ごきげんよう、元婚約者様

藍田ひびき

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愚かな王太子

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「アレクシス殿下、こちらの書類にも決裁をお願いします」
「まだあるのか……」

 目の前に山と積まれた書類を前に、俺は頭を抱えた。

 以前はここまで仕事が滞ることは無かったのに……。
 原因は分かっている。
 クリスティーネ・ローゼンハイン公爵令嬢がいなくなったからだ。
 
 二年前、俺は彼女との婚約を破棄した。

 クリスティーネは完璧な令嬢だった。
 王太子妃教育を16歳で終え、講師たちからはもう教えることがないと太鼓判を押されるほど。教育が終わったため空いた時間で、俺の執務を手伝ってもいた。側近たちも優秀だが、彼女は突出して有能だった。

 だがその完璧で隙のないところが、俺は嫌いだった。しかもことあるごとに俺へ指図してくるのだ。

「アレクシス様、相手が臣下とはいえ無体な態度を取ってはいけません。彼らにも心はあるのですよ」
「こちらの書類は再確認を。 エルスター領は豊かな土地です。こんなに税収が低いわけはありません」

 幼い頃はクリスティーネの凛とした美しさに惹かれたこともある。だが成長するにつれ、その偉そうな態度が鼻に付くようになった。
 何より、あの目だ。
 憐憫と諦観を含んだ瞳。
 本人は隠していたのだろうが、俺を見下しているのが伝わってきた。
 
 腹が立って、剣の稽古という名目で打ち据えてやったこともある。だが彼女は震えながらも、またあの瞳で俺を見つめるだけだった。

 そんなときに出会ったのがグレーテ・フュルスト男爵令嬢だ。
 クリスティーネも美人ではあるが、グレーテの華やかさには適わない。しかも、グレーテは優しくて素直だ。彼女の俺を見つめる目からは、尊敬と恋慕が伝わってくる。そして俺にいつも「アレクシス様は優れた方です。私は知っていますわ」と囁いてくれるのだ。

 この女を離したくない。誰にも渡したくない。
 いけないこととは分かっていたが、グレーテを閨へ連れ込んだ。彼女は恥じらいながらも俺を受け入れてくれた。
 
「こうなってしまったらには、責任を取る。待っていてくれ」
「嬉しいです、アレクシス様……」

 そうして俺はクリスティーネとの婚約を破棄し、グレーテと婚約したのだ。父上は良い顔をしなかったが、母上が後押ししてくれた。

 だが、グレーテは元男爵令嬢だ。今はリュッケルト伯爵の養子となったとはいえ、王妃が務まるほどの教養はない。
 最低限の礼儀作法と教養だけを身に付けさせ、何とか結婚式は済ませた。今現在も最高レベルの教師を揃えて講義を受けさせているのだが……どうも芳しくない。飽きたと言っては抜け出そうとするし、覚えが悪い。手には負えないと何人もの教師が辞退した。

 このままでは俺が国王になった際に困るのだと何度も彼女を諭したのだが、すぐに拗ねてしまう。しまいには「アレクシス様、昔はもっと優しかったのに~」などと泣き言を言い出す始末だ。

「アレクシス様!新しいドレスを買いたいの。いいでしょう?」
「……仕事中だ。後にしてくれ」
「またあ?前はもっと構ってくれたのに~」

 執務室に飛び込んできたグレーテは、ふてくされた顔をして美しいブロンドの髪を弄んでいる。そんな仕草も愛らしいが、今は構っている暇がない。お茶などしている暇があるなら、少しは妃教育へ真面目に取り組んで欲しい。

「何でそんなに忙しいの?あなたたち側近が無能なんじゃない?」
「で、でも以前はクリスティーネ様が……」

 側近の一人がそこまで言って、慌てて口ごもる。

「クリスティーネ?何で?」と聞く彼女へごまかしきれず、事情を説明する羽目になった。

「何だ!それならクリスティーネを呼び戻せばいいじゃない。辺境に嫁がされて、今ごろ後悔してるんじゃない?」
「それもそうか。流石だな、グレーテ!」

 早速、俺はヴァルツェル辺境伯へと嫁いだクリスティーネへ手紙を書いた。

 『ヴァルツェルのような田舎に嫁がされて、辛い思いをしているだろう。そろそろ反省したのではないか?戻って来るなら、お前の罪を許そうと思う。望むなら側室の座を与えてもいい』

 側室にするというのは方便である。
 ヴァルツェル辺境伯がどんな奴かは知らんが、国を追われた罪人の如き女が嫁いできたのだ。さぞや好き放題にされているだろう。そんな汚れた女など、側室にするつもりはない。

 どんな返事が来るのだろう。
 あの高慢な女の哀れな姿を見られると思うと、ここのところの鬱憤も吹き飛ぶようだな。楽しみだ。
 
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