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5. 気付かなかったすれ違い side. エルネスト
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そうしてエルネストはマリアンヌを妻に迎えた。
結婚してから、彼はますます仕事へ打ち込んだ。連日王宮へ泊まり込み、家へ帰るのは希だ。
「また泊まりか?細君が寂しがっているだろう。たまには家へ帰ったらどうだ」
新婚のエルネストを気遣い、ルヴァリエ宰相が帰宅を勧めたこともある。
「お気遣いありがとうございます、閣下。大丈夫です。妻は理解ある女性ですから」
「ならいいが。無理はするなよ」
先触れを入れず、夜遅くに帰宅したこともある。そんな時も、マリアンヌは優しい笑顔で出迎えてくれた。
何か困ったことはないかと聞くと「なにも問題ありませんわ」と答える。その答えに満足して、エルネストはそれ以上深く聞き出すことはしなかった。
使用人たちの評判も上々らしい。
決して驕らない姿勢、気立ての良さ。自分の見る目に狂いは無かったと、内心鼻高々だ。
執事から、ロクサーヌが屋敷へ押し掛けてきたと聞いたときは流石に焦った。わざわざ余所へ家を借りたのは、彼女の存在を妻へ隠す為もあったのに。
だけどマリアンヌは怒らなかったし、何も言わなかった。執事によると、彼女はロクサーヌへにこやかに応対したらしい。
それを聞いたエルネストはホッとするとともに、感嘆した。
堂々とした本妻ぶりだ。やはり、彼女は俺の妻に相応しい女性だ。
「以前作ったドレスは私が頂いてもよろしいのでしょうか?」
そんなことを妻から聞かれ、エルネストは首を傾げた。彼女の為に作ったものなのに、頂くも何もないだろう。
ああ、そういえば最初に出会った時のマリアンヌは地味なドレスを着ていた。きっと高価なドレスに気後れしているのだな。
妻はあまり贅沢を知らないのかもしれない。
ドレスを贈れとせがんできた前の婚約者とは大違いだ、と思う。
実際は、エルネストが何一つ婚約者に贈り物をしないので「共に夜会に出る時くらい、贈って頂いたドレスを着たいものですわ」と嫌味を言われただけなのだが。
その後ロクサーヌは男児を産んだが、エルネストにもロクサーヌにも似ていない子供だった。予想通りである。他の男とも寝ていたのだ。
エルネストはロクサーヌへ出て行くよう告げた。怒鳴り散らす彼女を、無理矢理家から放り出した。
「最低の女だったな。関わるんじゃなかった」
まあ良い。これですっきりした。
鉄道事業の方も、そろそろ一区切り付く。しばらくはゆっくり出来る筈だ。
休暇をもらって、愛する妻と過ごそう。そろそろ子供も作らないとな。
計画通りの、順風満帆な人生のはずだった。
当のマリアンヌが、離縁するものだと勘違いしていることも。
執事を始めとした使用人たちが、主人の本命はロクサーヌだと思いこんでいることも。
エルネストは全然知らなかったのである。
「なんで彼女を止めなかったんだ!?」
「旦那様は、ロクサーヌ様をお迎えるするおつもりだと思っておりましたので」
「当主夫人として大切に扱うよう、指示を出しただろう」
「期間限定の正妻として、誠意を持ってお仕えすべしという事かと思っておりました。旦那様はほとんどお帰りになりませんでしたので、マリアンヌ様との結婚は本意では無いのかと」
「俺がロクサーヌのような平民女を正妻にするほど愚かだと思っていたのか、お前たちは!マリアンヌだって、分かってくれていると思っていたのに……」
焦るエルネストに対して、執事は淡々と答えた。使用人たちの視線もひどく冷たい。
彼らは内心「あれだけ放っといて今さら」と思っていたのである。
慌ててオベール子爵家へ連絡したものの、彼女は帰ってきていないし何の連絡もないという答えだ。
方々へ捜索依頼を出したが、一向に行方が掴めない。もしや人攫いに拐かされたのではと娼館にも当たって見たが、彼女はいなかった。
まるで消えてしまったかのようだ。
「何かあったのか?」
憔悴した様子のエルネストを心配したルヴァリエ宰相に尋ねられ、彼は事の次第を説明した。
「だから家へ帰るように言ったであろうが」
「お言葉ですが、閣下も俺たちと同様に泊まり込んでおられるではないですか。ご夫人は何も仰らないのでしょう?俺は、閣下のような夫婦が理想なのです」
「あのなあ、エルネスト」
宰相はため息を吐くと、エルネストへ諭すように話しかけた。
「確かに妻は俺によく尽くしてくれている。だがそれは長年寄り添い、信頼関係が出来上がっているからこそだ。ここへ至るまで衝突することは何度もあった。その度に話し合いを繰り返し、今の関係を築き上げたのだ。結婚したばかりでろくに会話もしていない相手に、お前の理想を押しつけても上手くいくはずがないだろう」
その後、エルネストは重要な仕事から外された。
マリアンヌから手紙を貰った夫人たちにより、平民の愛人に入れ込んで妻に逃げられたという醜聞が広められてしまったのだ。
脇が甘い上に、誠意が無い人間。
エルネストにとっては全く不本意な評価だったけれど、周囲はそういう判断を下した。当分の間、彼に出世は見込めないだろう。
数年経ってもマリアンヌは見つからなかった。
両親からの圧力もあり、エルネストは諦めて彼女が置いていった離縁届けを提出して新しい妻を迎えた。
後妻も大人しく聞き分けの良い令嬢ではあったが、生活していればどうしたって不満は出る。つい「前の妻は……」と口に出してしまったことで、亀裂が入った。今では完全に冷め切った夫婦になっている。
結婚してから、彼はますます仕事へ打ち込んだ。連日王宮へ泊まり込み、家へ帰るのは希だ。
「また泊まりか?細君が寂しがっているだろう。たまには家へ帰ったらどうだ」
新婚のエルネストを気遣い、ルヴァリエ宰相が帰宅を勧めたこともある。
「お気遣いありがとうございます、閣下。大丈夫です。妻は理解ある女性ですから」
「ならいいが。無理はするなよ」
先触れを入れず、夜遅くに帰宅したこともある。そんな時も、マリアンヌは優しい笑顔で出迎えてくれた。
何か困ったことはないかと聞くと「なにも問題ありませんわ」と答える。その答えに満足して、エルネストはそれ以上深く聞き出すことはしなかった。
使用人たちの評判も上々らしい。
決して驕らない姿勢、気立ての良さ。自分の見る目に狂いは無かったと、内心鼻高々だ。
執事から、ロクサーヌが屋敷へ押し掛けてきたと聞いたときは流石に焦った。わざわざ余所へ家を借りたのは、彼女の存在を妻へ隠す為もあったのに。
だけどマリアンヌは怒らなかったし、何も言わなかった。執事によると、彼女はロクサーヌへにこやかに応対したらしい。
それを聞いたエルネストはホッとするとともに、感嘆した。
堂々とした本妻ぶりだ。やはり、彼女は俺の妻に相応しい女性だ。
「以前作ったドレスは私が頂いてもよろしいのでしょうか?」
そんなことを妻から聞かれ、エルネストは首を傾げた。彼女の為に作ったものなのに、頂くも何もないだろう。
ああ、そういえば最初に出会った時のマリアンヌは地味なドレスを着ていた。きっと高価なドレスに気後れしているのだな。
妻はあまり贅沢を知らないのかもしれない。
ドレスを贈れとせがんできた前の婚約者とは大違いだ、と思う。
実際は、エルネストが何一つ婚約者に贈り物をしないので「共に夜会に出る時くらい、贈って頂いたドレスを着たいものですわ」と嫌味を言われただけなのだが。
その後ロクサーヌは男児を産んだが、エルネストにもロクサーヌにも似ていない子供だった。予想通りである。他の男とも寝ていたのだ。
エルネストはロクサーヌへ出て行くよう告げた。怒鳴り散らす彼女を、無理矢理家から放り出した。
「最低の女だったな。関わるんじゃなかった」
まあ良い。これですっきりした。
鉄道事業の方も、そろそろ一区切り付く。しばらくはゆっくり出来る筈だ。
休暇をもらって、愛する妻と過ごそう。そろそろ子供も作らないとな。
計画通りの、順風満帆な人生のはずだった。
当のマリアンヌが、離縁するものだと勘違いしていることも。
執事を始めとした使用人たちが、主人の本命はロクサーヌだと思いこんでいることも。
エルネストは全然知らなかったのである。
「なんで彼女を止めなかったんだ!?」
「旦那様は、ロクサーヌ様をお迎えるするおつもりだと思っておりましたので」
「当主夫人として大切に扱うよう、指示を出しただろう」
「期間限定の正妻として、誠意を持ってお仕えすべしという事かと思っておりました。旦那様はほとんどお帰りになりませんでしたので、マリアンヌ様との結婚は本意では無いのかと」
「俺がロクサーヌのような平民女を正妻にするほど愚かだと思っていたのか、お前たちは!マリアンヌだって、分かってくれていると思っていたのに……」
焦るエルネストに対して、執事は淡々と答えた。使用人たちの視線もひどく冷たい。
彼らは内心「あれだけ放っといて今さら」と思っていたのである。
慌ててオベール子爵家へ連絡したものの、彼女は帰ってきていないし何の連絡もないという答えだ。
方々へ捜索依頼を出したが、一向に行方が掴めない。もしや人攫いに拐かされたのではと娼館にも当たって見たが、彼女はいなかった。
まるで消えてしまったかのようだ。
「何かあったのか?」
憔悴した様子のエルネストを心配したルヴァリエ宰相に尋ねられ、彼は事の次第を説明した。
「だから家へ帰るように言ったであろうが」
「お言葉ですが、閣下も俺たちと同様に泊まり込んでおられるではないですか。ご夫人は何も仰らないのでしょう?俺は、閣下のような夫婦が理想なのです」
「あのなあ、エルネスト」
宰相はため息を吐くと、エルネストへ諭すように話しかけた。
「確かに妻は俺によく尽くしてくれている。だがそれは長年寄り添い、信頼関係が出来上がっているからこそだ。ここへ至るまで衝突することは何度もあった。その度に話し合いを繰り返し、今の関係を築き上げたのだ。結婚したばかりでろくに会話もしていない相手に、お前の理想を押しつけても上手くいくはずがないだろう」
その後、エルネストは重要な仕事から外された。
マリアンヌから手紙を貰った夫人たちにより、平民の愛人に入れ込んで妻に逃げられたという醜聞が広められてしまったのだ。
脇が甘い上に、誠意が無い人間。
エルネストにとっては全く不本意な評価だったけれど、周囲はそういう判断を下した。当分の間、彼に出世は見込めないだろう。
数年経ってもマリアンヌは見つからなかった。
両親からの圧力もあり、エルネストは諦めて彼女が置いていった離縁届けを提出して新しい妻を迎えた。
後妻も大人しく聞き分けの良い令嬢ではあったが、生活していればどうしたって不満は出る。つい「前の妻は……」と口に出してしまったことで、亀裂が入った。今では完全に冷め切った夫婦になっている。
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