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第28話 接触(2)

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「ただいま」

「お帰りなさい」


 食堂車で知り合った聖エルフィス教会の司祭――――ベアトリーチェさんから逃げるように客室へ戻って来た俺は部屋に入るなり、アゼレアがとっていた行動に面食らう。


「何やってるのアゼレア?」

「ん? ああ、ちょっと暇だったから、拳銃を撃つ構えの練習をしてたの」

「練習?」

「ええ。 軍刀はともかく、拳銃は初めてだから。
 今の内に少しでも銃に慣れておこうと思ってね」

「勉強熱心だね」


 少しでも異世界地球の武器に慣れようと努力するアゼレア。彼女は俺が旧大日本帝国陸軍の九五式軍刀を手渡して以来、暇さえあれば軍刀の扱いを勉強し、少しでも自分のものにするべく鍛錬を重ねているが、今は拳銃の扱いもその中に入っている。


「貴方に拳銃を渡されたときはビックリしたけれど、つくづくコレは芸術品ね。
 この時代に飛ばされる前、兵器工廠で見せられた拳銃の試作品とは全くの別物だわ」

「まあ、その拳銃は俺がいた地球でも優れた操作性と見た目の美しさもあって銃器の愛好家達から非常に高い評価を受けていたし、貴重な拳銃として凄い値打ちがついていたからね」

「でしょうね。
 この鋼鉄の持つ独特の輝きや曲線の美しさは一流の職人でしか作れない逸品だわ」


 右手で翳すようにして拳銃を眺めるアゼレア。彼女の見つめる先にあるのはこの世界で一般的になりつつある回転式弾倉拳銃リボルバーピストルではなく、地球で作られた自動式オートマチック拳銃ピストル――――CZ75だった。

 CZ75。
 チェコ共和国――――当時のチェコスロバキアにて1975年に完成した自動式拳銃だ。アゼレアが手に持っているのは俗に言う『ファーストモデル』と呼ばれている拳銃で、欧米の銃器コレクターの間で物凄いプレミア価格が付いている幻の銃としても超有名である。

 ポーランドのWz.63短機関銃サブマシンガン同様、スライドとフレームが高品質の鋼鉄から削り出されて作られており、当時のチェコスロバキアにおいて数々の名銃を生み出していた銃器職人たちの手によって組み上げられている。

 鋳造ではなく鋼鉄から削り出されることによって生み出される独特の曲線美や妖しい輝きは、アルミ合金やステンレス、ポリマー素材などで作り出された現代の拳銃では決して真似出来ない。恐らく、この自動式拳銃と同じ魅力を持つ拳銃は第二次世界大戦時に活躍した軍用拳銃達、東西冷戦時に安い人件費でのみ作ることができた旧東側諸国の自動式拳銃と一部の西側製自動式拳銃のみであろう。

 だがそれでもこの自動式拳銃CZ75の持つ優れたコンバットサービスピストルとしてデザインされた外観と、それを裏切らない操作性は特筆に値する。一般人による実銃拳銃の所持が許されない日本においてCZ75はアニメや漫画での露出が非常に高く、一部の誤った表現もあって本銃は他の拳銃達にはない過大な評価を受けている。

 そして多くの海外シューターやコレクター達から、『シングルアクションでも、ダブルアクションでもトリガーのキレがすこぶる良い』だとか『とても素晴らしい操作性だ』と絶賛されるくらい評価が高いのもまた事実だ。もちろん、現代の銃器戦闘においてこの拳銃が全てにおいて完璧という訳でもない。

 現代戦において必須のフラッシュライトなどのアクセサリーはワンタッチでの装着はできないし、装弾数では本銃以上に弾を装弾することが可能な拳銃や左右の手にそれぞれ持ち替えても問題なく操作できる拳銃も多数存在している。

 だがそれでもこの拳銃CZ75はそういった要素を抜きにしても素晴らしく魅力的な拳銃だ。そんな素晴らしい拳銃を俺はアゼレアにプレゼントした。

 魔導少将という地位にある彼女に必要なのは操作性が高く、尚且つ彼女の美しさにピッタリなコンバットサービスピストルであり、実用性と美しさを両立した旧東側の拳銃はコレ以外に考えられない。そしてその選択は決して間違っていなかった。

 アゼレアの手に抱かれたCZ75は、正に彼女のために作り出されたと言っても過言でない程に一体化し、溶け込んでいる。人間では不可能な神に連なるほどに美しく、武人の持つ凛々しさが拳銃の持つ妖しい雰囲気と見事に調和していることに俺は内心惚れ惚れしていた。

 彼女自身は地球の自動式拳銃を見るのは初めてだったにも関わらず、このCZ75を一目見たときから大変気に入り、家族のように大切に扱っている。そしてやはり軍人であるせいか、直ぐにこの拳銃の操作方法と分解、結合方法と整備のやり方を覚え、今は昔から彼女の右腰に吊られていたのではないかと錯覚してしまうくらいに一体化していた。
 
 でもって、今もこうして弾倉を抜いた状態で拳銃を眺めつつ、褒めちぎっているまっ最中である。


「アゼレアのような凄い魔族に言われれば、作った職人達も光栄だと思うだろうなぁ。
 俺としてもそこまで喜んでもらえると嬉しいよ」

「ふふっ、ありがとう。
 でも本当に孝司の言う通り武器としての操作性も良いし、銃把も握りやすくて拳銃を構えた際の重心の位置も絶妙で違和感がなくて素晴らしいわ。
 あのとき、技術少佐から持たせてもらった拳銃とは雲泥の差ね」

「それだけ褒めちぎる言葉が出るということは、よっぽど気に入ってくれたようだね?」

「ええ。 私は魔導軍人だけれど、魔法を使用しない……魔法を使用できない状況下で非魔導戦闘を行うという場面は幾らでもあるわ。
 そういう時にモノを言うのは、本人がそれまで経験して来たことによる裏打ちされた戦闘技術と咄嗟の判断力、そして優れた性能を持つ武器の存在よ」


 「どれか一つが欠けたら、戦場で生き残ることはできないわ」と真剣な面持ちでアゼレアは言う。まあ、この世界の全ての銃を見たわけではないが、帝都で見た保安官や憲兵が持っていた拳銃や小銃が地球でいうところの『近代』の時代の銃器に相当するところを見ると、21年前にアゼレアが兵器工廠で見たという試作の拳銃はかなり時代遅れのモノに見えたことだろう。

 まあアゼレアの場合、近代どころが時代をかなりすっ飛ばした状態の拳銃を渡されたということもあるのだろうが、本人が満足しているのであれば問題はない。あとは、現代の銃器を用いた戦闘方法――――コンバットシューティングを学べば、彼女の非魔導戦闘は他に類を見ないほどに強力な武器となる筈だ。


「特にこの軍刀と拳銃にはイーシア様達神々の力が宿っているから、私と同じ高位の上級魔族や長耳族の魔導軍人達とも対等以上に渡り合えるわ!」

「だろうね。
 って言うか、アゼレアの魔力を考えれば一方的な虐殺になりそうな予感がするけれど?」

「確かにそうね。 ま、そのときは死なない程度に手加減するわ」

「ハハハッ…………!」


 俺が言った冗談に倒してアゼレアは口では惚けたように言って返しているが、目が全く笑っていない。冒険者や賊の類と違って、戦闘そのものに“遊び”を持ち込まない彼女の戦い方は正に苛烈そのものと言っても良いだろう。

 仮に敵と会話を交わすことがあっても、相手に残されているのは『死』のみ。命令で捕虜を取る指示が下されない限り、彼女と戦った者は魔法での治癒が絶対に不可能な形で殺されるだけ。

 『殲滅魔将』の二つ名を授けられたのは伊達ではないのだ。


「さてと! 私もちょっと列車の中を探検してこようかしら」


 拳銃をホルスターに戻し、座席から勢いよく立ち上がったアゼレアは伸びをしながら目をキラキラさせて列車内の探索に行く準備を始める。


「その格好で行く気かい?」

「ええ。 私服を着た正体不明の魔族が列車の車内を歩き回って怪しまれるよりも、一目で軍組織や公的機関の所属であることがわかる制服を着用していた方が身分が分かって良いでしょう?
 多少は威圧感があるかもしれないけれど、無用な疑いや難癖トラブルは防止できる筈よ」

「まあ、それもそうか。 ……って、拳銃や軍刀を身に付けたままで行くの?」


 着替えをしようとする素振りがないので制服で車内の探索に出掛けるらしいが、アゼレアは腰に吊っている拳銃や軍刀はそのままにして車内に繰り出すつもりらしく、俺は慌てて彼女に諭すように質問を行った。


「貴方だって拳銃や短機関銃を携帯したまま、車内を彷徨うろついたのでしょう?
 大丈夫よ。 制服を着て、尚且つ武器を持っている者に要らぬちょっかいを掛けようとする愚か者はいないわ」

「そういうものかなぁ……?」


 アゼレアがあっけらかんとした口調で返してきた内容に疑問を覚えた俺は腕を組んだまま、首を傾げる。確かに銃や剣などの武器を装備した軍人にちょっかいを掛けようとする不届き者はいないだろう。

 だが、軍服を着込んでいるアゼレアは歴戦の魔導野戦指揮官だったということもあり、独特の凄みと威圧感を漂わせている。魔力に関しては「目立たないように消している」という彼女の言葉を信じるしかないが、それでなくても先程の鉄道公安官のように警戒感を抱かせるきっかけにならないだろうか?


「そういうことだから、留守番お願いね。
 実を言うと今乗っているこのシグマ大帝国の列車……私がこの時代に飛ばされる二十一年前の当時に魔王領で走ってた列車と比べて機関車も客車も技術的にかなり進化しているみたいだから、あちこち見て回りたいのよ」


 どうやらアゼレアはこの列車に乗車した段階から、かなり興味津々だったらしい。やはり魔導軍人とはいえ、21年前の過去から飛ばされて来た彼女にとって人間たちの生み出す技術革新に対して興味を抱かずにはいられないらしい。


「ああ、なるほどね。
 わかった。 行っておいでよ、アゼレア」

「ええ。 行って来るわ」


 俺の了承を得たアゼレアは、購入したばかりの玩具を前にした子供のように目をキラキラさせ、そそくさと客室の扉を開けて出て行ってしまった。





 ◇





「本当、人間種達の持つ技術の進歩の速度には目を見張るものがあるわね……」


 一等客車の通路にポツリと漏れる声。
 通路を歩くアゼレアはおもむろに車外を望む窓硝子を指でなぞりながら、内心人間達の技術の進化に舌を巻いていた。


「今は優位を保っている魔王領やリーフの魔法技術もその内、人間種達の科学技術に追い越されて衰退して行くのかしら?」

(いいえ、もう既にその兆候は現れ始めている言った方が妥当ね……)


 現にこうして乗り込んでいる高速旅客列車は二十一年前の魔王領には存在すらしていなかった。そしてこの列車が更に進化して孝司やゾロトン議員が口にしていた『新幹線』なる超高速鉄道になるなど、誰が予想できようか?


(願わくば魔王陛下陛下やお父様達だけではなく、現在魔王領の政治経済の中枢を仕切っている者達の大半が、この現状を受け入れて改革に動いてくれていると良いのだけれど……)


 魔王領は良くも悪くも歴史が長い国だ。元々、上・中級魔族の寿命が長耳族並みに長いということもあるが、その魔王領の科学技術が人間種の国家と比べてそこまで進歩していないのには相応の理由がある。

 国民の大半が何らかの魔法を使えるために科学よりも魔法が先行して進化してきたためということもあるが、一番の理由は国家の要職を占めている上級魔族達の殆どが国外に出ていないという事実が大きい。

 上級魔族の中で国外に出る機会があるのは、各国を遊説する魔王陛下とその側近達、外交官や大使、総督など外交系の要職に就いている一部の者のみで、残りは自分のような軍人でありながら、好んで野戦指揮官の任を受ける上級魔族のみだ。

 国家の将来を担う者達が科学技術に疎いため、いくら中・下級魔族の者たちが人間種の持つ技術革新の速度について脅威を説いても耳に入って来た内容が右から左に通り抜けて行く現象がしばしば見受けられたりするので、目立った科学技術の革新が殆どない。


(あと百年前後の時を経て、この世界の科学技術は孝司がいた世界地球と同じようになる……)


 孝司によると、この世界は地球で言うところの『近代』又は『前近代』という時代に相当するらしく、[イギリス]という国で起きた爆発的な産業革命なる現象がまだ発生してないのは魔法の存在が関係しているかもしれないとのことだった。


(私達魔族が人間種達に対して魔術的優位性を保てるのは、遅くともあと一世紀あるかないかくらいしかないわ)


 地球からこの世界へと転移して来た孝司に見せられたのは、彼がかつて住んでいたという日本の首都『東京』の映像だったが、それを見たアゼレアは大きな衝撃を受けたことを彼女は昨日のように覚えている。天まで貫かんばかりの塔とそれに及ばずともビルと呼ばれる超高層建築物が生み出す摩天楼の姿。

 開業以来、大きな事故を起こしていないという超高速旅客列車に、ビル群の間を縫うように張り巡らされた高速道路という自動車と呼ばれる乗り物を走らせる舗装され高架化された道。そしてそれらの映像をまるで目の前にいるような感覚で見せる厚さ一センチにも満たない小さな道具。

 孝司によると世界各国が国家総力戦で戦う大きな戦争によって彼の母国は一度焼け野原になったらしいが、戦後幾多の経済成長や不況の危機を経てあの首都の姿があるという。もちろん、彼の世界の人間種達の行動をこの世界の人間種達に当嵌める事は出来ないであろうが、ゾロトン議員のように日本人の生まれ変わりが国家の要職に就いていたりする場合、そうでない国と比較して技術の進歩や経済成長の速度はかなり違ってくる筈だ。

 事実、元日本人であるゾロトン議員はこの国の鉄道省に強い影響力が持っているし、この高速旅客列車は技術的にも目を見張るものがある。この二つが全くの無関係であるとは到底思えない。


(今の魔王領がどうなっているのかは知らないけれど、シグマ大帝国がここまで鉄道技術を進歩させているのを本国にいる中央省庁の官僚達は知っているのかしら?)


 官僚や軍の高級将校達の中にも、国外の動向に敏感な中・下級魔族や人間種の出身の者達が多く登用され始めていた二十一年前でも科学技術について詳しい者はほんの一握りだった。魔王陛下と父は新し物好きだったこともあり、科学の推移にはある程度の知見があったらしく、国外から政治的な理由で国を追われた技術者の亡命を秘密裏に受け入れていたようではあるが、それがどれだけ功を奏していたかは判らない。




 そしてそれとは別にもう一つ気になることがある。




(もし、リグレシア皇国の科学技術が進歩していた場合、絶対に軍事に転用しているでしょうからバレット大陸南部に集中している中小の国家群は軒並み制圧されてしまうでしょうね……)


 リグレシア皇国があるヘカート大陸へ孝司と同じように肉体を持って転移して来たという日本人の動向だ。魔王領と違って皇族以外、殆ど上級魔族が存在しない同国は国防軍参謀本部と情報部の分析ではリグレシア皇国軍の兵力でバレット大陸を攻めるのは不可能だと思われていた。

 だが、実際にはリグレシア皇国軍は自国と国境を接する人間種の国々を次々と制圧し、ヘカート大陸内での地盤を盤石なものとすると、バレット大陸南岸のマニューリン半島へと侵攻し、ルガー王国を足掛かりにして次々に同国周辺の沿岸国家を制圧してしまったという。


(孝司と同じ世界から来た日本人が『皇国の中枢にいる』という分析が、とても気になるわ)


 この侵攻に果たして転移して来た日本人がどれだけ関わっているのかは定かではないが、リグレシア皇国政府の中枢に彼の者が存在していて、今も影響力を行使しているというゾロトン議員の意見は無視出来ない。


(地球の銃器やその複製品などが皇国軍の装備する兵器に加えられていないと良いのだけれど……)


 もし件の日本人転移者が地球の武器の製造方法や活用方法、近代的な戦い方などをリグレシア皇国軍に示していた場合、元から中級魔族達を中心にした強力な魔導戦闘を展開している同軍はかなり強力に進化している可能性がある。

 そうなるとリグレシア皇国軍は橋頭堡として確保しているマニューリン半島を利用して次々と大陸軍を送り込んでバレット大陸南部を制圧するだろう。


(もしくは制圧されている真っ最中かしら?)



 孝司が見せた世界地図ではバレット大陸の南部に位置するルガー王国周辺の沿岸国家が複数制圧されて属国化し、リグレシア皇国の色に染められていた。だが、それ以外の国々――――例えば皇国と戦争中である国の色彩に明確な違いは見られなかった。


(まあ、メンデルに着けば分かることね)

「取り敢えずは、列車の中を探索することに専念するとしましょう」


 将官を拝命してからというもの魔王領内だけではなく、国外の戦争動向や政治・経済にまで意識を集中してしまうのは仕方のないことだが、今はメンデルへ安全に向かうことだ第一の目的だ。移動中の列車の中で魔王領から姿を消した自分がいくら考えても意味はない。

 そう思ったアゼレア気を取り直して列車内の探索を再開した。





 ◆





「三号車はここまでか……」


 エルフィス教皇領上級衛士のカルロッタは高速旅客列車『リンドブルム四号』の一等客車内を探索している真っ最中だった。自分の上司であり、数少ない教皇猊下直属の特別高等監察官でもあるベアトリーチェ監察司祭の指示でこうして列車内を歩き回っているのだが、彼女が言っていた男性がいるであろう客室を見つけられないでいた。

 この列車に間違いなく乗車しているウィルティア大公国の公族王族を調べたときと同様に、買収した車掌からタカシエノモトなる冒険者がどの客室にいるかを走査しようとしたのだが、客室番号はおろか名前さえも乗客名簿には載っていなかった。

 そのためカルロッタは念の為に二等客車まで足を運んでタカシエノモトを探したのだが、ついに発見には至らなかった。恐らく、何らかの理由で乗客名簿に記載がされていないか、単なる記入漏れだとは思うが、窓掛けを下ろした客室の中を強引に覗くをことは叶わないため、本人が列車内を彷徨いているか部屋に入る瞬間を目撃しない限り、発見は困難だ。


(ベアトリーチェ様が特定の男性に興味を持つとは珍しいな)


 美人揃いで知られる『聖エルフィス教会』内においてベアトリーチェの美しさは教会――――延いては教皇領の中でも一二を争うほどであり、彼女に言い寄る教会や教皇領政府の男性達は多い。だが、逆にベアトリーチェ自身が男性に興味を持つことは殆どなく、女性であるカルロッタから見ても「もしかして実は同性愛者なのでは?」と思うほどに異性に対して関心を持たないのだ。

 そんなベアトリーチェが男性、しかもよりにもよって冒険者に興味を持つとは驚きだった。彼女と行動を共にするようになって三年以上になるカルロッタでも、今までで初めての出来事で、指示を受けたときは驚きを隠せなかったほどだ。


(あの御方の勘は物凄く鋭いからなぁ……)


 目を瞑ると食堂車で見た件の男性の後ろ姿が思い出される。
 恐らく、一介の衛士である自分では想像もつかない何かをあの男性冒険者から見出したのだろうが、それでも部下とはいえ、護衛を務める自分を使ってまで調べる価値があるようには思えなかった。

 だが自分に指示を下したのは教皇猊下の信頼が厚い特高官を兼務する監察司祭殿だ。
 ベアトリーチェの鋭い観察眼と洞察力によって後ろ暗いことをしていた個人や組織が摘発された例は枚挙に暇がない。

 その功績が大きくなり過ぎたがために教皇領政府や教会の重鎮達に煙たがられ、こうして大陸各地に存在する大小の教会施設や教皇領の下部組織に対して監査を行う旅をしている。お陰で道中、逆恨みした教会内の誰かに雇われたと思われる暗殺者や傭兵に襲われて、その都度撃退してきた。
 


(いかんいかん。
 私がやるべきことはベアトリーチェ様が出した指示を遂行するのみ。
 それ以上でも以下でもない)


 ここまでのことを思い出して通路を進む足を止めていたカルロッタは、かぶりを振ってベアトリーチェから下された指示以外のことを頭の中から追い出す。そして次の車両に移るために通路の扉を開こうとした瞬間、まるでカルロッタの気持ちを知っていたかのようにガラガラと滑る音を立てて扉が開く。

 
(気が緩んでいたか。
 やはり仕事に関係のないことを考えていては駄目だな。
 扉の向こうに人がいることに気付かぬとは……ッ!?)


 要らぬことを考えたいたせいか、扉が開くことはおろかその向こうに人が立っていることに気付かなかったカルロッタは己を戒める。だが次の瞬間には、扉を開けてこちらの車両に移って来た人物を見て呼吸をすることさえ忘れて只々驚愕していた。


(なっ!? 魔族? しかも軍人だと!?)


 扉を開けて入って来たのは自分よりも背が高い女性だった。それだけであればカルロッタは驚くことはしなかっただろう。
 しかし、その女性は人間種であるカルロッタにとって普通ではなかった。


「し、失礼しました!」

「あら? ごめんなさい。 驚かせてしまったようね」

「い、いえ。 大丈夫であります!」


 反射的に通路の壁に背をつけて直立不動の状態で敬礼を行うカルロッタ。その彼女に対してこちらも同じように敬礼で答礼する背が高い女性は、己の姿がカルロッタを驚かせているということが分かると、済まなさそうに会釈しつつ謝罪する。


「そう。 ちょっと、前を失礼するわね」

「はい! ど、どうぞ……」

「ありがとう」


 そのまま壁際に控えたままの状態を保っているカルロッタの前を通り過ぎていく女性。その後ろ姿を見送ったカルロッタは女性の姿が見えなくなると、盛大に安堵のため息を吐きつつ、肩の力を抜いて敬礼の姿勢を解く。


(な、何で魔王領の軍人がこの列車に乗っているのだ?)


 カルロッタの前を通り過ぎて行ったのは魔王領の軍人であった。しかも女性の軍人である。
 それも魔王領国防軍の軍人達が標準的に着用している暗緑色の詰襟の軍服ではなく、濃い灰色の開襟の制服を着用していたが、カルロッタにはあの制服に見覚えがあったのだ。


(保安本部……!)


 国防省保安本部。
 魔王領国防大臣直轄の部署であり、国防省の内局でもある組織だ。

 国防省所属の事務官と国防軍の軍人から構成されており、確か憲兵隊や軍刑務所を所管し、国境警備の任務もここの管轄だったはず。そして陸海空の国防軍三軍とは別に『ヴァンドリッツ衛兵連隊』という実働戦闘部隊を独自に保有して、国防軍が展開する戦線の後方や補給地域において治安維持任務や防諜対策スパイ狩りを担当しているこことと、非常に苛烈な作戦行動で悪名高い組織でもある。

 その制服を着た女性魔族が何故列車に乗っているのだろうか?
 突然遭遇した予想外の出来事に、普段は冷静沈着で有名なカルロッタは内心激しく混乱していた。
 しかも…………


(おまけにあの階級章……あれは『魔導少将』の階級ではなかったか?)


 女性が自分の前を通り過ぎていく際にチラッと見えた階級章。
 それは資料の中でしか見たことがない、ある意味で幻とも言える階級章だった……


(ということは、あの軍人は……実質的には『中将』ということか!)


 軍の一般系統の階級より優越した関係にある魔導系統の階級。その中でも『少将』という、エルフィス教皇領に存在する軍事組織の一員であるカルロッタにとっても雲の上の存在である階級の実質的な位置付けを思い出して、彼女は誰もいない通路で人知れず己の体を抱き竦めるようにして身震いする。


(『金十字魔導野戦突撃章』の実物など始めて見たぞ……)


 噂としてしか聞いたことがない、作戦遂行中の魔導戦闘における最大の軍功を挙げた魔導軍人にだけ叙勲されるという知る人ぞ知る魔王領国防軍の勲章。叙勲された軍人の数は上級魔族を含めて片手で数える程しかなく、魔王領の魔導軍人であれば誰もが羨む勲章の一つとして数え上げられている。

 衛士庁内の資料室に置いてあった魔王領国防軍の詳細な内容を記した資料を通して見たことはあったものの、その勲章を制服に佩用した高級魔導軍人が目の前を通り過ぎて行ったことに対して、カルロッタは衝撃を受けてまるで石像のように固まっていた。しかも、金十字魔導野戦突撃章以外に今までに資料でもカルロッタが見たことのない徽章や勲章が幾つかと、その略綬の多さに衛士である彼女はあの女性魔族が只者ではないことを直感的に悟る。
 

(まず間違いなくあのお方は上級魔族であろうな……)


 あのような階級と勲章を持つ魔族軍人が中・下級魔族である筈がない。となるとあの女性魔族は必然的に上級魔族である可能性が限りなく高い。

 よく『上級魔族は歩く災害』という例えを耳にするが、あの魔族の強さは並みの災害どころではないだろう。魔法が普通に使える上級魔族の中にあって、魔導少将を軍から拝命しているのだ。その気になれば小国の一つや二つ消し飛ばすのも訳あるまい。

 そしてそれとは別にカルロッタが個人的に気になる点がある。
 

(あれは……拳銃嚢ホルスターか?)


 魔導軍人は基本的に個人携行用の武器はあまり持たない。これは魔族だけではなく、人間種を含めた殆どの魔導軍人に言えることだ。

 特に階級が高い高級魔導軍人などは魔法発動用の魔法仗や短剣を身に付けることはあっても、拳銃などの飛び道具を携行していることなどまず考えられない。それは、高級魔導軍人くらいの階級になると、いつでも発動できる魔法そのものが拳銃のような存在になるからである。

 確かに自分の上司のように魔法が使えながら拳銃を携帯している魔法使い少数派ではあるが、全くいないわけではない。だがそれは神聖魔法や精霊魔法のように使い勝手があまり良くない魔法を使用する者に限ったことであり、強力な軍用魔法を使用できる魔族の魔導軍人が拳銃を携帯しているなど、聞いたことがない。


(今までに見たことがない形状の銃把グリップだった……)


 黒い革製の拳銃嚢に付いている蓋の隙間から覗いていた、不思議な形の銃把を持つ拳銃。それだけであれば、別に驚くに値しなかっただろう。

 今この瞬間にも新しい技術を用いた銃は生まれ続けているし、あの魔族軍人が腰に吊っていた拳銃もまさにその新しい技術を使った新型の拳銃かもしれないのだから。


(今まで見てきた拳銃の銃把より明らかに幅が広い)


 衛士という職業柄、様々な形状の拳銃を見てきたカルロッタであったが、あのような複雑な形状の銃把を持つ拳銃を見るのは初めてだった。拳銃嚢に蓋が付いていたため、見えたのは銃把の底だけであったが、その見たこともない形状にカルロッタの想像は大きく膨らむ。
 そして……


(それにあの剣……!)


 拳銃とは別に女性魔族の左腰に吊られていた不思議な柄を持つ細身の剣。片手剣のように短い柄ではなく、明らかに片手剣の二倍以上ある護拳を装備していない長い柄と分厚い鍔、そして湾曲した金属製の鞘。

 そんな不思議な形状と拵えを持つ剣の姿を見たカルロッタは心を奪われていた。まるで、初恋の異性を初めて見て一目惚れしたときのように……


「欲しいなぁ……」


 思わずポツリと自分の欲望を口に出してしまうカルロッタ。それに気付いた彼女は慌てて自分の口を押さえて、周囲を見回すが、幸い誰にも欲望の声は聞かれてはいなかったようだ。


(と、取り敢えず全ての一等客室を回って、例の冒険者の姿が確認できないかだけは調べるぞ。
 その後でベアトリーチェに先程の件も含めて報告だ!)


 果たして件の冒険者が居る部屋を見つけられるかはわからないが、あの女性魔族の存在が分かっただけでも大きな収穫だった。しかも、相手は上級魔族でありながらベアトリーチェの魔力探知に全く引っかからないほどの手練れである可能性が高いのだ。

 本音を言えば後をつけて行って彼女の名前などを知りたいところだが、あの魔導少将は危険だ。今までベアトリーチェに付き従い、各国を回ってそれぞれの軍人達と知り合う機会を得てきたが、あの威圧感は例え用がない。


(仕方がない。
 あの魔族軍人に関してはベアトリーチェ様に報告して、今後の判断を仰ぐことにしよう)


 「ベアトリーチェ様も喜ぶことだろう」という思いのもと、カルロッタは閉まっていた扉を開けて隣の車両へと移って行った。





 ◆





 人通りが殆どない列車の通路を二人の男女が歩いて行く。二等客車と違って一等客車の乗客達は皆良識を持った裕福な者が多く、食堂車への往来以外で客室から出て来る乗客が少ないためか子供を除けば通路ですれ違う人間の数は少ない。

 だが油断は禁物だと自分に言い聞かせて彼女は部下と共に己が使っている客車を目指す。通路には殆ど人気がないが、客室の中には確実に人の気配があり、通路を通る際に時折笑い声や話し声が聞こえてくるし、窓掛けを下ろしていない客室は扉の窓硝子越しに乗客達が座っている姿を確認できる。

 なので少女は部下と共に歩きながらも他人からは列車の走行音で聞き取れず、お互いにギリギリ会話が成立する音量の声で話しながら通路を進んでいた。


「やはり、先程すれ違ったときに見た軍服は『エルフィス教皇領』の衛士だったか」

「はい。 予め調べた結果では、どうやら教会の司祭を護衛している模様です」


 帝都の始発駅の構内で見た黒い修道服を着た若い女性。首から教会の実力者しか所持が認められていない金色の聖印をぶら下げていたので「もしかしてあの若さで司祭職か?」と疑っていたのだが、どうやら自分の勘は正しかったらしい。

 そして先程、渇いた喉を潤す為に腹心の部下と共に食堂車で紅茶を飲んで一息ついた少女は客室へ戻って行ったのだが、食堂車から隣の一等客車へと移って直ぐに通路で自分達とすれ違った軍服を着用し、緋色の髪をひっつめた若い女性は部下の報告によると自分の予想通り、聖エルフィス教皇領の衛士だったようだ。


「なるほどな。
 駅で列車に乗り込む際に見た、教会の者が駅構内をウロウロしていたのもそれだったのか……」

「はい。 部下の報告では、その司祭は監察司祭……特高官であるとのことです」

「特高官と言うと、あの『カレンディルの虐殺』で作戦を主導していたのも確か教会の特高官であったよな?」

「はい。 その特高官です」

「ふーむ……」


 部下が協力者であるこの列車の乗務員から手に入れた情報によると、どうやら相手は只の司祭職に就いている者ではなかったようだ。『カレンディルの虐殺』で一躍有名になり、国際通信社の記事によってその名を大陸中に知らしめることになった聖エルフィス教会の特別高等監察官。

 通常、『特高官』と称されることが多いこの者達は教皇直轄の監察局に所属し、聖エルフィス教会とそれを国教としているエルフィス教皇領、及びそれぞれの大陸各地に存在している教会と教皇領の関連施設や組織、属領などに対して強大な強制監察・捜査執行権限を持ち、教皇や大司教の次に恐れられている存在である。

 教皇直属であるためその権限はかなり強力で、教皇領渉外局の大使司祭や属領の総督司教さえも捜査対象にし、監察局直下に『衛士庁』という実働戦闘部隊である準軍事組織を所管してることで有名だ。

 教皇領の国軍である『教皇軍』とは指揮系統が異なる衛士庁は監察局の手足とも言える存在であり、その任務は教皇の命に背いた教会及び教皇領政府関係者の懲罰や拘束を主な任務とし、時には行き過ぎとも言える苛烈な軍事行動を取り、『カレンディルの虐殺』に代表されるような世間の注目を集める事件を起こしたことなど一度や二度ではない。


「奴らの戦闘力は問題ではない。
 問題なのはこの件を足掛かりに『教会』が介入する大義名分を与えかねないということだ。
 奴ら、教会の権勢は領主制度の崩壊と共に弱まったとはいえ、その情報力と浸透能力は侮れん」


 少女が言うように監察局や衛士庁の戦闘力は問題ではない。確かに特高官や衛士達一人一人の能力は高いものの、数だけを見れば自分達武装親衛隊や外征戦略軍、皇国大陸軍の敵ではない。

 問題なのは奴ら教会の浸透力である。宗教を盾に人々の心の隙間に入り込み、いつの間にか信徒を増やしてしまうその手法はヘカート大陸でも問題視されており、事実、外征戦略軍や大陸軍の中にも確実に信徒が存在しているのだ。


「では……」

「まあ待て。 その特高官は終点のメンデルまでこの列車に乗ったままなのか?」

「はい。 もしかしたらと思って調べましたが、途中駅で下車はしないようです」

「……分かった。 乗車中の各員に通達しろ。 
 『手出し無用』とな……」

「了解しました。 少佐殿」


 文字通りの意味で『触らぬ邪神に祟りなし』という言葉通り、少佐と呼ばれた少女はこの問題に手を付けないことを決める。相手は只の司祭ではなく、監察司祭の肩書きを持つ役職持ちの特高官だ。普通に考えれば実力もだが、その背後にある教皇以下教会幹部達の関係性も決して無視出来ない。

 普通であれば修道女であってもおかしくはない若い女性が司祭というだけでも驚きだが、よりにもよって悪名高い特高官なのである。ということはあの女性の縁者に強力な教会や大幹部や教皇領政府の首脳陣――――大司教や大臣級の者が親類縁者に控えている可能性が高く、下手したら実は教皇の娘でしたという可能性も否定できないのである。

 そのため少女は手出しすることを控えるようにという旨を部下に下命する。ただでさえ実際の作戦を遂行する際には図上演習には無かった問題が次々と発生するのは分かっていることなのだから、敢えて新たな問題を抱え込む必要はない。


「それと、例の…………なっ!?」


 部下とヒソヒソと話しながら自分達が使っている客室がある次の車両に乗り移ろうとしたときだった。扉が開いて乗客がこちらの車両に移って来たのだが、少女はその乗客の姿を見て唖然としてしまい、思わず声を上げそうになってしまう。


(少佐殿! これは!?)

(シッ!!)


 お互いの目を見て視線だけで会話する少女とその部下は、自分達の表情が相手に読み取られないように、外向けの笑顔で自分達とすれ違う者へ応じる。


「ごめんなさい。 失礼するわね」

「いいえ。 こちらこそ往来を妨げてしまって、失礼いたしますわ」


 お互いに声を掛けてすれ違う少女と部下、そして問題の乗客。怪しいと思わせる点や無駄な魔力は出していない筈だが果たしてどこまで相手を欺けたかは判らない。


「な、何だったのだ? 今のは……」

「わ、わかりません……」


 隣の車両へと移って行った乗客の後ろ姿を見送った二人は互いに安堵の表情を浮かべていた。まさか乗客の中に魔族……しかも、本国であれば王族に相当する上級魔族の高級軍人が乗り込んでいるとは夢にも思わなかったのだ。


「…………予定変更だ。 予備に回している第四、第五小隊も作戦に投入するぞ」

「は?」


 上官の言葉を聞いて部下は驚きの表情を隠せないでいた。彼の顔には「正気ですか」という疑念がありありと見て取れるが、そんな部下の気持ちなど知ったことかとばかりに少女は言葉を紡ぐ。


「貴官も見たであろう? 事前に調べていた乗客の情報漏れがあったのだからな。
 乗客の中にあんな上級魔族バケモノが乗っていると判明したのだ。
 制圧に投入する兵員の増強を図っても悪いことではないだろう?」

「それは……分かりました。 早速、第四、第五小隊それぞれの小隊長達に連絡を取ります」


 上官の下した判断に部下は了解し、早速連絡を入れる指示を復唱するが、それを見た少女は思い出したかのように彼に次の指示を下す。


「ああ、それとベルグマン中尉に連絡して対上級魔族用の装備を持って次の停車駅である『カティン駅』で乗車するように伝えろ。
 理由を聞かれたら、さっき見たことを話せ」

「はっ! 了解しました」

(これは……場合によっては大隊員の半数は生きて帰れんかもしれんぞ?
 ふう。 思いっきり想定外のこととはいえ、自分も死ぬ覚悟を決めねばなるまいよ……)


 作戦に想定外は付き物だが、先程見た相手はさすがに想定外過ぎた。
 ならばこちらもその想定外に対応した作戦に切り替えるべきだが、それでも相応以上の損害は免れないだろうという予想に対して新たに覚悟を決めた少女は部下共に厳しい表情を浮かべたまま、隣の車両へと移って行った。
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