上 下
9 / 25

7月25日(日)【09】化石グローブ

しおりを挟む
「ゆきこちゃんお菓子作れるんだね」
「そうみたいですね」

 ぼくの隣で、お姉さんはクッキーを食べている。昨日ゆきこが母と作ったものらしい。「チョコのお礼」といってラジオ体操終わりに渡された。ぼくも一つ食べたが、マーガリンではなくバターの香りがしておいしかった。

 お姉さんからの「昨日はゆきこちゃんとどうだったの」をかわして、日課の水やりにとりかかる。

「この前よりもツルがのびてるね。階段みたい」
「たしかに。螺旋階段みたいですよね」

 先に植えたツルが3周ほど、プラスチックの棒に巻き付いている。

「あきふみくんはのぼったことある?」
「ないです」

「螺旋階段はね、足を踏み出したら止まれないの。上までのぼるか、下までおりるか。どちらかにたどり着くまで止まれない」

「踊り場が無いってことですか?」
「うーん。それもあるけど、もっと感覚的なこと。いま自分がどこにいるのかが曖昧になって、足を進めないと安心できなくなっちゃう」
「へー」

「のぼるときもおりるときも、螺旋の真ん中に向かって身体が傾くの。気付いたときには意識の軸が真ん中にずれちゃってる。もうぜんぜん止まれないの」

「こわいですね」

 そういうと、お姉さんはパッチリ目で「そう。こわいの」とつぶやき、「でもそれがいいの」といって破顔した。

「ちなみにねえ。あさがおのグルグルは左巻きなんだよ。時計の針とは反対向き」
「あっ、それは知っています。確か片側の成長が遅れるから曲がるんです」

「へえー。そこまでは知らなかった。あきふみくんすごい物知りだねー」

 お姉さんは人を気持ちよくさせるのがうまい。はたから見たらバレバレかもしれないが、当の本人には接待臭を少しも感じさせない自然さある。

「じゃあ物知りあきふみくん。本物の螺旋階段を体験してみたくなったらどうぞこちらへ」

 唇みたいにプルプルの爪。その爪の下にちょこんと摘ままれていたのは名刺だった。灰色の細長い花と葉が、クネクネとアーチを描いている。見すぎると吸い込まれてしまう女の紋様。母のブラジャーにも彫られていた。

 もらった名刺はマジックテープ財布の一番奥の段に差し込んでおいた。

 〇

 キヨに電話をすると「今日は外で野球するから道具もってこい」ということだった。

 祖母の家の物置から発掘した祖父のグローブを探す。押し入れのスポーツ道具カゴに手をつっこみ、ペチャンコにサンドイッチされている推定60歳のカチカチ老人グローブを引っ張り出す。

 正確にはカチカチだけでなく、フニャフニャ部分もある。半世紀かけてきざまれた谷折り線を基準に、文字通り、折れ曲がった。

 使えれば見た目はどうでもよかったが、指を入れたときに砂と化した革が引っ付くのが気持ち悪い。水洗いしようかと思ったが、したらグローブじゃなくなってしまうような気がしたのでやめておいた。

 13時。お茶をはさんだグローブを前かごに入れ、ゲートボール場へと向かう。

 小さな段差をのり越えるたびに、カランカランと魔法瓶の氷が反響する。大きな段差をのり越えるたびに、カゴの上を右手でさっと押さえた。

 先客はいなかった。
 マウンテンバイクにチェーンをかけていると、専用の道具入れをかついだキヨが現れた。

「よっ。誰もおらんくてよかったな。はじめるぞ」

 ぼくの横に並べてマウンテンバイクを停めると、斜め掛けしていたバッグを地面に下ろす。チャックを開けると、ツヤツヤの木製バットと黒のグローブを取り出した。

「新しいグローブ買ってん。オイルも馴染んでやっと柔らかくなってきたわ」

 柔らかいのが欲しければ俺のグローブをあげたのに。と、心の声で会話する。

「えっ、お前のグローブ化石やん」

 ケイタに対する陰口はまだ聞いていないが、ぼくへの悪口は継続するようだ。ウェルカムいじわるをいくつか受け流したあと、キャッチボールをすることになった。

「ちゃんと捕れよー」
 キヨがさけぶ。

 マウンドからホームまでの距離が18メートルだからというキヨの野球知識で、ぼくは大股18歩ぶんキヨから離れた。キヨの右手に握られているのは、当たるとちゃんと痛い軟式球だ。

「いくぞー(ブンッ)」
 おおげさに振りかぶったキヨの腕の力は天に向かう。噴水のように打ち上げられた球は、二人の中央に落ちた。

「おいあき! 走れよっ」
「いや、届かせろよっ」

 お互いに、18歩ぶんの声を張り上げる。

 落ちた球はやや右に転がってくる。ちょうど間に合う速さで、球の到達予測地点へと走った。速度の死んだ白球を、死んだグローブよりも信用できる右手で拾う。

「お前もフライ投げろっ」

 はじめからフライ練習のつもりだったとでもいうように、キヨは叫ぶ。

「ちゃんと捕れよ。いくぞっ」
「こいっ」
「(ブンッ)」

 ぼくの投げ上げた球が白い太陽の中に消える。18歩先のキヨは空を見上げながら、おそらく落下予測地点へと向かって小股で足ふみをしている。

 投げ終えた右腕の力が抜けたあたりで、キヨは顔の前にグローブを構えた。直後、《前にならえ》のようにグローブを突き出す。球はキヨの50センチメートル手前でバウンドし、跳ね返った球がグローブの甲を揺らした。

 幼稚園時代にも見た光景だ。むいてないんじゃないかと思った。

「わりい、わりい。じゃあもう一回」
 捕球に失敗したキヨはへらへらしている。

 最終的には大股8歩ぶん近づいて10回目にして連続5往復を達成すると、キヨは「千本ノックをする」と言い出した。バットを振るのは持ち主のキヨ。

「最初はお前のとこ飛ばすからな」

 右手で浮かせた球は、キヨの頭上2メートルまで上がる。急いで右手を添えると、重さに持っていかれながらも顔ごと球を追いかけ、トラベリングぎりぎりで位置を決めて、力いっぱいにバットを振り抜いた。

 《コン》と乾いた音が響く。

 振り抜き速度に反して不自然なほどスローモーションで弧を描いた球は、バッターの3メートル前に着地。その場で小さくバウンドした。

 「逆回転かけたった」とキヨはいった。

 「走れっ」と叫んでいたが、キヨの方が球に近い。1本目がキャッチャーフライ。15本目の内野フライの後、42回目の空振りで千本ノックは中断された。

 「お茶くれ」というキヨに、キンキンの水滴がついたコップを渡す。「(ごくごく)うんま。もう一杯くれ」といって3杯飲みほした。ほうじ茶。ぼくが持っているものの中で唯一、クラスで奪い合いになるもの。冷たいほうじ茶だ。

 「代わってやる」と息をきらしながらぼくにバットを渡したキヨは、オイルの馴染みはじめたグローブを持って、かけていった。

 汗を振りまきながら30本のノックを追いかけたキヨは腹からの声で「よし、帰ろう」といった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...