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3. 心の平穏
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実家に戻った私を、両親は複雑な表情で出迎えた。
いくら愛娘といえど、出戻りだ。娘をどう扱って良いか困っている両親の顔を見るのは私も辛かった。
「家庭教師?」
「ええ。ウォルシュ辺境伯のお孫さんの、お話相手になってくれないかって」
ウォルシュ辺境伯夫人は母の友人だ。彼女には幼い頃から可愛がって貰っている。
辺境伯には嫡男がいたが、馬車の事故により妻と共に亡くなった。今は辺境伯夫妻が残された幼い孫を養育している。私に孫の家庭教師となって、勉強だけでなく貴族の流儀や王都のことを教えて欲しい、と言われたそうだ。
公爵令嬢が家庭教師など、普通は考えられないことだ。騒がしい王都から私を遠ざけ、辺境の地でゆっくり心の傷を癒させようという計らいなのだろう。
どうせ行くあてもないのだ。私はありがたくこの話を受けることにした。
辺境の地の生活は快適だった。辺境伯夫人は「ここは年寄りばかりだから、若い人が来てくれて嬉しいわ。いつまでもここに居てもらって構わないのよ」と温かく迎えてくれた。
両親を亡くして一時期は引きこもっていたというエリック様も、今ではすっかり私に懐いている。勉強の合間には一緒に遊んだり、王都で流行っているものを教えてあげたり。素直で愛らしい彼と過ごすのは楽しい。
訪れる者も少ない閑静なこの屋敷と温かい人たちに、私はゆっくりと癒されていった。思えばリオンと結婚してから今まで、心が平穏になったことなどなかった。先行きの不安はあるけれど、離縁して後悔は無い。
「ナタリア」
「アーネスト様。いらしていたのですか」
庭にしつらえたテーブルでお茶を飲んでいた私に声をかけたのは、ウォルシュ辺境伯の次男アーネスト様だ。
魔法学に精通しており、王宮の魔術研究所に勤めている。跡継ぎは長男に任せたと、今まで結婚もせず仕事に打ち込んでいたらしい。一時は彼をウォルシュ家の跡継ぎにという話もあったが、辺境伯が「あいつは当主に向かない」と一蹴。アーネスト様自身も継ぐ意志はなかったので、エリック様が跡継ぎに決まった。
とはいえウォルシュ辺境伯も年輩だ。自分に何かあった場合は、エリック様が成人するまでアーネスト様に辺境伯代理を任せる算段になっている。だから最近はこうして時々領地に来て内政を教えて貰っているそうだ。
アーネスト様は私の向かいに座り、侍女へお茶の追加を申し付けた。
「エリックはずいぶんナタリアに懐いているようだね。……済まない。俺は最初、貴方に対して無礼な態度を取っていた。謝罪する」
「気にしておりませんわ」
会ったばかりの頃、アーネスト様は私に対して警戒心を隠さなかった。王都にいたのなら、私の悪評を聞いていただろう。我が儘放題の公女。そんな女が実家へ入り込むのだから、警戒して当然だ。
「だけど君を見ていたら、根も葉もない噂だと分かったよ。噂通りの女性ならエリックが懐くはずはない。母にも噂に惑わされるなと怒られた」
「ありがとうございます。でも、噂も全く嘘というわけでもありませんわ。以前の私は、決して淑女らしい振る舞いをしていたとは言えませんもの」
「それはヘイワード伯爵のせいだろう。君が荒れたのは彼と結婚してからだと母が言っていた」
社交界では敵ばかりだと思っていた。私を信じてくれる人が、家族以外にもいたということがとても嬉しい。
「それはもしや、彼からの手紙か?」
アーネスト様が私の手元にある紙へ目を落とした。
最近、リオン様から怒り任せのような乱暴な文章の手紙が何通も届いているのだ。
「勝手に離縁届けを提出するなんてどういうことだ」「お前のせいで事業が破綻しそうだ。責任をとれ」「これ以上我が儘を通すなら、訴える。後悔するぞ」等々。
何を訴えるのかさっぱり分からない。離縁状は偽造ではなく、彼が自分で署名したものだ。離婚した以上、ヘイワード伯爵家の財政がどうなろうが私には関係ない。
「どういう考えを持っていたら、妻であった人にそこまで酷い言葉を投げられるのか……。皆目理解できないな」
「私を下に見ているだけでしょう。昨日届いたこの手紙には『お前のような女、再婚相手もいないに決まっている。行き遅れになる前に戻ってきた方が身の為だぞ』と書かれていますもの。まあ、それについては彼の言う通りでしょうけれどね」
「そんなことはない」
苦笑しながら卑下した言葉を、アーネスト様は即座に否定した。
気を遣ってくれるのは有り難いが、社交界中に悪評が出回った30歳近い女を娶る物好きはいないだろう。
「ちなみに聞くが、ヘイワード伯爵に未練は?」
「これっぽっちもありませんわ」
「それは重畳。ならば来月、王都へ同行してくれ」
「はぁ。それは構いませんが……」
その真意がわからず曖昧な返事をした私に、アーネスト様はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「王弟殿下の誕生パーティに、父の代理として出席するように言われているんだ。主立った貴族の当主は皆呼ばれているから、ヘイワード伯爵も当然来るだろう。行き遅れなどと無礼なことを言う相手に思い知らせてやろうじゃないか」
「ああ、なるほど。アーネスト様と私が愛し合っているフリをしてリオンへ見せつけるのですね。私、演技は苦手ですけど頑張りますわ」
「いや、演技ではなく……まあいいか」
もうリオンとは関わり合いになりたくないけれど、このまま手紙を送り続けられるのも面倒だ。私がヘイワード家へ戻る意思がないことを、いい加減分かって欲しい。
私は有り難くアーネスト様の提案に乗っかることにした。
いくら愛娘といえど、出戻りだ。娘をどう扱って良いか困っている両親の顔を見るのは私も辛かった。
「家庭教師?」
「ええ。ウォルシュ辺境伯のお孫さんの、お話相手になってくれないかって」
ウォルシュ辺境伯夫人は母の友人だ。彼女には幼い頃から可愛がって貰っている。
辺境伯には嫡男がいたが、馬車の事故により妻と共に亡くなった。今は辺境伯夫妻が残された幼い孫を養育している。私に孫の家庭教師となって、勉強だけでなく貴族の流儀や王都のことを教えて欲しい、と言われたそうだ。
公爵令嬢が家庭教師など、普通は考えられないことだ。騒がしい王都から私を遠ざけ、辺境の地でゆっくり心の傷を癒させようという計らいなのだろう。
どうせ行くあてもないのだ。私はありがたくこの話を受けることにした。
辺境の地の生活は快適だった。辺境伯夫人は「ここは年寄りばかりだから、若い人が来てくれて嬉しいわ。いつまでもここに居てもらって構わないのよ」と温かく迎えてくれた。
両親を亡くして一時期は引きこもっていたというエリック様も、今ではすっかり私に懐いている。勉強の合間には一緒に遊んだり、王都で流行っているものを教えてあげたり。素直で愛らしい彼と過ごすのは楽しい。
訪れる者も少ない閑静なこの屋敷と温かい人たちに、私はゆっくりと癒されていった。思えばリオンと結婚してから今まで、心が平穏になったことなどなかった。先行きの不安はあるけれど、離縁して後悔は無い。
「ナタリア」
「アーネスト様。いらしていたのですか」
庭にしつらえたテーブルでお茶を飲んでいた私に声をかけたのは、ウォルシュ辺境伯の次男アーネスト様だ。
魔法学に精通しており、王宮の魔術研究所に勤めている。跡継ぎは長男に任せたと、今まで結婚もせず仕事に打ち込んでいたらしい。一時は彼をウォルシュ家の跡継ぎにという話もあったが、辺境伯が「あいつは当主に向かない」と一蹴。アーネスト様自身も継ぐ意志はなかったので、エリック様が跡継ぎに決まった。
とはいえウォルシュ辺境伯も年輩だ。自分に何かあった場合は、エリック様が成人するまでアーネスト様に辺境伯代理を任せる算段になっている。だから最近はこうして時々領地に来て内政を教えて貰っているそうだ。
アーネスト様は私の向かいに座り、侍女へお茶の追加を申し付けた。
「エリックはずいぶんナタリアに懐いているようだね。……済まない。俺は最初、貴方に対して無礼な態度を取っていた。謝罪する」
「気にしておりませんわ」
会ったばかりの頃、アーネスト様は私に対して警戒心を隠さなかった。王都にいたのなら、私の悪評を聞いていただろう。我が儘放題の公女。そんな女が実家へ入り込むのだから、警戒して当然だ。
「だけど君を見ていたら、根も葉もない噂だと分かったよ。噂通りの女性ならエリックが懐くはずはない。母にも噂に惑わされるなと怒られた」
「ありがとうございます。でも、噂も全く嘘というわけでもありませんわ。以前の私は、決して淑女らしい振る舞いをしていたとは言えませんもの」
「それはヘイワード伯爵のせいだろう。君が荒れたのは彼と結婚してからだと母が言っていた」
社交界では敵ばかりだと思っていた。私を信じてくれる人が、家族以外にもいたということがとても嬉しい。
「それはもしや、彼からの手紙か?」
アーネスト様が私の手元にある紙へ目を落とした。
最近、リオン様から怒り任せのような乱暴な文章の手紙が何通も届いているのだ。
「勝手に離縁届けを提出するなんてどういうことだ」「お前のせいで事業が破綻しそうだ。責任をとれ」「これ以上我が儘を通すなら、訴える。後悔するぞ」等々。
何を訴えるのかさっぱり分からない。離縁状は偽造ではなく、彼が自分で署名したものだ。離婚した以上、ヘイワード伯爵家の財政がどうなろうが私には関係ない。
「どういう考えを持っていたら、妻であった人にそこまで酷い言葉を投げられるのか……。皆目理解できないな」
「私を下に見ているだけでしょう。昨日届いたこの手紙には『お前のような女、再婚相手もいないに決まっている。行き遅れになる前に戻ってきた方が身の為だぞ』と書かれていますもの。まあ、それについては彼の言う通りでしょうけれどね」
「そんなことはない」
苦笑しながら卑下した言葉を、アーネスト様は即座に否定した。
気を遣ってくれるのは有り難いが、社交界中に悪評が出回った30歳近い女を娶る物好きはいないだろう。
「ちなみに聞くが、ヘイワード伯爵に未練は?」
「これっぽっちもありませんわ」
「それは重畳。ならば来月、王都へ同行してくれ」
「はぁ。それは構いませんが……」
その真意がわからず曖昧な返事をした私に、アーネスト様はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「王弟殿下の誕生パーティに、父の代理として出席するように言われているんだ。主立った貴族の当主は皆呼ばれているから、ヘイワード伯爵も当然来るだろう。行き遅れなどと無礼なことを言う相手に思い知らせてやろうじゃないか」
「ああ、なるほど。アーネスト様と私が愛し合っているフリをしてリオンへ見せつけるのですね。私、演技は苦手ですけど頑張りますわ」
「いや、演技ではなく……まあいいか」
もうリオンとは関わり合いになりたくないけれど、このまま手紙を送り続けられるのも面倒だ。私がヘイワード家へ戻る意思がないことを、いい加減分かって欲しい。
私は有り難くアーネスト様の提案に乗っかることにした。
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