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13.Don't Blame Me ①

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 爽やかな青空の広がる朝、松木は身支度を整え、会社に向かう準備をしていた。
週末に大方の荷物をマンションに運び込み、飯島との暮らしがスタートを切ったところだった。

「おい、松木、おま、お前、村山先生になに言った?!」
ネクタイを締めて整えたところで、飯島が目を三角に釣り上げて詰め寄ってきた。
「どうしたんですか?この前食事したきりで、あれから連絡とっていませんけど。」
「じゃあこれは、何だよ!」
飯島に突き付けられたスマートフォンには、メッセージのやり取りを示す吹き出しが並んでいた。

『先日は久しぶりにご一緒できて楽しかったです。突然のお誘いにもかかわらず来ていただけてありがとうございました。松木さん、良さそうな方ですね。ごちそうさま。』
相手は村山だ。
いつの間にか連絡先を交換し合っていたのか、と松木は心の中で軽く舌打ちをする。
油断も隙もない。
『こちらこそ。松木は東京事業所でも営業の生え抜きですから、きっと村山先生のお役に立てると思います。また、Z製薬の接待で飲みましょう(笑)。弊社の貴大学担当は残念ながら私ではないのですが、そのうち御縁がありましたらよろしくお願いします。』

二人とも自分の悪口を言っているわけではない、むしろ褒めている。
だが、松木は手放しで喜ぶ気分ではなかった。
親しげな雰囲気のやり取りもさることながら、本気ではないにせよ、辞めた会社の接待費で飲もうという飯島の発想にもちょっと呆れる。
だいたい、今時接待費なんてものは会社からは出ない。

「飯島さん、先日の食事は俺のポケットマネーですよ、まったく。これがどうしたって言うんですか?」
「最後まで読めよ!」
『“ごちそうさま”はお二人に。とてもお似合いです。』
松木は目が点になる。

「お前、何言ったんだ!」
飯島が気色ばむ。
「何って、何も言ってませんよ。」
「だったらこんなこと書いてくるわけないだろ。」
「いや、誤解ですよ、誤解じゃないけど、誤解。あの教授の勝手な思い込み。いや、思い込みじゃなくて事実だけど。俺何も言ってない、飯島さんこそ余計なこと言ったんじゃないですか?」
「俺じゃねえよ。」
「どうだか。俺が席外しているときに、酔っぱらって俺とのこと、のろけたとか。」
「なわけねーだろ。どうするんだよ。ゲイバレして営業にプラスになることなんて何もないんだぞ。せいぜいエイズの治療薬売り込む時ぐらいだ。」

飯島の言葉に、松木は表情を固くする。
「飯島さん、それは偏見です。自分自身に偏見を塗り付けるような真似してどうするんですか。HIVは同性愛者でも異性愛者でも感染しますし、性行為以外にも、血液感染や母子感染もあるんですよ。仕事柄そういうことをきちんと理解しているくせに、あなたの口からそんな言葉、一番聞きたくないな。」
渋い顔でたしなめる松木に、飯島はすうっと青くなる。

「……そうだな、全くお前の言うとおりだよ。つい気が動転して。最低だな、俺。」
恥じ入るように俯き悄然とする飯島の頭を、松木が掌でポンポンと軽く叩く。
「飯島さん……その、飯島さんを責めるつもりはないです。飯島さんが差別に人一倍敏感だってことも、これまでそういう言葉に傷ついてきたんだろうなってことも、俺は分かってます。俺が相手で、つい気が緩んじゃったんでしょ。」
「……」
頭を撫でながら、飯島の幽かな震えを感じ、松木は手を止める。
飯島の瞳は涙を湛えており、睫毛が揺れていた。
「え、その、あ……」
松木は慌てて飯島の涙が頬を伝う前に指で受け止める。
飯島は首を横に振った。
「誰に対してだって言っていい言葉じゃないし、そんなことも考えられない自分が許せない。」

松木は飯島の頭を抱き寄せた。
「……飯島さんが自分自身を許せなくても、俺は許すよ。」
飯島の震える指が、松木のシャツを頼りなげにぎゅっと掴む。
「きっとあの教授にも、気が緩んでポロリと俺とのことを漏らしちゃったんですよ。」
目の前で素直になる男が可愛く、つい口が滑り、余計な一言を付け加えてしまう。

「それとこれとは別だ!絶対俺じゃない!これからどうすんだよ。」
飯島が顔を上げ、きっと睨みつけてくる。
ウソ泣きかよ?と思わず突っ込みたくなるほど、飯島の態度が一変する。
「どうするも何も、向こうの勝手な誤解ですから(誤解じゃないけど)、今度会ったときに訂正しておきますよ。飯島さんはどうせ村山教授の担当じゃないんでしょ、二度と会うこともないだろうし、気にすることないですよ。」
「そんなのこの先わかんねーだろ、おい。お前はどうしてそう楽観的なんだよ?」
「ゲイバレして、だから何?俺は飯島さんとの関係がバレることよりも、飯島さんとの関係が消えてなくなることのほうが怖いけどな。飯島さんがそばにいてくれれば、差別だろうが偏見だろうが闘うよ。」

飯島の顔がみるみる真っ赤に染まる。
松木は飯島を抱きしめて頬を寄せた。
「仕事、行ってくる。飯島さんもちゃんと顔洗って、そろそろ出かける支度したほうが良いんじゃない?帰るときまた連絡するから。」

玄関を出たところで松木は小さくガッツポーズを取る。
決まった。今朝の自分はかっこよかった。
いつもいつも飯島に言い負かされるわけではないのだ。
理性で説き伏せ、心の余裕を見せ、大人の愛情で飯島を骨抜きにした。
俺だってやるときはやるのだ、と松木は鼻歌気分で駅に向かう。
もちろん松木とて、飯島が言うほどすべてを楽観視しているわけではない。
世間の風当たりがどういうものか、想像は難くない。
だが、飯島との関係をいつまでも秘密にしておけるとは思っていない。
飯島と大阪に来た時点で、覚悟は決めたのだ。



 とはいえ、実際に村山に会うとなると気まずい気持ちがないわけではなかった。
思いのほか早く巡ってきた村山との再会に、松木は緊張して身構える。
「先日はどうも。その、こちらで何か失礼な言動とか、誤解を招くような粗相をやらかしたのではないかと。」
手土産のコーヒー豆を差し出しながら松木は探りを入れた。
「わざわざありがとうございます。粗相なんてとんでもない。なぜそんなこと?」
「そう…ですか。ちょっと飯島が気にしていたものですから。」
村山は度の強い眼鏡の向こうから、いたずらをする子供のような目で松木を見やる。
「あ、飯島さんに送ったメッセージのことですか?何となくそうかなあって二人を見て思っただけです。ビンゴでしょ。」
「び、ビンゴって何が……。」
「お二人の関係。」
松木は言い返すこともできず、無言で肯定してしまう。
「大丈夫、言いふらしたりしませんよ。」
「その……何となく、分かってしまうものなのでしょうか。」
「うーん、きっかけは名刺入れね。お揃いだったから。」
「ああ……。」

松木は天を仰いだ。
新しい職場で士気を高めようと、新調したものだ。
飯島の愛用している名刺入れが洒落ていて、同じものが欲しいと言ったところ、国内の工房で職人が一つ一つ手作りをしている逸品であることを聞かされた。
シンプルな形状に控えめなロゴ、手に吸い付くように馴染む最高級の革。
飯島の名刺入れは経年変化で深みの加わったウィスキー色だが、松木のは洗練されたネイビーだ。
松木にはこの色が似合う、と飯島が見立ててくれたのだ。
メジャーな海外ブランドではないのに、よく観察していたものだ。
それだけ飯島のことを見ているということは……

「飯島と、親しかったんですね。」
「いやいや、営業さんとして頼りにはしていましたけど、それ以上のことはありませんよ。うらやましいですよ。僕にはまだそういう相手いないから。」
村山は優しくほほ笑む。
大学の教授にありがちな尊大な雰囲気はない。
「別に一人で生きていく覚悟はできているけれど、寂しくないわけじゃないんだよね。飯島さんは頭が切れるし、ちょっと可愛いから気に入っていたんですよ。多分同じ趣向だと思っていたし。」
「はあ。」
「松木さんは、こっち側の人間には見えないなあ。元々は違うでしょ。」
「ああ、あの、その……あまり分析しないでいただけると……。」
赤くなって消え入るような声で哀願する。
「すみません、つい職業柄ね。悪気はなかったんだけど、好奇心で。無駄話しすぎましたね、仕事の話に戻しましょう。この前持ってこられた資料の中で、ちょっと気になるものがあって…」
穏やかな表情で淡々と仕事の話に切り替える村山を、松木はしばらく見つめていた。



 寝室の間接照明が飯島の頬に睫毛の影を落とす。
瞼を閉じていると、飯島の容貌にきつい印象を添えている切れ長の三白眼が隠れ、実年齢より幼く見える。
松木は飯島の、シャープな頬の線から整えられた顎髭へと、輪郭を指でたどった。

「飯島さん、寝るならちゃんとパジャマ着て。」
「う……ん」
うっすら開いた唇から、寝言のような呟きが漏れる。
情事の後始末を松木に任せたまま、飯島は意識を手放していた。
「しょうがないなあ、もう、風邪ひきますよ。」
上半身を抱え上げて寝間着を着せ、ボタンを嵌めてやる。
毛布を掛け、自分も横に潜り込むと、飯島は寝ぼけているのか、もぞもぞと身を寄せて松木の胸に顔を埋めた。

「可愛いなあ。」
松木はつぶやく。
ふと村山の言葉を思い出す。

『もともとこっち側の人間ではないでしょう。』

飯島以外の人間と付き合うなど自分には考えられない。
だけど、飯島も村山も、松木のことをゲイではない、と考えている。
松木自身、同じことを感じていた。
飯島を愛している。
だけど、自分の恋愛対象は男ではない。
飯島が特別なのだ。
どちら側かなんて、どうでもよいことなのに。
自分は飯島と生きることを決意した。
自分で決めたことなのだから後悔はしない。
それだけでは駄目なのだろうか。

「飯島さん、どうしたら不安じゃなくなってくれるの?」
飯島の髪をそっと撫でながら小さな声で問いかける。
返事はない。
夜の静寂に、規則正しい寝息だけが聞こえていた。
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