20 / 31
19.嘘と静寂
しおりを挟む
「いらっしゃいませー。」
機械的に発声しながら、暁は商品を陳列棚に並べていた。
「…のくん、大野君!ちょっと…」
自分の名前が呼ばれたのに気付き、はっと振り返る。
店長が咎めるような視線を、片方のレジから送っていた。
その拍子に、並べていた商品が肘に当たり、床に散らばる。
「あ、今レジ入りまーす。」
慌てて菓子パンを拾い集める暁の横を、奥でトイレ清掃をしていたアルバイト仲間の女の子が足早にすり抜けた。
「お会計お待ちのお客様、先に並んでいた方からこちらにどうぞ。」
レジの奥に向かって軽く頭を下げると、ウインクが返ってきた。
「由美さん、さっきはどうも。」
店を上がろうとする女性に、暁は声をかけた。
「ドンマイ。お互い様。それより、仕事終わるの10時?」
「あ、はい。」
「明日学校休みでしょ。ちょっと付き合ってよ。そこのファミレスで待ってるから。ごはん食べていこ。」
アルバイトが終わると、暁は待ち合わせ場所に向かった。
先日バイトのシフトを交代してくれたお礼、と言われ、暁は食事をおごられた。
「急だったのに代わってくれて助かった。」
「風邪、もう大丈夫すか?」
「えへへ、風邪じゃないの。」
「え?」
「彼とね、別れた直後で、どうしても仕事できる精神状態じゃなかったの。」
「ああ、そうなんですか。」
なんと言ってよいか分からず、暁は間抜けな相槌を打った。
「お互い、うまくいかないね。」
「え?」
「うまくいかなかったんでしょ。」
「ああ、まあ……。」
女の勘は恐ろしい、と暁は思った。
とても隠し事などできない。
「すいません、せっかくクーポンいろいろもらったのに。」
「いいのいいの、それよりさ、パーッとカラオケでも行かない?クーポンあるんだ。」
「いいっすね。」
暁はすこし可笑しくなって、くすっと笑った。
「前から思ってたけど、由美さんてクーポンマニア。」
「そ。デートするにはお得な女なのよ。」
カラオケに行き、ひとしきり盛り上がった後、誘われるままに暁は由美のアパートへとなだれ込んだ。
妹へ連絡を入れなかったことを思い出し、少しだけ気が咎めたが、やがて一人で家を出る決意をした相手なのだから一晩くらい平気だろう、と思い直し た。
「由美さん、一人暮らしなんだ。実家は遠いの?」
「うーん、通おうと思えば通える距離なんだけど、どうしても一人暮らししてみたくて、家飛び出ちゃった。」
「不良娘じゃん。」
「あー、大野君に言われたくなーい。だいたい、高校卒業したらもう『不良』なんて言わないよ。」
「由美さんってどこの専門学校通ってるんだっけ?」
「医療事務。前にも言ったじゃん、もう。」
由美の部屋で缶ビールを空け、暁は饒舌になる。
気楽でいい、と思った。
由美は何かと話題を振り、よく笑った。
取るに足らない話題なのに、不思議と会話が弾んだ。
のらりくらりと人の話をかわすばかりで、つかみ所のない坂下とは違う。
坂下と話をしていると、暁はいつも落ち着かない気分になった。
坂下の目に見つめられると、何もかもを見透かされているような気になった。
薄汚れた欲望も、野蛮で粗野な性根も、隠そうとするもの全てを露わにされているような気がした。
と同時に、逆に何故か言葉のまったく通じない異邦人と話をしている気分になることもあった。
まるで見えない壁が自分と坂下を隔てているかのようだった。
誰も守ってくれないガラスの城で、生き延びるためには自分を閉じ込めるしかなかったのだろうか。
スピーカーから聴こえる歌詞に暁は耳を止めた。
「この曲、さっきカラオケでも歌ってたね。プリズナーってなんだっけ?捕虜?」
「ああ、そうね、囚人とか…prisoner of loveだから、愛の虜とかそんな意味?」
「日本語にするとちょっとエロい。」
ロングヘアから覗くピアスの光る耳元に、口を近づけて声を低くする。
「やだ、もう…ほら、歌詞見る?」
由美はスマホの画面を暁に差し出した。
暁はその手を掴んで引き寄せる。
由美は抵抗することなく暁の胸に倒れこんできた。
汗の混じった甘い香水の匂いにほっとする。
腕に感じる、柔らかな弾力のある体。
女相手なら、こんなに楽なのに。
そう思うそばで、歌詞が耳に突き刺さる。
“平気な顔で嘘をついて 笑って…”
「どうかした?」
「音楽ジャマ。消して。」
「いいけど…」
「ついでに電気も暗くしようよ。」
「えー、あたし平気だけど。」
「暗いほうが雰囲気出るじゃん。」
嘘をついた顔を、暁は見られたくなかった。
自分はどこまで卑劣で小心者なのだろう。
目を閉じても、耳を塞いでも、相手が坂下になるわけではないのに。
最低だ。
暁は自分自身に唾を吐いた。
寂しさから由美に甘え、裏切っている。
弱さから坂下を見放し、裏切っている。
何よりも自分の気持ちを誤魔化し、自分自身を裏切っている。
どうしようもない自己嫌悪に駆られる。
自分は坂下を見捨てたのだ。
坂下は自分の無味乾燥な日常を変えてくれた。
それなのに暁は、坂下を受け止めることから逃げ出してしまった。
消したはずの音楽が、いつまでもリフレインする。
喉の渇きを覚え、暁は目が覚めた。
昨夜飲んだビールのせいだ。
暁はベッドの下に無造作に脱ぎ捨ててあった服の中から、Tシャツとトランクスを身につけ、台所に向かった。
裸足にフローリングの床が冷たい。
水切りかごからマグカップを取り出し、水道水を汲んで一気に飲み干した。
ふーっと息を吐く。
柵のはまった窓の外は薄暗かったが、遠くからカラスの鳴き声が聞こえた。
「なに?トイレ?」
寝ぼけ眼で、ベッドから身を起こした由美が声をかけてきた。
「あ、うん……朝日が見えるかなって思って。」
「えー…そっち北じゃない?ねむ…。」
のそのそとベッドに潜り込む由美を横目に、暁は服を着込むと部屋を後にした。
夜明け前の冷気に、思わず身震いする。
東の空が白みを帯びていた。
暁は夜明けの空の美しさを知っていた。
どれほど心が荒もうと、夜は必ず明けるのだ。
母親が病院で息を引き取った夜。父親を半殺しにして補導された夜。
何もかもが取り返しつかないと思うのに、それでも朝は訪れた。
そのことを坂下に伝えたいと思った。
自分が一緒に朝日を見たいのは、由美ではない。
坂下でなくては駄目なのだ。
坂下は相変わらず一睡もせず、部屋に籠もって兄の亡霊に怯えているのだろうか。
空が淡いオレンジ色に染まる。
暁は坂下に無性に会いたかった。
坂下を朝日の当たる場所に連れ出したかった。
薄紫から朱色にうつろう空の色を、澄み切った空気を、生まれたての景色を見せてやりたい。
坂下は暁の描いた朝焼けを好きだと言っていた。
本物の朝日は、暁の稚拙な絵などとは比べ物にならないくらい、素晴らしいのだ。
機械的に発声しながら、暁は商品を陳列棚に並べていた。
「…のくん、大野君!ちょっと…」
自分の名前が呼ばれたのに気付き、はっと振り返る。
店長が咎めるような視線を、片方のレジから送っていた。
その拍子に、並べていた商品が肘に当たり、床に散らばる。
「あ、今レジ入りまーす。」
慌てて菓子パンを拾い集める暁の横を、奥でトイレ清掃をしていたアルバイト仲間の女の子が足早にすり抜けた。
「お会計お待ちのお客様、先に並んでいた方からこちらにどうぞ。」
レジの奥に向かって軽く頭を下げると、ウインクが返ってきた。
「由美さん、さっきはどうも。」
店を上がろうとする女性に、暁は声をかけた。
「ドンマイ。お互い様。それより、仕事終わるの10時?」
「あ、はい。」
「明日学校休みでしょ。ちょっと付き合ってよ。そこのファミレスで待ってるから。ごはん食べていこ。」
アルバイトが終わると、暁は待ち合わせ場所に向かった。
先日バイトのシフトを交代してくれたお礼、と言われ、暁は食事をおごられた。
「急だったのに代わってくれて助かった。」
「風邪、もう大丈夫すか?」
「えへへ、風邪じゃないの。」
「え?」
「彼とね、別れた直後で、どうしても仕事できる精神状態じゃなかったの。」
「ああ、そうなんですか。」
なんと言ってよいか分からず、暁は間抜けな相槌を打った。
「お互い、うまくいかないね。」
「え?」
「うまくいかなかったんでしょ。」
「ああ、まあ……。」
女の勘は恐ろしい、と暁は思った。
とても隠し事などできない。
「すいません、せっかくクーポンいろいろもらったのに。」
「いいのいいの、それよりさ、パーッとカラオケでも行かない?クーポンあるんだ。」
「いいっすね。」
暁はすこし可笑しくなって、くすっと笑った。
「前から思ってたけど、由美さんてクーポンマニア。」
「そ。デートするにはお得な女なのよ。」
カラオケに行き、ひとしきり盛り上がった後、誘われるままに暁は由美のアパートへとなだれ込んだ。
妹へ連絡を入れなかったことを思い出し、少しだけ気が咎めたが、やがて一人で家を出る決意をした相手なのだから一晩くらい平気だろう、と思い直し た。
「由美さん、一人暮らしなんだ。実家は遠いの?」
「うーん、通おうと思えば通える距離なんだけど、どうしても一人暮らししてみたくて、家飛び出ちゃった。」
「不良娘じゃん。」
「あー、大野君に言われたくなーい。だいたい、高校卒業したらもう『不良』なんて言わないよ。」
「由美さんってどこの専門学校通ってるんだっけ?」
「医療事務。前にも言ったじゃん、もう。」
由美の部屋で缶ビールを空け、暁は饒舌になる。
気楽でいい、と思った。
由美は何かと話題を振り、よく笑った。
取るに足らない話題なのに、不思議と会話が弾んだ。
のらりくらりと人の話をかわすばかりで、つかみ所のない坂下とは違う。
坂下と話をしていると、暁はいつも落ち着かない気分になった。
坂下の目に見つめられると、何もかもを見透かされているような気になった。
薄汚れた欲望も、野蛮で粗野な性根も、隠そうとするもの全てを露わにされているような気がした。
と同時に、逆に何故か言葉のまったく通じない異邦人と話をしている気分になることもあった。
まるで見えない壁が自分と坂下を隔てているかのようだった。
誰も守ってくれないガラスの城で、生き延びるためには自分を閉じ込めるしかなかったのだろうか。
スピーカーから聴こえる歌詞に暁は耳を止めた。
「この曲、さっきカラオケでも歌ってたね。プリズナーってなんだっけ?捕虜?」
「ああ、そうね、囚人とか…prisoner of loveだから、愛の虜とかそんな意味?」
「日本語にするとちょっとエロい。」
ロングヘアから覗くピアスの光る耳元に、口を近づけて声を低くする。
「やだ、もう…ほら、歌詞見る?」
由美はスマホの画面を暁に差し出した。
暁はその手を掴んで引き寄せる。
由美は抵抗することなく暁の胸に倒れこんできた。
汗の混じった甘い香水の匂いにほっとする。
腕に感じる、柔らかな弾力のある体。
女相手なら、こんなに楽なのに。
そう思うそばで、歌詞が耳に突き刺さる。
“平気な顔で嘘をついて 笑って…”
「どうかした?」
「音楽ジャマ。消して。」
「いいけど…」
「ついでに電気も暗くしようよ。」
「えー、あたし平気だけど。」
「暗いほうが雰囲気出るじゃん。」
嘘をついた顔を、暁は見られたくなかった。
自分はどこまで卑劣で小心者なのだろう。
目を閉じても、耳を塞いでも、相手が坂下になるわけではないのに。
最低だ。
暁は自分自身に唾を吐いた。
寂しさから由美に甘え、裏切っている。
弱さから坂下を見放し、裏切っている。
何よりも自分の気持ちを誤魔化し、自分自身を裏切っている。
どうしようもない自己嫌悪に駆られる。
自分は坂下を見捨てたのだ。
坂下は自分の無味乾燥な日常を変えてくれた。
それなのに暁は、坂下を受け止めることから逃げ出してしまった。
消したはずの音楽が、いつまでもリフレインする。
喉の渇きを覚え、暁は目が覚めた。
昨夜飲んだビールのせいだ。
暁はベッドの下に無造作に脱ぎ捨ててあった服の中から、Tシャツとトランクスを身につけ、台所に向かった。
裸足にフローリングの床が冷たい。
水切りかごからマグカップを取り出し、水道水を汲んで一気に飲み干した。
ふーっと息を吐く。
柵のはまった窓の外は薄暗かったが、遠くからカラスの鳴き声が聞こえた。
「なに?トイレ?」
寝ぼけ眼で、ベッドから身を起こした由美が声をかけてきた。
「あ、うん……朝日が見えるかなって思って。」
「えー…そっち北じゃない?ねむ…。」
のそのそとベッドに潜り込む由美を横目に、暁は服を着込むと部屋を後にした。
夜明け前の冷気に、思わず身震いする。
東の空が白みを帯びていた。
暁は夜明けの空の美しさを知っていた。
どれほど心が荒もうと、夜は必ず明けるのだ。
母親が病院で息を引き取った夜。父親を半殺しにして補導された夜。
何もかもが取り返しつかないと思うのに、それでも朝は訪れた。
そのことを坂下に伝えたいと思った。
自分が一緒に朝日を見たいのは、由美ではない。
坂下でなくては駄目なのだ。
坂下は相変わらず一睡もせず、部屋に籠もって兄の亡霊に怯えているのだろうか。
空が淡いオレンジ色に染まる。
暁は坂下に無性に会いたかった。
坂下を朝日の当たる場所に連れ出したかった。
薄紫から朱色にうつろう空の色を、澄み切った空気を、生まれたての景色を見せてやりたい。
坂下は暁の描いた朝焼けを好きだと言っていた。
本物の朝日は、暁の稚拙な絵などとは比べ物にならないくらい、素晴らしいのだ。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
すれ違い片想い
高嗣水清太
BL
「なぁ、獅郎。吹雪って好きなヤツいるか聞いてねェか?」
ずっと好きだった幼馴染は、無邪気に残酷な言葉を吐いた――。
※六~七年前に二次創作で書いた小説をリメイク、改稿したお話です。
他の短編はノベプラに移行しました。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺(紗子)
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる