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第十三話〈ドキドキしないおまじない〉

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 そろそろ隊長を起こさなくてはと黎紫の部屋へ向かうまでに、ひよりは一生懸命思い出していた。



 えっと……。えっとぉ。

 ドキドキしない、おまじない。


 昔、お師匠さまに教えてもらったの……確か……。



 右手の親指を、他の四本の指で握り隠して。……確かおもいきり息を吸う……。


 それからその手をぎゅーっと握りしめて息を吐く……だったかな。


 これは昔、初めて包丁を使うときのひよりに、お師匠さまが教えてくれたおまじないだった。


 ───どうか効きますように。


 黎紫の部屋の前で実行し、ひよりは呼吸を整えた。


 それから扉をノックしたのだが、


 案の定、応答はない。



「失礼します……。あの、隊長?」



 今朝と同じ展開になりませんように!と祈るような気持ちで、ひよりが部屋の中へ入ると。




「ぅわ⁉ ───け、煙⁉」



 こほっ、ケホっ。───ひよりは咽せて咳をする。



 部屋の中、もわもわと漂う煙に一瞬、火事⁉ と思ったひよりだったが。


 タバコ臭い!


「───あぁ、ごめんねひよりちゃん。いま窓開けるよ」


 隊長、起きてたんだ。

 充満する煙を手で払い除けながら、ひよりも窓を開ける手伝いをした。


「一人で起きられたんですね、隊長」


 笑顔を向けるひよりに、黎紫は苦笑して言った。


「なんか嬉しそうに言うよね、ひよりちゃん。狸寝入りでもしておけばよかったかな」


「そんなのはダメです。それからタバコ吸うときは窓開けて換気してくださいね」


「んー、そうだねぇ」


 間延びした口調で言いながら、黎紫は部屋の長椅子にドサリと腰を下ろした。既に隊服は脱ぎ、雑な着流し姿だ。

 けれど意外なことに脱いだ隊服はきちんと部屋の隅の衣桁に掛けてあった。


「もう夕飯?」


「いえ、まだですけど。蘭瑛さん、莉玖くん連れて夕稽古に行ってて」


「あれ、諒は?」


「諒くんは夜警当番なので」


「……ふーん。夜警か」


 片手を口元に当てて、黎紫はじっと何かを考えている様子だった。


「隊長って、煙草吸うんですね」


「ん、たまにね」


 卓の上には黒い煙管キセルと四角く箱型の煙草盆が置かれ、白く細い煙がまだゆるりと立ち昇っていた。


「じゃあ私はこれで。三十分くらいしたらお夕飯の用意も整うので、居間に来てくださいね」


 ひよりが部屋を出ようとしたそのとき、


「あー、ひよりちゃん」


 黎紫が呼び止めた。


「なっ、なんでしょう⁉」


 ひよりは思わず身を縮めた。

 じっとこちらを見つめる黎紫の黒い瞳。

 その中にチラつく不思議な緋色の影。


 妖しいその瞳に、危うく吸い込まれそうになりかけて、


 ───お、


 おまじない! おまじないっ……。



 ひよりは右手の親指を他の四本の指でぎゅっと握った。


「なんか……すっげえ逃げ腰だね。大丈夫、悪いことしないから、もうちょっと近く来てごらん」



「いえあの隊長! お話なら今すぐここで。このままの距離でもいいのでは?」


「よくない。もっとこっちに来ること。これ、隊長命令ね」


 はうっ。


「なんかいつもそれ……。ずるいですよ隊長……」


 ひよりは渋々と黎紫が座る長椅子に近寄った。


「……あの、私まだこれからお夕飯の準備が。てんぷらとか揚げたいし、だからお話は手短に」


「ひよりちゃんは福ちゃん、どう思う?」


 ひよりの言葉を遮るように黎紫が言った。



 え?

 福ちゃん?


「福之助。相楽 福之助だよ。あいつ……六班隊、だったか? 今日一緒にいてどうだった?」


「福之助さん? ……どうって言われても。私、福之助さんとは初対面でしたし」


「だよな。ん~でもさ、何か相談とかされなかったかなぁと思って。福ちゃんに」


「相談、ですか?」


 ひよりは、ほんの数時間ではあったが、相楽とのやりとりを思い浮かべてみる。


「……忙しかったもんな、今日のひよりちゃんは」


 黎紫は軽く頷いて言った。


「いいよ、もう行っても。夕飯の準備に戻っていいよ」


 目の前の煙管に視線を落としたまま、黎紫はひよりを見つめることなく、難しい顔で何かを考え込んでいた。


「あの、隊長。相談、というのとは違うと思うけど、福之助さん自分は武仙より文仙の方が合っているとか、そんなこと言ってました。あと、闘魄のことも」


「闘魄。なんて?」


「なんだか福之助さん、自分が持つ潜在的な闘魄値に疑問がある様子で。どうして自分が護闘士になってしまったのか……と」



 あのときの、彼の瞳に浮かんでいたもの。


 どこか曖昧で不安定で……。

 大丈夫?と、おもわず声をかけたくなるような、今思えばそんな顔。

 あれは───〈不安〉を……想い抱えているような。


〈不安〉が感じられるような……彼から。


 そんな表情だったような気がする。


「私、もっと福之助さんの話を聞いてあげればよかったかも……」


「ひよりちゃん」


 わわっ⁉


 ぼーっと考えていたひよりの目の前に、いつの間にか長椅子から立ち上がった黎紫がいた。


 そしてひよりの頭に優しく手を置き、よしよしという感じて撫でた。


 ふわりと漂う、刻み煙草の匂い。


「ひよりちゃんはやっぱりイイね」


 黎紫の妖しさ満点な微笑が近付いて、ひよりの視線を絡め取る。

 イイって⁉ いったい私のなにがいいんですか?

 まるで熱が注がれるように、ひよりは頬がじんわりと熱くなるのを感じた。


 い、いけないっ……まっ、またドキドキしちゃう!


 おまじないっ。


 ひよりはもう一度、右手をぎゅうっと握りながらそっと息を吐く。そしてうっかり忘れそうになっていた事を思い出した。

 ───そうだ!鈴みたいな落とし物のこと訊かないと。


「隊長。これ……調理場に落ちてたんですけど、見覚えありますか?」


 ひよりがポケットから取り出したものを黎紫はじっと見つめた。


「鈴かい?」


「やっぱり鈴に見えますよね。でも鳴らないんです、これ」


「ふーん。どれどれ」

 黎紫はひよりから薄青い雫型をした小さな落とし物を受け取った。


「ほぉ。よく出来てるなぁ」


 黎紫の呟きにひよりは首を傾げた。


 鳴らない鈴なのに。いったいどこがよく出来ているのだろう。


「俺のじゃないよ」


「そうですか。昼前にお掃除したときにはなかったので。福之助さんのものか、昼間のお客様の中に持ち主がいるかもしれないです」


 調理場には昼間、護闘士たちが入りひよりを囲んだときがある。

 そのときに誰かが落とした可能性も考えられる。


 黎紫はしばらく黙ったまま、手の中の鈴らしきそれを見つめ、やがて視線をひよりに向き直し言った。


「ひよりちゃん、ちょっと出かけてくるよ。野暮用を思い出した。それからこの落とし物、俺に預けてくれる?
 今日来た連中何人かに聞いてみるよ。それでも不明なら『落とし物』として処理してくれそうな部署に届け出しとくから」


「はい、お願いします」


「少し遅くなると思うから。もしも夕飯前に俺が帰らなくても、心配せずに先にみんなでご飯食べてていいから───ねッ」


 ふぇ⁉───不意打ち!───まッ、また触られた‼


 黎紫はひよりのほっぺたに人差し指でツンと触れてから、ふわりと横を通り過ぎ部屋を出て行った。


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