3 / 30
龍の騎士王と狂った賢者
第二話 幻獣学者と灰色のキツネ(1)
しおりを挟むアイザックとルベラが英国ロンドンを後にしてから二週間経過していた。飛行機に乗ればおよそ十二時間で日本に到着するのだが、彼らが今歩いている所は高層ビルどころか人っ子一人も見つけられないような深い森の中に居た。
ルーマニアとウクライナの国境付近に位置するこの森はとても空気が澄み渡っており、どこか神聖さを醸し出している。この辺りは今は使われていないがかつて交易路として人の往来があったらしく、舗装はされていないものの二トントラック程度なら二台がすれ違えるほどの広さの道が続いていた。
暖かな陽光が降り注いで草花も広葉樹も大きく育っている。光り輝く草むらにはリスやウサギといった小動物が駆け回り、青々と茂る大樹の枝には小鳥たちが大合唱を奏でている。微かに聞こえる川のせせらぎも相まってとても心地が良くなるのだが、そもそも二人が何故このような場所で、しかも徒歩で旅しているのかと言うと……
「しっかしまぁ、ヘルマンが飛行機に乗れないお子ちゃまだなんてねぇ…
魔法や幻獣の背に乗ってピュンピュン飛び回ってるのは平気なくせに…」
「仕方ないだろう!あんな魔素の薄い所を鉄の塊に閉じ込められたまま半日も飛び続けるなんてとてもじゃないが出来ないよ!
それに飛行機なんてよくよく聞けば未だにどういう原理で飛んでいるのかも分からないんだぞ?もしも何かしらのトラブルで動かなくなってみろよ、外に飛び出したって魔法も何も使えないじゃないか!」
アイザックの極度の飛行機嫌いが原因で、現在も徒歩での移動をしているのだ。
「はぁ…だからってわざわざ徒歩で日本に向かう必要があるの?魔法で飛んで行けば良いじゃない」
「そ、それは…ほら、魔法で飛んでいる所を一般人に見つかれば大事になるだろう?」
「隠蔽魔法」
「え?」
「なんの為の隠蔽魔法よ!姿を隠しながら飛ぶ事だって出来るでしょう!」
「いやぁ、はは…まぁ、たまにはゆっくり二人旅もいいじゃないか、なぁルベラ?」
ルベラ言ったように、浮遊魔法を使った上で隠蔽魔法を使い、姿を一般人や力の弱い魔法使い、幻獣たちに見られないようにして空を移動することもアイザックなら出来る。出来るのだが、そうしない理由はゆっくり二人旅がしたい…
「大方、折角の長期休暇を利用してフィールドワークとアルベルト捜索で一石二鳥!とか考えているんでしょ…」
訳でもなく。ルベラに図星を指されたアイザックの顔に冷や汗が走る。
飛行機に乗らずとも他の乗り物に乗れば幾らか早く目的の日本に到達出来るのだ。実際、英国から仏国に渡る時には、船を利用して海峡を渡っているのにも関わらず、大陸に着いてからはずっと徒歩なのだ。彼女が不満に思うのも無理はない。
「そ、そんなわけ…!………無いとは言えないけど…」
ジトー……っとした目でアイザックを睨むルベラだったが、やがて
「まぁ、いいんだけどね。アルベルトと同じ研究職に就いてからというもの二十年くらい休みもせずに研究漬けだったんだもの。たまにはこんなのんびりしたのもいいわねっ」
プイっと少し照れながら目線を逸らしながら言葉を漏らした。
「それにしても本当に気持ちのいい空気ね。ロンドンの重厚な魔素の質感とは違うけれど、このあたりの魔素も中々に美味しいわ」
幻獣たちはその多くが食事を特別必要としない。彼らが通常の獣と違うのは姿だけではなくその中身だ。消化器官は備えているが、空気中に含まれている魔力の素、通称【魔素】を光合成のように取り込むことで活動している。その為、彼らが口にする食物は人間で言うところの酒や煙草のような嗜好品としてのものが多い。もちろん食物からも活動するためのエネルギーを補給できるのだが必要が無い為殆ど行わない。
「本当だね、ルベラ。これだけ澄んだ森なら小さな精霊が住み着いているかもしれないね。……ん?」
不意に何かに気付いたかのように、アイザックは辺りをキョロキョロと見回した。
「どうかしたの?ヘルマン」
そんなアイザックの様子に気付き、ルベラは問う。
「何か変な魔力の流れが…。気付かないかい、ルベラ?」
先程までの静かな森の風景は、その様子を少し変えていた。小鳥たちの囀りは鳴りを潜め、代わりにバタバタと集団になって一斉に飛び立つ。地面の上に落ちた木の実を集めていたリスたちは集めた木の実をそのままに大樹を駆け上がり巣穴に逃げ帰り息を殺していた。
「ちょっと待ってね………、居たわ!ヘルマン!右よ!」
ルベラ声を頼りに右に視線を向けたアイザック。すると茂みの奥から複数の野ウサギが走り抜ける姿と、少し甲高い声でキャンキャンと吠えながらウサギを追う灰色の毛に包まれたキツネの様な獣が見えた。
「もしかすると、ヒヤシス=ペディか…?しかし変だな。ヒヤシス=ペディが何故こんなに人里から離れた所で、しかもウサギを追いかけているんだ…?」
キツネ型幻獣ヒヤシス=ペディ。アイザックの祖父アルベルトが生涯をかけて研究している幻獣で、別名童子狐。洋の東西で少し異なる色の毛を身にまとったキツネのような姿をしている。その顔は丁度、東洋の島国で見られる舞踊の狐面のように閉じているかの如く細められた目をしている。キツネと違いその頭に大きなツノを二本備えており、本来であれば人里近くに住み、人間の子供と遊びたがる好奇心旺盛な幻獣だ。しかし、ただ遊ぶだけならと軽く考えては行けない。彼らは来る者は拒まないが去る者をとことん追いかける習性がある上に、時の流れが違う異空間に子供を連れていく、言わば神隠しの様な術を使う。今でも起こる子供の行方不明事件の多くは、彼らの仕業と考えられている。
アイザックは基本的な情報を思い出しながら、しかし今まで聞いた事のない現象が起きていることに気付く。
(こんな深い森に居ることも確かに変だが、そもそも彼らは肉を食べないはず…何故狩りのような真似を……?
さらに言えばこの地に居るヒヤシス=ペディの体毛は澄んだ空色の筈…、灰色の毛並みなど聞いた事が無いぞ…?!)
本来この近辺、欧州に生息しているヒヤシス=ペディは空のように青い毛並みで、今目の前に居るような灰色の毛並みではない。角の色も体毛に準じ少し濃い青のはずが、ウサギを追う彼らのそれは不気味な程に黄色く光る。東洋のそれは赤い毛並みに紅い角、前述の通り彼らも基本食事は必要ない。故に狩りなんてする必要が無いのだ。全ての常識から離れた彼らの姿はアイザックを酷く混乱させた。
「考えるのは後よ、ヘルマン!とにかく追いかけましょう!」
言うが早いかルベラはアイザックの肩から飛び降り、その体からは想像もつかない程の脚力で先程の影を追って行った。
「ちょっ…!ルベラ?!…あぁ、もう!」
突然の事に反応が遅れたアイザックだったが、一先ずルベラと先程の獣たちを追うことに専念する。
「久しぶりだから少し不安だけど…」
そう言ってひとつ小さく呼吸をし、身体中に魔力を流していく。
(全身の血管を通って身体中に魔力を循環させるイメージ…)
「身体強化術…速度強化!!」
小さく呪文を唱えたアイザックは自身の身体が淡く黄金に光るのを確認し、直ぐに全身に力が漲るのを感じた。
久々に使う術だったが問題無く成功したようで小さく安堵の息を漏らすとともに、少し離れてしまったルベラ達を一刻も早く追いかけるべく、力強く一歩踏み出す。
ーードンッ!!
次の瞬間、先程のルベラの速度を遥かに超えたスピードで駆けて行き、一瞬にしてその姿が見えなくなった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる