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出会い
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あの男を初めて見た日のことは、よく覚えている。あれは肺の奥まで凍りつくような寒い日で、雪に慣れたシャルロットですら白い息を吐いて震えていた。
深夜、皆が寝静まった時間だというのに、やけに外が騒がしくなって、シャルロットは胸騒ぎを感じて外に飛び出したのだ。気づいた侍女が「お嬢様、中でお待ちを」と言い募ったが彼女は屋敷に戻らなかった。屋敷の門まで必死に走る。
中途半端に開いた背の高い鉄柵の向こう側、マントを羽織った子供が立ち尽くしている。その子供を前にして、何やら母は声を荒げているようだった。風の音にかき消されてよく聞こえないが、罵詈雑言の類なのは語気の荒さを見るに伝わってきた。それをなだめるように隣に寄り添うかたわらの侍女も、齢は50を超えてさすがの落ち着きがあったものの、動揺と緊張を隠せてはいない。初めて見るくらいに強張った顔をしていた。
シャルロットがふらふらと近づくと、ランプに照らされぼんやり浮かび上がった子供の顔がようやく見えた。おそらく、男の子だろう。マントというよりボロボロの布切れに近いそれに隠れた髪の毛は、乾いた灰白色をしていた。アメジストの瞳は大きく、髪とそろいの白っぽいまつ毛は瞬きの度ばさばさと音がしそうなくらい長い。端正な顔立ちをしていたが、その目は子供らしい純粋なきらめきだとかは無縁の、獣じみたぎらぎらした光を宿していて、寒さとは違った種類の震えが背中に走った。またシャルロットを驚かせたのはその手足の細さだった。顔つきから、おそらく歳の頃は10歳前後に見えるが、栄養失調からか痩せ細っていて、そう大きくもないマントがぶかぶかだった。雪を踏みしめて来たであろう裸足の足は真っ赤になっていて、痛々しかった。
状況を読めずにいる中、母が何かを吐き捨てるように言い残すと、肩をいからせて去っていった。去り際、母が少年をきつく睨め付けた目が異様に怖く、妙な執念を感じさせたが、とうの少年は特に何とも思っていないようだった。ふと、こちらを見た彼と視線が合う。彼はじっとシャルロットを見つめていて、感情の読み取れない瞳に、シャルロットは視線を外すとそそくさと屋敷に戻った。
少年の正体を知ったのはその翌日だった。母は体調が優れないとのことで床に伏せってしまったので、侍従長である女性から聞き出した真相に言葉を失う。
彼はルイという名前で、今は亡きシャルロットの父親が、生前に手をつけた侍女との間に生まれた子供らしい。彼女は重々しい顔つきで言った。
「こちらが証拠の品です」
侍従長はテーブルに深い青のブローチを置いた。瀟洒なデザインだが、使われている宝石から相当に高価なものだとわかる。それに何より、裏に彫られた刻印はまごう事なきシャルロットの家系、レニエ家の紋章だった。呆然とそれを眺めていると、彼女は続ける。
「彼は、このブローチを死んだ母親から譲り受けたと言っていました。母親が亡くなる時に、困った時にはこのブローチを持ってレニエ家のお屋敷に行きなさい、そうしたらお父様がお前を助けてくれるはずだからと、そう言われたと。」
どうやら、少年は母親の死後孤児院に引き取られたらしかったが、激しい暴力と飢えに耐えかねて抜け出してきたらしかった。
つまりは、だ。この領地の継承権も父から譲り受ける爵位も、長男である彼にあるということになる。事の重大さがようやく理解できてきて、シャルロットは唇を噛んだ。
父が亡くなった後、爵位を継ぎ領地をおさめてきたのは他でもないシャルロットだった。父親の死後、後を継ぐ男子がいない場合養子をとることが多いが、この国は特に血統を重視する傾向にある。そのため男子がいない場合に限って、長女が家を継ぐことを許可していた。幸か不幸か、この国では成人年齢が15歳で、当時シャルロットは成人していたため後を継ぐのを認められたのだった。とにかく血さえ繋がっていればいいという訳である。
父がいなくなってからはてんてこまいだった。痩せこけた領地のたて直しに、有耶無耶になっていた財政状態の管理、伯父の助けを借りつつなんとか奮闘していたら、もう2年が経っていた。爵位と領地を継いだ頃、シャルロットは15歳だったため、気づけばもう17だ。結婚適齢期もいいところである。
そんな状況を考えると、母の気持ちも分からないでもない。早くに夫を亡くして心細いところに、なんとか娘が家を維持しているという状況の中で、突然夫が他の女と作った子供が、しかもあろうことか息子が、家にやってくるなんて。暴言の一つも吐きたくなるかもしれない。まぁ、あのルイという少年には1ミリも非はないわけだが。
おそらく、母は落ち着いたらシャルロットに婿をとらせ、家のことはまかせるつもりだったのだろう。いい家の次男なんかと縁談がまとまれば後ろ盾もできてレニエ家は安泰である。シャルロットは地元でも評判なくらい器量がよかったし、その類の期待も大きかったのではないだろうか。
ただでさえ娘の婚期が遅れているのに、まさか母にしてみればどこぞの馬の骨ともつかない女の産んだ息子が、レニエ家のすべてを乗っ取るのでは、という不安に苛まれてもおかしくはない。シャルロットはため息をついた。
「彼……ルイは?容体はどうなの、随分衰弱していたけれど」
「あれから湯浴みをさせ、食事を摂らせています。といっても長いこと食べていなかったようで、固形物は戻してしまうのでスープ類のみですが……」
「それでいいわ。暖かくさせてゆっくり休ませてやって頂戴」
「はいお嬢様」
シャルロットはそう言い残すと残った雑務を処理しに書斎に向かった。やるべきことは山ほどあるのだ。正直今にも音を立てて崩れそうなこのレニエ家にとって、あのルイという少年が吉と出るのか凶と出るのか。彼は諸刃の剣とも言えた。
深夜、皆が寝静まった時間だというのに、やけに外が騒がしくなって、シャルロットは胸騒ぎを感じて外に飛び出したのだ。気づいた侍女が「お嬢様、中でお待ちを」と言い募ったが彼女は屋敷に戻らなかった。屋敷の門まで必死に走る。
中途半端に開いた背の高い鉄柵の向こう側、マントを羽織った子供が立ち尽くしている。その子供を前にして、何やら母は声を荒げているようだった。風の音にかき消されてよく聞こえないが、罵詈雑言の類なのは語気の荒さを見るに伝わってきた。それをなだめるように隣に寄り添うかたわらの侍女も、齢は50を超えてさすがの落ち着きがあったものの、動揺と緊張を隠せてはいない。初めて見るくらいに強張った顔をしていた。
シャルロットがふらふらと近づくと、ランプに照らされぼんやり浮かび上がった子供の顔がようやく見えた。おそらく、男の子だろう。マントというよりボロボロの布切れに近いそれに隠れた髪の毛は、乾いた灰白色をしていた。アメジストの瞳は大きく、髪とそろいの白っぽいまつ毛は瞬きの度ばさばさと音がしそうなくらい長い。端正な顔立ちをしていたが、その目は子供らしい純粋なきらめきだとかは無縁の、獣じみたぎらぎらした光を宿していて、寒さとは違った種類の震えが背中に走った。またシャルロットを驚かせたのはその手足の細さだった。顔つきから、おそらく歳の頃は10歳前後に見えるが、栄養失調からか痩せ細っていて、そう大きくもないマントがぶかぶかだった。雪を踏みしめて来たであろう裸足の足は真っ赤になっていて、痛々しかった。
状況を読めずにいる中、母が何かを吐き捨てるように言い残すと、肩をいからせて去っていった。去り際、母が少年をきつく睨め付けた目が異様に怖く、妙な執念を感じさせたが、とうの少年は特に何とも思っていないようだった。ふと、こちらを見た彼と視線が合う。彼はじっとシャルロットを見つめていて、感情の読み取れない瞳に、シャルロットは視線を外すとそそくさと屋敷に戻った。
少年の正体を知ったのはその翌日だった。母は体調が優れないとのことで床に伏せってしまったので、侍従長である女性から聞き出した真相に言葉を失う。
彼はルイという名前で、今は亡きシャルロットの父親が、生前に手をつけた侍女との間に生まれた子供らしい。彼女は重々しい顔つきで言った。
「こちらが証拠の品です」
侍従長はテーブルに深い青のブローチを置いた。瀟洒なデザインだが、使われている宝石から相当に高価なものだとわかる。それに何より、裏に彫られた刻印はまごう事なきシャルロットの家系、レニエ家の紋章だった。呆然とそれを眺めていると、彼女は続ける。
「彼は、このブローチを死んだ母親から譲り受けたと言っていました。母親が亡くなる時に、困った時にはこのブローチを持ってレニエ家のお屋敷に行きなさい、そうしたらお父様がお前を助けてくれるはずだからと、そう言われたと。」
どうやら、少年は母親の死後孤児院に引き取られたらしかったが、激しい暴力と飢えに耐えかねて抜け出してきたらしかった。
つまりは、だ。この領地の継承権も父から譲り受ける爵位も、長男である彼にあるということになる。事の重大さがようやく理解できてきて、シャルロットは唇を噛んだ。
父が亡くなった後、爵位を継ぎ領地をおさめてきたのは他でもないシャルロットだった。父親の死後、後を継ぐ男子がいない場合養子をとることが多いが、この国は特に血統を重視する傾向にある。そのため男子がいない場合に限って、長女が家を継ぐことを許可していた。幸か不幸か、この国では成人年齢が15歳で、当時シャルロットは成人していたため後を継ぐのを認められたのだった。とにかく血さえ繋がっていればいいという訳である。
父がいなくなってからはてんてこまいだった。痩せこけた領地のたて直しに、有耶無耶になっていた財政状態の管理、伯父の助けを借りつつなんとか奮闘していたら、もう2年が経っていた。爵位と領地を継いだ頃、シャルロットは15歳だったため、気づけばもう17だ。結婚適齢期もいいところである。
そんな状況を考えると、母の気持ちも分からないでもない。早くに夫を亡くして心細いところに、なんとか娘が家を維持しているという状況の中で、突然夫が他の女と作った子供が、しかもあろうことか息子が、家にやってくるなんて。暴言の一つも吐きたくなるかもしれない。まぁ、あのルイという少年には1ミリも非はないわけだが。
おそらく、母は落ち着いたらシャルロットに婿をとらせ、家のことはまかせるつもりだったのだろう。いい家の次男なんかと縁談がまとまれば後ろ盾もできてレニエ家は安泰である。シャルロットは地元でも評判なくらい器量がよかったし、その類の期待も大きかったのではないだろうか。
ただでさえ娘の婚期が遅れているのに、まさか母にしてみればどこぞの馬の骨ともつかない女の産んだ息子が、レニエ家のすべてを乗っ取るのでは、という不安に苛まれてもおかしくはない。シャルロットはため息をついた。
「彼……ルイは?容体はどうなの、随分衰弱していたけれど」
「あれから湯浴みをさせ、食事を摂らせています。といっても長いこと食べていなかったようで、固形物は戻してしまうのでスープ類のみですが……」
「それでいいわ。暖かくさせてゆっくり休ませてやって頂戴」
「はいお嬢様」
シャルロットはそう言い残すと残った雑務を処理しに書斎に向かった。やるべきことは山ほどあるのだ。正直今にも音を立てて崩れそうなこのレニエ家にとって、あのルイという少年が吉と出るのか凶と出るのか。彼は諸刃の剣とも言えた。
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