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〈15〉闇に想う者
しおりを挟む暗闇の中、彼女が目覚めたような気がして。
男は身を起こした。
そして寝台を降り隣の部屋の戸を開ける。
「莉乃、眠れないの?」
窓際に立つ女に男は話しかけた。
窓から差し込む月明かりは彼女の白すぎる肌を照らし、その姿を青白く浮き立たせていた。
腰まである長い黒髪の中には、所々異なる色が混ざっている。
その異色は、今宵ぼんやりと空に浮かぶ月光の如き白銀だ。
その髪色を目にするたび、男は心が千切れるほどの悲愴感に包まれる。
幾度も。
そしてそれを消し去るには復讐するしかないと悟った。
あの日から。
大切な人に、このような〈証〉を与えた者に対する復讐を。
「莉乃、もうお休み」
近寄って抱きしめる。
夜着から伝わる女の体温は氷のように冷たい。
それは莉乃が一度、屍になってしまったせいだ。
血の通わない骸と化した身体に……。
それでも僅かに残った意識の欠片は、女を完全な死人には変えなかった。
『縁証印』と呼ばれる忌々しいその〈証〉と人には無い霊力を授けられたために。
しかしそれは彼女をこの世界に引き止めている要因でもあった。
「莉乃……」
無感情な闇色の瞳には、確かに自分が映っているけれど。
はたして本当に見えているのか、それとも何も見えていないのか……。
男には判断がつかなかった。
それ程に感情が、彼女には無かったから。
「ねえ、……トウヤ。声が聴こえたわ。……誰かがわたしを呼ぶ声が」
「莉乃」
男は抱きしめた腕に力を込めた。
「僕には何も聞こえない。……空耳だよ。さぁ、夢の続きは布団に入ってから見るんだ」
促す男にぼんやりと頷いて女は従った。
寝台に横たわり、目を閉じる前に女が呟く。
「……トウヤ……? あなたいつから眼鏡だったかしら」
細い指がのびて男の頬に触れた。
男は無言の笑みでその手を取り、優しく布団の中へ戻した。
「……ねぇ、トウヤ……。わたしの……大切にしていたあの手鏡が……無いの。どこにあるのか……探したのに……見つからない……」
「大丈夫だよ、莉乃。明日になったら僕が一緒に探してあげるから」
毎日繰り返される同じ台詞に、男も決まって同じ言葉を女に返した。
そして彼女が眠りにつくまで、男は傍で見守った。
♦♦♦
男が部屋に戻ると、ざわりと背後で闇が動くのを感じた。
「おまえも闇眼が働くようになったなァ」
影の中から声が響いた。
「やみめ? なんだ、それは」
「普通の人間なら、夜中に隣の部屋で寝ている奴が目覚めたかどうかなど判らないだろ。目が利く……闇の中の気配に気付くほど感覚が慣れてきたってことだ。おまえの身体が魔性に近くなってるってことさ」
「真昼の光が目に染みて嫌な感覚になるのはそのせいか」
眼鏡をかけることで少しは和らぐのだが。
「そうだよ、トウヤ……いや、今は〈鷹也〉か。闇眼はオレの一部と共に行動しているせいもあるからな。まあ、いい傾向じゃないか」
ひゃひゃ、と。影の中の声が低く嗤った。
「おまえの一部? そうじゃない、おまえに俺の影を貸しているせいだろ」
「ふうん……まぁ、いいけど。それよりアレは手に入ったのか?」
「ああ」
男は机の引き出しからそれを出した。
「僅かだがな」
「呪術を使うには充分だ」
男の背後からヌッと闇色の手が伸び、それを受け取る。
その手に掴まれた蜂蜜色の細い髪がふわりと揺れて、暗闇の中へ消えた。
あの店で彼女と再会したのは偶然にしては好都合だった。
莉乃が探していた手鏡の代用品を購入し、それから蜜華亭に行こうとしていたときだったから。
わざわざ会いに行く手間が省けた。
知人の勧めで仕方なく受けた気の乗らない見合い話。相手は菓子屋で働く美琴という名の地味な娘だった。
断る予定でいたが思わぬ縁を引き寄せた。
彼女が霊獣の花嫁に選ばれたと知ったとき、歓喜で身体が震えた。
これで復讐ができる。
呪い続けた想いが強い呪気となり、いつしか妖魔を引き寄せ、身の内に影となって棲むようになった。
小さな邪鬼は自分に取引を持ちかけた。
邪鬼は大きな妖力を欲しがり、自分は莉乃を元の身体に蘇らせることを望んだ。
そのために必要な霊力を、あの見合い相手が霊獣から授けられたと知り、出逢いは好機となった。
再会した店で彼女の髪を影の力で数本奪い、渡した手鏡にも細工をした。
彼女に渡したのは莉乃が大切にしていた手鏡だ。
全てが復讐のため。
気弱な娘だと思っていたのに。
あの髪色を人目に晒して出歩くことなどできまいと思っていたが。
けれど霊獣の霊力はまだ完全ではないらしい。
真の目覚めはまだ解かれていない。
しかし男女の仲はいつどうなってもおかしくない。
霊獣の目覚めを促す印。それを持つ娘を奪えばいいのだと邪鬼は言った。
印があるだけで霊力は備わっている。
けれど彼女はまだ自身の力に目覚めていない。
ならば早くあの二人を引き離しておかなければ。
「明日から莉乃の影をいつでも動かせるようにしたい」
「ふふ。いよいよ復讐か? 結構なことだ」
背後の影は揺れながら小さくなり、やがて消えた。
そうだ……。ようやく復讐ができるのだ。
莉乃を不幸にした者へ。
自分たちから未来を奪った者へ。
そして幸せを取り戻すための復讐を始めるんだ。
莉乃。君を必ず元に戻すと約束するよ。
そして二人で
今度こそ、
幸せに生きるんだ……。
暗闇の中、男の眼は何も無い虚空をいつまでも見上げていた。
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