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9.サプライズパーティ③
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浮かれた気分は瞬く間に蒸散してしまった。 部屋の中で、母親が上機嫌でしゃべっている。
「もう、雅人ったら帰ってくるなら、前もって言ってくれたら良いのに。」
「驚かせてやろうと思ったんだよ。ナオ、誕生日おめでとう。」
黙って部屋に進もうとする坂下を、母親が咎める。
「直人、マサくんがせっかく帰ってきてくれたのよ、ちゃんと挨拶したの?」
「さっき済ませたところだよ、なあ。それより早く着替えて手を洗ってこいよ。食事だぞ。」
「冷めちゃうから、さっさとしてちょうだい。」
坂下は面倒くさそうに鞄をソファに放り投げると、そのまま手も洗わずに食卓に着いた。
ビシソワーズ、湯気の立つパエリア、香ばしい匂いを放つスペアリブ、色鮮やかなサラダ。
手の込んだ料理は、どれもこれも兄の好物だ。
「もう、マサくん急に帰って来るのだもの、母さん大変だったのよ。慌ててデパートに買い物に 行って、時間ない中で急いでこしらえて……」
「母さん、今日はナオの誕生日なんだよ。」
苦笑して口を挟む雅人に、母親は今初めて思い出したように坂下を見た。
「ああ、いいのよ、この子は。いつも家にいるんだから。それより京都はどう?こっちよりももっと暑いでしょ。涼しくなったら遊びに行きたいんだけど。」
坂下は、二口三口料理を口に入れ、適当にフォークで料理を突付くと、席を立った。
「どうした、食欲ないのか?夏ばてか?」
「俺、その料理嫌いなんだ。」
「おい、その言い方はちょっと…、ナオ!」
「放っておきなさい、いつもの我儘よ。」
坂下は力いっぱいドアを閉めた。
自分を落ち着かせるように、坂下は深くため息をつくと、机に向かった。
一番大きなひきだしを開ける。
薄布に包んだ、小振りなパネルが一つ現れた。
淡いオレンジと紫を背景に浮かび上がる街並みの絵。
「暁……」
絵にそっと触れながら、坂下は声に出さずに呟いた。
新しい絵はまだ下書きの段階で、何を描いているのか暁は教えてくれない。
夜が明けたら早々に登校しよう、と坂下は思った。
学校は何時から開いているのだろう、6時、いや7時くらいだろうか。
ドアをノックする音が聞こえ、坂下は慌てて絵をひきだしに仕舞う。
母親が盆を持って立っていた。
「お誕生日なんだから、これぐらいは食べるでしょ。」
やや乱暴な手つきで、コーヒーとケーキを机に置く。
「母さん……」
「せっかく雅人が買ってきたんだから。がっかりさせるような真似はやめなさい。美味しいわ よ、とても。私たちはリビングでいただいたから。」
坂下は苛立ちを込めて小さくため息をついたが、母親の耳には届いていないようだった。
「俺、明日は朝早く学校行くから。みんな起きても、もういないかも。」
「そう。どうせ朝ごはんはいらないんでしょ?」
「うん。」
部屋から出て行く母親に背を向け、坂下はケーキを見つめる。
捨てようかと思ったが、食べ物を粗末にするときの暁の咎めるような視線を思い出し、坂下は思いとどまった。
よく冷えたクリームとスポンジを、フォークで崩し、口に放り込む。
味わう前に、コーヒーで流し込んだ。
ハッピーバースデー、トゥユー……
ふとメロディが心に浮かぶ。
Happy Birthday to You
Happy Birthday, Dear…
音楽はそこで止まる。
坂下は考える。
自分を“Dear”――愛しい、などと思ってくれる人間が、果たしているのだろうか。
盆を片付けようとして、自分の指に思うように力が入らないことに、坂下は気づいた。
指だけではない。
膝も、向きを変えようとした首も、痺れたように動かない。
何かが体中を這うような、不快な眠気を覚えた。
脳の一点だけが妙に冴え渡り、『何かがおかしい』と訴えている。
誰かを呼ぶにも、うまく呂律が回らない。
次第に散漫となる意識の中で、歌声が聞こえた。
いつの間にか兄が部屋に立っていた。
Happy Birthday to You,
Happy Birthday to You…
無邪気な、楽しげな歌声。
Happy Birthday Dear Nao…
坂下は体中の震えが止まらない。
「おめでとう、ナオ、18ならもう立派な大人だね。」
兄が坂下の身体を抱き上げ、ベッドに横たえる。
「ずっとこの日を待っていたんだよ、ナオ。素敵な夜にしよう。」
「もう、雅人ったら帰ってくるなら、前もって言ってくれたら良いのに。」
「驚かせてやろうと思ったんだよ。ナオ、誕生日おめでとう。」
黙って部屋に進もうとする坂下を、母親が咎める。
「直人、マサくんがせっかく帰ってきてくれたのよ、ちゃんと挨拶したの?」
「さっき済ませたところだよ、なあ。それより早く着替えて手を洗ってこいよ。食事だぞ。」
「冷めちゃうから、さっさとしてちょうだい。」
坂下は面倒くさそうに鞄をソファに放り投げると、そのまま手も洗わずに食卓に着いた。
ビシソワーズ、湯気の立つパエリア、香ばしい匂いを放つスペアリブ、色鮮やかなサラダ。
手の込んだ料理は、どれもこれも兄の好物だ。
「もう、マサくん急に帰って来るのだもの、母さん大変だったのよ。慌ててデパートに買い物に 行って、時間ない中で急いでこしらえて……」
「母さん、今日はナオの誕生日なんだよ。」
苦笑して口を挟む雅人に、母親は今初めて思い出したように坂下を見た。
「ああ、いいのよ、この子は。いつも家にいるんだから。それより京都はどう?こっちよりももっと暑いでしょ。涼しくなったら遊びに行きたいんだけど。」
坂下は、二口三口料理を口に入れ、適当にフォークで料理を突付くと、席を立った。
「どうした、食欲ないのか?夏ばてか?」
「俺、その料理嫌いなんだ。」
「おい、その言い方はちょっと…、ナオ!」
「放っておきなさい、いつもの我儘よ。」
坂下は力いっぱいドアを閉めた。
自分を落ち着かせるように、坂下は深くため息をつくと、机に向かった。
一番大きなひきだしを開ける。
薄布に包んだ、小振りなパネルが一つ現れた。
淡いオレンジと紫を背景に浮かび上がる街並みの絵。
「暁……」
絵にそっと触れながら、坂下は声に出さずに呟いた。
新しい絵はまだ下書きの段階で、何を描いているのか暁は教えてくれない。
夜が明けたら早々に登校しよう、と坂下は思った。
学校は何時から開いているのだろう、6時、いや7時くらいだろうか。
ドアをノックする音が聞こえ、坂下は慌てて絵をひきだしに仕舞う。
母親が盆を持って立っていた。
「お誕生日なんだから、これぐらいは食べるでしょ。」
やや乱暴な手つきで、コーヒーとケーキを机に置く。
「母さん……」
「せっかく雅人が買ってきたんだから。がっかりさせるような真似はやめなさい。美味しいわ よ、とても。私たちはリビングでいただいたから。」
坂下は苛立ちを込めて小さくため息をついたが、母親の耳には届いていないようだった。
「俺、明日は朝早く学校行くから。みんな起きても、もういないかも。」
「そう。どうせ朝ごはんはいらないんでしょ?」
「うん。」
部屋から出て行く母親に背を向け、坂下はケーキを見つめる。
捨てようかと思ったが、食べ物を粗末にするときの暁の咎めるような視線を思い出し、坂下は思いとどまった。
よく冷えたクリームとスポンジを、フォークで崩し、口に放り込む。
味わう前に、コーヒーで流し込んだ。
ハッピーバースデー、トゥユー……
ふとメロディが心に浮かぶ。
Happy Birthday to You
Happy Birthday, Dear…
音楽はそこで止まる。
坂下は考える。
自分を“Dear”――愛しい、などと思ってくれる人間が、果たしているのだろうか。
盆を片付けようとして、自分の指に思うように力が入らないことに、坂下は気づいた。
指だけではない。
膝も、向きを変えようとした首も、痺れたように動かない。
何かが体中を這うような、不快な眠気を覚えた。
脳の一点だけが妙に冴え渡り、『何かがおかしい』と訴えている。
誰かを呼ぶにも、うまく呂律が回らない。
次第に散漫となる意識の中で、歌声が聞こえた。
いつの間にか兄が部屋に立っていた。
Happy Birthday to You,
Happy Birthday to You…
無邪気な、楽しげな歌声。
Happy Birthday Dear Nao…
坂下は体中の震えが止まらない。
「おめでとう、ナオ、18ならもう立派な大人だね。」
兄が坂下の身体を抱き上げ、ベッドに横たえる。
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