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7月20日(火)【02】ハムスターの家

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「おじゃまします」
「あら、初乃くんいらっしゃい。ケイタはゲームの部屋にいるから」

 ドアを開けてくれたケイタ母はそう言い残して、リビングの方へ消えた。

 男三人兄弟のおかん。サバサバしていて息子の交友関係にはほとんど干渉しない。だから、ケイタの家はとても居心地がいい。

 冷気がもれる薄暗いろうかの突き当り、ゲーム部屋のドアを開ける。2つ年下の弟の姿はなく、今日はケイタ1人だった。

「よっ。これ見て」

 ケイタが手にしていたのは、国内で人気を二分するファンタジーRPGシリーズ。その片一方の第九作目。中古で手に入れたという。

「おー。いいね」
「あきふみ、やったことある?」

 ぼくにたずねながら、ケイタはテレビゲーム本体のトレイ開閉ボタンを押す。パッケージを両手の親指で開けドーナツディスクを2本指でつまみ上げると、一度裏返し、銀色の鏡面をにらみつけて、トレイに置いた。

「ないよ。俺ん、テレビゲーム無いし」
「よかった。んじゃ、はじめるぞ」

 新しいゲームをはじめる直前の、張りつめた空気。

 テレビゲーム本体の起動ボタンを押すと、不気味で未来的な起動音が流れる。

 この起動音は『小学生の鳥肌を立たせた音(全国ランキング)』で今年もトップ入り確実なのだと、ケイタはいう。それまで長きにわたり王者として君臨していた「つめ5枚で黒板を引っ掻いた音」を7年前に蹴落として以降、ずっと一位らしい。

 そう、彼はバカだ。

 そしてゲーム部屋はにおう。干した草と獣のにおい。

 ある寒い日の夜、ケイタ兄がどこかの誰かから受けとり両手の平にのせてお持ち帰りしたという、ハムスターのにおいだ。

 1匹じゃかわいそうだからと、ケイタ母がペットショップで買ってきた1匹が加わって計2匹。

 それらが恋に落ちて、今では10匹に増えていた。

 でも本当は20匹いたらしい。

 1匹は探検に出たが、仰向けに干からびた状態で押入れから発掘された。もう1匹はケイタ父の足元不注意によって。1匹はハム兄弟にかじられ、2匹はまだこの家のどこかにいる(ケイタ父は温かい冷蔵庫の裏があやしいと半年前からにらんでいる)らしい。残りの5匹は両手の平にのせて配ったという。

 ハムスターが減るたびにケイタ母は泣き、庭に埋葬した。男どもはハムが生まれたとき以上の関心を示さなかったそうだ。

「ねずみ算のように増えるからな」
 ケイタはいった。

「ケイタ、ねずみ算って知ってるの」
「知るか」

 虫に対する慈悲を知った今年のぼくは、しょうゆ付きエプロンで顔を覆うケイタ母の姿を、目をつむり思い浮かべた。

 ――西日が差し込む天井の見えない部屋。その窓辺に椅子を置いて、一人うつむいている女の子。泣いている彼女は、絹のように美しいドレスの袖で両目をぬぐう。ふと窓を横切る白い水鳥の羽音に気付くと、カメラは鳥の目となり、女の子の部屋から石造りのお城へ羽ばたく。お城をぐるりと回って城下町へ。夕陽でオレンジに輝く瓦屋根を一望し終わると、画面は白一色になった――

「この姫様を助けるんやな。よっしゃ、やったろか」
 ムービーが終わり、ケイタの声が現実へと引き戻す。

 クラスいちのゲームマスターが初期設定と装備品のチェック、操作ボタンの確認に取りかかったのを見て、ぼくは横になった。

 クーラーのきいた畳部屋で片ひじを付きながらゲーム上級者による名作RPGプレイをみる。

 これが、夏の自由だ。

 それから一度も顔を合わせることなく、ときどきゲームに対するリアクションやツッコミを入れ合いながら、別世界で託されたお話を進めた。

 ゲーム内での1日を終えると、時計は帰宅時間を指していた。

「明日いける?」
 ケイタは帰るときだけ、玄関までぼくを見送る。

「いけるぞ」
「じゃあ明日、昼飯食べたらまた俺ん家集合で」
「オッケイ」
「ストーリー進めずに置いとくから」
「サンキュ。おじゃましましたー」
「……(はーい)」
 リビングにいるのであろうケイタ母の返事を受け取って、家を出た。

 コの字型に寄り合った分譲住宅が、横からのオレンジを強烈に反射している。

 中古で買ってもらったマウンテンバイクをずっと守っていたチェーンを、引き寄せる。ダイヤルを陽にかざしながら生まれた日付に戻すと、カゴに入れた。

 ぐるりと大きくUターンをして細い道へ出ると、西に広がる田んぼの葉先が金髪に染まっていた。

 自分の家に、友達を入れたことは一度も無い。だからこの町の夕焼けは、誰よりも知っている。来た時よりもギアを1つ落として、夏休み最初のぜいたくを吸い込んだ。
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