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5. 手痛い敗北
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「オールディス侯爵夫人ですか?面識はありませんが」
「そうなのか?実は君をご指名でね。アデラインひとりで来いと言ってきたんだ。てっきり知己なのかと思ったが」
オールディス侯爵家といえば、アシュバートン侯爵家に匹敵する権勢の持ち主だ。両侯爵家が、何かと張り合っていることは有名である。
「君から、アシュバートン侯爵家のことを聞きたいんじゃないのかい?」
「そうでしょうか……?」
ルーファスとの婚約破棄の経緯は既に社交界中へ広まっている。情報通のオールディス侯爵夫人が、今さらそれを聞きたがるとも思えない。
「俺も同行したいけれど、向こうが君だけでと言っているからなあ。まあ、ご機嫌伺いと思って行ってきてくれ」
「分かりました」
訪れたアデラインを、侯爵夫人は愛想良く出迎えた。「早速だけれど、お品を見せて貰えるかしら」と言われたので、持参した商品を順に見せる。
「こちらのペンは、ラナトラル王国から輸入したマホガニー材を使っておりまして。持ちやすいと評判のものでございます。王立学園の入学式も近いですから、贈り物として喜ばれるかと」
「どれも代わり映えしないわねえ。新しい商品はないの?」
「こちらの手袋が新商品となります。我が商会と工房で共同開発を行った素材を使用しております」
貴族であれば手袋は欠かせないが、今は春だ。夏が近づいて気温が上がるとかなり蒸れる。レース編みの手袋もあるが男性は使用しにくいし、女性でも極力肌を見せたくないという人もいる。そのため、傍目には分からないくらい小さな隙間を空ける織り方で、透けないけれど涼しさを感じられる素材を開発したのだ。さらに内側には、清涼感を感じさせる魔法薬を塗り込んである。
それをひっくり返したり着用してみたりしていた侯爵夫人が口を開いた。
「ふうん。これは織り方が肝なのね」
「はい。ご慧眼です」
「この織り方を、うちのお抱え職人に教えて貰えないかしら。勿論、代金は払うわよ」
(そう来るのね……)
お貴族様が無理難題を言ってくるのはいつものことだ。アデラインは極力笑顔を作って「お望みとあれば」と答えた。
「あら、いいの?」
「ええ。元々、製法は商会ギルドで公開する予定となっておりました。商人は持ちつ持たれつですから」
スタンリーの受け売りである。だが侯爵夫人は眉をひそめて扇を口で隠した。不快感を示しているのだ。
「それは駄目よ。製法はうちで独占したいの。だって、他の皆が同じ手袋を持っていたら意味がないでしょう?」
「っ、それは……」
どう答えて良いか分からず、言葉に詰まる。営業スマイルをと思うが、動揺を隠せず口元が引き攣ってしまった。
「あらあら、顔に出てしまっているわよ。商人ならば微笑みを崩したらいけないわ。弱みを持っていると、晒しているようなものだもの」
この手袋は夏に向けて大々的に売り出すつもりだった。
製法を持って行かれては、これから入るはずだった利益が全く見込めなくなる。開発に掛かった費用を侯爵家からいただくにしても、商会としては大損である。
それを見抜かれてしまった。
「ならばこうしましょう。今からクリブにつき合ってくれない?私が勝負に勝ったら、貴方は織り物の製法を渡す。貴方が勝ったら諦めるわ」
「……分かりました」
にこやかではあるが、オールディス侯爵夫人の目は笑ってはいない。
侯爵家というのならルーファスだってそうだ。だけど彼女は違う。
(この人に逆らってはいけない)
アデラインは直感的にそう思った。
「貴方も忙しいでしょうから、3ゲームにしましょうか」
侍女が持ってきたカードを、公爵夫人が配る。
クリブは二人で競い合うカードゲームだ。
12枚の手札からそれぞれ6枚を選び、その中から出来上がった役の点数を競い合うものである。
アデラインもこのゲームは得意な方だ。母親や学院の友人と遊んだときは、それなりの勝率だった。
(だけど、夫人は負けたらヘソを曲げられるかもしれないわ……)
適度に向こうに花を持たせて、最後はギリギリ自分が勝ったように見せれば良い。
1回目は夫人の出方を見つつ少し手を抜いたが、アデラインの勝ちだった。2回目は夫人の勝ち。もちろん、アデラインが手を抜いたのである。
3回目はなかなか役が揃わず、何度か交換を繰り返した。
今の手札は、連なる数字が4枚並んだスウィートで、さらにそれが二つ揃っている。これなら負ける事は無いだろう。
「ダブルスウィートです。これで80点ですね」
「私はAのカレよ」
「えっ……」
夫人の手にはAのカード4枚がある。カレはスウィートより強い役で、さらにAのカードであれば100点が与えられる。
「私の勝ちね。約束通り、製法は教えて貰うわよ」
ショックのあまり言葉が出なくなったアデラインに、夫人はにっこりと微笑んだ。
「一つ教えておいて上げましょう。これは駆け引きなのよ。製法を渡す代わりに、貴方に利益のある何かを提案するべきだったわね。まあ、お嬢さんにはまだ難しかったかしら」
「そうなのか?実は君をご指名でね。アデラインひとりで来いと言ってきたんだ。てっきり知己なのかと思ったが」
オールディス侯爵家といえば、アシュバートン侯爵家に匹敵する権勢の持ち主だ。両侯爵家が、何かと張り合っていることは有名である。
「君から、アシュバートン侯爵家のことを聞きたいんじゃないのかい?」
「そうでしょうか……?」
ルーファスとの婚約破棄の経緯は既に社交界中へ広まっている。情報通のオールディス侯爵夫人が、今さらそれを聞きたがるとも思えない。
「俺も同行したいけれど、向こうが君だけでと言っているからなあ。まあ、ご機嫌伺いと思って行ってきてくれ」
「分かりました」
訪れたアデラインを、侯爵夫人は愛想良く出迎えた。「早速だけれど、お品を見せて貰えるかしら」と言われたので、持参した商品を順に見せる。
「こちらのペンは、ラナトラル王国から輸入したマホガニー材を使っておりまして。持ちやすいと評判のものでございます。王立学園の入学式も近いですから、贈り物として喜ばれるかと」
「どれも代わり映えしないわねえ。新しい商品はないの?」
「こちらの手袋が新商品となります。我が商会と工房で共同開発を行った素材を使用しております」
貴族であれば手袋は欠かせないが、今は春だ。夏が近づいて気温が上がるとかなり蒸れる。レース編みの手袋もあるが男性は使用しにくいし、女性でも極力肌を見せたくないという人もいる。そのため、傍目には分からないくらい小さな隙間を空ける織り方で、透けないけれど涼しさを感じられる素材を開発したのだ。さらに内側には、清涼感を感じさせる魔法薬を塗り込んである。
それをひっくり返したり着用してみたりしていた侯爵夫人が口を開いた。
「ふうん。これは織り方が肝なのね」
「はい。ご慧眼です」
「この織り方を、うちのお抱え職人に教えて貰えないかしら。勿論、代金は払うわよ」
(そう来るのね……)
お貴族様が無理難題を言ってくるのはいつものことだ。アデラインは極力笑顔を作って「お望みとあれば」と答えた。
「あら、いいの?」
「ええ。元々、製法は商会ギルドで公開する予定となっておりました。商人は持ちつ持たれつですから」
スタンリーの受け売りである。だが侯爵夫人は眉をひそめて扇を口で隠した。不快感を示しているのだ。
「それは駄目よ。製法はうちで独占したいの。だって、他の皆が同じ手袋を持っていたら意味がないでしょう?」
「っ、それは……」
どう答えて良いか分からず、言葉に詰まる。営業スマイルをと思うが、動揺を隠せず口元が引き攣ってしまった。
「あらあら、顔に出てしまっているわよ。商人ならば微笑みを崩したらいけないわ。弱みを持っていると、晒しているようなものだもの」
この手袋は夏に向けて大々的に売り出すつもりだった。
製法を持って行かれては、これから入るはずだった利益が全く見込めなくなる。開発に掛かった費用を侯爵家からいただくにしても、商会としては大損である。
それを見抜かれてしまった。
「ならばこうしましょう。今からクリブにつき合ってくれない?私が勝負に勝ったら、貴方は織り物の製法を渡す。貴方が勝ったら諦めるわ」
「……分かりました」
にこやかではあるが、オールディス侯爵夫人の目は笑ってはいない。
侯爵家というのならルーファスだってそうだ。だけど彼女は違う。
(この人に逆らってはいけない)
アデラインは直感的にそう思った。
「貴方も忙しいでしょうから、3ゲームにしましょうか」
侍女が持ってきたカードを、公爵夫人が配る。
クリブは二人で競い合うカードゲームだ。
12枚の手札からそれぞれ6枚を選び、その中から出来上がった役の点数を競い合うものである。
アデラインもこのゲームは得意な方だ。母親や学院の友人と遊んだときは、それなりの勝率だった。
(だけど、夫人は負けたらヘソを曲げられるかもしれないわ……)
適度に向こうに花を持たせて、最後はギリギリ自分が勝ったように見せれば良い。
1回目は夫人の出方を見つつ少し手を抜いたが、アデラインの勝ちだった。2回目は夫人の勝ち。もちろん、アデラインが手を抜いたのである。
3回目はなかなか役が揃わず、何度か交換を繰り返した。
今の手札は、連なる数字が4枚並んだスウィートで、さらにそれが二つ揃っている。これなら負ける事は無いだろう。
「ダブルスウィートです。これで80点ですね」
「私はAのカレよ」
「えっ……」
夫人の手にはAのカード4枚がある。カレはスウィートより強い役で、さらにAのカードであれば100点が与えられる。
「私の勝ちね。約束通り、製法は教えて貰うわよ」
ショックのあまり言葉が出なくなったアデラインに、夫人はにっこりと微笑んだ。
「一つ教えておいて上げましょう。これは駆け引きなのよ。製法を渡す代わりに、貴方に利益のある何かを提案するべきだったわね。まあ、お嬢さんにはまだ難しかったかしら」
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