たったひとりのために

まつめぐ

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そらのうえ

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 わたしが住んでいる町に突然休暇を利用してやって来た杉山さんを、偶然に駅で会った優希ちゃんがわたしの家まで連れていき、そこで久しぶりに再会できた。

 そしてわたしと優希ちゃんは杉山さんを町に案内することになった。

 行き先は、以前杉山さんがメールで言っていた川のほうへ向かうことにした。

 しばらく歩いていくと、堤防沿いの公園に着いた。

「うっわぁ ここって公園になってるのか?」

「うん ほら奥に広がってるのが川ですよ?」

「それにしても 思ってたよりデカイなぁ」

「どう? 気に入った?」

「あぁ すげぇ気に入った!」

 少し興奮しながら言う杉山さんに、わたしも優希ちゃんもうれしかった。

「ねぇ この先に遊歩道があるから行こうか?」

「遊歩道?」

「あそこのほうが また近くで 見えるよ?」

「なるほど じゃあ 行きたいな」

「えっと あそこから行けば 大丈夫ね」

「OK じゃあ あやちゃん行こうか?」

「うん」

「でも杉山さん あそこまではちょっと急な坂道だけど 大丈夫?」

「ん? 平気だって 前にも言ったろ? それにあやちゃんのほうが わかってるからさ」

 心配そうに聞く優希ちゃんに、杉山さんはそう言って後ろからわたしの頭をと軽くたたいてきた。

 でも、わたしはそれに対して驚くことはなかった。

 それは、自分でも不思議と思うぐらいだった。

「あ そうか あやちゃんは東京のときに 杉山さんに車椅子押してもらったもんね?」

「う うん」

「それなら安心だね それじゃあ 行きましょ?」

「それでは バックで降りるからね」

「はい」

 そう、わたしは東京の時に知っていたことだけど杉山さんは本当に車椅子の扱いに慣れている。

 急な坂道のところの段差を降りるときと同じようにバックで下りていった。

 その扱い方はいつもわたしの車椅子を押したり、普段は老人介護施設で介護士として働いている優希ちゃんも感心するほどだった。

 遊歩道に着いてわたしと優希ちゃんは、1番川が見える地点まで杉山さんを案内した。

 周りでは、いろんな人が散歩やジョギングやウォーキングをしていた。

「お~! ここからだと川風も気持ちいいなぁ」

 そう言いながら杉山さんは、シャツの胸元に刺していたサングラスを取り出してゆっくりかけた。

「あ ちょっと サングラス バレたら大変だよ?」

「ん? 大丈夫だって そのときはあやちゃんに フォローしてもらうからさ」

「ええ!? なんで わたしなの?」

「あはは でも よかった ここに来て・・・・ありがとう」

 少し長めの髪の毛を川風になびかせ、サングラスをかけた杉山さんは川を見つめながら、わたしたちにお礼を言った。

 わたしは、そんな杉山さんの姿を静かに見ていた。

 そしたら、優希ちゃんがわたしに耳打ちで話してきた。

「よかったね 杉山さんに喜んでもらえたね?」

「うん」

 わたしはそう言って笑顔でうなずいた。

 本当に杉山さんに喜んでもらえてわたしはうれしかった。

「あ そうだ 2人とも のど沸かないかい?」

「え? そういえば 渇いたかも」

「うん わたしも」

「よしっ それじゃあ 俺がちょっと行って買ってくるよ」

 そう言って杉山さんは肩から掛けていたバックをおろして中から財布を取り出し、わたしの車椅子のタイヤにもたれかかるように置いた。

「別にいいですって そんなの あたしが行って買ってきますよ?」

「まぁ いいからいいから ホントはそれぐらいで済まないけど 奢らせてくれよ 今日のお礼だと思ってさ」

 サングラス越しの笑顔で言いながら杉山さんは軽く財布を持った手を振って、ゆっくり1人で歩いていった。

 そして、わたしと優希ちゃんはその場で杉山さんが戻るのを待つことになった。

 杉山さんを待ちながら、わたしは横からそっと下を見下ろしタイヤのそばにあるバックを見ていた。

「ねぇ 優希ちゃん? このバックって ここに 置いといたら 汚れるよね?」

「そうだね どこか上に掛けておこうか?」

「うん」

「そうだ せっかくだから あやちゃんの膝の上に置こうか?」

「え? うん」

 照れながらわたしが答えると優希ちゃんは手を伸ばして杉山さんのバックを持ち上げた。

 すると、突然川から強い風が吹いてきた。

 その風の勢いで、杉山さんのバックのポケットから何かが飛ばされてそばに落ちたのに気がついた。

「何か 落ちたよ?」

「え? 何か落ちた? あ ホントだ」

 わたしがそっと落ちたものを見ると、優希ちゃんはそれに気づいて拾い上げた。

「もう 杉山さんったら ちゃんとファスナーすればいいのにね?」

「そうだよね それにしても ものすごい ボロボロの 封筒だね・・・・あれ?」

 優希ちゃんが拾った封筒をポケットに戻そうとしたそのとき、わたしは見てしまった。

「え? どうかしたの?」

「うん・・・ねぇ その封筒 ちょっと見せて?」

「え? これ杉山さんのだよ?」

「ちょっとだけで いいから」

「まぁ 外はいいけど 中は見ちゃダメだからね?」

「うん わかってる」

 優希ちゃんはゆっくり封筒を渡してくれた。

 わたしは杉山さんに悪いと思いながらも、恐る恐る封筒を持って裏側を返して見た。

 そこに書かれていた文字を見た瞬間、わたしは一瞬身体が固まり言葉が出なかった。

 わたしの表情の変化に気づいて優希ちゃんが隣から封筒を見ると驚いて目を丸くした。

「う うそ? そんなことって・・・?」

 角がボロボロの封筒の裏の名前を書くところには、カタカナで女性の名前がはっきり書いてあった。

「これって 誰なの?・・・まさか?」

「・・・・あぁ 優希ちゃんが思ってるとおりだよ」

「「!?」」

 わたしと優希ちゃんはゆっくり声のほうを向くと、杉山さんが静かに立っていた。

 そして、杉山さんはわたしが持っていた封筒をそっと抜き取り自分のジーンズのポケットにしまい込んだ。

「あ えっと バックが 汚れると いけないと思って 持ち上げたら 風が吹いてきて それで これが 飛ばされて・・・」

 わたしが必死で説明したけど、杉山さんは黙ってそのまま買ってきた飲み物をそれぞれに渡してくれて、そばにあったベンチに腰を下ろして、わたしと優希ちゃんも杉山さんのところまで移動した。

 わたしは、その時の沈黙がなぜか怖かったから自分でいろんな言葉を探したけど見つからなかった。

 だけどそんな中、優希ちゃんは持っていた杉山さんのバックをベンチに置いてから口を開いた。

「あ あの 杉山さん? その封筒に書いてる名前の人 ひょっとして彼女ですか?」

「あぁ そうだよ 俺の彼女・・・いや 彼女だった人」

「だったって それどういう意味です?」

 尋問をするような優希ちゃんのその質問に、杉山さんは黙ったままゆっくり顔を上げて空を見つめていた。

 そんな杉山さんの姿を見た時、わたしと優希ちゃんはその意味が理解できた。

「それって もしかして 亡くなったって こと?」

 わたしの言葉に気づいて、杉山さんは前を向きなおし小さく笑顔でうなずいた。

「もうずいぶん前になるけどね 進行性の病気でね」

 杉山さんはそう言って、また遠くを見るように川のほうを見つめていた。

 川を見つめている杉山さんの表情は、とても優しかった。

 まるで遠くにいる彼女を見つめているようだった。

 わたしはその時、杉山さんの想いに気づいてしまった。

(そうか 杉山さんは まだ亡くなった彼女のことを 忘れられずに好きなんだね・・・)

 そういうことを思っていたらそれ以上杉山さんを見るのがつらくなり、わたしは黙ったまま顔をうつむいていた。

 正直言ってわたしはショックだった。

 その後、優希ちゃんと杉山さんがどんな会話をしていたのかわたしは覚えていない。

 わたしは、とにかくその場から逃げたかったのかもしれない。

 だから無意識に手をタイヤにかけて動かそうとした。

 でも、この身体ではそんなことはできるはずはないってわかっていたから、なんとなくだけど悔しくてたまらなかった。

 そして、しばらく経ってから優希ちゃんに肩を軽く叩かれてわたしはようやく我に戻った。

 ゆっくり顔を上げると目の前には、心配そうにわたしを見つめる優希ちゃんと杉山さんがいた。

「あやちゃん 大丈夫?」

「う うん」

「よかった 急に黙ったままうつむいていたから どうしたかと思ったよ」

 ホッとしたような杉山さんの言葉に、わたしはニコッとはにかんでみた。

 だけどわたしにとって、その笑顔にはどうしても自信がなかった。

 そのままわたしも川のほうを見ると、いつの間にか空はオレンジ色に染まっていた。

 すると杉山さんは、横にあったバックを持ってゆっくりベンチから立ち上がった。

「さて そろそろ東京に戻るわ」

「あ うん そうだね もうこんな時間だしね じゃあ あやちゃんの家まで帰りましょか?」

 優希ちゃんがそう言いながらわたしの車椅子を押して行こうとすると、杉山さんはそっとバックを肩に掛けながら呼び止めてきた。

「悪いんだけど 俺はこっからタクシーで直接 新幹線の駅まで行くからさ」

「え? そうなんですか じゃあ 上のとこまで一緒に・・そこで杉山さんを見送りしようか あやちゃん?」

「あ う うん」

 優希ちゃんが突然そう聞いてくるのでわたしは少し焦りながら答えた。

 本当はそのまま帰りたかったから。

 そして、わたしたちは行くときとは反対で坂道を上って堤防の上のところまで戻った。

「今日は あやちゃんと優希ちゃんのおかげで きれいなものを見れたよ」

「それはよかった でもお礼ならあやちゃんだけにってね?」

「はは 確かにそうだな」

 すると、杉山さんは膝を曲げてわたしの目線を合わした。

「あやちゃん ホント ありがとうね」

「いえいえ 杉山さんに 喜んでもらえて・・・よかった」

 笑顔でお礼を言う杉山さんに、本当ならうれしいはずなのにわたしはなぜか目を逸らしてしまった。

 どうしても杉山さんの顔が見られなかった。

 あの封筒に書いてあった名前と、川を見つめているときの杉山さんの優しそうな表情が頭から離れられなかった。

 しばらくすると、1台のタクシーが止まり後ろの自動ドアが開いた。

杉山さんはタクシーに気づくとその場から立ち上がり、くるっと背を向けてドアの近くまで行くとまたこちらに振り返った。

「それじゃ またね」

「お仕事 がんばってくださいね」

「うん そいじゃ」

 軽く微笑んでから杉山さんがタクシーに乗りこむと自動にドアが閉まった。

 その音に気づいてわたしは慌てて前を見たけど、タクシーはゆっくり動き出し走っていった。

 わたしはただ黙ったままタクシーを見送っていた。

「杉山さん 行っちゃったね?」

「うん」

 タクシーが走り去ったあと、優希ちゃんが遠くを見つめながらわたしに聞いた。

「あやちゃんは これで いいの?」

「ぇ?・・・」

 優希ちゃんの一言で、わたしの中で急に悲しい気持ちが溢れだした。

ひょっとしたら、もう二度と杉山さんに会えなくなっちゃう。

 ライブやイベントで見ることはできるけど、こうやって会うことがもうできないの?

 杉山さんに、好きな想いを伝えられないの?

(そんなの イヤ 絶対にイヤだよ!)

 そう思ったら涙が止まらなかった。

 そんなわたしに優希ちゃんは、やさしく慰めてくれた。

 そして、そのままわたしの家まで送ってくれた・・・。



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