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7月23日(金)【06】トライアングルラジオ体操
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朝、ギラギラと白色発光するガラス玄関戸を開ける。誰もいない。
約束の時間までアサガオを眺めていたがお姉さんは出てこなかった。ラジオ体操には一人で行こう。
濃く大きく広がってきた下の葉をちょんとはじいて立ち上がる。
「――えいっ。おはよう」
「うはっ!」
脇腹に加減なくめり込む指。起きていた。
「おはようございます。じゃあいきましょう」
ギリギリの時間だったのでとにかく歩き出す。
ぼくの腹から離れない両手ごと彼女を引っ張り、電車ごっこみたいに進む。
せめて肩に手を置いてほしい、遊びたいのなら。
「えっ。ちょっとまって」
「うふぅっ!」
ぼくのあばら骨の真下が変形し、急停車する。
何もかもあとで聞くから、行く気があるなら黙ってついてきて欲しい。「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動から」はじめたいのだ。
遅れて貰うスタンプは小学生の恥。
「ぼくが案内しますので」
連結部を強く握っていた彼女の左手をつかんでほどき、ぼくの右手に連結しなおして、再出発する。
「えっ。ちょっと――」
歩道に出るまでごにょごにょ言っていたが、小走りで体操へ向かう子供たちの最後尾にくいこむと、お姉さんの手は軽くなった。お互いが歩きやすいように一度ほどかれ、握り返される。
「――ギリギリでしたね」
「わー、本当に小学校だあ。小学生がいっぱいいる」
老人(元小学生)もいっぱいいる。
『生活』の授業でならった、すでにピラミッド型ではない(どちらかといえばスフィンクス頭部のかたちに近い)人口ピラミッドグラフの、上と下が集結している。
上は健康のため、下はお菓子のために、上半身を大きく回す。
さっきまでの抵抗が嘘のように、お姉さんの目はパッチリと起きている。
拡声器の指示で、となりと指が触れない位置までひらく。元気のお手本のようなおじさんの声と軽快なピアノ伴奏で『ラジオ体操 第一』がはじまった。
――チャラリーン......――
早い者はチャラリーンの《チャ》の音で動き出した。
フライングした男子を先頭に、あっという間に1本の列ができる。お姉さんはまだスタンプカードを持っていなかったので、短い方の列に並ぶよう促し、ぼくは長い方の最後尾に並んだ。
「ねえあきくん。さっき隣にいた女の人誰?」
振り返ると、笑顔のゆきこが真後ろで仁王立ちしていた。
「おっ......はよう。近所の人だけど」
「何で手つないでたの?」
クラスメイトのゆきこ。キヨとはおそらく別の理由で、ぼくに執着している女の子。
「急いでたから」
心地よい距離まで下がってくれたら、いやこの場合は列を詰めることが正解なのだが、普通に仲良くできそうな女子小学生だ。
「急いでたら手つなぐの?」
しかし、今のように気が付けば真後ろにいるので、ぼくの方から距離をあけなければいけない。
「普通だろ。ゆきこもお母さんに手、引っ張られたことあるだろ?」
「ない」
「あっそう」
「あきくんは?」
「ある。本当にないの?」
「......嘘。ある」
彼女とのやりとりは時間がかかる。無い段差につまづくからだ。
「意味のない嘘つくな」
「うん。ごめん」
自分は人よりも怒りにくい性格だと思っているが、この感じは苦手。ぼくに対する好意が絡んだ言動だとわかっているので、イライラしている自分にもイライラする。そして、もっと離れたくなる。
「それで、あの女の人さ――」
スタンプを押してもらうまでゆきこの質問は続いたが、すべて「知らない」と答えた。
「じゃ、また」とゆきこにいうと、逃げるようにエリカさんの元へ向かう。
すでにスタンプ入りカードを貰って待っていたお姉さんに「帰りましょう」と告げると、一度も振り返ることなく後門を出た。
アパートの敷地に入る間際、お姉さんの手がするりと離れる。
「少し探検してこよっかな。じゃあ、いってきます――」
そういってお姉さんは、今帰ってきた道を、再び戻って行った。
〇
「どんくらい進めた?」
「いや、レベル上げしてただけ」
ぼくの家よりも色落ちしているケイタのゲーム部屋の畳に横になると、目を閉じて、夏休みの自由に祈りを捧げる。
ストーリーのなりゆきでパーティに加わったお姫様の魔力は、城で出会った衛兵たちをはるかに上回っていた。
「このお姫様を手助けして、お姫様が主人公のことを好きになって、ハッピーエンドだよな」
肩肘をつくついでに、ケイタに質問を投げる。
「まあ、そうだろうな。名作だし」
ケイタは高速でパーティ全員ぶんの攻撃パターンを入力しながら、質問を受け流した。
部屋がパッと白く点滅し、爆音の振動が響く。
「雨か」
斜めに飛ばされた雨粒が、ペチペチとガラス戸にあたる。1分も経たないうちにゲーム部屋は雨音に包まれた。
屋根で集められた水流が、(土をかためて焼いた)タヌキの笠に落ちて飛散する。個性的な風情のある玄関先の庭は、ケイタ父の作品だろう。
使い込まれた畳部屋は、夏の音に閉じ込められた。
〇
ケイタ母から貸し出された傘の持ち手アーチを右手で握りしめ、左手でマウンテンバイクのハンドルを握る。
滝の直撃をまぬがれているだけで、シャツはしぶきで肌にべったり張り付いている。
こぐより押して歩いた方が早いと気付いていたが、黒くにごった鏡面コースで足をつかずにどこまでいけるのか、試したかった。限界まで下りてきた分厚い雲にあおられ、ハンドルをジリジリよじらせながら、超低速で進む。
お姉さんはちゃんと家に帰れただろうか。
大人なのに子供に心配させるなんて。ヒロインの素質じゅうぶん。ぼくは唇だけで笑った。
約束の時間までアサガオを眺めていたがお姉さんは出てこなかった。ラジオ体操には一人で行こう。
濃く大きく広がってきた下の葉をちょんとはじいて立ち上がる。
「――えいっ。おはよう」
「うはっ!」
脇腹に加減なくめり込む指。起きていた。
「おはようございます。じゃあいきましょう」
ギリギリの時間だったのでとにかく歩き出す。
ぼくの腹から離れない両手ごと彼女を引っ張り、電車ごっこみたいに進む。
せめて肩に手を置いてほしい、遊びたいのなら。
「えっ。ちょっとまって」
「うふぅっ!」
ぼくのあばら骨の真下が変形し、急停車する。
何もかもあとで聞くから、行く気があるなら黙ってついてきて欲しい。「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動から」はじめたいのだ。
遅れて貰うスタンプは小学生の恥。
「ぼくが案内しますので」
連結部を強く握っていた彼女の左手をつかんでほどき、ぼくの右手に連結しなおして、再出発する。
「えっ。ちょっと――」
歩道に出るまでごにょごにょ言っていたが、小走りで体操へ向かう子供たちの最後尾にくいこむと、お姉さんの手は軽くなった。お互いが歩きやすいように一度ほどかれ、握り返される。
「――ギリギリでしたね」
「わー、本当に小学校だあ。小学生がいっぱいいる」
老人(元小学生)もいっぱいいる。
『生活』の授業でならった、すでにピラミッド型ではない(どちらかといえばスフィンクス頭部のかたちに近い)人口ピラミッドグラフの、上と下が集結している。
上は健康のため、下はお菓子のために、上半身を大きく回す。
さっきまでの抵抗が嘘のように、お姉さんの目はパッチリと起きている。
拡声器の指示で、となりと指が触れない位置までひらく。元気のお手本のようなおじさんの声と軽快なピアノ伴奏で『ラジオ体操 第一』がはじまった。
――チャラリーン......――
早い者はチャラリーンの《チャ》の音で動き出した。
フライングした男子を先頭に、あっという間に1本の列ができる。お姉さんはまだスタンプカードを持っていなかったので、短い方の列に並ぶよう促し、ぼくは長い方の最後尾に並んだ。
「ねえあきくん。さっき隣にいた女の人誰?」
振り返ると、笑顔のゆきこが真後ろで仁王立ちしていた。
「おっ......はよう。近所の人だけど」
「何で手つないでたの?」
クラスメイトのゆきこ。キヨとはおそらく別の理由で、ぼくに執着している女の子。
「急いでたから」
心地よい距離まで下がってくれたら、いやこの場合は列を詰めることが正解なのだが、普通に仲良くできそうな女子小学生だ。
「急いでたら手つなぐの?」
しかし、今のように気が付けば真後ろにいるので、ぼくの方から距離をあけなければいけない。
「普通だろ。ゆきこもお母さんに手、引っ張られたことあるだろ?」
「ない」
「あっそう」
「あきくんは?」
「ある。本当にないの?」
「......嘘。ある」
彼女とのやりとりは時間がかかる。無い段差につまづくからだ。
「意味のない嘘つくな」
「うん。ごめん」
自分は人よりも怒りにくい性格だと思っているが、この感じは苦手。ぼくに対する好意が絡んだ言動だとわかっているので、イライラしている自分にもイライラする。そして、もっと離れたくなる。
「それで、あの女の人さ――」
スタンプを押してもらうまでゆきこの質問は続いたが、すべて「知らない」と答えた。
「じゃ、また」とゆきこにいうと、逃げるようにエリカさんの元へ向かう。
すでにスタンプ入りカードを貰って待っていたお姉さんに「帰りましょう」と告げると、一度も振り返ることなく後門を出た。
アパートの敷地に入る間際、お姉さんの手がするりと離れる。
「少し探検してこよっかな。じゃあ、いってきます――」
そういってお姉さんは、今帰ってきた道を、再び戻って行った。
〇
「どんくらい進めた?」
「いや、レベル上げしてただけ」
ぼくの家よりも色落ちしているケイタのゲーム部屋の畳に横になると、目を閉じて、夏休みの自由に祈りを捧げる。
ストーリーのなりゆきでパーティに加わったお姫様の魔力は、城で出会った衛兵たちをはるかに上回っていた。
「このお姫様を手助けして、お姫様が主人公のことを好きになって、ハッピーエンドだよな」
肩肘をつくついでに、ケイタに質問を投げる。
「まあ、そうだろうな。名作だし」
ケイタは高速でパーティ全員ぶんの攻撃パターンを入力しながら、質問を受け流した。
部屋がパッと白く点滅し、爆音の振動が響く。
「雨か」
斜めに飛ばされた雨粒が、ペチペチとガラス戸にあたる。1分も経たないうちにゲーム部屋は雨音に包まれた。
屋根で集められた水流が、(土をかためて焼いた)タヌキの笠に落ちて飛散する。個性的な風情のある玄関先の庭は、ケイタ父の作品だろう。
使い込まれた畳部屋は、夏の音に閉じ込められた。
〇
ケイタ母から貸し出された傘の持ち手アーチを右手で握りしめ、左手でマウンテンバイクのハンドルを握る。
滝の直撃をまぬがれているだけで、シャツはしぶきで肌にべったり張り付いている。
こぐより押して歩いた方が早いと気付いていたが、黒くにごった鏡面コースで足をつかずにどこまでいけるのか、試したかった。限界まで下りてきた分厚い雲にあおられ、ハンドルをジリジリよじらせながら、超低速で進む。
お姉さんはちゃんと家に帰れただろうか。
大人なのに子供に心配させるなんて。ヒロインの素質じゅうぶん。ぼくは唇だけで笑った。
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