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7月25日(日)【10】お酒の味
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「いま母さんの友達おるから、ぜったいに静かにしろよ」
他人の家でうるさくしたことなどなかったが、いつもと違うキヨの真剣な目に黙ってうなずいた。
「おじゃまします」
あえて聞こえないよう挨拶する。
不愉快な汗を流したあとでもクーラーは等しくきもちい。小走り気味に廊下を進むキヨに導かれて、女子大生風にデザインされた子供部屋に入る。
部屋には入らず扉を閉めたキヨは、グラス2つ、取っ手の付いた麦茶ボトル1つ、チョコレート数個が入った皿を、花柄のお盆にのせて戻ってきた。
「ほら。飯もろくに食ってないやろう。食え」
キヨは二人ぶんのグラスに麦茶を注ぎ終わると、チョコレートがのった真っ白い皿を机の向かい側からスライドさせた。
「ありがと」
「酒入ってるからな。はくなよ」
ワインだろうか。”はくなよ”は、いつもの大げさな言い方だと思い、流した。お酒は甘くないという知識があったので、甘くないブドウを受け入れる口の準備をして、一粒ほうり込む。
奥歯でチョコを噛み切ると、中から汁があふれ出した。
「かっら!」
キヨは笑いながら「噛め、噛むんや」という。
「(んもぐもぐもぐもぐ......クチクチクチクチ......)」
経験者の言葉をすぐさま受け入れ、高速で歯を上下させる。辛みとチョコの風味が生温かく蒸発して、鼻にあがってくる。そしゃく専用口は閉じられているため空気の出し入れができない。するどい刺激が鼻と目頭から貫通する。
「のめ、のみ込め」
「(んモグモグモグ......こくんっ......ごっくん)」
接着剤のように喉の壁をひきずりながら、チョコは胃に落ちた。
興奮で目が開いているキヨに、大げさなジェスチャーで伝える。スライドされた麦茶をキャッチすると、すぐに唇で吸い、こうばしい夏の水で全体をゆすぐ。一口目をのみ込み、二口目は頬いっぱいに含む。しばらくそのままにしておくことにした。
「それウィスキーや」
「(これがウィスキーか)」
鼻息でこたえる。
「全部あげるわ」
「(ありがと。中身抜いて食べるわ)」
チョコはキヨ母の友達カサクさんからさっきもらったもので、母はお酒が苦手らしい。キヨも食べられるがあまり好きではないとのこと。
中身を抜いたらそこそこいけたので全部もらうことにした。真ん中で半分に割って汁を出し、皮だけ食べる。
「ついにドリームチーム完成してん。勝負するぞ。はよ食べろ」とキヨが言い出したので手を止め、ティッシュで拭き、コントローラを握る。
太陽の下では野球音痴の少年キヨが、クーラーの下ではメジャーリーガーだ。
野球ゲームでボロ負けするたびに、チョコを一粒つまんだ。
「あき、明日も遊ぼうぜ」
「明日は無理」
「なんでや、また目の......あの駒江か」
駒江とはケイタの苗字だ。
「いや、しばらくおばあちゃん家にいく」
「なんやそうか。何すんねん」
「海とか山とか虫とか」
「こどもやな」
「こどもやぞ」
取り出したウィスキーと同じくらい興味は無かったが、礼儀としてキヨは夏休みどこかにいくのかと尋ねる。
「俺は今度、サクさんにASJ連れてってもらう」
「サクさん?」
「お前が今食べてるチョコくれた人」
サクさんとは、カサクさんのことらしい。ASJとは電車でおよそ1時間のふ頭にオープンしたテーマパークのことだ。おばあちゃん家にはいかないのかと尋ねると、祖母は近くに住んでいていつでも会えるので行かないということだった。
「サクさんってどんな人なん?」
「母さんの彼氏」
ぼくの知っているかぎり、キヨは幼稚園時代から母親と二人暮らしだ。ここらへんでは珍しくない。
「じゃあもしかしたら、お父さんになる人やん」
「そうやな」
キヨは、自分のことにツッコまれるとおとなしくなる。
「せや、あき。お前も一緒にいこう」
予想していなかった角度のお誘いがきた。
「なんで。そんな金無いし」
「出したるから」という返事がきた。こたえ方を間違えた。すぐに「気まずいやん」と、本音を加工した理由をそえる。
「俺も気まずいから、頼む」
母親の彼氏と遊ぶ気まずさは想像できたが、楽しかろうと楽しくなかろうと、他人の家庭に入り込むのは苦手だ。
「サクさんってどういう人なん?」
断る理由を集めるための質問。
「母さんの彼氏」
(バカかよ)と鼻息でツッコみを入れたが、ボケではなさそうだ。
サクさんは、キヨ母が十代後半のころからの友人で、かつても一時恋愛関係になったことがあるらしい。キヨが生まれてからは疎遠になり、そして今ふたたび恋愛しているということだった。
キヨ母から聞くのはサクさんの話ばかりで、父さんの話を聞いたことがないという。
「そんでレストランでプリクラ拾ってさ。それが元カノ」
キヨと母、サクさんの三人でレストランに行った時、レジの前でサクさんの財布から長細い紙切れが落ちた。
キヨが拾ったのはプリクラで、サクさんとツーショットで制服姿の女子が写っていたという。誰かと聞くと、こっそり昔の彼女だと教えてくれた。「もうぜったいに付き合うことはないから安心して。母さんには内緒にしてね」とサクさんはいった。
目元がキヨ母に似ていたので、顔が理由で母を選んだのではないかと思ったという。ちらっと<サク♡レイ>という落書きが見えたが、サクさんには秘密にしているらしい。その他、サクさんの人となりを知るには不十分な情報をいくつか手に入れた。
「――だからいこう」
「まあ考えとく」
「今考えろ」
「じゃあやめとく」
これまでも三人でお出かけしてたんだろうから、今回もそうすればいいのに。
「いや、まだまだ時間あるから。また聞くわ」
「考えるだけやからな」
帰り際の廊下。リビングでいちゃいちゃしているであろうサクさんの「顔を見たい」というと、キヨから「ころすぞ」が返ってきた。
他人の家でうるさくしたことなどなかったが、いつもと違うキヨの真剣な目に黙ってうなずいた。
「おじゃまします」
あえて聞こえないよう挨拶する。
不愉快な汗を流したあとでもクーラーは等しくきもちい。小走り気味に廊下を進むキヨに導かれて、女子大生風にデザインされた子供部屋に入る。
部屋には入らず扉を閉めたキヨは、グラス2つ、取っ手の付いた麦茶ボトル1つ、チョコレート数個が入った皿を、花柄のお盆にのせて戻ってきた。
「ほら。飯もろくに食ってないやろう。食え」
キヨは二人ぶんのグラスに麦茶を注ぎ終わると、チョコレートがのった真っ白い皿を机の向かい側からスライドさせた。
「ありがと」
「酒入ってるからな。はくなよ」
ワインだろうか。”はくなよ”は、いつもの大げさな言い方だと思い、流した。お酒は甘くないという知識があったので、甘くないブドウを受け入れる口の準備をして、一粒ほうり込む。
奥歯でチョコを噛み切ると、中から汁があふれ出した。
「かっら!」
キヨは笑いながら「噛め、噛むんや」という。
「(んもぐもぐもぐもぐ......クチクチクチクチ......)」
経験者の言葉をすぐさま受け入れ、高速で歯を上下させる。辛みとチョコの風味が生温かく蒸発して、鼻にあがってくる。そしゃく専用口は閉じられているため空気の出し入れができない。するどい刺激が鼻と目頭から貫通する。
「のめ、のみ込め」
「(んモグモグモグ......こくんっ......ごっくん)」
接着剤のように喉の壁をひきずりながら、チョコは胃に落ちた。
興奮で目が開いているキヨに、大げさなジェスチャーで伝える。スライドされた麦茶をキャッチすると、すぐに唇で吸い、こうばしい夏の水で全体をゆすぐ。一口目をのみ込み、二口目は頬いっぱいに含む。しばらくそのままにしておくことにした。
「それウィスキーや」
「(これがウィスキーか)」
鼻息でこたえる。
「全部あげるわ」
「(ありがと。中身抜いて食べるわ)」
チョコはキヨ母の友達カサクさんからさっきもらったもので、母はお酒が苦手らしい。キヨも食べられるがあまり好きではないとのこと。
中身を抜いたらそこそこいけたので全部もらうことにした。真ん中で半分に割って汁を出し、皮だけ食べる。
「ついにドリームチーム完成してん。勝負するぞ。はよ食べろ」とキヨが言い出したので手を止め、ティッシュで拭き、コントローラを握る。
太陽の下では野球音痴の少年キヨが、クーラーの下ではメジャーリーガーだ。
野球ゲームでボロ負けするたびに、チョコを一粒つまんだ。
「あき、明日も遊ぼうぜ」
「明日は無理」
「なんでや、また目の......あの駒江か」
駒江とはケイタの苗字だ。
「いや、しばらくおばあちゃん家にいく」
「なんやそうか。何すんねん」
「海とか山とか虫とか」
「こどもやな」
「こどもやぞ」
取り出したウィスキーと同じくらい興味は無かったが、礼儀としてキヨは夏休みどこかにいくのかと尋ねる。
「俺は今度、サクさんにASJ連れてってもらう」
「サクさん?」
「お前が今食べてるチョコくれた人」
サクさんとは、カサクさんのことらしい。ASJとは電車でおよそ1時間のふ頭にオープンしたテーマパークのことだ。おばあちゃん家にはいかないのかと尋ねると、祖母は近くに住んでいていつでも会えるので行かないということだった。
「サクさんってどんな人なん?」
「母さんの彼氏」
ぼくの知っているかぎり、キヨは幼稚園時代から母親と二人暮らしだ。ここらへんでは珍しくない。
「じゃあもしかしたら、お父さんになる人やん」
「そうやな」
キヨは、自分のことにツッコまれるとおとなしくなる。
「せや、あき。お前も一緒にいこう」
予想していなかった角度のお誘いがきた。
「なんで。そんな金無いし」
「出したるから」という返事がきた。こたえ方を間違えた。すぐに「気まずいやん」と、本音を加工した理由をそえる。
「俺も気まずいから、頼む」
母親の彼氏と遊ぶ気まずさは想像できたが、楽しかろうと楽しくなかろうと、他人の家庭に入り込むのは苦手だ。
「サクさんってどういう人なん?」
断る理由を集めるための質問。
「母さんの彼氏」
(バカかよ)と鼻息でツッコみを入れたが、ボケではなさそうだ。
サクさんは、キヨ母が十代後半のころからの友人で、かつても一時恋愛関係になったことがあるらしい。キヨが生まれてからは疎遠になり、そして今ふたたび恋愛しているということだった。
キヨ母から聞くのはサクさんの話ばかりで、父さんの話を聞いたことがないという。
「そんでレストランでプリクラ拾ってさ。それが元カノ」
キヨと母、サクさんの三人でレストランに行った時、レジの前でサクさんの財布から長細い紙切れが落ちた。
キヨが拾ったのはプリクラで、サクさんとツーショットで制服姿の女子が写っていたという。誰かと聞くと、こっそり昔の彼女だと教えてくれた。「もうぜったいに付き合うことはないから安心して。母さんには内緒にしてね」とサクさんはいった。
目元がキヨ母に似ていたので、顔が理由で母を選んだのではないかと思ったという。ちらっと<サク♡レイ>という落書きが見えたが、サクさんには秘密にしているらしい。その他、サクさんの人となりを知るには不十分な情報をいくつか手に入れた。
「――だからいこう」
「まあ考えとく」
「今考えろ」
「じゃあやめとく」
これまでも三人でお出かけしてたんだろうから、今回もそうすればいいのに。
「いや、まだまだ時間あるから。また聞くわ」
「考えるだけやからな」
帰り際の廊下。リビングでいちゃいちゃしているであろうサクさんの「顔を見たい」というと、キヨから「ころすぞ」が返ってきた。
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