忌むべき番

藍田ひびき

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 その後、ヴァルラム皇太子は病気により亡くなったとの公式発表があった。民草の間では気狂いの息子を皇帝がしたのだという噂が、まことしやかに流れている。
 
 皇帝と正妃の子はヴァルラムしか居なかったため、側室の産んだ皇子たちのあいだで後継ぎ争いが起こった。それは貴族たちを巻き込み、泥沼化しているらしい。
 誰が次の皇太子になるにしろ、大国ザブァヒワは弱体化を余儀なくされるだろう。
 
 
 あの運命の日……。
 メルヴィがザブァヒワ皇太子の番に選ばれたと知ったレイノは、それを阻止すべく奔走した。行商人だった父の伝手を辿り、番の解除方法を知る者を探し回ったのである。
 そしてようやく、番の認識阻害薬を扱っているという闇商人を見つけた。だが薬は余りにも高価。レイノが全財産を差し出しても足りない。
 有り金を出して頼み込むレイノに、闇商人は「薬は売れないが、その金に見合う情報を売ってやろう」と提案した。

 闇商人から聞き出した情報。
 それは、フリーサスの花の香りが、龍族の嗅覚に著しく作用するというものだった。
 龍族や獣人は匂いで番を関知する。
 フリーサスの石鹸や香油を毎日使用して身体に擦り込めば、その身体から発する匂いを誤魔化せるのではないか、と。

 レイノは、藁にも縋る思いでそれを出立直前のメルヴィへ伝えた。

 そして自らは行商人となり、フォルア国とザブァヒワ皇国を行き来した。
 商人はどんな職種より情報に鋭敏だ。彼らと接しながら、レイノは皇家の情報を集め続けた。
 
 残念ながら、市中にメルヴィの噂が流れてくることは、ほとんど無い。その代わり、皇太子にはたくさんの妃がおり、その中でも正妃候補の侯爵令嬢を溺愛しているらしいという噂は聞こえてきた。

 俺から無理矢理彼女を奪っておいて……という怒りと共に、一つの希望が胸に宿る。
 メルヴィは、伝えたとおりにフリーサスを使ったのではないか?だから皇太子から冷遇されているのではないだろうか。
 
 彼女が真の番なのであれば、いずれヴァルラムに心を移してしまうかも知れないという不安は常にあった。それで彼女が幸せにしているのなら、それで良いのかもしれないと思うことすらあった。
 
 しかし、メルヴィがフリーサスを使ったのであれば。
 彼女はヴァルラムへ心を許していないのだ。

 そう確信したレイノは、機会を伺い情報収集を続けた。そしてついに、離縁されたメルヴィが国外へ追放されるという事実を知ったのだ。
 そして国境付近へ先回りして、彼女を回収したのである。
 

「ルーナ、疲れてないかい?」
「ええ。大丈夫よ、ノイ」
 
 荷馬車に乗った一組の男女。ノイと呼ばれた青年は、隣に座る女性の肩を優しく抱いた。
 
 メルヴィが真の番であったと気付いたヴァルラムが、彼女を連れ戻そうとするかもしれない。そのためレイノはフォルア国へ戻らず、そのまま恋人を連れて旅に出た。
 名前をルーナとノイに変え、行商をしながら西方にある多種族が暮らす国を目指している。そこならば、自分たちが潜り込んだとて目立たないと考えたのだ。
 
 尤も、ヴァルラムが死んだ今となっては、彼らを追う者はいないだろうが。
 
 
 メルヴィとて、一度はヴァルラムと向き合おうとしたこともある。
 だが彼は、メルヴィと心を通わせる努力をしなかった。たとえ身体を繋げられなくとも、交流を深め、互いを知ることは出来ただろうに。だから彼女は、フリーサスを使うことに決めたのだ。

 ヴァルラムがメルヴィを抱こうとしなかったのは幸いだった。
 番同士が一度身体を繋げてしまえば、その魂まで深く結ばれるのだという。そうなるとフリーサスどころか、認識阻害薬すら効かなくなるらしい。
 
 メルヴィは小柄な体格だ。ただでさえ人間より体躯の大きい龍族は、彼女をまだ幼いと思い込んだのである。最初にメルヴィが未成年だと答えてしまったことも、ヴァルラムの誤解を促した。
 
 それでもフリーサスを使うだけでは、ヴァルラムがメルヴィを番ではないと認識するまでもっと時間が掛かったかもしれない。
 だがマトローナが認識阻害薬を使ったことで、番の誤認が早まった。

 
「番なんてもの、どうして存在するのかしら」
「ん?何か言ったかい、ルーナ」
「ううん。なんでもないわ!」
 
 メルヴィの胸にも、どこか空虚感がある。おそらくは番を失った喪失感だろう。
 だけどレイノと共に過ごす時間。そこから得られる安らぎに比べたら、大したものではない。メルヴィにとって、番なんてその程度のものなのだ。
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