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〈4〉皇都からの使者

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 翌朝、美琴が目を覚ますと既に紫珱は黎彩皇都へ向かった後だった。


 霊獣の姿で夜明けまもない空へ駆けて行ったと、真紀乃が教えてくれた。


 美琴の体調が完全に回復したのは紫珱が去った二日後だった。

 三日目の朝からはようやく食事も普通に摂れるようになっていた。



 その日、朝食を済ませた美琴は身なりを整えた。


 今日から暦が変わる。

〈喜雪の月〉

 一年を締めくくる最後の月だ。

 年の瀬に向けて店も忙しくなる。

 普段の仕事のほかに新年を祝う慶賀用の菓子の準備など、仕事は山ほどある。

 臥せってなどいられなかった。


 美琴は鏡台の前で髪を梳いた。

 手触りさえ変わってしまった蜂蜜色の髪は、ふわふわとして上手くまとまらず、美琴は溜め息をついた。


 あの日、霊獣と遭遇した日以来、会っていなかった瑠香が昨日見舞いに来て「こっちの髪も素敵だよ」と言って褒めてくれたけれど。


 髪にも瞳の色にもまだ馴染めず、鏡を見るたび憂鬱になった。


 結局、髪は上手く結い上げることが出来なくて。

 後ろで一つに束ね三つ編みにして下げた。


 仕事着に着替え三角頭巾を被り美琴は家を出た。


 真紀乃は店が開く時間までゆっくりしていたらいいと言ってくれたけれど。

 なんだか落ち着かないので美琴は外の掃き掃除を願い出た。


 外に出ると空気は一変し、朝の冷気が肌を射す。

 吐く息の白さの中に陽光が溶けて煌き、霊獣の白銀が美琴の心に浮かんだ。


(紫珱さま、もう黎彩に着いたかな)


 霊獣の駆ける速さなど美琴には想像もできない。

 使者とやらもいつここへ来るのだろう。

 美琴が溜め息をついたとき。


「なんだ?」


「なんだろうねぇ、あれ」



 美琴の周りで声があがった。


 早朝とはいえ、店の前を行き交う人がいないわけではない。

 外に出ていた人々は皆立ち止まり、驚いたように空を見上げている。




「こちらかしら?」


「この辺のはずです。……あ、あそこに!」


 上空から女性の声が響いた。



 美琴が見上げると白く長細い塊に乗り、こちらを見下ろす者が二人いる。

 一人の髪色は桃色だった。


 その二人を乗せた長細い雲……? のような塊はぐんぐん美琴に近付き、桃色の髪の女性がふわりと美琴の前に降り立った。


 続いて濃い茶色の髪の童女が降り立つ。


 二人はとても質の良い華やかな衣装を纏っていた。


 羽衣のような肩巾を揺らし裳裾が風に靡くその姿は、まるで天女が舞い降りたかのようだった。


「沙英の街の甘味茶屋、蜜華亭はこちらでよろしいのかしら?」


 桃色の髪の女性が美琴に尋ねた。


「はい、こちらですが……」


────「貴族か?」


────「そうみたいだな」



 周囲がざわめきたつ。


「黎彩からの使いで参りました。私は穂奈美と申します。霊獣の『選ばれし者』美琴さまにお目通り願います」


 女性の言葉に辺りは騒然となった。


「あら……? あなたもしかして」


「あの!とにかく中へどうぞっ」


 美琴は野次馬が増える前に、二人を店の裏口へと案内した。



「もしかして、あなたが美琴さま?」


 頷くと桃色の髪の女性、穂奈美は微笑んだ。


「やっぱり! 瞳の色が紫珱さまと同じだもの。よかったわ、迷わずこちらに着いて。さっそくですが幟を立てさせていただきますね」


 こう言うと穂奈美は後ろに控えていた童女に向き何か囁いた。


 するとその少女は抱えていた包みを解いて、何やら作業を始めた。


「美琴さま。まずは店の女将さんと少しお話しをさせてください。美琴さまとはそのあとでゆっくりお話ししたいのですが、よろしいかしら?」


 絶やすことのない穂奈美の微笑みは、陽だまりのように柔らかで。


 まるでそこだけ暖かな春がきたようだと美琴は思った。


 ♢♢♢


 穂奈美が真紀乃と話をしている間、美琴は自宅で待つしかなかった。


 店の中も外も幟の理由を聞こうと集まってきた野次馬で大騒ぎになっている。

 とても美琴が顔を出して仕事ができる状況ではなかった。


 部屋から窓の外を見ると、風にはためく銀色の幟布が見えた。

 幟布には金糸で〈四つ葉〉の模様が刺繍されている。

 長い葉柄と倒卵形の四つ葉模様は貴族の紋章だった。

 彩陽国で銀色の幟が立つことは慶事を意味する。

 銀色は霊獣の色だから。


 今日、この沙英の街に銀色の幟が立ったことで『選定の儀式』があり、霊獣の嫁選びが終了したことが広く知れ渡ることとなった。


 ♢♢♢


 しばらくして穂奈美が美琴の家を訪れた。


「お店を騒がせてしまったみたいで、ごめんなさいね。でも私、隠密に動くのって苦手で。でも移動手段は雲蛇だもの目立つのは仕方ないわよね。あ、くもへびっていうのは私たちが乗って来た白くて細長な塊のことですけど。……あら、このお茶美味しい!」


 美琴の用意した香茶に穂奈美は微笑んだ。

 年齢は自分より二、三才歳上だろうか。


 肩の辺りで揃えられた桃色の髪。

 鳶色の瞳は活気に溢れ、勝気な気質が垣間見える。

 けれど印象は悪くなく、気さくな人柄のようだ。


「お隣、素敵なお店ですね。少し覗かせてもらいましたけど、お菓子の種類も豊富で。帰るまでに私、太ってしまうかも」


 穂奈美は、優しい微笑みを美琴に向けて言った。


「私、黎彩からの使いとは申しましたけど本当のところは総代として来たんです」


「そうだい?」


「はい。申し遅れましたが私、『銀主連』という組織の総代を務めていますの」


「ぎんしゅれん?」


「───えっと、確かもともとの名称は『銀霊獣のあるじを夫に持つ妻の会』……だったかな。なんか縮めて銀主連ってしたそうです。で、私そこの総代になってまだ二年目なんですけど。私も西方の彩都の暮らしなんですよ」


「西の彩都……。確か都が二つあるって聞いたことがありますけど」


「ええ、西方地は二都、二領地です。晶珂しょうかという名の都と凉珪りょうけいという名の都で。なので領主も二人。霊獣だから二頭というべきかしら。私は凉珪で暮らしてます。貴族でもあり領主でもあり、夫でもある霊獣と一緒に」


「え!じゃあ穂奈美さまも選ばれし者なんですか」


「はい、主人の名は紅嵐コウランと申します。お隣の領地ですもの、今後とも仲良くしてくださいませね、美琴さま」


「じゃあもしかして穂奈美さまの その髪色も……言霊を交わした証という意味で変わってしまったのですか?」


「ええ。そうです」

 穂奈美は溜め息と一緒に頷いた。


「これは〔縁証印〕と言います。霊獣と縁を結んだ証拠のようなものです。私、そのとき絶句のあげく卒倒して。……あんまり腹が立ったから私、目が覚めてすぐに長かった髪を紅嵐の目の前でバッサリ切ってあげたんです。当て付けとして、しばらく口もきいてあげませんでした。だってひどいと思いません? 桃色なんて!こんな派手な色。私は以前の黒髪も緑色の瞳もとても気に入ってたのに……」


「色には何か理由があるのですか?」


「それがまったく!何もないそうですわ。だったら統一してほしいですよねぇ、まったく。同じ派手でもまだ美琴さまの方が品がありますもの。……あら、イヤだわ私ったら。話が逸れましたわね。縁証印のことですが、実は美琴さまに確認したいことがあるんです」


 柔らかだった穂奈美の視線が少しだけ緊張感を含む眼差しに変わった。


「縁証印は髪や瞳だけでなく身体にも刻印として現れるのです。場所は様々で 私は背中にありますが、今日は美琴さまのそれを確認しないといけません。ちょっとよろしいかしら?」


 穂奈美は美琴を鏡台の前に立たせると、じぃっと探るような視線を向ける。


 更に数歩近付いて正面の首元を見つめ、そこから徐々に左側に穂奈美は移動していった。


「まあ。こんなところにありましたわ」


 穂奈美は懐から手鏡を取り出すと鏡台と合わせ鏡にし、そこに映るものを美琴に見せた。


「ほら、ここですわ」


 左側からわずかに後ろの首筋に、薄っすらと小さな涙型をした朱色の痣があった。

 今朝、髪を結ったときには全く気付かなかったのに。


「『あけ葩印はないん』。これこそが髪や瞳の色よりも大切な選ばれし者の証です。今後その場所は、なるべく人目に晒さない方がいいですわね」


 穂奈美が席に着いたので、美琴は少なくなった湯呑みに茶を足した。


 甘い香りが部屋を満たす。


「朱の葩印って、なんですか?」


 美琴の質問に穂奈美は一呼吸おいて話を続けた。


「あれは霊獣を〈真の目覚め〉に導くための大切な鍵のようなものです」


「まことの目覚め?」


「美琴さまは貴族の祖が、精霊を従えてこの大地を守護してきた霊獣であったことはご存知ですよね」


 美琴は頷いた。
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