃てぇ!!」


 先頭の男を奇襲的なタイミングで撃ち倒されたのに対して2人目の男は状況を理解して直ぐに身を隠して仲間と共に応戦してくるが、全ての銃弾がアゼレアの展開する魔法障壁によって防がれてしまう。

 そして俺はお返しとばかりに今度はフルオートで銃弾をお見舞いする。


「うおおぉぉーーーー!?」

「何だあの銃は!?」


 嵐のように襲い掛かってくる無数の高速ライフル弾と客室や通路の壁を楽々と貫通して来る威力に男達は恐慌状態へと陥っていたが、無理もないことだ。

 俺が現在射撃中のAKー74は通常の姿を持つAKー74ではない。木製のストックは折り畳み可能な航空機用アルミニウム合金製のストックへと交換され、ベークライト製のピストルグリップも同じアルミ合金製のピストルグリップへと交換されている。

 木製のハンドガードは上下共にアルミ合金製の物に換装し、特にハンドガード上部はトップカバー前半分までを覆うくらいに長く突き出た大型のものが装着され、フラッシュハイダーも突起の付いた厳つい形状の物に交換した姿はさながらSF映画『エイリアン』に登場しそうな雰囲気へと仕上がっている。

 アルミ合金製のハンドガードには同じ素材のバーチカルグリップとフラッシュライト、可視光と不可視光の切り替え可能なレーザーポインター、そしてダットサイトが装備されている。

 そんなゴテゴテとした異様で威圧感が半端無い姿へ変貌したAKー74を手に俺はマガジンを交換して更に銃弾を撃ち込んでいく。

 弾薬は無限にあるし、銃は絶対に壊れないので銃身の加熱を一切気にせずフルオートで一方的に銃弾を撃ち込む俺だったが、この銃弾の嵐に晒される方はたまったものではない。


鉄道公安官が掃射銃を列車へ積み込んでいるとは聞いてないぞ!」

「そんなの知りませんよ!」

「准尉殿!!
 こちらが一発撃ったら10発以上撃ち返されてしまうんじゃ、これでは勝負になりませんよ!」

「泣き言は聞きたくない!!
 俺が防護障壁を展開して突撃するから、お前達はその隙に援護射撃をして敵に射撃させるな!」

「了解しました!」

「良し! 行くぞぉ!」

「はっ!」


 中級魔族の准尉に率いられた彼ら第二四襲撃撹乱大隊第二小隊の生き残りと第一小隊から回された衛生官を含む数名は伝令役だった第二小隊の伍長を失いつつも、すかさず態勢を立て直して突撃の構えを見せていた。

 手順はこうだ。
 先ず衛生官である中級魔族の准尉が魔法障壁を展開して突撃し、その隙に曹長以下三名の下士官達が援護射撃で相手の銃撃を妨害する。

 中級魔族の身体能力であれは列車一両程の長さの距離であればほぼ一瞬で間合いを詰めることなど不可能では無い。

 なので、相手の男へ肉薄した准尉がすかさず短剣で制圧し、そのまま所持している発破火薬ダイナマイトで傍にいる上級魔族に対して自爆攻撃を仕掛けるというものだ。

 この咄嗟に思いついた無謀とも言える作戦だが、通路状に上級魔族がいる状態では逆立してもこちらへ万に一つの勝ち目も無いので、撃ち殺されるくらいならばせめて少しでも抗って敵の数を減らしておこうという苦肉の策なのである。

 なのだが……この無謀とも言える即興立案の作戦は一番最初から破綻することとなる。


「え? 何で?」

「障壁が!?」

「な、何で防護障壁が効かないんだ……?」


 相手の銃から撃ち出されて飛翔して来た銃弾が准尉の展開する魔法衝撃へ接触した瞬間、障壁を粉々に破壊してそのまま准尉の身体へ命中したのである。

 理解出来ない言わんばかりの表情のまま血で染まった通路へと沈む准尉だったが、その光景を見ていた曹長以下三名の下士官と兵達は今一度通路の角まで戻って潜めようとしていた。


「曹長っ!
 何か知りませんが、この状況は非常に不味いですぜ!」

「糞ったれめ! 一度後退して態勢を立……」

「曹長ぉーーっ!?」


 突如響いた銃声と軍曹の悲鳴に近い叫び声が通路に木霊する。
 彼らは忘れていたのだ。


 ――――自分達が何故、一号車へと戻る選択を選んだのかということを……


「悪く思わないで下さいましね?」

「がっ!?」


 再び響いた大きな銃声と申し訳なさそうなふりを装った女の美しい声が重なるが、その時には既に声を聞いた軍曹は頭部を吹き飛ばされた直後だった。


「カルロッタ、そちらは如何ですか?」

「はっ。 たった今、片付きました」


 ベアトリーチェの問い掛けに対して制圧の完了を報告するカルロッタだったが、彼女の右手には短小銃の代わりにサーベルが握られており、その刀身はベッタリと付着した赤い血で汚れている。

 彼女の傍には腹を押さえ込んで青白い顔を晒したままの人間種の男が通路へ座り込むようにして絶命しており、カルロッタはサーベルを軽く振って刀身に付着した血液を弾き飛ばす。

 その様子を静かに見送っていたベアトリーチェは満足気な表情を浮かべた顔でカルロッタへ話し掛ける。


「大変結構ですわ。 それでは……」

「動くなぁ! 武器を捨てて手を上げろ!!」


 だがそのような余裕も突如響いた男の声で吹き飛ばされる。ベアトリーチェの耳に響いてきたのは聞き覚えのある若い男の声だったが、彼が銃と思しき厳つい見た目をした武器をこちらへ警告しつつ指向して来たので、彼女は咄嗟に自分達を撃たないように大きな声を張り上げつつ、拳銃を握ったまま両手を上げる。


「ちょっと待って下さいまし!
 わたくし! 私達ですわ!」

「え? ベアトリーチェさん!?」


 ベアトリーチェ達へ対して彼女達にとっては見たことのない厳つい雰囲気の銃を向けているのは『榎本 孝司』であり、その俺が構えている自動小銃AKー74の銃口の先にいたのは見覚えのある女性――――聖エルフィス教会の監察司祭であるベアトリーチェさんとその部下の衛士であるカルロッタさん達だった。
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