毒視姫(どくみひめ)の憂鬱

翠晶 瓈李

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お茶会

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 スウシェが去った後、少し休憩をとってからリシュは再び着替えさせられた。



 この頃になると既に「面倒臭いからもうどうでもいい」感がリシュの心を支配し、支度は全てリィムの独断で進められた。




 薄淡い桃色で統一された衣装は、シフォンとレースをふんだんに使ったデザインで、リシュが動くたびふわふわと揺れる。



 柔らかな素材で肌触りも良い。



 でもなんだか落ち着かない。



 緊張のせいもあるのか……。



 髪は結わず両耳の上辺りに真珠の飾りを付けられた。



 淡い色の服を着るとスウシェの言った通り、紺青の髪色が際立つように思えた。




「とっっても! 美しいですわ~、姫さま。さあ! 参りましょう」


 リィムは満足気に微笑み、リシュを外へ促した。




「まあ! あれは……」



 宵の宮を出たところで、石柱に背をもたれ、こちらを伺う麗人の姿があった。



「ルルア様」



 スウシェの側近であるルルアが、リシュの前に進み一礼し、そして言った。




「護衛を兼ねてお迎えにあがりました」




 長身で、褐色の肌と短めの黒髪。

 白を基調とした騎士の衣装がとてもよく似合ってはいるが、その姿態は魅惑的な女性そのもので。



 涼しげな雰囲気のあるグレーの瞳といい、顔立ちはどこか中性的で不思議な風貌の彼女には人を惹きつけるものがあった。




「そうですか。わざわざ、ありがとうございます」



 ぺこりとお辞儀をするリシュを見て、ルルアはクスリと笑った。



「私にそのような態度は無用ですよ、姫様」



「え、でも」



「あなたは陛下の横に立つ方なのですから、もっと堂々としていても良いかと」



「……はぁ…………」





 ……慣れそうにありません。




 リシュは心の中で呟いた。



「それにしても、とても美しい。姫様が立つ場所だけ春の光が存在しているようです。その色の装い、とても良くお似合いです」




「これは全部リィムが選んでくれたものです。私は服に無頓着なので。ホントにいつも助かります」




「そうですか。頑張りましたね、リィム」




 ルルアの労いにリィムは小さく頷き、嬉しそうに頬を染めた。




 ♢♢♢



 広い王城の中、スウシェが住まいに使っているという棟は南側にあるのだと教えられたが、どこを通っても迷路のようでリシュはルルアの後をついて行くだけで精一杯だった。



 やがて。



 中庭のような場所へ出て紅葉の美しい木立ちを通り過ぎると、景観がガラリと変わった。




 リシュの前に花で溢れる庭が現れた。



 秋桜、ダリアやキキョウ。

 黄色や赤の小さな花々が植えられた庭園。


 中央には茶席が用意された広いテーブル。


 そしてそのテーブルの上にもたくさんの花が紅や桃色、黄色の秋薔薇が見事なまでに飾られてあった。




「ようこそ、リシュ姫さま。───まあ! なんて可愛らしいんでしょう!」




 リシュたちに気付いたスウシェが奥から現れた。




「よくお似合いですわ。春の妖精さんみたいで」




「……はぁ、」




 私が春ならスウシェ様はまるで『夏の女王』かしら。




 スウシェが着ている服はグリーンを基調とした光沢のある繻子織サテンで、胸元が広く開いているデザインだった。


 スウシェの豊かな胸元が目立ち、同性でも目のやり場に困るほどだ。


 おまけに裾にはスリットが入り、彼女が歩くたび美しいお御足が太ももの部分からチラチラと覗く。



 スウシェにはとてもよく似合っているが自分なら一生着れそうにない、とても勇気のいる装いだなとリシュは思った。





「あの、本日はお招きありがとうございます」




「まあ、うふふ。堅苦しい挨拶などいいのですよ。さあ、どうぞこちらへ」



 スウシェに促されるまま進み、リシュは訊いた。




「まだ私だけですか?来ているのは」



「ええ。残念なことに鳳珂国のキサラ姫は体調が優れないとかで断られましたの。でもオリアル様はもうすぐいらっしゃるはず。
 あぁ……ほら、来られましたわ。
 わたくしもお会いするのは久しぶりなんですけど」



 スウシェの視線の先、リシュたちが来た道とは違う反対側から二人の侍女を伴って彼女は現れた。



 優しく吹く秋風の中、見事なまでに長く美しく眩い白銀の髪を靡かせて。



 輝夜かぐやの姫、オリアルがゆっくりとこちらに歩いて来るのが見えた。





(なんて綺麗な姫なんだろう)



『輝夜の姫』


 その名の由来はやはり髪にあるという。



 月光を溶かしたようなその色は今、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。


 けれど美しいのは髪だけではない。


 明るい若草色の瞳や、形の良い鼻に熟れた野イチゴを思わせる艶のある唇。



 リシュより一つ年下の十七歳ではあるが、その雰囲気は随分と落ち着いて大人びて見える。




 装いはロング丈のドレスで、朱色を基調とした配色は淡い色合いから裾にかけて濃くなり、秋の紅葉をイメージさせた。


 プリーツの入った裳裾が歩くたび風と一緒に靡く様が美しい。



「宰相様。本日はお招きいただきありがとうございます」



 どこか甘く、それでいて落ち着きのある声音。



 近付いたオリアルがスウシェに向かい、軽く腰を屈める仕草をした。



 ……そのとき、




 優しく吹いていた風が




 少し後ろに控えたリシュのもとまで流れて。




 その風は……



 リシュに



 ある香りを運んだ。




 とても……




 ……とても甘い香りを。





 その香りに、リシュはとても驚いて、




 思わず眩暈を起こしそうになった。





 なぜならそれは……







 自分とリサナだけに判る、


 あの忌まわしい毒の香りだった。



 なぜ!?



 オリアル様から毒の匂いが……!?



 それとも後ろに控えている二人の侍女からだろうか。




 リシュにはまだそれがどこから、誰から香るものなのか判断がつかなかった。




「ようこそ、オリアル様。来てくださって嬉しいですわ。さあさ、こちらへ。ご紹介しますわね、こちらリシュ姫さまですわ」



「リシュ姫、あなたが」




 真っ直ぐに見つめてくるオリアルの若草色の瞳に、リシュは冷たい印象を受けた。



「は、初めまして」




 慌てて挨拶しながらも彼女の印象にふと思い当たる影が重なり、リシュはハッとした。




 似てるんだ。


 少しだけ目元が、ロキルトに。



 母親は違ってもやはり姉弟、だからだろうか。



「私、あなたを姉上様とお呼びするべきかしら」



 どこか憂いを湛えた表情でオリアルが訊いた。




「いえ、あのっ……それは……オリアル様のご自由に」


 正直、なんと答えてよいものかリシュにはわからなかった。


 うつむき、視線のやり場に困惑している様子のリシュにオリアルは言った。



「ではしばらくはまだ姉上様と呼ばせてくださいませ。そのうちお妃様と呼び名を変えなくてはなりませんものね」



「え⁉ い、いえっ、それはありませんから!」



 強く否定するリシュの様子を、オリアルは不思議そうに眺めて言った。



「あら、恥ずかしがることございませんのに。私、姉上様には以前からとてもお会いしたいと思っていましたの。……本当にその髪、噂通りの青なのですね。私の髪もよく珍しいと言われますけど。あの……触れてみても良いでしょうか」




「え……⁉ ……は…い、いいです、けど……」



 しどろもどろな返事にオリアルはふわりと微笑むと、リシュに近寄りゆっくり手を伸ばし、そっと髪に触れてきた。



 その瞬間、とても強く感じた甘い匂いにリシュは確信する。



 やはり、彼女から毒の匂いがしてる。



 そして優しく触れた後、またゆっくりと戻したオリアルのその手の指先には紫の色が残っていた。



 間違いない。


 彼女は毒に触れてる。



 あの色からしてごく最近。



 昨日か今日か。彼女は毒に触れている。




 そしてこの香りは……



 これだけの香りは……




 近くに毒があるということ。





 隠し持っているのだろうか。





 オリアル様が……?




 一瞬、彼女と目があった。



 感情の読みにくい眼差し。



 それは逆に、何かを隠しているようでもあり……



 感情を読み取られないように表に出さないでいるようにも思えた。



 何かを探られないように。



 冷静に。



 私の反応を伺っているようにも思えて……。




 彼女と毒が絡んでいる事実に気付いた私は………私も、冷静でいなければ。



 動揺してはいけないと



 なぜか強く そう思って、



 心に 言い聞かせた。





「美しい髪ですね」



 オリアルが言った。



「近くで見ると銀の光沢があって」




「あ、あの、オリアル様の髪も月光のように美しいです」




 ……こんなとき、どんな会話を続けたらいいのか。




 リシュが困り果てているとスウシェが声をかけた。



「さあ、お姫様方、こちらへ来てくださいな。今日は珍しい果物を取り寄せてありますのよ。どうぞ」



 スウシェに促されるまま、リシュとオリアルは茶会の席に着いた。



 和やかに、しばらくはスウシェとオリアルがお互いの近況などを話していたのだが、



「姉上さま。私、今日は姉上さまに一つお願いがありますの」




「なんでしょう」




「実は夕べ、母が陛下を晩餐に招こうとしていたのですが、断られてしまって」



 リシュは昨夜から今朝にかけてのロキルトとの一件を思い出し、ドキリとする。



「ならば今宵こそはぜひ、陛下を……そして姉上さまも御一緒にお誘いするようにと、母が強く申しているのです」




「私も?」




「はい、何がご都合でも?」



「いえ、私は構いませんが。陛下の都合まではわかりません」




「そうですよね。ではぜひ宰相様にも口添えを。母がどうしてもと言うので。どうかお願いします」




「わかりましたわ。リシュ姫さまがご一緒であれば陛下も頷くでしょう。わたくしからも申しておきますわね」




「ありがとうございます。母はひどく心配性なものですから。今日も私をこちらへ伺わせることにとても心配していて。でも、心強いですわ」



 オリアルはこう言うとリシュを真っ直ぐに見つめた。



「姉上さまが、こうして王宮へ戻ってきてくださったんですもの」



 オリアルは口元に笑みを浮かべた。




 口元にだけ、と言うべきか。



 瞳は笑っていない、



 リシュにはそう見えた。



 それに心強い……って。


 私がここへ戻ってきたから ?



 それって……



 早くあの怪文書と毒薬の送り主を見つけろとか。




 遠回しに言われてるような気がする。





「それはそうと、宰相様」



 この後、オリアルの話は豊穣祭で着るドレスのことや、招かれている来賓の話題となった。



 二人の会話に入る余地も無く、また入る器用さもリシュにはなかった。



 それよりもリシュは香る毒の匂いや、ティーカップを持つオリアルの指先に付いた紫の色が気になって仕方ない。




 リシュの目に視える範囲に毒の色である『紫』は、彼女の指先以外どこにもなかった。



 それなのに匂う、ということはやはり目の前の彼女、オリアルが何かを隠し持っているのだろう。





「オリアル様、そろそろお時間です」



 オリアル付きの侍女がやって来て、彼女に告げた。



「申し訳ございません、宰相様。今日は母に僅かな時間しか許されていませんの。いずれまた、今度は私の開くお茶会にお誘いしますわね」



 オリアルは立ち上がりスウシェに向いた。



「ええ、ぜひ」



 スウシェの返事を受けてからオリアルはリシュへと向く。



「では姉上さま、今宵の晩餐、楽しみにしていますわ」




「はい……」




 こうして、オリアルは優雅な挨拶を二人に向けて、来たときと同じ道を戻って行った。



♢♢♢



「リシュ姫さま、お顔の色があまりよくありませんね。何か、感じることでも?」



 オリアルが去ってからしばらくして、スウシェが訊いてきたので、リシュは毒の香りがしたことと、オリアルが毒に触れているのだという話をした。




「あの……このこと、ロキには私から言います」




 しばらく会いたくなかったけれど。



 そうも言ってられない、と感じた。



 ラスバートに言われたように、明日になってしまえば話す時間も限られるだろう。




「よろしいのですか?」




 スウシェが気遣うように訊いた。



 リシュが小さく頷くと、スウシェも頷いた。



「承知しました。夕刻までまだ時間がありますわ、宵の宮へ伺うようにと陛下に伝えましょう」




「はい、よろしくお願いします」




 茶会は終了し、リシュは帰りも護衛に付いてくれたルルアとリィムに伴われ宮へと戻ることにした。




 それにしても。


 オリアルは一体どんな毒に触れ、何を隠し持っていたのだろうか。


 そして、何のために……。



 西陽が差し込む王宮の廊下を歩きながら、そんな疑問ばかりが浮かんでは消える。



 これからロキルトと会い、そしてまたオリアル……だけでなく母君であるロゼリアと共に晩餐が待っている。



 ……はぁ。



 益々、憂鬱になるリシュだった。



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