後宮の最下位妃と冷酷な半龍王

翠晶 瓈李

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〈10〉後宮の最下位妃、夢で見た光景に遭遇する

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 翌日、後宮の最奥の隅っこに位置していた小さな宮殿から、璃紫宮への引越しはそれほど大変ではなかった。

 苺凛の私物は多くなく、家具や調度品は璃紫宮に残されているものをそのまま使うよう洙仙に言われたため、少ない荷物と身ひとつ、という簡単な引越しは半日で無事に終えた。

 璃紫宮に入った日の午後、苺凛は庭園を一人で散策した。

 璃紫宮は殿内も広いが庭もかなりの広さがあり、木陰に建つ四阿のほかにも休憩がとれる場所や景色を楽しむよう造られた庭など、趣の違う庭がいくつかあるが、水路のある細道から噴水のある庭に出たその先、木立の奥に湧く霊水泉までの〈水庭園〉と呼ばれる場所は、洙仙と苺凛以外の者が立ち入ることは禁じられている。

 どうしてなんだろう。

 半龍の洙仙や私が咲かせる霊仙花と関係があるから?


 洙仙に聞いてみるべきだとは思うが。

 花の食事以外で会いたいとは思わなかった。

 それにしても。

 あの夢と同じだわ。

 蝶になって璃紫宮に降りた夢を思い出す。

 目に映るものがあの夢と同じ彩。

 風も匂いも……。

 苺凛は誘われるように進んだ。

 まるであのときの夢のように。


 風に混ざり霊水の匂いが近くなる。

 なぜだか胸騒ぎがして苺凛は歩調を速めた。

 もしも、あの夢の通りなら。

 この木立の奥には泉があって、水辺には石造りの床几台腰掛けがあって。


 洙仙はあの夢の中で……。

 苺凛は足を止めた。

 さわさわと風が緑葉を揺らす音、そして耳に心地よいせせらぎ。

 木々の隙間から射す木漏れ日の中、床几台の向こう側に洙仙が立っていた。

 浅葱色の衣服も、襟元に輝く透明な珠飾りも。なにもかも夢と同じ……。

 ───なんで?

 どうしているの?

 あの夢はまさか……。


「引っ越しは無事に済んだようだな」

「なぜここに……」

 二人の声が重なった。

「俺がここにいるのが不思議か?」


 洙仙は苺凛の来た方向とは反対の方位を指した。


「向こう側。ここからもう少し行くと別の宮殿と交わる小路がある。そこを歩いた先に瑤華王が使っていた居住殿がある。今は俺が使っているが、ここの水庭園はその宮殿と繋がっている。皇后の住まいから一番近いというわけだ」


 洙仙は歩き出し、石造りの腰掛けへと向かう。

「だっ……駄目!───逃げて!」

 苺凛は叫んでいた。

「は?何言ってるんだ」

「だってここにいたら危ないから!」

「危ない、とは。なんだ?」


 洙仙は床几台を通り過ぎ、苺凛へと近寄った。


 ザワザワとした不安な気持が苺凛の胸に広がる。

 あのときの洙仙は腰掛けに座っていて、それから刺客が現れた。


 でも今は……。


「おい。どうしたんだ、寝惚けたような顔で。引っ越しが朝早かったせいで寝不足か?」


「違うわ。私、夢を見て……」


 薄笑いの洙仙が憎たらしい。

 いっそのこと黙ってたら、このひと死ぬんじゃない?

 そんなことを一瞬思ったが。


 こんなやつでも居なくなれば春霞たちだって困るだろう。


「夢?やっぱり寝ぼけてるな」


揶揄からかわないでちゃんと聞いて!───私、あなたがここで殺される夢を見たのっ。全部同じ……あなたが着てる服の色も、その首飾りも。私は蝶々で葉っぱの陰に隠れてたの。そしたら兵士みたいな格好の男たちが三人も現れて、あなたに向かって太刀を振って」



「三人の刺客?……ふぅん。ここへ来るのか。俺を殺しに?それは楽しみだ、のんびり待つとしよう」

「のんびりですって!?命を狙われてるのに、よくそんな悠長にしてられるわねッ」

 夢の中でもそうだった。洙仙は刺客を前に驚く様子もなかった。

 ───なによ、その余裕!

 そりゃ確かに私の夢の話なんて信じられないかもしれないけどっ。


「おまえは俺を心配してるのか?」


 洙仙に問われ苺凛は言葉に詰まった。


 私がこのひとを心配?

 違う、と否定しつつも、ならばこの感情はなんだろうとも思う。


「……私はあの夢がとても怖かったから」

 恐ろしくて。だから……。


「同じ光景を見たくなぃ……───っ⁉」


 風が不穏な空気を運んだのと同時に、何者かの気配がした。

 洙仙が素早く動き苺凛を背後へと庇うように立った。

 苺凛はハッとして洙仙の後ろから正面を覗けば、あの夢と同じ格好をした男の姿があった。


 けれど刺客と思える者は一人だ。


「なんだ。こいつが刺客か?笑わせる」


 鼻で笑った洙仙を前に、男は殺気だった表情で剣を抜き、洙仙へと突進する。


 苺凛は恐ろしさのあまりその場にうずくまった。


 夢では刀剣が洙仙に振り下ろされ、身体を貫いていた太刀もあった。


 同じになったらどうしよう!


 そう思った瞬間、ぶつかり合うような鈍い音と、男の呻き声。そしてドサッという何かが倒れる音がした。

 それからククッという笑い声も。

 この冷笑は洙仙のものだとすぐにわかった。

 苺凛は顔を覆っていた両手をゆっくりと離し、洙仙を見上げた。

「これが刺客だと?」

 洙仙はいつの間にか刺客から太刀を奪い、倒れ伏した男の背中へ先端を差し込んでいた。


 衣服を通して男の背中からじわりと赤い血が染み出している。

 このまま剣先を深く刺し抜けばきっと致命傷になる。


「弱すぎるんだよ」

 低い声で言いながら、剣先はそのままに、洙仙は力一杯、男の足の片方を踏みつけた。

 バキッ、というとても嫌な音がした。

 男はグオッと声を発し、動かなくなった。

 足の骨を砕かれたのだと苺凛は察した。

 ……死んだの?それとも気絶したの?

 夢とは違う展開になった。


 ……そうだった。このひとは化け物のような妖しい力があったんだ。

 そう簡単には殺されない。

「ここで斬首してやりたいが、霊泉のあるこの場所が穢れるのは避けたいからな。王の宮殿でゆっくり刻んでやる」


 洙仙は刺客の片腕を掴むと、そのまま引きずりながら歩き出した。


「……ま、まって。まだほかにも刺客が隠れてるかもしれないわ」


 震える声で苺凛は言った。

 夢の中では三人いたのだ。


 洙仙は歩みを止め、苺凛に向かって言った。


「こいつは三人目だ。だからもうこの場所にはいない」


「どういうこと?」


「ここ最近二回、立て続けに二人の刺客による襲撃があった。二人とも失敗して俺が殺したけどな。そしてこいつは三人目。おまえが見た夢でも三人なら合ってるじゃないか。……おまえ、新しい異能に目覚めたんじゃないか?」


 新しい力ですって?

「───し、知らない……わからない。こんなの偶然よ」


 そう思いたかった。

 これ以上、普通の人間とは違う何かに、なりたくなかった。


「霊仙花の力は治癒や長寿だけとは限らないぞ。もしも夢で未来を予知する力があるとしたら……面白いな。俺の餌になる以外でも役に立つなら褒めてやる」


「……そのひと、殺すの?」


「当たり前だろ。生かしてどうする」


 洙仙は笑っていた。


「じゃあせめて苦しまないように逝かせてあげて」


「は?何のために?俺はこれからこいつをいたぶって苦しませて殺すのが楽しみでたまらないんだぞ。口出しするな」


 その声は愉しそうだった。

「このまえ殺した二人の刺客のときもそうだったからな。二人とも生きたまま身体を切り刻んでやった。手足の指を一本ずつ切ってな。俺に刃を向けたんだ、恐怖と苦痛に悶えながら死なせてやる」


「そんな……。そんな残酷に処刑などしなくてもっ。そんなやり方で平気なの? 人としての心がないの?」


「うるさい! 俺に命じるなッ。人の心ほど煩わしいものはない。おまえは黙って霊仙花の咲き具合でも心配していろっ」


 ずるずると刺客を引きずりながら歩いて行く洙仙の後ろ姿に、苺凛はもうなにも言えなかった。


 残酷な行動と態度。

 それを愉しむ凶暴性。

 これも春霞が言っていたように、洙仙の身体の半分に人ではない性質があって、暴れているせいなのだろうか。

 龍の性質、というものが。

 霊仙花が足りなくて、飢えているせいで。


 夢と同じに洙仙が殺されることはなかったけれど。

 洙仙に対しては冷酷に加えて残虐な印象が増えるばかりだった。


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