18 / 25
8月10日(火)【18】2台のマウンテンバイク
しおりを挟む
旅にそなえて朝9時までたっぷり寝た。
ひさびさに夢を見た。化粧をしたお姉さんが螺旋階段をのぼる夢。
ぼくは階段の下からさけんだ。声に気付いたお姉さんは、太い柱から左手をはなして右手でつかみなおす。
ぼくの姿に気付いて、途中までのぼった階段をくるくると降りてきてくれる。
お姉さんは泣いているようにみえた。
パラパラと降る涙は螺旋をつたい、ぼくの左手にしみこんだ。
寝すぎたせいで、頭蓋骨がふくらんで痛い。
出発は13時。ケイタをエリカさんに会わせるつもりはなかったし、会えたとしても迷惑だと思ったのでお昼に到着するよう計画していた。
ケイタはおそらくキャバ嬢とホステスの違いも理解していないので、出勤時間のことなど知らないだろう。
勉強机の引き出しからお札専用財布を取り出し、千円札を二枚抜き取ると、普段づかい用のマジックテープ財布にしまう。
タンスからできるだけ白いタオル2枚と着替え用のTシャツ1枚を取り出す。
地図帳、ポケットティッシュと一緒にリュックに入れたら、お茶と氷を魔法瓶にそそいで、デジタル式腕時計を左手首に巻く。
白のぺちゃんこ帽子を内側からのグーパンチで3Dに戻したら、セミがジリジリする夏の玄関へ。
「この道を真っ直ぐ?」
「そう。危ないから前見ろ」
先頭がケイタ、ぼくは後方。2台のマウンテンバイクは校区を抜け、はじめて見る建物の谷を走る。
繰り返す段差にお尻がはずむ。角を曲がり一段下の車線へ。
足をペダルに押し付けながら上体を逆方向へ傾け、また傾け、シーソーのようなハンドルの揺れを、前のケイタにシンクロさせる。
段差のないアスファルトコースで距離を縮めながら高速回転する24インチタイヤ。
ピカピカに反射する黒い鏡コースに突入すると、鏡の中のマウンテンバイクは紙のように折れ曲がった。
中央分離帯エリアに入るとセミの音がガクンと減る。
横断歩道の距離から信号の長さを予測し、いそいで魔法瓶からキンキンの水分を補給。コップの残りを地面とスネにたたきつけて、フタを締める。
右手を見ると車たちの先頭に3台、バイクが並んでスタート合図を待っていた。
隠すつもりのないエンジン音が夏のアスファルトをワウンワウンと揺さぶっている。
右の赤信号の矢印マークが消えると、カコンと2回機械的な音がした。
「あきふみ、見とけよ。一番手前のバイクが勝つから」
青。
「(ブオーーンカッ、ブイーーン......)」
「ほんとだ」
ケイタの宣言通り、手前の前傾バイクはすぐに見えなくなった。そのあとをケツでかミニ車輪バイクがぶるぶるエンジン音で追いかけていく。一番後ろ、車の先頭を、背もたれ付きカマキリバイクがゆっくりと走っていった。
ケイタにつづいてカチカチとギアを2段階落とし、走り出す。
一度も休憩を挟まず目的地の最寄り駅に到着した。
ここからは前後交代。名刺の住所を頼りにお店を探す。
光のついていない無数の看板が、左右の建物から競うように突き出している。絡まる様に真横を向かされた長方形の葉っぱたちを、一つ一つ確認して進む。
道の先はるか向こうに、ビルが1本棒立ちしている。
あのビルは、なにを吸ってあんなに高く伸びたんだろう。
「ケイタ、ここだ」
両手で押していた自転車の右ブレーキをかける。
隣の壁との距離約1メートル。灰色のおそらく5階建てビル。
「とうちゃーく」
ケイタの声に昼の繁華街は反応しない。
前からきた軽自動車を見送って、道路の右側に移動。到着したはいいがこれからどうしようか。
「よしっ。入ろう」
「マジか」
こういうときにバカは強い。
何事にも無関係のケイタはマウンテンバイクを停めると、チェーンもかけずにガラス扉を開けて入っていった。
「やっぱこわい」
出てきた。
とにかくお茶を飲もうかとほうじ茶を飲んでいると、一人の若者がこちらへ向かってくる。そして、ぼくたちの前で止まった。
「どうした。なんか用か」
こわい。
「あの、すみません。知り合いのお姉さんがここで働いていまして」
「おう」
芸能人のような髪型だ。若者の威圧が少し弱まった気がする。
「エリカさんって今日出勤されますか」
ケイタの顔を横目でみると、おまえに任せるモードだ。
「エリカ、わからんな」
ぼくは急いでマジックテープ財布から名刺を取り出すと、ミスに気付いた。
「あっ、えーと。レイチェルさんです」
源氏名というやつだ。
「それ見してみ」
「あっ、どうぞ」
若者に名刺を渡すと「この店であっとる。ああ、せや、もうだいぶ前にやめた人や。たぶんやけど」といった。返された名刺を受け取る。
「えっ。だいぶん前ってどのくらいでしょうか?」
「俺が入った頃やから、2年くらい前かな」
「そうですか。ありがとうございました」
頭を下げると、ケイタにいくぞと目線を送り、マウンテンバイクのスタンドを蹴り上げた。
「あいつまだ2年目やから、他のホステスと勘違いしたんかもしれんぞ」
先頭を走るケイタがハンドルから両手を離して、バランスを取りながら胴体ごと振り返る。
「かもしれない運転やめろ。前、向け」
「なんだ。かもしれない運転って」
「安全運転」
「安全ならいいやん」
「いや、この場合は逆に事故るかもしれないからやめろ」
「オッケイ」
エリカさんは2年前にお店をやめた。もしかしたら、そのあと別のお店にうつって、ぼくにくれた名刺は不要になった方だったのかもしれない。お金は持っていないし、そもそもお酒を飲める年齢でもない。高揚していた汗は歩道へと落ちる。
「デパートいこうぜ」
ケイタはさっきと変わらない。
「いいよ」
ぼくはその後ろを追いかける。
デパ地下でほとんどの試食品を試したあと、一度も試していない200円の抹茶ソフトクリームを購入して、座って食べた。
「帰り道にでっかいゲームセンターあるから寄ろうぜ」
「おう」
ケイタはゲームセンターでこそ力を発揮した。ぼくは勝ち続けるケイタのプレイを、後ろから眺めていた。
ぼくも最後に1度だけ、UFOキャッチャーに200円を吸い込まれて、店を出た。
いつもと違う空で、太陽がオレンジに変わろうとしている。
家までずっと、ケイタが先頭だった。
ひさびさに夢を見た。化粧をしたお姉さんが螺旋階段をのぼる夢。
ぼくは階段の下からさけんだ。声に気付いたお姉さんは、太い柱から左手をはなして右手でつかみなおす。
ぼくの姿に気付いて、途中までのぼった階段をくるくると降りてきてくれる。
お姉さんは泣いているようにみえた。
パラパラと降る涙は螺旋をつたい、ぼくの左手にしみこんだ。
寝すぎたせいで、頭蓋骨がふくらんで痛い。
出発は13時。ケイタをエリカさんに会わせるつもりはなかったし、会えたとしても迷惑だと思ったのでお昼に到着するよう計画していた。
ケイタはおそらくキャバ嬢とホステスの違いも理解していないので、出勤時間のことなど知らないだろう。
勉強机の引き出しからお札専用財布を取り出し、千円札を二枚抜き取ると、普段づかい用のマジックテープ財布にしまう。
タンスからできるだけ白いタオル2枚と着替え用のTシャツ1枚を取り出す。
地図帳、ポケットティッシュと一緒にリュックに入れたら、お茶と氷を魔法瓶にそそいで、デジタル式腕時計を左手首に巻く。
白のぺちゃんこ帽子を内側からのグーパンチで3Dに戻したら、セミがジリジリする夏の玄関へ。
「この道を真っ直ぐ?」
「そう。危ないから前見ろ」
先頭がケイタ、ぼくは後方。2台のマウンテンバイクは校区を抜け、はじめて見る建物の谷を走る。
繰り返す段差にお尻がはずむ。角を曲がり一段下の車線へ。
足をペダルに押し付けながら上体を逆方向へ傾け、また傾け、シーソーのようなハンドルの揺れを、前のケイタにシンクロさせる。
段差のないアスファルトコースで距離を縮めながら高速回転する24インチタイヤ。
ピカピカに反射する黒い鏡コースに突入すると、鏡の中のマウンテンバイクは紙のように折れ曲がった。
中央分離帯エリアに入るとセミの音がガクンと減る。
横断歩道の距離から信号の長さを予測し、いそいで魔法瓶からキンキンの水分を補給。コップの残りを地面とスネにたたきつけて、フタを締める。
右手を見ると車たちの先頭に3台、バイクが並んでスタート合図を待っていた。
隠すつもりのないエンジン音が夏のアスファルトをワウンワウンと揺さぶっている。
右の赤信号の矢印マークが消えると、カコンと2回機械的な音がした。
「あきふみ、見とけよ。一番手前のバイクが勝つから」
青。
「(ブオーーンカッ、ブイーーン......)」
「ほんとだ」
ケイタの宣言通り、手前の前傾バイクはすぐに見えなくなった。そのあとをケツでかミニ車輪バイクがぶるぶるエンジン音で追いかけていく。一番後ろ、車の先頭を、背もたれ付きカマキリバイクがゆっくりと走っていった。
ケイタにつづいてカチカチとギアを2段階落とし、走り出す。
一度も休憩を挟まず目的地の最寄り駅に到着した。
ここからは前後交代。名刺の住所を頼りにお店を探す。
光のついていない無数の看板が、左右の建物から競うように突き出している。絡まる様に真横を向かされた長方形の葉っぱたちを、一つ一つ確認して進む。
道の先はるか向こうに、ビルが1本棒立ちしている。
あのビルは、なにを吸ってあんなに高く伸びたんだろう。
「ケイタ、ここだ」
両手で押していた自転車の右ブレーキをかける。
隣の壁との距離約1メートル。灰色のおそらく5階建てビル。
「とうちゃーく」
ケイタの声に昼の繁華街は反応しない。
前からきた軽自動車を見送って、道路の右側に移動。到着したはいいがこれからどうしようか。
「よしっ。入ろう」
「マジか」
こういうときにバカは強い。
何事にも無関係のケイタはマウンテンバイクを停めると、チェーンもかけずにガラス扉を開けて入っていった。
「やっぱこわい」
出てきた。
とにかくお茶を飲もうかとほうじ茶を飲んでいると、一人の若者がこちらへ向かってくる。そして、ぼくたちの前で止まった。
「どうした。なんか用か」
こわい。
「あの、すみません。知り合いのお姉さんがここで働いていまして」
「おう」
芸能人のような髪型だ。若者の威圧が少し弱まった気がする。
「エリカさんって今日出勤されますか」
ケイタの顔を横目でみると、おまえに任せるモードだ。
「エリカ、わからんな」
ぼくは急いでマジックテープ財布から名刺を取り出すと、ミスに気付いた。
「あっ、えーと。レイチェルさんです」
源氏名というやつだ。
「それ見してみ」
「あっ、どうぞ」
若者に名刺を渡すと「この店であっとる。ああ、せや、もうだいぶ前にやめた人や。たぶんやけど」といった。返された名刺を受け取る。
「えっ。だいぶん前ってどのくらいでしょうか?」
「俺が入った頃やから、2年くらい前かな」
「そうですか。ありがとうございました」
頭を下げると、ケイタにいくぞと目線を送り、マウンテンバイクのスタンドを蹴り上げた。
「あいつまだ2年目やから、他のホステスと勘違いしたんかもしれんぞ」
先頭を走るケイタがハンドルから両手を離して、バランスを取りながら胴体ごと振り返る。
「かもしれない運転やめろ。前、向け」
「なんだ。かもしれない運転って」
「安全運転」
「安全ならいいやん」
「いや、この場合は逆に事故るかもしれないからやめろ」
「オッケイ」
エリカさんは2年前にお店をやめた。もしかしたら、そのあと別のお店にうつって、ぼくにくれた名刺は不要になった方だったのかもしれない。お金は持っていないし、そもそもお酒を飲める年齢でもない。高揚していた汗は歩道へと落ちる。
「デパートいこうぜ」
ケイタはさっきと変わらない。
「いいよ」
ぼくはその後ろを追いかける。
デパ地下でほとんどの試食品を試したあと、一度も試していない200円の抹茶ソフトクリームを購入して、座って食べた。
「帰り道にでっかいゲームセンターあるから寄ろうぜ」
「おう」
ケイタはゲームセンターでこそ力を発揮した。ぼくは勝ち続けるケイタのプレイを、後ろから眺めていた。
ぼくも最後に1度だけ、UFOキャッチャーに200円を吸い込まれて、店を出た。
いつもと違う空で、太陽がオレンジに変わろうとしている。
家までずっと、ケイタが先頭だった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。



社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる