ごきげんよう、元婚約者様

藍田ひびき

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愚者は踊る

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 娘からの手紙を受け取った俺は、すぐにリュッケルト伯爵の元を訪れた。伯爵は既に、娘が牢に入れられたという情報を入手していたらしい。深刻な顔で俺を出迎えた伯爵に、俺は手紙を見せた。

「何とか伯爵のお力で、娘を救い出していただけないでしょうか」
「それは無理だ」
「何故です?グレーテは貴方の養女でもあるのですよ!」
「王家側にこちらの策が漏れたのだ。このままでは、俺たちも連座で罪を問われる可能性がある。既に、グレーテは我がリュッケルト家の籍から抜いた」
「そ、それでは娘は……」
「可哀想だが見捨てるしかあるまい」
「そんな!」

 俺は絶句した。
 そもそもこうなったのは、伯爵のせいではないかと言いたくなるのをグッと堪える。

 ローゼンハイン侯爵家の娘が王妃になれば、王政派はますます力を付ける。そちらの娘は大変な美女と聞く。お膳立てはこちらで整えるから、娘を王太子へ接触させて欲しい。貴族派の妃が寵愛を受ければ、ローゼンハイン侯爵の力を削ぎ、引いては王政派の勢力を抑えることができるだろう。

 そんな話を俺へ持ちかけてきたのはリュッケルト伯爵だ。娘が国王の側室になれるのなら悪くはないと思ったし、グレーテもすっかり乗り気だったため引き受けた。まさかローゼンハイン侯爵家のご息女を廃し、正妃になるとまでは予測していなかったが……。

「俺はしばらく身を隠す。フュルスト男爵も、そうした方がいい」
「しばらくとは、どのくらいでしょう?」
「それは分からん。ほとぼりが冷めれば男爵が戻って来られるよう、力を尽そう」
「分かりました。隣国へ嫁いだ姉の所へ行くことにします」

 屋敷に戻った俺は、妻に事情を話した。「だから反対したではありませんか!そもそもあの娼婦の娘をうちに入れること自体、私は反対だったのです」と怒った妻は強引に離縁届を出させ、自分の娘を連れて実家へ帰って行った。主な使用人たちも連れて行ったようだ。
 
 長年連れ添った夫婦だというのに。なんて薄情な女だ。

 愛するマリア、お前が生きていてくれたらこんなことにはならなかっただろうか。グレーテは美しかったマリアに生き写しだ。甘やかしたせいか、かなり我が儘な娘に育ってしまったが、親から見ればそこも可愛い。
 グレーテならばどんな相手にだって寵愛されるだろう、幸せになるだろう。そう思っていた。

 俺は家に残っていた金をかき集め、従者を連れて隣国へ向かった。御者に金貨をちらつかせ、とにかく急がせる。

 がたがたと揺れる馬車の中で、言いようもない不安が胸を支配した。
 そもそも、グレーテが正妃に選ばれた時点で感じていたことだ。俺はとんでもないことに首を突っ込んでいるのではないか、と。
 
 馬車が国境付近にさしかかった時だ。
 ぐらっと馬車が傾いた。車輪が細い崖道から外れ、宙へと浮かぶ。
 
 「うわあああーっ!!」


 気付くと、俺は崖の下に倒れていた。少し離れたところに馬の死体と壊れた馬車が見える。従者と御者の姿は見えないが……馬車の下から手らしき物が覗いていた。

 俺はおそらく、途中で馬車から投げ出されたのだろう。おかげで馬車に潰されはしなかったが、落下の衝撃であちこちが折れて動けない。

 倒れる俺へ誰かが近寄ってきた。
 ああ、良かった。これで助かる。

「誰か知らないが、俺はこの通り崖から落ちて動けない。礼はするから助け……」
「ちっ、死ななかったのか。面倒くさいな」

 目の前の男が、俺に向かって剣を振り上げた。

 暗殺。
 そんな言葉が脳裏をよぎる。
 
 妻以外で、俺が隣国へ向かったことを知っているのはリュッケルト伯爵だけだ。まさか、策が失敗したために口封じをしようと……?
 俺へ身を隠すように諭したのは、行方不明という体で俺を密かに殺す算段だったのか。
 いや、あの手紙が届いたこと自体……、伯爵の罠だったのかもしれない。

 それに気付いたのは、剣が俺の身体へ到達した瞬間だった。
 
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