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〈16〉後宮の最下位妃、可能性を見出す
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洙仙が苺凛を正妃にするという話が城内に広まってから数日。
「やはりそうか」
執務に使っている部屋で、梠玖成の話を一通り聞き終えた洙仙は呟いた。
「やはり、と仰るには薄々気付いていたのですか?」
「ああ、もしかしたらと思っていたし、報告を聞いて確信もできる」
梠玖成の話というのは調査していた苺凛の父親について得た情報だった。
「でもまだ父親が東国の出身だという情報だけですよ?」
「充分だ。苺凛の父親はおそらく真瑜李一族の血縁者だろう」
「真瑜李……。龍王家の血を濃く継いでいるという?」
「ああ。俺の母親と同じだな。だが霊仙花を咲かせることができるのは一族の女性だけだと母から聞いている。血筋は多少薄れても苺凛は真瑜李の異能を継いでいた。種を毒だと思い込み飲んだことで霊力が覚醒し、霊仙花が咲いたと考えられる」
「調査は続けますか?」
「いや、もういい」
「苺凛様に話すのですか?」
「それはあいつが知りたがればの話だ。いずれは話すときもくるかもしれないが。今は必要ない」
洙仙の言葉に梠玖成はやれやれと言いたげな顔をした。
「意地悪しないで教えてあげたらいいじゃないですか。霊仙花のことも、洙仙様だけが知っている話を助言してあげたらいいのに。正妃にするという理由も花だけが目的のような言い方をして。地上に霊仙花を咲かせたら苺凛様を自由にするとか。あれ本気で言ったんですか?」
「霊仙花はな、そう簡単に地上に咲く花じゃない。母上が生きていた頃でさえ花が種を残すこと自体稀だったからな」
「はぁ~。知ってて意地悪言ったんですね」
梠玖成は呆れながら洙仙を睨む。
「……なぜだかな。あの顔を見てると意地悪したくなるのだ。でも逆に甘やかしてみたくもなる」
感じたことのない想いは柔らかく温かい。
けれどそれはとても脆く思えて。
どう扱っていいのか判らない。
「梠玖成。この不可解な感情はなんだ?」
「洙仙様それは……特別な感情ですよ」
「とくべつ……?」
「特別な存在に対する特別な感情です」
「……難しいな」
「なにが難しいんです? 洙仙様がもっと素直になればいいだけの話でしょう。苺凛様の前で。意地悪は我慢して」
「だからそれが難しいと言ってるのだ」
「嫌われたいんですか?」
(それは……)
───嫌だな。
心の中で洙仙は呟いた。
「まったく。意地を張ってると本当に嫌われちゃいますからね。知りませんよ、もう。……ああ、それはそうと朝晩だけで大丈夫ですか?」
梠玖成が思い出したというように話題を変え質問をする。
「なにがだ?」
「霊仙花の食事ですよ」
「俺の体調なら心配するな。以前に比べたら花の味も随分マシになっているからな」
「そうですか。足りなかったものが補いつつあるということですかね」
「あいつ、いろいろと試しているようだな」
「そのようですね。昨日は霊泉の水とは別に後宮の敷地にある井戸水を汲んで宮殿へ運んでいましたよ」
「ああ、聞いてる。汲みたての冷たい水と汲んでから時間の経った水との変化を調べたいとか言ってたな」
「昼間も様子を見に行ったらどうですか。花を食べる回数が減ったこと、苺凛様も気にしてるみたいだと春霞も言ってましたから」
「忙しいと言ってあるんだ。気にするなと言っておけ。───それに、俺はあいつの周りをうろつかない方がいいだろ?」
「そうですが……。……洙仙様、本当にそれでよろしいのですか?」
「ああ。『例の件』に変更はない」
「……御意」
梠玖成は拱手し、主の言葉に真摯な眼差しで答えた。
♢♢♢
「苺凛様、そのような仕事は私がいたします」
井戸から水を汲もうとした苺凛に李雪という名の宮女がやって来て声をかけた。
「平気よ、それほど大きな水瓶じゃないから」
「ダメです。お妃様に水汲みなんてさせません」
「私は妃ではないわ」
新しい国を興すと洙仙は言ったが、そう簡単なものではないだろうと苺凛は思っている。
「今はまだでも苺凛様は正妃様になる予定の方です。洙仙様が毎晩お泊まりになっているのですから。愛されている証拠です」
泊まったからって。
洙仙は疲れているからと言って、霊仙花を食べるとすぐに寝てしまうのだ。
触れるのはいつも花にだけ。
忙しいが口癖になった洙仙とは、ゆっくり会話する時間もない。
「とにかく、春霞様にも言われてますから。私が怒られます」
「そうか。じゃあ手伝ってもらおうかな」
苺凛の傍には春霞のほかに李雪を含めた宮女が三人仕えるようになった。
「汲んだ水はいつもの部屋へ運んでね。手伝いはそれだけでいいわ。李雪だってほかにも仕事があるでしょ?」
「ほかの仕事は間に合ってますよ。今日は私が苺凛様のお手伝い担当なんですから。なんでも言い付けてください。苺凛様は今日も正午までいつものお部屋にひとりで?」
「ええ、そうよ。───それじゃ、お水をお願いね。準備があるから私は先に行ってるわね」
李雪は「はい」と言って微笑んだ。
♢♢♢
「よし、準備はこのくらいでいいかな」
広い机の上に並べられた透明な硝子の器が、窓からの日差しを受けてキラキラと輝く。
ここに水を注ぐと輝きはさらに増す。
そして水の中に花弁を沈めて実験は始まる。
これまでに判ったことが一つある。
土に埋めた花びらは消えてしまうが、水に沈めた花びらは消えない。
時間をかけて結晶化していく可能性があるのだ。
でもまだこれは誰にも言っていない。洙仙にも。
もう少し、試してから。
いろんな方法で確かめたい。
水の量や温度。同じ水でも井戸水と霊泉から汲んだ水では結晶化に違いがある。
できれば他の場所の水も試してみたいような気もする。
たとえば川の水。そして雨。
残念ながら雨季の頃はまだ先なので雨水での実験は難しいけれど。
川なら城外にも流れているだろう。
自分が城の外へ出ることは無理なので、梠玖成に相談してみようか。
洙仙に直接頼めばいいのかもしれないけれど。
試されてるような気がして。
もっと大きな成果が出るまで一人でやってみたい。
そうかと思えば、なんの成果も結果も出せなかったらどうしようという思いもある。
飲んだ毒のせいでこんな異能を持ってしまった私なんかが、本当に霊仙花を地上に咲かせることが出来るのだろうか。
そんな不安が心の奥にある。
以前よりマシな花になったと洙仙は言うけれど。
洙仙が本当に満足する花には、きっとまだなっていないのだ。
そしてそれは薬としての効能も弱いことになる。
玲珠妃が咲かせていた霊仙花のようには、まだまだ遠いのかもしれないと、度々思ってしまう。
だから何かをしていないと、実験に没頭していないと、不安な気持ちに押しつぶされそうになる。
洙仙が霊仙花についてどんなことを知っているのか気にならないわけではないが。
(───でも。諦めたり不安な気持ちに自分が負けたりするのはもっと嫌。だから絶対に、洙仙が驚くような結果を出してみせるわ!)
苺凛は大きく息をして気持ちを切り替えた。
「───苺凛様、水をお持ちしました」
李雪の声がしたので、苺凛は部屋の扉を開けた。
けれどそこに李雪の笑顔はなかった。
瞳を鋭く光らせ、鼻から口までを白い布で覆った者が苺凛に手を伸ばしてきた。
声を出す間もないまま口元を押さえられた瞬間、そこから伝わる強い刺激臭に全身の力が抜けていくのを感じた。
目の前は闇となり……苺凛は意識を失った。
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