眠れない夜を数えて

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27.肩を並べて

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 私鉄の駅から続く商店街を暁と坂下は歩いていた。
前日の夜よりだいぶ暖かい。
桜が一気に開花しそうだ。
仕事が終わると、暁は外で食事をしようと坂下を駅まで呼び出したのだった。
まっすぐアパートに帰って坂下を抱きしめたかったが、逸る自分の気持ちにブレーキをかける必要を感じたし、何よりも坂下の痩せ具合が気になっていた。

高校時代も食欲旺盛ではなかったし、暁や薮内と違い骨太な体格でもない。
並んで歩くと暁よりも背は低かったが、特別小柄というほどでもない。
しかし、暁のパーカーを羽織ったその姿は半年前よりもひとまわり小さく縮んだように感じた。
健康的な生活を送ってきたようには見えなかった。

「何食う?」
「ハンバーガーとかいいな。」
坂下はファーストフードのチェーン店を指さす。
「へえ?ちょっと意外。」
「へへ。」
坂下が少し笑う。

おや、と暁は坂下を見つめた。
坂下の雰囲気が以前と比べて変わっている気がした。
昨夜は泣きじゃくりながら寝落ちし、今朝はまだ目が覚め切っていない様子だったので気づかなかった。
「なに?どうかした?」
やせ細って見えるのに、高校時代の坂下に付きまとっていた憂いのある空気が、払しょくされている気がした。

注文を済ませ席に着くと、坂下は嬉しそうにハンバーガーに齧り付いた。
唇についたソースを、舌でぺろりと舐める。
その仕草が色っぽく、暁は一瞬掻き立てられた卑猥な妄想を慌てて遮り、ハンバーガーを平らげた。

「こういうところで食べるの、実は数えるほどしかないんだ。」
坂下がちょっと恥ずかしそうにしゃべりだす。
「ふーん。」
暁は、坂下がつついていた彩のきれいな弁当や、豪華な自宅を思い出した。
いつも金のかかった良いものを食べてきたのだろう。
そう思うそばから、高校時代からずっと坂下に感じてきた違和感を思い出す。
ならばこんなに痩せるはずなどないのに。

暁は前の晩聞こうと思って聞けなかった疑問を口にした。
「なあ、お前、家はどうしたんだ?」
坂下は静かにほほ笑んだ。
「もう帰らない。」
「そうか。」
相槌だけうち、暁は辛抱強く待つ。

「暁の仕事って土日は休み?」
「ああ。今のところは。4月からは変わるかもしれないけど。」
「今度の土曜か日曜、ちょっと付き合ってもらえる?」
「どこに?」
「うん、おばさんのところ。」
「オバサン?」

唐突すぎて暁は思わず聞き返した。
「暁、会ったことあるよ。うちに来た時。」
「ああ…」
スーパーの袋を抱えた恰幅の良い輪郭を思い出す。
「こっちに住んでいる人なんだ。」
坂下は最後の一口を咀嚼して飲み込むと、言葉を続けた。
「今朝、電話があったんだ。うちの母親から、俺に家出をそそのかしてこっちに呼びつけたんだろうって苦情が来たみたいで、それでかけてきた。」
「なんだ、そりゃ。」
「おかしな話だよね。親なんだから俺のスマホに直接かけてくればいいのに。どこ行ったとか、帰って来いとか、そういうんじゃないんだ。GPSで居場所が分かってるんだから、その気になれば連れ戻せるのにさ。」
「わけわかんねー。」

暁は父親を思い出す。
アルコールとギャンブルの依存症で金を無心する父親も酷かったが、坂下の家族も理解を超えていた。

「で、そのおばさんは何て?」
「うん、俺が家出したこと心配してた。それで、顔見せに行くことになって。ご厄介になっているお友達に挨拶したいから連れてきなさいって。もう、どっちが親なんだか。」
坂下はちょっと困ったような笑みを浮かべて肩をすくめる。

「おばさんは、その、まともな人?」
「うん、まあ。ちょっとうざいけど。」
「わかる、ちょっとうざい奴っているよな、心配してくれるのはいいんだけどよ。」
薮内や美術教師の顔が思い浮かんだ。


 坂下は電話の着信を無視していたが、30分間隔でかかってくるのに根負けし、ついに叔母の電話に応答したのだった。
『今どこにいるの?東京にいるんでしょ?連れ戻そうっていうんじゃないのよ。心配なだけ。』
電話口で叔母は早口でまくし立てていた。
『友達のところ。』
『友達って?変なサイトとかで知り合った人じゃないわよね?』

数カ月前に家出少女がネットで知り合った男に監禁された挙句、無残な姿で発見された、というニュースがあったのを坂下は思い出した。
本来こういう心配は親がするものではないのだろうか、という疑問が頭をかすめ、可笑しくもないのに笑い出したい気分になる。

『そういうヤバいのじゃないです。高校の友達…』
『もしかして、お家に来てくれた子?えーと、そうそう、ちょっとやんちゃな感じの…』
『え…』
母親も父親も、坂下の交友関係に興味を持ったことなどなかった。
『…サチコさん、そういえば家出したことあるって言ってましたよね。だったら俺の気持ち、少しはわかってくれる?』

結局今後の生活をどうするか相談がてら叔母を訪ねることになってしまったのだった。


 ポテトまですべて平らげ、坂下は口を開いた。
「俺、働こうと思うんだ。」
「働くって何して?」
「まだわかんないけど、暁のそばにいたかったら、働かなきゃダメじゃん。」
暁は思わず坂下をまじまじと見つめた。
「なんだよ?」
「お前の口から建設的な発言が飛び出すとは思わなかった。」

坂下は、あははと軽く笑った。
夏の美術室で聞いた笑い声と同じだった。
「だっておかしいじゃん、家出してんのに親の払ってるスマホ使って、親の金で生活してるって。」
「こんなんで働けんの?」
暁は坂下の骨ばった手首をつかんだ。
「んー、自信ない。ずっと引きこもりだったし。でもちょっとずつバイトとか探す。ちゃんと自分の力で生きていけるようになりたい。暁にふさわしい人間になれるように。」

坂下の笑顔に、暁の心が疼く。
「…ふさわしいとか、俺、そんな立派なもんじゃない。お前にまだ言ってない、昔のこととか色々あるし…。」
坂下はゆっくり首を振ると、暁の手を解き、立ち上がる。
「食べ終わったし、帰ろう。朝の続き、したい。」

小さな声で早口に言うと、坂下はそそくさと暁に背を向け、トレイの返却口に向かう。
伸びた髪から覗く真っ赤な耳に、暁はいたずら心が湧き、ふっと息を吹きかけた。
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