5 / 31
4.白昼夢③
しおりを挟む
定期テストの翌日、暁は教室に居残り、必死でレポートを写していた。
勉強するという習慣を持たない暁は赤点の常習犯で、レポート提出でお情けを頂戴することになったのだ。
すっかり見慣れた、細い丁寧な坂下の筆跡。
「代わりに書いてあげようか?」
坂下が横から覗きこむ。
「お前の字じゃ一発でバレるだろ。」
教室に残っている生徒は他にいない。
受験勉強に本腰を入れ始めた他の同級生たちは、予備校に通うか冷房の効いた図書館で過ごしている。
「ねえ、藪君って大野君のこと好きだよね。」
ちょうど鉛筆を置いて一息入れたところで唐突に言われ、暁は飲みかけていたペットボトルのお茶をぶっと吐き出してしまった。
「俺のレポート…」
「わりーわりー、でもお前のせいだろ、わけわかんねーこと言うから。」
「なんで?」
「ヤブ、彼女いるぞ。ありえねーわ。気色わりー。」
坂下の顔がぱっと赤らむ。
「あ、ごめん!そういう意味じゃなかったんだ。」
坂下が気まずそうに口ごもる。
「そうだね、気色悪い…よね。変な表現しちゃった。そういう意味じゃないんだ。」
「なんなんだよ、ヤブだけに藪から棒。」
「うん、ダジャレはいいから…その、藪君はすごく大野君のこと理解してるっていうか、心配してるっていうか。」
「ああ、中学からずっと一緒だったからな。」
自分が知らない暁を知っている薮内に、坂下はすこし嫉妬めいた感情が湧きおこる。
普段あまり教室の中では笑顔を見せない暁が、薮内に話しかけられたときだけは笑ってみせることにも坂下は気づいていた。
もっとも薮内を除いては、そもそも暁に気軽に話しかける人間はクラスにいない。
長めの前髪から覗く、鋭い眼光やちょっと曲がった鼻梁が、威圧するような空気を漂わせている。
一匹狼といった風情で、周囲を寄せ付けないのだ。
薮内と教室で談笑するときも、口の端をちょっと上げる程度で、感情を抑えている様子が伺えた。
スポーツ大会の一件以来、クラスメイトの大半が暁と距離を置いていることに坂下は改めて気づいた。
『やっぱ狂犬は怖い。』
閉会式にはすでに姿を消していた暁のことを、誰かがボソッと口にした。
『あいつがキレたの、別に本気じゃないから。』
なぜか薮内は坂下に言い訳するように話しかけてくる。
『うん、わかってる。』
鎧のようなものだ、と坂下は思う。
自分が眠りの世界へと逃げ込むことで、周囲に壁を巡らせるのに似ている。
『バイトだからって、さっき普通に帰っていった。藪君によろしくってさ。』
そう伝えると薮内は破顔した。
『あいつさー、1,2年のころはほんっと他人を寄せつけなくってさ、触れなば斬らん、みたいな。最近ようやくマシになってきたんだけどな。』
自分の知らない狂犬。でも、知らなくていいことはたくさんある。そして知られたくないことも同じくらい。
黙り込んでしまった坂下に、なんとなく気まずい空気を感じ、暁は取り繕うように言った。
「あいつのこと、嫌いじゃないよ。ちょっとうざい時もあるけどな。あ、変な意味にとるなよ。あいつにも言わなくていいから。お前の言い方、誤解を招く。あ、あと『気色悪い』ってのもなかったことにして。」
(ヤブよ、すまん。)
『気色悪い』という言葉はやはり失礼だったと思い、暁は心の中で謝った。
もっとも、『気色悪くない』と言ったとしても、今度は薮内のほうが『気色悪い』と言いかねない。
「俺のことは?」
坂下は暁の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「は?」
「俺のことは…嫌いじゃない?」
暁は急に胸のあたりが落ち着かなく感じた。
「いや、嫌いだったらこんな風に一緒にいないし。」
「レポート写したいだけじゃん。」
ちょっと拗ねたような坂下の顔がなぜか可愛く見える。
「だったらレポートだけカツアゲして、自分の名前書き換えて提出する。」
「ひっでー。サイテーじゃん。てか字でバレる。」
坂下がクスリと笑う。
嫌いじゃない、という言葉を暁は心の中で反芻した。
嫌いじゃないというのは、好きということなのだろうか。
暁はレポートを写しながら、坂下の顔を盗み見た。
すでに頬杖をついてうつらうつら居眠りを始めている。
試しに自分をどう思っているのか聞いてみればよかった、と思った。
きっと坂下は『嫌いじゃない』と答えるだろう。
だけど、もし『好き』と言われたら——気色悪いだろうか?
突然、教室の気温が1,2度上昇したような気がした。
坂下が目を瞑って動かないことに暁は安堵を覚える。
柄にもなく顔が赤くなっているところなど見せられたものじゃない。
坂下と一緒にいると調子が狂う。
暁は慌てて鉛筆を取り直すと、レポートを再び写し
勉強するという習慣を持たない暁は赤点の常習犯で、レポート提出でお情けを頂戴することになったのだ。
すっかり見慣れた、細い丁寧な坂下の筆跡。
「代わりに書いてあげようか?」
坂下が横から覗きこむ。
「お前の字じゃ一発でバレるだろ。」
教室に残っている生徒は他にいない。
受験勉強に本腰を入れ始めた他の同級生たちは、予備校に通うか冷房の効いた図書館で過ごしている。
「ねえ、藪君って大野君のこと好きだよね。」
ちょうど鉛筆を置いて一息入れたところで唐突に言われ、暁は飲みかけていたペットボトルのお茶をぶっと吐き出してしまった。
「俺のレポート…」
「わりーわりー、でもお前のせいだろ、わけわかんねーこと言うから。」
「なんで?」
「ヤブ、彼女いるぞ。ありえねーわ。気色わりー。」
坂下の顔がぱっと赤らむ。
「あ、ごめん!そういう意味じゃなかったんだ。」
坂下が気まずそうに口ごもる。
「そうだね、気色悪い…よね。変な表現しちゃった。そういう意味じゃないんだ。」
「なんなんだよ、ヤブだけに藪から棒。」
「うん、ダジャレはいいから…その、藪君はすごく大野君のこと理解してるっていうか、心配してるっていうか。」
「ああ、中学からずっと一緒だったからな。」
自分が知らない暁を知っている薮内に、坂下はすこし嫉妬めいた感情が湧きおこる。
普段あまり教室の中では笑顔を見せない暁が、薮内に話しかけられたときだけは笑ってみせることにも坂下は気づいていた。
もっとも薮内を除いては、そもそも暁に気軽に話しかける人間はクラスにいない。
長めの前髪から覗く、鋭い眼光やちょっと曲がった鼻梁が、威圧するような空気を漂わせている。
一匹狼といった風情で、周囲を寄せ付けないのだ。
薮内と教室で談笑するときも、口の端をちょっと上げる程度で、感情を抑えている様子が伺えた。
スポーツ大会の一件以来、クラスメイトの大半が暁と距離を置いていることに坂下は改めて気づいた。
『やっぱ狂犬は怖い。』
閉会式にはすでに姿を消していた暁のことを、誰かがボソッと口にした。
『あいつがキレたの、別に本気じゃないから。』
なぜか薮内は坂下に言い訳するように話しかけてくる。
『うん、わかってる。』
鎧のようなものだ、と坂下は思う。
自分が眠りの世界へと逃げ込むことで、周囲に壁を巡らせるのに似ている。
『バイトだからって、さっき普通に帰っていった。藪君によろしくってさ。』
そう伝えると薮内は破顔した。
『あいつさー、1,2年のころはほんっと他人を寄せつけなくってさ、触れなば斬らん、みたいな。最近ようやくマシになってきたんだけどな。』
自分の知らない狂犬。でも、知らなくていいことはたくさんある。そして知られたくないことも同じくらい。
黙り込んでしまった坂下に、なんとなく気まずい空気を感じ、暁は取り繕うように言った。
「あいつのこと、嫌いじゃないよ。ちょっとうざい時もあるけどな。あ、変な意味にとるなよ。あいつにも言わなくていいから。お前の言い方、誤解を招く。あ、あと『気色悪い』ってのもなかったことにして。」
(ヤブよ、すまん。)
『気色悪い』という言葉はやはり失礼だったと思い、暁は心の中で謝った。
もっとも、『気色悪くない』と言ったとしても、今度は薮内のほうが『気色悪い』と言いかねない。
「俺のことは?」
坂下は暁の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「は?」
「俺のことは…嫌いじゃない?」
暁は急に胸のあたりが落ち着かなく感じた。
「いや、嫌いだったらこんな風に一緒にいないし。」
「レポート写したいだけじゃん。」
ちょっと拗ねたような坂下の顔がなぜか可愛く見える。
「だったらレポートだけカツアゲして、自分の名前書き換えて提出する。」
「ひっでー。サイテーじゃん。てか字でバレる。」
坂下がクスリと笑う。
嫌いじゃない、という言葉を暁は心の中で反芻した。
嫌いじゃないというのは、好きということなのだろうか。
暁はレポートを写しながら、坂下の顔を盗み見た。
すでに頬杖をついてうつらうつら居眠りを始めている。
試しに自分をどう思っているのか聞いてみればよかった、と思った。
きっと坂下は『嫌いじゃない』と答えるだろう。
だけど、もし『好き』と言われたら——気色悪いだろうか?
突然、教室の気温が1,2度上昇したような気がした。
坂下が目を瞑って動かないことに暁は安堵を覚える。
柄にもなく顔が赤くなっているところなど見せられたものじゃない。
坂下と一緒にいると調子が狂う。
暁は慌てて鉛筆を取り直すと、レポートを再び写し
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
首輪をつけたら俺たちは
倉藤
BL
家賃はいらない、その代わりペットになって欲しい。そう言って差し出された首輪を、林田蓮太郎は悩んだ末に受け取った。
貧乏大学生として日々アルバイトと節約にいそしむ林田。いつも懐は寂しく、将来への不安と絶望感が拭えない。そんなどん底の毎日を送っていたところに話しかけてきた謎の男、鬼崎亮平。男はルームシェアという形で林田に住む場所をタダで提供してくれるという。それだけならば良かったが、犬用の首輪をつけろと要求された。
林田は首輪をつけて共に暮らすことを決意する。そしてルームシェアがスタートするも、鬼崎は硬派で優しく、思っていたような展開にならない。手を出されないことに焦れた林田は自分から悪戯を仕掛けてしまった。しかしどんなに身体の距離縮めても、なぜか鬼崎の心はまだ遠くにある。———ねぇ、鬼崎さん。俺のことどう想ってるの?
◇自作の短編【ご主人様とルームシェア】を一人称表記に直して長編に書き換えたものです
◇変更点→後半部、攻めの設定等々
◇R18シーン多めかと思われます
◇シリアス注意
他サイトにも掲載
俺のパンツが消えた
ルルオカ
BL
名門の水泳部の更衣室でパンツが消えた?
パンツが消えてから、それまで、ほとんど顔を合わせたことがなかった、水泳部のエースと、「ミカケダオシカナヅチ」があだ名の水泳部員が、関係を深めて、すったもんだ青春するBL小説。
百九十の長身でカナヅチな部員×小柄な名門水泳部エース。パンツが消えるだけあって、コメディなR15です。
おまけの「俺のパンツが跳んだ」を吸収しました。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる