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龍の騎士王と狂った賢者

第二話 幻獣学者と灰色のキツネ(1)

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 アイザックとルベラが英国イギリスロンドンを後にしてから二週間経過していた。飛行機に乗ればおよそ十二時間で日本に到着するのだが、彼らが今歩いている所は高層ビルどころか人っ子一人も見つけられないような深い森の中に居た。

 ルーマニアとウクライナの国境付近に位置するこの森はとても空気が澄み渡っており、どこか神聖さを醸し出している。この辺りは今は使われていないがかつて交易路として人の往来があったらしく、舗装はされていないものの二トントラック程度なら二台がすれ違えるほどの広さの道が続いていた。
 暖かな陽光が降り注いで草花も広葉樹も大きく育っている。光り輝く草むらにはリスやウサギといった小動物が駆け回り、青々と茂る大樹の枝には小鳥たちが大合唱を奏でている。微かに聞こえる川のせせらぎも相まってとても心地が良くなるのだが、そもそも二人が何故このような場所で、しかも徒歩で旅しているのかと言うと……


「しっかしまぁ、ヘルマンが飛行機に乗れないお子ちゃまだなんてねぇ…
 魔法や幻獣の背に乗ってピュンピュン飛び回ってるのは平気なくせに…」

「仕方ないだろう!あんな魔素の薄い所を鉄の塊に閉じ込められたまま半日も飛び続けるなんてとてもじゃないが出来ないよ!
 それに飛行機なんてよくよく聞けば未だにどういう原理で飛んでいるのかも分からないんだぞ?もしも何かしらのトラブルで動かなくなってみろよ、外に飛び出したって魔法も何も使えないじゃないか!」

 アイザックの極度の飛行機嫌いが原因で、現在も徒歩での移動をしているのだ。

「はぁ…だからってわざわざ徒歩で日本に向かう必要があるの?魔法で飛んで行けば良いじゃない」

「そ、それは…ほら、魔法で飛んでいる所を一般人に見つかれば大事になるだろう?」

「隠蔽魔法」

「え?」

「なんの為の隠蔽魔法よ!姿を隠しながら飛ぶ事だって出来るでしょう!」

「いやぁ、はは…まぁ、たまにはゆっくり二人旅もいいじゃないか、なぁルベラ?」

 ルベラ言ったように、浮遊魔法を使った上で隠蔽魔法を使い、姿を一般人や力の弱い魔法使い、幻獣たちに見られないようにして空を移動することもアイザックなら出来る。出来るのだが、そうしない理由はゆっくり二人旅がしたい…

「大方、折角の長期休暇を利用してフィールドワークとアルベルト捜索で一石二鳥!とか考えているんでしょ…」

 訳でもなく。ルベラに図星を指されたアイザックの顔に冷や汗が走る。
 飛行機に乗らずとも他の乗り物に乗れば幾らか早く目的の日本に到達出来るのだ。実際、英国イギリスから仏国フランスに渡る時には、船を利用して海峡を渡っているのにも関わらず、大陸に着いてからはずっと徒歩なのだ。彼女が不満に思うのも無理はない。

「そ、そんなわけ…!………無いとは言えないけど…」

 ジトー……っとした目でアイザックを睨むルベラだったが、やがて

「まぁ、いいんだけどね。アルベルトと同じ研究職に就いてからというもの二十年くらい休みもせずに研究漬けだったんだもの。たまにはこんなのんびりしたのもいいわねっ」

 プイっと少し照れながら目線を逸らしながら言葉を漏らした。

「それにしても本当に気持ちのいい空気ね。ロンドンの重厚な魔素の質感とは違うけれど、このあたりの魔素も中々に美味しいわ」

 幻獣たちはその多くが食事を特別必要としない。彼らが通常の獣と違うのは姿だけではなくその中身だ。消化器官は備えているが、空気中に含まれている魔力の素、通称【魔素】を光合成のように取り込むことで活動している。その為、彼らが口にする食物は人間で言うところの酒や煙草のような嗜好品としてのものが多い。もちろん食物からも活動するためのエネルギーを補給できるのだが必要が無い為殆ど行わない。

「本当だね、ルベラ。これだけ澄んだ森なら小さな精霊が住み着いているかもしれないね。……ん?」

 不意に何かに気付いたかのように、アイザックは辺りをキョロキョロと見回した。

「どうかしたの?ヘルマン」

 そんなアイザックの様子に気付き、ルベラは問う。

「何か変な魔力の流れが…。気付かないかい、ルベラ?」

 先程までの静かな森の風景は、その様子を少し変えていた。小鳥たちのさえずりは鳴りを潜め、代わりにバタバタと集団になって一斉に飛び立つ。地面の上に落ちた木の実を集めていたリスたちは集めた木の実をそのままに大樹を駆け上がり巣穴に逃げ帰り息を殺していた。

「ちょっと待ってね………、居たわ!ヘルマン!右よ!」

 ルベラ声を頼りに右に視線を向けたアイザック。すると茂みの奥から複数の野ウサギが走り抜ける姿と、少し甲高い声でキャンキャンと吠えながらウサギを追う灰色の毛に包まれたキツネの様な獣が見えた。

「もしかすると、ヒヤシス=ペディか…?しかし変だな。ヒヤシス=ペディが何故こんなに人里から離れた所で、しかもウサギを追いかけているんだ…?」

 キツネ型幻獣ヒヤシス=ペディ。アイザックの祖父アルベルトが生涯をかけて研究している幻獣で、別名童子狐わらべきつね。洋の東西で少し異なる色の毛を身にまとったキツネのような姿をしている。その顔は丁度、東洋の島国で見られる舞踊の狐面のように閉じているかの如く細められた目をしている。キツネと違いその頭に大きなツノを二本備えており、本来であれば人里近くに住み、人間の子供と遊びたがる好奇心旺盛な幻獣だ。しかし、ただ遊ぶだけならと軽く考えては行けない。彼らは来る者は拒まないが去る者をとことん追いかける習性がある上に、時の流れが違う異空間に子供を連れていく、言わば神隠しの様な術を使う。今でも起こる子供の行方不明事件の多くは、彼らの仕業と考えられている。
 
 アイザックは基本的な情報を思い出しながら、しかし今まで聞いた事のない現象が起きていることに気付く。

(こんな深い森に居ることも確かに変だが、そもそも彼らは肉を食べないはず…何故狩りのような真似を……?
さらに言えばこの地に居るヒヤシス=ペディの体毛は澄んだ空色の筈…、灰色の毛並みなど聞いた事が無いぞ…?!)

 本来この近辺、欧州ヨーロッパに生息しているヒヤシス=ペディは空のように青い毛並みで、今目の前に居るような灰色の毛並みではない。角の色も体毛に準じ少し濃い青のはずが、ウサギを追う彼らのそれは不気味な程に黄色く光る。東洋のそれは赤い毛並みに紅い角、前述の通り彼らも基本食事は必要ない。故に狩りなんてする必要が無いのだ。全ての常識から離れた彼らの姿はアイザックを酷く混乱させた。

「考えるのは後よ、ヘルマン!とにかく追いかけましょう!」

 言うが早いかルベラはアイザックの肩から飛び降り、その体からは想像もつかない程の脚力で先程の影を追って行った。

「ちょっ…!ルベラ?!…あぁ、もう!」

 突然の事に反応が遅れたアイザックだったが、一先ずルベラと先程の獣たちを追うことに専念する。

「久しぶりだから少し不安だけど…」

 そう言ってひとつ小さく呼吸をし、身体中に魔力を流していく。

(全身の血管を通って身体中に魔力を循環させるイメージ…)

身体強化術フィジカル・チャーム速度強化クイック・アップ!!」

 小さく呪文を唱えたアイザックは自身の身体が淡く黄金きんに光るのを確認し、直ぐに全身に力がみなぎるのを感じた。
 久々に使う術だったが問題無く成功したようで小さく安堵の息を漏らすとともに、少し離れてしまったルベラ達を一刻も早く追いかけるべく、力強く一歩踏み出す。

ーードンッ!!

 次の瞬間、先程のルベラの速度を遥かに超えたスピードで駆けて行き、一瞬にしてその姿が見えなくなった。
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