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第32話 酒場

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「すまなかった!」

「ええぇっ……!?」


 帽子を脱いで深くお辞儀をして謝罪の言葉を述べる警保軍のガーランド独立上級正保安官を前に、俺は何が一体どうなっているのか解らずに慌てていた。

 ここはシグマ大帝国の帝都ベルサから西へと離れた場所にある旧ティレノール領カティン市の街中にある警保軍保安官事務所の会議室の室内だった。

 その室内において、俺はガーランド独立保安官から謝罪を受けていた。
 俺と彼が会議室へ2人きりで入って、扉の鍵がガーランド本人によって閉められた直後からコレなのである。


「人違いだったとはいえ、君に銃や魔導砲を向けてあまつさえ発砲するなど、危険な目に合わせて本当にすまなかった!
 謝って済む問題ではないが、誠に申し訳ありませんでした!!」

「あの、いえ、うん? え、えぇ……?」


 あの広場で俺に剣を突き付けつつ、こちらに伝えておきたいことがあるというのはコレのことだったのかと俺は若干慌て気味な頭の中でこれまでの出来事を整理していた。

 ただ、このままでは話が全く前に進まないので、俺はガーランド保安官に頭を上げてもらうことにして事の経緯を聞いてみることにする。


「えっとぉ、あのガーランド保安官殿?」

「な、何だ?」

「部屋に2人きりで入るなり、いきなり謝罪されても訳が分からないのですが、とりあえず順を追って説明していただけますか?
 そうじゃないと、こちらとしても話が見えてこないので……」

「そ、そうか。 そうだよな。 う、オホン! 実はな…………」


 気を取り戻すかのように一度咳払いしたガーランド独立保安官は俺に目をジッと見てポツポツと話し始めた。





 ◇





「なるほど。
 要するに僕は憲兵隊や情報省、警保軍の思惑に巻き込まれてしまったということでしょうか?」

「う、うむ。 端的に言えばそうなるな……」


 俺からの確認に辿々しくも頷くガーランド独立保安官。
 彼から聞かされた内容はとんでもないものだった。

 身内から出た連続殺人鬼の罪をこちらに擦り付け、俺を犯罪者へと仕立て上げて亡き者にしようと画策する帝国軍憲兵達と、それに乗じて俺の持つ銃器を狙おうと暗躍する情報省、更にその状況を利用して準軍事組織から正式な捜査機関への脱却と昇格を図る内務省と警保軍。

 俺はそんな軍人や役人達の持つ様々な思惑や綱引きに見事巻き込まれてしまったらしい。

 しかも、ガーランド独立保安官が俺とアゼレアに攻撃を加えたのも、警保軍上層部が一連の騒動を表面化させて憲兵達に痛打を与えるのが目的だったらしく、俺が連続殺人鬼ではないという肝心要な情報は意図的に伏せられていたようで、それを知ずに彼は俺とアゼレアがいる宿へ捕縛に向かったというのが真相のようだ。


「ハァー……」

「ど、どうした?」

「いえ。 と言うことは、ガーランド保安官は俺から見たら加害者でもあり、騒動に巻き込まれた被害者でもあるということですよね?」


 俺の質問に対してガーランド独立保安官は静かに頷く。
 あれだけの破壊行為を受けておきながらこう言うのも何だが、俺と違って彼こそ下手したら無実の外国人を殺害しかねなかったのである。
 それも、もしものことがあれば彼一人に全ての責任を負わせて……


「これって許す許さないの次元を超えていると思うのですが?」


 この国の一部の軍人や役人達の思惑に巻き込まれてしまったのはお互い様とはいえ、これは幾ら何でも酷すぎる。もし、アゼレアの耳に入れば彼女単独で帝都へと戻って憲兵隊本部や警保軍、情報省本庁舎を吹き飛ばしかねない危険性を孕んでいる。


「だがしかし、君に銃を撃ったのは揺るぎない事実だ。
 もし君が俺を治安警察軍なりに告発するというのならば、俺は君を止めたりしない。
 場合によっては警保軍を辞める覚悟だ」

「いや、そこまで……いや、うーん……?」


 ガーランド保安官の謝罪は本気だった。
 先程の強制的な連行はこの際、脇に置いといて、彼は自分が犯罪者として逮捕されることを覚悟してこちらに精一杯の謝罪をしているのだ。

 本来ならば、自分を貶めた警保軍に責任転嫁するなり言い訳をするなりして形だけの謝罪を行なってもおかしくないのに、彼は全責任は自分にあると言わんばかりに謝罪している。


「分かりました。 情報の伝達能力が乏しいこの世界のことですので、この件は不問にしましょう。
 本当は相手の弱みにつけ込むような真似はしたくはないのですが、ガーランド保安官殿にお願いしたいことがあります」

「何だ? 俺に出来ることならば、何でも言ってくれ」


 俺も殺されそうになったからと言って、そこまで謝罪を求める程鬼ではないし、理不尽なクレーマーのように人間が腐っている訳でもない。

 この世界を巡って旅を続けて行くに当たり、余計な恨みは買いたくないという思いもある。
 だからこそ提案するのだ。

 自分の職と家族の運命まで賭した謝罪を行う、この馬鹿が付くほどに真面目で正直で、荒事に長けた保安官を自分の味方へと引き込む為に、相手の弱みに付け込むような卑劣な行為を行う。


「それはですね…………」


 全ては自分に任せられた神の依頼を遂行する為に…………





 ◇





「お待たせ」

「孝司、大丈夫だった!?」


 扉を開けて部屋を出ると、案の定、アゼレアがいの一番に心配の声を掛けて来るが、それよりも俺はある光景を見て体の動きが止まる。


「大丈夫だったけど。 ……皆んな、何してるの?」

「おう! お前さん、このクローチェ閣下の知り合いだよな!?」

「え? ええ、そうですが……」

「すまねえが、閣下をどうにかしてくれ!
 さっきから、お前さん達がいる部屋に入るって聞かねえんだ!」


 目の前で繰り広げられている光景。
 それは先程、俺に必死の形相で声を掛けて来た冒険者風の格好をしている屈強な男性を筆頭に数人の保安官達がアゼレアに組み付いて彼女の動きを止めている光景だった。


「す、凄い力です! け、結界が…………!!」

「くっ! う、腕が! 千切れるっ!!」

「まあまあ! 皆さま、落ち着いて下さいまし」

「ええい! 第一分隊、前進っ!! 掛かれぇー!!」

『うおおぉぉーーーーっ!!』


 数人の屈強な男達が組みついて団子のような状態になっているアゼレアと、彼女の動きを魔法の結界で更に抑えている魔導師の男性の姿に、何処か楽しそうなベアトリーチェの呑気な声。

 そして応援として到着した制服を着込んだ保安官達数人が畳み掛けるようにして、団子状態のアゼレアへと突撃して行く様は傍から見れば、完全にコントそのものの状態だった。

 が、当人達は至って真面目である。
 絶世の美女と言って差し支えないアゼレアの体に組み付いていると言うのに、男達の顔は本気そのもので、不純な気持ちを一切持たずにこの非常識な事態に対応していることは雰囲気で分かる。

 魔導師の男性もパッと見はアゼレア達へ両手を向けて拘束用の結界を張っているだけの楽な仕事のように見えるが、彼の顔は汗でびっしょりと濡れており、病気なのかと疑ってしまいそうな程に蒼褪めていた。


「ええいっ! 
 洒落しゃら臭い!!  あなた達邪魔よ! 退きなさい!!」


 だがやはり、人間の力では幾ら束になって掛かろうとも、魔王を超える魔王という存在へと進化しているアゼレアには敵わなかった。彼女の裂帛の気合と共に響く怒号と、その体からダイレクトに放出される魔力によって結界が破断し、直後に魔力と腕力によって組み付いていた男達が全員吹き飛ばされ、絶叫が迸る。


「うわっ! 結界が!?」

「どわぁっ!?」

『ぎゃひぃーっ!!』


 正に阿鼻叫喚の状態となった警保軍保安官事務所の広間ロビーは燦々たる有様だった。結界が弾けた際の余波で魔導師の男性は壁際へと吹き飛ばされて背中を強打し、アゼレアに組み付いていた保安官らも交通事故に遭ったかのような状態で床に倒れており、その内の何人かは気を失っていた。


「ひいぃ!! アゼレア!? って、ふむぅぅーー!?」

(おいぃぃーー!? 皆んなの前で、何してるのよ!? アゼレア!!)


 当のアゼレアはと言うと、数メートル離れていた俺との距離を一瞬で詰めて抱きついて来たかと思えば、両手で俺の顔を挟み込み、こちらの目を真っ直ぐに見つめてそのまま接吻キスをしてきたのだ。


「あらあら、凄いことになっていますこと」

「むうぅぅ……!」


 ベアトリーチェのうっとりした声など気にならないかのように繰り広げられる激しい接吻は軽く1分以上続いた。それも唇をくっ付け合うような軽いものではなく、とてもではないが子供には見せられない過激な唾液交換そのもので、その行為は会議室の中を片付けていたガーランド独立保安官が部屋から出て来るまで続いた。


「おいおい、こりゃあ一体何が起きたんだ?」


 ガーランド独立保安官の目に映ったのは訳が分からない光景であった。
 広間には襲撃でも受けたかのように死屍累々と言った様子で横たわる知り合いの冒険者や保安官達。

 かと思えば、壁際には気を失った状態で座り込んでいる魔導師を介抱しているエルフィス教皇領の衛士に、目の前では見ているこっちが恥ずかしくなりそうなほどに激しい接吻をしているタカシエノモトと連れの女魔族、その二人の破廉恥な行為をうっとりした表情で見つめている教皇領の特高官ときた。


「さあ……何が起きたんでしょうね?」

「孝司、大丈夫だった?
 この保安官に脅されたりとか、銃を突きつけられたりとか乱暴なこと何かされてない?」


 ガーランド独立保安官の問い掛けに対してアゼレアが仕方なさそうに唇を離すと“ちゅぽん!”と音が聞こえる。俺はと言えば、この不可思議な事態を飲み込めずにいたが、こちらの返答など知らないとばかりにアゼレアは俺の顔や体をペタペタと触ってボディチェックさながらに怪我の有無を確認していた。


「おい、俺様を何だと思ってるんだ。
 こう見えても、俺はれっきとした警保軍の保安官だぞ」

「うるさいわよ」

「アゼレアっ!?」


ガーランド独立保安官の言葉に気を悪くしたのか、アゼレアは目にも留まらぬ速さで腰に吊っていたホルスターから自動式拳銃を抜いて彼の顔面に照準を合わせる。アゼレアとガーランドは互いに睨み合い、両者の間に見えない火花が飛び散り、広間は一瞬にして殺し合い一歩手前の緊張感に満ちていった。


「…………何のつもりだ?」

「孝司を殺しかけたあなたがそんなこと言っても、何の説得力もないわよ。
 あなた、もしあのとき孝司が死んでいたり重傷を負っていたら……あの帝都の街がどうなっていたか理解しているのかしらぁ?」


 先程とは打って変わって、異常なまでの殺気を感じ取り、倒れていた保安官達が反射的に銃やサーベルを持って立ち上がる。


「ガーランド保安官!!」

「手を出すな! こいつは俺の問題だ。 外野は引っ込んでろ!!
 絶対に手を出すな。 この街の人間全てが皆殺しになるぞ!」


 見れば、自分達の仲間であり、警保軍切っての独立保安官が魔族の軍人に拳銃の銃口を向けられているのだ。その光景を目の当たりにした保安官達は自分らが持つ武器を構え、女魔族を包囲するように陣形を形成し始めるが、その動きを見たガーランドは彼らの動きを制止した。

 目の前にいる魔族はここにいる保安官達だけでどうにかなる存在ではない。下手に刺激すれば被害はこの建物だけでは済まないだろうことは明白だった。


「そういうこと。 あなたの軽率且つ短絡的な行動で帝都が危うくそうなるところだったのよ?」

「てめえ、魔王領の軍人だろ? 友好国の軍人がこんなことして良いと思っているのかよ?」

「あなたこそ、何か勘違いしていないかしら?
 魔王領とシグマ大帝国は友好国であって、同盟国ではないわ。
 それにこの国を含めた人間種主体の諸国家が魔王領や他の魔族国家を潜在的な脅威を持つ国とみなしているのを私達魔族が知らないとでも思って?」

「それは……」

「大体、貴国側から魔王領我が国に同盟を提案しておきながら、後になってウィルティアなどの周辺諸国に対する配慮から同盟締結直前に態度を翻したのは何処の誰だったかしら?
 そんな無礼があっても、魔王陛下はそのことを仕方の無いことだったと貴国に理解を示された上で水に流し、以前と同じように友好国としての関係を続けられているのよ。
 これくらいのことで文句を言われる筋合いはないわ。
 それとも?
 自分が他人へ銃口を向けるのは良くても、向けられるのは嫌だとでも言うのかしらぁ?」


 アゼレアの言った内容に対してガーランドは言葉が出なかった。
 彼女の正論過ぎる言葉に反論出来ないということもあるが、シグマ大帝国と魔王領との間にある問題は他の人間種国家と魔族国家にも言える問題だったからだ。

 シグマ大帝国は魔王領から各種魔導技術や農業技術を輸入しているにも関わらず、依然として軍事同盟は結んでいない。数十年前に現皇帝陛下が即位した際に魔王領との軍事同盟を結ぼうという動きが皇帝府を中心に巻き起こったが、ウィルティア大公国を始めとした人間種の列強諸国が揃ってシグマ大帝国に慎重な判断を求めたことから、条約締結の前日に約束を反故にしてしまった過去がある。

 本来ならば戦争になってもおかしくはない無礼な行為であったが、魔王本人はシグマ側の苦悩に一定の理解を示し、以前と変わらぬ付き合いを求めて来た。これに対し、皇帝以下、シグマ大帝国の首脳部は内心申し訳ないと思いつつも、魔王領側から抗議や報復がなかったことに安堵し、それまでと同じ付き合いを続けて行くことを選択する。

 そのような経緯があるため、アゼレアが下手をすればシグマ側に宣戦布告とも捉えられかねない過激な行動に走ろうとするのも無理はない話だった。両国の同盟締結が模索されていた当時、ガーランドは現役バリバリの冒険者で、アゼレアの方はというと当時は国防軍准将の地位にあり、吸血族大公家息女として同盟決裂騒動の舞台裏を直接知っている一人なのである。

 アゼレアとガーランド両者の『友好国』という言葉の捉え方に温度差が存在するのは、必然と言って良いだろう。


「それに関しては、俺達帝国人は魔王領に対して本当に悪いことをしたと思っている。
 あと、事件の真相を知らなかったとはいえ、確かにお前さん達二人に銃や魔導砲を撃ったのはすまなかった。 謝罪する」

「あのガーランドが頭を下げるなんてな。 こりゃあ、雷でも落るんじゃねえか?」


 他人が見ている中、あの『暴風のガーランド』と呼ばれて犯罪者達から恐れられているガーランド独立保安官が他国の、それも魔王領の軍人に対して深々を頭を下げて謝罪している様子は彼のことを知っている者達からすれば、正に青天の霹靂と言っても良い程に衝撃的な出来事だった。

 ガーランドが真剣に謝罪している様を見たスミスは茶化すような口振りで呆れていたが、同じ警保軍の保安官達は死人が歩いているところを目撃したかのように目を丸くして固まっている。

 そして謝罪を受けている側のアゼレアはと言うと、深くお辞儀していたガーランドの頭部に拳銃の銃口を向けたままジーッと彼の頭を見ていたが、不意に視線をこちらに向けて「どうする?」とでも言いたげな目をしていたので、俺は彼女の目を真っ直ぐ見据えて「水に流してあげて」という感情を送ると無言で銃をホルスターに戻してこう言ったのだ。


「…………孝司に免じて謝罪を受け入れることにするわ。
 でも、さっき自分に向けられた銃口のことはよく覚えておきなさい。
 次、彼を傷つけるようなことがあったら……あなた諸共、この国の何処かの街が一つ地図から消えことになるわよ?」

「…………肝に命じておくよ」


 ひとまずアゼレアがガーランドのことを許したことで、広間に満ちていた殺気を含んだ緊張感は急速に霧散して行く。そしてその空気を感じ取った冒険者風の男性がガーランド独立保安官に気安く話し掛ける。


「ところでガーランドよお?
 さっきの会話の中に銃や魔導砲なんて単語が聞こえたが……お前一体、閣下に何したんだ?」

「宿の部屋にいた私と孝司を扉の外から警告無しでいきなり魔導砲を撃ち込んで来た挙句、逃げようとする私達に向けて銃撃してきたのよ」

「それは本当ですかい? そりゃあガーランド、お前が悪い。
 閣下の言う通り、下手したら帝都が地図から消えてたかもしれないぜ?」


 アゼレアからガーランド独立保安官が俺と彼女に対して行った逮捕行為を遥かに逸脱していると言っても過言ではない行いに、スミスと呼ばれた冒険者風の男性は若干顔を青くしつつも、ガーランドの愚行を責める。

 あの時、アゼレアは帝都ベルサにひしめき合う各治安機関に対する警告として反魂魔法の術式魔法陣を幾つかの墓地に敷設したが、あれはガーランド独立保安官から逃げ果せた後のことだった。

 仮に宿での捕物のときに俺が怪我をしていたら、アゼレアは反魂魔法を使用するまでもなく戦術級軍用攻撃魔法で帝都を瓦礫の山へと変えていただろう。何せ、本人があの時点で使い捨ての発動術式無しで、戦術級・戦略級軍用攻撃魔法を使用出来る状態にあったと言っていたのだから、間違いない。

 しかし、当のガーランド独立保安官はというとスミスの言ってる意味が解らずに、彼に対して食って掛かっていた。


「意味が分からねえよ!
 それにスミス、さっきからこの女魔族のことを『閣下、閣下』と言っちゃあいるが、この魔族は一体何処の誰なんだよ?
 さっきの会話と身なりからして魔王領の軍人だというのは分かるが、『閣下』なんて……まるで何処ぞの将軍みたいな扱いじゃねえか」

「将軍だよ」

「ああ?」

「だ・か・らっ! このお方は魔王領の将軍様なんだよ!!」


 未だにスミスの言っている意味が理解出来ていないガーランドに業を煮やしたのか、彼はアゼレアを指差しつつ彼女が魔王領の将軍であることを口調を荒げながら伝える。


「何を素っ頓狂なこと言ってやがる……」


 それに対してガーランドは真剣な面持ちのスミスを見て呆れたような声を出して周囲の面々を見回していたが、アゼレア本人や俺、ベアトリーチェにカルロッタ、スミスの仲間である二人の男性らがコクコクと無言で首肯していたのを見て、彼が本当のことを言っているのだと理解したようだ。


「…………え? 何? もしかして本当なのか?」


 そして漸く状況が飲み込めてきたのか、ポカンとした表情を浮かべているガーランド独立保安官の眼前にアゼレアが制服の胸ポケットから身分証を開いて中身を提示すると、自動的に制服を着ているアゼレア本人の姿を高さ30センチ程に縮尺させた映像が国防省と国防軍の紋章シンボルマークを背にして空間へ投影される。


「アゼレア・フォン・クローチェ。
 魔王領国防省保安本部付魔導少将を拝命しているわ。
 これが、私の国防省発行の身分証よ」

「はあぁぁーーーーっ!!??」


 アゼレアの官性名を含む自己紹介を受けたガーランドの素っ頓狂な叫び声が、保安官事務所の建物をビリビリと揺るがした。





 ◇





「はあ!? 二十一年前の魔王領からやって来ただぁ!?」


 店内に店を揺るがすほどの大声が響き渡った。
 ここはシグマ大帝国の旧ティレノール領カティン市の城壁内に存在する立ち飲み屋の店内である。

 立ち飲み屋と言っても日本式の立ち飲み屋ではなく、スペインの『バル』にそっくりな形式を持つ店のようで、店内の客達が思い思いに様々な料理や飲み物に舌鼓を打っているところを見ると、酒類だけではなく珈琲や紅茶、ツマミなどの軽食から本格的な料理まで楽しめるようだ。

 店の出入り口から少し入った左側にはカウンターと立ち飲みが楽しめる場所があり、そこより奥には座って料理を食べることができる座席スペースが幾つか存在している。客達は皆、酒や料理を幸せそうな表情で飲食を楽しみ、時折、良い気分になった客が歌を紡ぎ、偶然楽器を持ち合わせていた他の客が即興の演奏を披露していた。

 だがそれも、ガーランド独立保安官の大声に店内の客や従業員達全員が食事や配膳の手を止めて目を丸くし、声が聞こえて来た方向へと視線を集中させている。

 そこには数人の男女がL字型のカウンターを囲むようにして立ち飲みを楽しんでおり、カウンターテーブルには幾つかの酒や珈琲、チーズや生ハムなどのツマミが載っているが、問題はそこではなく立って飲んでいる客達にあった。

 内務省警保軍の制服を着た男性保安官二人に魔王領国防省保安本部の将官用勤務服を着込んでいる女性魔族、聖エルフィス教会の高司祭であることを示す金色の聖印を首から提げている黒い修道服を着た若い女性と、彼女の傍に控えるエルフィス教皇領衛士庁の女性上級衛士、元軍人か傭兵を思わせる屈強な体つきの男性冒険者二人と彼らの仲間であろう魔法仗を持つ魔導師、そして何処ぞの貴族か企業経営者の子弟と思われる若い男性が一緒になって卓を囲んでいる。

 そんな異様な組み合わせの集団が店内へと入って来た段階でかなりの注目を集めていた。

 だが、客達の意識は次第に自分達の目の前にある酒や料理に集中し始め、店内の雰囲気が良い感じになってきたときに突然響き渡った大声で再び客達の意識が出入り口近くのカウンターへと向いてしまう。
 

「声が大きいわよ。 もう少し静かに話せないのかしら?」

「いや、声もでかくなるだろうよ!
 その魔導将軍様が何だってあの列車に乗っているんだ?」

「それはメンデルの大使館に行くためよ」


 それだけで大凡の理由を察したのか、ガーランド独立保安官は俺とアゼレアに対して特に理由も聞かずに一人納得した様子で錫製のジョッキに注がれていた麦酒ビールの残りを一気に飲み干し、盛大に溜め息を吐いたかと思えば、不貞腐れたように愚痴を漏らす。


「はぁ~っ!! ……ったく! 今回は本当に貧乏籤だぜ。
 ウィルティアのお姫様だけでも大変だってのによぉ!
 それに加えて魔王領の魔導将軍って……俺とコイツの手に余るわ!」

「ウィルティアのお姫様ですの?」

「ガーランド保安官殿、その件は……」

「ああ? コイツらだったら構わねえだろ。
 どうせ、遅かれ早かれ話は漏れるんだ。
 ここで話そうが、何処で言おうが関係ねえよ」

「は、はあ?」

「で、そのウィルティアの姫さんがどうしたって?
 何だって、そんな高貴な人間が列車に乗っているんだよ?」


 ガーランド独立保安官は直属の部下である若い独立保安官補に任務の内容を口外したことをやんわりと嗜められるが、ここにいる面子の殆どは小細工や誤魔化しが通用するような存在でないことは彼自身がよく知っている。

 そのためガーランドは部下の咎めを気にせずに、任務の内容に興味を示したベアトリーチェやスミスの質問に答えるように口を開く。


「ああ。 何でも、メンデルの市長の娘が病気で危ないらしくてな?
 その娘の見舞いに行くため、お忍びで列車に乗っているんだとさ……」

「見舞いですか?」

「ああ。 って、もしかしてお前、スミスの相棒か?」

「ええ。 ロレンゾと申します。
 今はスミスと同じクランで活動しています。
 こちらは同じクランのズラックです。 スミス共々、よろしく」

「よろしくな」

「おう!
 スミスの仲間なら既に知ってるだろうが、俺の名前はガーランドだ。
 こちらこそ、よろしく頼むぜ。
 んで話は戻るが、どうやらウィルティアのお姫様とメンデル市長の娘は元々、この国の魔法学校で同じ教室の学友だったらしい。
 その縁が今も続いているってことらしいな。
 でもって、俺とコイツは警保軍から派遣された追加の警護要員ってことだ」


 途中でロレンゾと名乗った魔導師の男性や、彼から紹介された禿頭に口髭を蓄えている冒険者風のズラック達との自己紹介を挟みつつ、ガーランド独立保安官は話を続ける。

 ガーランドの話を聞くに、どうやら俺達が乗っているあの列車にはこの国の重要な隣国である『ウィルティア大公国』のお姫様が、何らかの病気で危篤状態にあるメンデル市長の娘を見舞う為に密かに乗車しているらしい。

 
「なるほどな。
 そう言うことなら、お前はウィルティアのお姫様の傍にいなくて良いのかよ?
 彼女の警護が任務なんだろう?」

「あのお転婆姫様なら、今頃はこの街の市長宅で飯食ってるか寝てるかだ。
 流石に魔物が出没している可能性が無いとは言い切れない森に囲まれている駅に停車中の列車内は警護上不安があるからな。
 それに、市長宅の周囲は治安警察軍治警の連中が付きっ切りで警護してるから、俺達の出番はねえよ」

「要するに治警の連中に締め出されたんだろう?」

「五月蝿えよ!
 警保軍こっちから派遣されてる警護担当は俺とこいつのたった二人なんだぞ!
 しょうがねえだろうが!」

「ところでガーランド保安官、お忍びで来ているウィルティアの公女は第一、第二、どちらになりますの?」


 二人のの会話に割り込むような形でベアトリーチェがガーランドに御忍びで列車に乗車しているウィルティアの公女お姫様の序列について質問するが、それに対し彼は素っ気ない態度で答える。


「第一公女の方だ」

「ということは……シレイラ公女殿下ですのね」

「ベアトリーチェ様の勘が当たりましたね」


 ガーランドの答えがベアトリーチェの予想と当たったようで、カルロッタは自分の上司の勘が相変わらず鋭いことを喜んでいた。

 そんな彼女達を他所に、ガーランド独立保安官は自分達の隣でグラスに注がれている葡萄酒ワインを飲んでは空にしているベアトリーチェのことを不思議そうな目で見ていたが、不意に何かを思い出したように彼女達がこの場にいることを問い質す。


「ところでよ?
 そこにいる魔王領の将軍のことは分かったが、何でここにしれっとエルフィス教皇領の特高官と衛士が混じっているんだ?」

「あら? 今更ですわね。 ガーランド保安官。
 でも、カルロッタは兎も角、よく私が教皇猊下直属の特高官だと判りましたわね?」

「これでも独立保安官として大帝国内各地をほっつき歩いてるもんでな。
 お前さんの噂は色々と聞いてるぜ。
 確か名前は『ベアトリーチェ・ドゥ・ガルディアン』だったか?
 教皇領の中でも僅か十人しかいない特高官達の中で、唯一の女性特高官。
 しかも、道中襲い掛かって来た四十人からなる賊の集団を、そこの衛士と二人だけで片付けたんだろ?
 でもって、その時に付いた二つ名が『黒の嵐』って言ったんだっけ?」

「ええっ!?」

「へえ?」


 ガーランド独立保安官の口から語られるベアトリーチェの噂を聞いた俺は驚いて彼女の顔を見たかと思えば、隣にいるアゼレアはニンマリと意味深な笑みを向けていた。それに対しベアトリーチェはというと、両手を自分の頰に当てて、ちょっぴり恥ずかしそうに照れていた。

 
「嫌ですわ。 そんな他人が勝手に名付けた二つ名なんて忘れて下さいまし」

「ま、いいけどよ」


 ガーランドはベアトリーチェへこれ以上の追求の手は伸ばさずに注文していた二杯目の麦酒に口を付ける。

 相手は大陸各地を巡り歩いて教会や教皇領内部の不正や汚職を暴き出す特別高等監察官にして、監察司祭を兼務する彼女は自分達、独立保安官と似たような立場だ。そんなベアトリーチェがあの列車に乗っている理由を簡単に話す筈がないので、聞くだけ野暮というものである。


「そう言えば、そこのあなた」

「え? 俺?」

「あなた、私がまだ官姓名を名乗っていなかったのに、よく私の名前や階級が分かったわね?
 もしかして魔王領の出身なのかしら?」


 その代わりとでも言うように、今度はアゼレアがスミスを問い質す。
 他国とはいえ、アゼレアの名前や階級を予め知っていた彼のことが気になったのだ。

 もし彼女が今現在も魔王領国防省に在籍していれば、シグマ大帝国にいる冒険者が彼女のことを知っていたとしても不思議ではないが、アゼレアは21年前に魔王領から姿を消し、本国では現在進行形で行方不明者扱いなのである。

 しかも現在と違って当時は転移魔法がそこまで発達しておらず、情報の伝達速度はそこまで良くない上に、上級魔族であるアゼレアは魔王領から国外に出ることは戦争での派兵以外ではなかった。

 当時、彼女の素顔を知っていたのは魔王領の国民を除けば在魔王領大使館に赴任していた大使などの外交関係者や駐在武官、後はゾロトン議員などの観戦武官として彼女と同じ戦場に居合わせた一部の魔導軍人くらいで、外国の冒険者や魔導師などは余程の情報通でもない限り知らない筈なのだ。

 何故なら、写真技術や念写魔法が発展してきたのはここ10年ほどであり、その間にこの世から消えていたアゼレアの姿を捉えることは不可能なのである。であるからして、アゼレアの名前や階級を最初から知っていたスミスに彼女は興味を覚えたのだ。


「あっ! いや、その…………」


 いきなりアゼレアから声を掛けられたスミスはあからさまにに狼狽する。誤魔化しようにも、保安官事務所ではガーランドに向かって彼女が魔王領の魔導将軍であることを喋っていたし、名前もアゼレアに組み付いているときに必死だったとはいえ、本人の前で話しているので誤魔化しようがない。

 内心何て言うべきかスミスが迷っていると、突然ガーランドが彼の代わりにとでも言わんばかり面倒臭そうな口調で彼の冒険者になる前の経歴を口にする。


「そいつは元魔王領の憲兵なんだよ」

「げっ!? おい、ガーランド! 勝手に俺の前歴をバラすんじゃねえ!」

「そうなの?」


 かつての上官以上の存在であったアゼレアからジッと見つめられ、最早誤魔化しようがなくなってしまったことに諦めの境地に至ったスミスは一度溜め息を吐いた後に、先程とは打って変わった態度でアゼレアへと向き直り、直立不動の姿勢のまま敬礼をして自己紹介を行う。


「……ハァ。 お久し振りです! クローチェ魔導少将閣下。
 自分はスミス・ダンウェッソン。
 国防省保安本部隷下の憲兵隊において憲兵大尉を拝命していました!」


「国防省保安本部付魔導少将のアゼレア・フォン・クローチェです。
 今は魔王領の軍人ではないのよね?」

「はっ!
 現在はこの二人と共にギルド情報科において賞金稼ぎ――――重犯罪者捕獲人の職に就いています」

「ならば、そのような畏まった口調は不要です。
 私のことは好きに呼んでくれて構いません。 もちろん敬称も不要よ」

「はっ! じゃあ、お言葉に甘えて好きに呼ばせて貰うぜ。
 閣下……いや、アゼレア嬢ちゃんって呼んで良いかい?」

「嬢ちゃんって……また斬新な呼び方ね。
 良いわそれで。 では、改めてよろしくね?
 ダンウェッソン元憲兵大尉……いえ、スミス」

「おう! よろしくな。
 この二人は俺とクランを組んでる仲間で、ロレンゾとズラックだ」


 先程の軍人らしい口調は何処へと行ってしまったのか、アゼレアから好きに呼んで良いという許可を貰ったスミス・ダンウェッソン元憲兵大尉ことスミスは了解した途端に気安い口調へと変化してしまう。

 変わり身の早いスミスの態度を見てアゼレアは苦笑していたが、元魔王領の軍人がこの場にいることを嬉しく思ったらしく、200歳を優に超える魔族のアゼレアを「嬢ちゃん」呼ばわりする彼の怖いもの知らずな図太い神経に敬意を評して彼女もまたスミスの名を呼び捨てにする。

 それに対してアゼレアの態度が和らいだことに内心安堵したスミスはそのままの勢いで自分の仲間を彼女に紹介し、ロレンゾとズラックはアゼレアの立つ場所まで移動して自己紹介を行う。


「ロレンゾ・ハントです。
 以前は魔導士官としてダルクフール法国軍に在籍していました。
 最終軍歴は魔導少佐です。
 元魔導士官として閣下の噂はかねがね。 お会いできて誠に光栄です」

「魔導士官出身なのね。 その若さでダルクフールの元魔導少佐とは恐れ入るわ」

「ズラック・ヘンドリクスだ。 
 ケルト共和国軍第四山岳連隊で連隊長を務めていた」

「今は仏頂面してるが、これでも元大佐なんだぜ?
 しかも美人の奥さんと可愛い年頃の娘が二人もいるっていうんだから、世の中不思議なもんだ」

「スミス、余計なことは言わなくていい」

「へいへい」

「よろしく。 ケルト共和国軍の精強さは当時から聞き及んでいるわ」


 ロレンゾとズラックの元軍人らしい自己紹介を受けたアゼレアは、先程より少し口調を堅くしながらも二人に対してフランクに応じつつ、スミスが茶化す傍でそれぞれと握手をしていた。

 そしてアゼレア達の自己紹介が終わると次は俺の番だ。
 だが、彼女と違って只の冒険者である俺の自己紹介はとても完結である。


「自分は孝司榎本です。 冒険者をしています」


 という具合に名前と冒険者であることを告げて相手が頷けばそれで終了であるのだが、今回はそれだけでは終わらなかった。

 自己紹介を終えた俺の顔をジッと見つめていたスミスは、何かを思い出すように数秒の間思案していたが、その後確認するかのように帝都ベルサにあるギルドでの在籍経験を聞いてきたのである。


「…………お前さん、タカシって言ったっけ?
 以前に帝都のギルドにいなかったか?」

「ええ。 いましたけれど?」

「やっぱりそうか!
 お前さん、ギルドの戦闘試験で泥人形を銃で吹っ飛ばしてたろ?
 実は俺達、あの場にいたんだぜ!」

「ええっ!?」


 俺の答えに合点が行ったのか、こちらの肩をバンバンと叩いているスミスさんは俺のことを知っていたらしい。今までは単に自己紹介をして終わりだったので彼の態度は新鮮であったが、まさかあの戦闘試験の一部始終を見ていた人とこうして顔を合わせることになるとは予想さえしていなかったので、俺は思わず驚きの声を出してしまった。

 
「でもって、このロレンゾがお前さんが吹っ飛ばした泥人形を作った魔導師でな。
 いやぁ~あのときはビックリしたぜ!
 まさかロレンゾが作った特製の泥人形三体が、次々に銃で葬られていく様を見せ付けられて驚いた驚いた!」

「そうなんですの? タカシさん、凄いですわね!」

「い、いや、アレは偶々です。
 まぐれですよ! まぐれ!」


 だがスミスさんはビックリしている俺には構わずに話を続け、ロレンゾさんの肩を叩きながら、彼が戦闘試験の際に戦った泥人形の製作者であることを明かす。

 でもって、俺が大口径の散弾銃で次々に襲い掛かって来る泥人形達を撃ち倒したときの様子に驚いたことをよりにもよって皆の前で話し始め、すかさずベアトリーチェさんが興味を示してこちらを賞賛してきたので、焦った俺は照れ隠しするような演技でアレはまぐれであると誤魔化す。


「まぐれでも凄えじゃねえか。
 ロレンゾの魔法の腕は他種族を含めたギルドの中でも、常に上位五番以内に入っているんだ。
 そんな魔導師が作った魔法兵器並の強さを持つ泥人形を僅か一分以内に全て撃破したんだぜ。
 タカシは知らないのか?
 お前さんギルドの中じゃあ、ちょっとした有名人になっているぞ」

「はあぁぁぁーーーーっ!!??」


 スミスさんから聞かされた予想外の展開に驚いた俺は、ガーランド独立保安官に負けず劣らずの叫び声を上げた。





 ◇




 
 俺が思わず出した叫び声に再び店中の注目を集めることになったことに、俺はそんなことなどどうでもいいとばかりに内心とても焦っていた。

 まさか本人の預かり知らない所において、いつの間にか帝都ベルサのギルド内でちょっとした有名人になっていたことも驚きだったが、まさかあの泥人形の製作者がこんな所にいたことと、戦闘の場面をスミスさん達に見られていたとは予想外である。


「え? あの、それは一体どういうことですか?
 えーとぉ……ダンウェッソンさん?」

「スミスで良い。 俺もお前さんのことは何て呼べば良いかな?」

「あ、孝司でお願いします」

「じゃあ、タカシ。
 お前さんがギルドでの戦闘試験時に撃ち倒した泥人形だが、アレはどれくらいの強さだったと思う?」

「え? 比較対象が分からないので、どれくらい強いのか見当もつきません」


 てっきり戦闘試験で使っていた散弾銃KS-23の件について問い詰められると思って身構えていた俺は、予想外の質問に肩透かしを食らった気分だったが、銃についての話題でなかったことに内心安堵していた。

 だが俺はスミスさんから何故自分が帝都のギルドで有名になってしまったのかという理由を聞いて、別の意味で安堵できなくなる。


「あの泥人形一体当たりの強さは、実戦経験豊富な大帝国軍兵士五人分に相当する。
 まあ勿論、泥人形側は魔法や銃器、弓矢などを使わないという条件付きだがな。
 だが、生きている人間の兵士と違ってあの泥人形には恐怖心や良心の呵責、痛みなんかもないから純粋な肉弾戦における戦闘力は兵士よりももっと強いだろう。
 そんな強さを持つ泥人形が三体も襲い掛かって来て、それをお前さんは銃を使ったとはいえ、一分以内に全ての泥人形を撃ち倒した。
 そりゃあ有名にもなるもんさ」

「は、はあ?」

「要するに、タカシは襲い掛かって来た帝国兵十五人の戦力を一分以内に全て撃ち殺したことになるんだ。
 俺達が新人であるお前さんの名前を覚えていたのは、そういうことさ」

「…………良く分かりました」


 それは確かに記憶に残ることだろう。
 新人の、それも見るからに荒事に長けているとは思えない中肉中背の日本人である俺が銃器を用いたとはいえ、兵士15人をあっという間に制圧したとあれば覚えるなというのが無理な話だ。

 仮に地球であれば、実戦を経験したことがない日本の平均的な体格を持つ若者が歴戦の米軍兵士15人とガチンコでぶつかって、たった1分ほどで制圧したということなのだろうから、そんな出来事を聞いた場合、俺だって記憶に残ることだろう。


「そう言えば、俺がタカシを逮捕に向かった際、反撃を受けたときにもの凄い数の銃弾を一気に撃ち込まれたっけなあ。
 あの銃は一体どんな仕掛けなんだ?
 しかも、弾切れから給弾までに掛かった時間も中々に早かった。
 独立保安官として大帝国内や属領各地を渡り歩いて来たが、あんな銃は見たことがねえ」

「え? あ、いや、その……」

「それに、そこに居る将軍閣下の拳銃も妙な形をしていたな?
 あの拳銃は一体何だ?
 ただの回転式拳銃には見えなかったぞ」

「アレは……」


 戦闘試験の一部始終を見ていたスミスさん達3人組からではなく、別の所からの鋭い質問に俺は言い淀む。しかもよりにもよってガーランド独立保安官から銃に関する疑問の声が上がるとは誤魔化しづらい。

 何たって彼は過去に俺から反撃を受けた際、弾が当たらなかったとはいえ、短機関銃Wz63による銃撃を受けているし、アゼレアからはつい先程自動式拳銃CZ75の銃口を向けられたばかりである。

 流石に「アレは気のせいです」なんていう幼稚な誤魔化しはできないし、周囲にいる者達は全員が職業柄的に観察力や洞察力が鋭い持ち主ばかりなので、生半可な言い訳は余計な疑義を与えるだけだ。

 事実、ガーランド独立保安官の後ろではベアトリーチェさんが興味深げに笑みを浮かべ、静かにこちらをジッと見ているし、カルロッタさんやスミスさん達も俺が何を言うのかを待っている。


「あの銃は彼の故郷、『日本』で作られた銃らしいわ。
 試作品らしく、数はそこまで多く作られていないらしいわよ」

「ニホン?」

「ええ。
 孝司はこの大陸東部の沿岸部より先の海域、バラスト海よりも先にある日本から来たのよ」


 実際には、ほんの数秒という時間が経過しただけだったのだが、俺にとってそれは数秒ではなく数分間が経過したような緊張感に満ちた瞬間だった。だが、口を開きたくても開けない俺に代わって救世主の如くこの会話に割って入ってくれたのは他でもないアゼレア自身だった。

 こちらの秘密を知っている彼女は以前、俺から聞いた話を元にし、咄嗟に口からでまかせを言ってガーランド独立保安官の疑問を煙に巻く手法を思いついたようで、銃器が日本で作られた嘘よりも、俺が日本という聞いたことがない国から来た理由についてにガーランドは興味を抱く。


「そんな遠くから遥々来た人間がこの国に何の用だ?」

「いや、まあその、実はこの大陸に来るときに船が難破しまして。
 で、祖国に帰るのが困難になったので、ならば見聞を広める為にもこの大陸の各地を見て回ろうと思ってですね?」

「ほ~ん? そいつぁ、ご愁傷様だな……」

「そりゃあ、災難だったよなぁ」

「うむ。 祖国に帰ることが叶わないとは……不幸以外の何物でもない」

「それは大変でしたわね。 タカシさん」

「…………ありがとうございます。 皆さん」

(さて、ここからどうやって話題を銃器から逸らさせるかが、問題だな……)


 俺が以前冒険者クラン『流浪の風』のメンバーに語ったときと同じ内容の嘘をもっともらしく語ると、ガーランド独立保安官やベアトリーチェさん達は口々に俺が祖国に帰れないことに対して慰めの言葉をかける。

 この流れを利用してどのようにして銃の話題から遠ざけようかと内心考えていたところ、思わぬ所から援軍が現れた。

 
「あの、ガーランド保安官? もうそろそろ、お時間が……」

「お? 何だ、もうそんな時間か?
 悪りい。 俺達は列車の警備があるから、そろそろ駅に戻るぜ」


 恐る恐ると言った様子でガーランド独立保安官に同行していた若い独立保安官補が、自分の持つ懐中時計の時間を見せながら彼に声を掛けていた。すると時間を確認したガーランド独立保安官はジョッキに注がれていた麦酒の残りを一気に煽ると、周囲の者達にすまなそうな表情で断りを入れて列車へと戻る旨を伝えている。


「そうか。 俺達もそろそろ退散するか?」

「そうですね。 一応、宿は取ってありますが、早めに寝た方が良いでしょう」

「賛成だな。 二等客車の席は寝るのには向かんからな」

「と言うわけで、俺達も失礼するぜ」

「ベアトリーチェ様、私達もそろそろ列車に戻りませんと……」

「ですわね。 アゼレアとタカシさん達は如何なさいますの?
 もし良かったら、一緒に列車へと戻りませんこと?」


 酒の席ではよくありがちな、一人が帰り始めると他の客達も次々に帰り支度を始めるように、ガーランド独立保安官が席から抜けたことをキッカケにして、スミスさん達もグラスに残っていた酒を飲み干して席を離れ始め、最後にベアトリーチェさんが自分達と一緒に列車へ戻ろうとこちらを誘ってきた。


「悪いけれど、私達はここでもう少し飲んでから戻ることにするわ」

「だそうです」


 どうやらアゼレアはまだここで飲んでいくつもりのようで、酒が注がれているグラスを軽くかざしながら、ベアトリーチェさんの誘いをやんわりと断る。

 カウンターテーブルに置かれているつまみの盛られていた皿は既に店員の手によって下げられており、俺が飲んでいるコーヒーのカップと先程からアゼレアがチビチビと飲んでいるシングルモルトウィスキーを思わせる香りの良い琥珀色の酒が注がれているグラスを除けば、ベアトリーチェやスミスさん達が使っていたワイングラスやビールジョッキしか残っていない。


「そうですの。 ではアゼレア、タカシさん、お休みなさいまし」

「それではこれで失礼させていただきます」

「ええ。 お休みなさい。 ベアトリーチェ、カルロッタ」

「お二人共お気を付けて。 お休みなさい」


 最後に会計を済ませて立ち飲み屋から出て行くベアトリーチェとカルロッタを出入り口まで見送った俺とアゼレアは、再び店内へと戻って行った。





 ◇





「…………ふうっ! さっきはありがとう。 アゼレア」

「別に良いわよ。 孝司が日本から来たのは本当なんだし。
 銃に対する質問を受けたときも、もっと堂々としていれば良いのよ。
 とは言え、彼らが私の言った答えをどこまで信じているかは不明だけれど……」

「そうだよねぇ……」


 アゼレアの援護射撃とあの若い独立保安官補の彼には感謝しかない。
 2人のお陰で銃に関する疑問を回避することが出来たが、彼女の言う通り、あの面々がアゼレアの言った内容を何処まで信じているかは判らない。


「でもまあ、貴方の正体は兎も角、銃のことはいずれバレるのだからもう少しマシな言い訳を考えなければいけないわね」

「確かに……」

(そうなんだよなあ……)


 アゼレアが指摘しているように銃に関する情報は真剣に考えなければならない。この異世界『ウル』は似非中世ファンタジーの世界と違ってある程度銃器が普及して来ている状況だ。

 もしこの異世界に銃器が存在していないのならば、相手の無知につけこんで適当な言い訳で誤魔化しようもあったのだろうが、残念ながら銃器が存在しているとなれば先程のガーランド独立保安官のように、銃に関する具体的な質問がいつ飛んで来るか分からない。

 だがそんな考えもアゼレアのとある行動で一気に霧散してしまう。
 それまで先程までと同じように、琥珀色の酒をストレートでチビチビを飲んでいた彼女が俺の顔をジーッと見つめていたからだ。


「ん? どうしたの? アゼレア?」

「不思議ね。 貴方とこうして酒を飲んでいる今がとても幸せに感じるわ」

「え?」

「貴方と会わなければ私は死んでいたと思う。
 よしんば、この国の警官や兵士に助けられていたら、恐らくとっくの昔に魔王領へ強制送還されていたと思う。
 それも、不法入国の罪で逮捕された上でね」

「ああ……」


 こちらを見つめていたかと思えば視線を外してグラスの縁を眺めながらポツポツと語り始めるアゼレアに俺は静かに耳を傾けていた。祖国に帰還しなければいけない彼女は二人きりになると、時折このように自分の気持ちを吐露することがある。

 魔族の感覚では若いながらにして魔導少将の席に就いている彼女は、家族を除けば気の置ける友人の数は極端に少ない。ましては将軍という身では迂闊に自分の心情を話すことができないことも多々あるのだろう。

 実質的には中将に相当する魔導少将というアゼレアの階級や待遇を考えると、彼女の上司は魔王や国防大臣を除けば元帥か大将しか居らず、部下は少将や准将、はたまた佐官級の将校しかいない上に同僚達の階級は中将なのだ。

 しかも以前、アゼレアから聞いたところ、当時の魔王領国防軍や国防省の将軍達の殆どが男性であり、女性の将官は彼女以外全員が准将留まりで実戦経験が皆無の後方勤務担当者ばかりだった。

 そのような環境では自分の気持ちや愚痴を言い合える相手が見つかる筈もなく、母親と同じ種族出身である憲兵中佐は真面目過ぎる性格だったためか、直属の上司と部下という関係であるにも関わらず、決して親しい間柄であったとは言えなかったのだという。

 要するに自分の持つ強大過ぎる魔力と大公家という家柄だけではなく、魔導少将とそれに伴う期待と眼差しによってアゼレアは国防軍や国防省内で常に一人ぼっちの状態が続いていたのである。

 もちろん周囲にいる者達は部下を含めて信頼できる人材に囲まれていて何不自由なく任務を遂行出来ていたのだろうが、精神的なストレスは相当溜まっていったに違いない。

 仮に野戦将校出身の彼女の階級が尉官クラスならば気の置ける戦友などは幾らでも居たであろうが、将官ともなるとその数はグッと減ってしまうだろう。しかも、周囲の将官達は軒並み男ばかりで、女性の准将は後方の世界しか知らないとあれば、話が通じる筈もなかったことは容易に想像できる。


「でも、貴方に助けられたお陰でこうして何事もなく無事に旅をしつつ、祖国に帰る日が刻々と近付いている。
 不法入国という罪を背負わずにね。
 しかも、ゾロトン議員やベアトリーチェを始めとした様々な人々とも交流を持てたわ。
 仮に転移魔法の実験が無事に何事もなく終了していたとしたら、私は戦場に出る以外ではずっと魔王領の中に居て、ベアトリーチェ達と会うことは一生なかった。
 だから、改めてお礼を言うわ。 ありがとう。 孝司」


 種族は違いながらも、自分と同じ女性で似たような環境にあるベアトリーチェや俺と同じ世界の出身であるゾロトン議員と知り合えたのが余程嬉しかったのだろう。苦笑しながらも、彼女の目は自分が今とても幸せであると語っていた。

 だが、自分が今幸せであるというのはこちらも同じである。


「それはこっちの台詞だよ。
 俺の方こそ君と出会わなかったら、未だに帝都で駆け出し冒険者として細々と活動していたと思うな」


 想像するのも嫌だが、もし仮にあの雪の中で彼女を助けていなかったら、俺は今でもグズグズと帝都ベルサで冒険者活動をしていた筈だ。もしかしたら、セマ達の冒険者クラン『流浪の風』に入っていたかもしれないし、それ以外のクランに入って依頼を黙々とこなしていたかもしれない。

 それはそれで幸せだったかもしれないが、今のように幸福に満ちていたかは甚だ疑問が残る。


「んふふっ!」

「ん? 何、どうしたの?」


 酔っ払ったのか、突然下を向いて笑い始めたアゼレア。
 もしかして笑い上戸なのかと心配になって声を掛けてみたが、スッと顔を上げた彼女はそのまま真っ直ぐに俺を目を見つめてこう言った。


「ねえ、孝司。
 さっき、夕飯を食べているときにベアトリーチェの質問に答えたときのこと覚えている?」

「質問?」

「私達が付き合っているのかという質問よ」

「ああ、その質問か」

「私、嬉しかったわ。
 てっきり、質問の答えをはぐらかすと思っていたから、貴方が即答してくれて私凄く嬉しかった」

「ちょっと答えるのに躊躇したけどね」

「それでもよ。 貴方のことを好きだという女性が目の前に座っているのに、臆することなく直ぐに答えてくれて本当に嬉しかった……」


 真剣な顔でこちらを見つめて来るのでどうしたと思ったら、どうやらベアトリーチェさんと食事をしたときに聞かれた俺とアゼレアが交際しているのかという質問に即答したのが相当嬉しかったらしく、それを思い出していた彼女は満面の笑みを浮かべていた。


「アゼレア? もしかして酔ってる?」

「かもしれないわ。 何だか今日は凄く良い気分。
 生まれて来て本当に良かったって思えるくらい私、幸せだわ」

「そっか」


 カウンターテーブルに肘をついてノージンググラスにそっくりな硝子製のグラスを眺めながら話しているアゼレアはとても色っぽく、そして美しかった。その様子を惚れ惚れと見ていた俺は思わず「このまま逃げちゃおうか?」という言葉が喉元まで出掛かっていたが、何とか飲み込んで彼女の言葉に頷く。

 だが、その努力の甲斐も虚しく、俺は彼女がポツリと漏らした本音に反応して先程飲み込んだ筈の言葉が口をついて出て行ってしまった。


「ねえ、孝司」

「うん?」

「私、やっぱり貴方と離れたくない」

「じゃあ、このまま逃げちゃおうか?」
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