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4.鬼も人も憎み合っていましたが
款冬華 ふきのはなさく 4
しおりを挟む次に意識が戻ったのは、実に三日が経過した後だった。
消毒液の匂いと、柔らかな布の感触に、そっと目を開けば、木造の天井。左手にぬくもりを感じて視線を動かせば、そこには、大事な幼馴染が突っ伏している姿があった。
「……蘭……?」
乾燥しきった喉から、ガサガサとした声が出て、蘭を起こす。ハッと体を起こした蘭は、驚くほど素早く私の頬に手を当てる。
「小梅!? 大丈夫か!?」
「……大丈夫、だ、けど」
如何して私は、ベッドに寝かされているのだろう。あの赤は、全て返り血で、全くと言っていいほど傷は負っていないというのに。
「小梅あの後、倒れて、それで、っ」
途中から涙でぐちゃぐちゃになった蘭の言葉は、何を言っているか全然聞き取れない。
というか、脱水症状で死ぬ。
ゆっくりと体を起こして、泣きじゃくっている蘭に手を差し出した。
「水、……水を頂戴、蘭」
「え? あっ、水?」
渡された水筒を傾ければ、文字通り命の水が溢れてきた。窒息するんじゃないかという勢いで啜る。ごくりと喉を鳴らして飲む。ただの水がこんなに美味しいとは思わなかった。馬鹿にしてたわ。
試験はどうなったのだろう。勿論、ルールを破ったのだから、試験には不合格だと考えるのが妥当だけれど。
そう思いながら、水筒が空っぽになるまで飲み続けた私と、飲みすぎだと慌てる蘭のもとに、ふたつの影が近づいてきた。
「起きたか」
太い声に視線を向ければ、線の細い男と、もう一人見覚えのある巨漢。それはあの日、町で見た大男だった。
「貴方、」
「私は、菅原信月だ。この組織――鬼の総長を務めている」
「えええええ!?」
大きな声とガタンという音と共に、椅子から転げ落ちたのは言うまでもなく蘭。私は転げ落ちることは無かったけれど、驚いて固まった。
この大男が、鬼のトップ。そんな立場の鬼が、試験を受けてルールを破った私たちに何の用だろう。まさか、叱られる?
そんな事を考える私をよそに、椅子から落ちた蘭を一瞥し、菅原さんは私を見つめて、一言。
「如月小梅、キミが欲しい」
その言葉に、目を見開いた。驚きで何も言えずにいる私を見て、菅原さんは、がっはっはと豪快に笑う。
「……っ、如何して、」
「理由? そんなのお前が強いからに決まっているだろう」
不敵に笑ってそう言いきった菅原さんの言葉に、頭がついていかない。目を白黒させていた私と蘭の様子に、ごほんと咳払いの音がした。
そちらに目をやれば、線の細い男が、かけている眼鏡を押し上げながらこう言った。
「私は、この方の秘書をしております、睦月幸三と申します。僭越ながら、話を纏めさせていただいてもよろしいでしょうか」
むしろ、お願いしたいわ。そう思って頷けば、もう一度眼鏡を押し上げて話を始めた。
「二年前、キミにそっくりな青年が、鬼の試験を受けに来ました。それは、キミの兄の如月菫くんでした。彼は、とても変わっていました」
「え?」
聞き返せば、菅原さんが、その濁声で理由を口にする。
「あの試験あんだろ、あれでアイツは、……誰も殺さなかったんだ」
「っ」
私は、あれほど血濡れたというのに、お兄は、誰も殺さなかった……?
「すっげ、さすが菫さん」
それを聞いて純粋に目を輝かせた蘭とは違い、ぐっと感情を堪えるように俯く私に目をやりながらも、睦月さんは話を続ける。
「全員峰打ちで倒した彼は、私たちに向かって、怒ったんです。鬼子同士で斬り合いをさせるとは何事だと。物凄い剣幕でした」
ブチギレているお兄の様子は簡単に目に浮かび、少しだけ乾いた笑いが零れる。
「鬼になった暁には、絶対にこの試験を辞めさせると、そう言って彼はこの場所を後にしました。そして、二度とここに戻ることは無かった。非常に残念です」
言葉が、刃の様に刺さる。返す言葉を探して視線を泳がせたけれど、私が口にできる言葉は何処にも落ちてはいなかった。
「そして、先日、同じ名前の青年が門を通過したと連絡がありました。驚いた私たちは大通りを詮索し、菅原さんが菫くんにそっくりな貴方を見つけたのです。そして、そちらの、ええと」
「香川蘭だぜ」
「はぁ、香川くんですか、彼が貴方を小梅、と呼んでいるのを聞き、菫くんに妹がいたことを思い出しました」
「如何して、私――妹がいることを?」
「鬼に入る鬼子は家族構成や出自、全てを提出するのです。そして、こちらでそれらを死ぬまで保管します」
“死ぬまで保管する”――それは、何故か。
その台詞の裏側に隠されたであろう理由を想像し、ぞくりと肌が粟立った。
「でも、知っていたなら、何で止めなかったんですか?」
そう尋ねた蘭に、下がってきた眼鏡をもう一度押し上げて睦月さんは話を続ける。
「キミたちが滑りこみで試験会場の訪れた時に、私は止めようと思ったのですが、なんせこの方が、菫くんの妹の戦いを見たいと仰せだったもので、そのまま試験を続行させた次第です」
そう言って、隣の巨漢を見上げた。視線の先の菅原さんは、ぐーっと伸びたかと思うと、にんまりと凄みのある笑みを浮かべる。
その太い腕を私に向かって伸ばした。行先は、私の頭だった。ぽすん、と音を立てて、大きな分厚い手のひらが頭部にのっかった。
「幽霊かと思ったぜ、お前、菫に瓜二つな。試験の時の啖呵、菫を見てるようだった」
「え……?」
大きな手のひらで、がしがしと私の頭を撫でまわす。髪の毛がどんどん乱されていく。
「あーあ、もったいねぇ、髪切ったのか?男装までしちゃってよ。んなことせんでも、理由を言ってくれたら考えるっつーの」
「は、はぁ、」
「兎に角、俺はお前が欲しい」
「で、でも」
私は、見ての通り、まだ15にもなっていないし、女だ。しかもお兄とは違って、一度タガが外れれば、どんなに血まみれになっても止まらない。血を浴びることを全く厭わないただの冷血な鬼だ。そんな厄介者の私を、この人は、如何するつもりなのだろうか。
「……お前は、既に、瞳が紅色だ」
「え」
「見てみろ」
差し出された鏡を受け取り、覗き込んだ。
最後に鏡を見たのは、あの日よりも前の事だった。久方ぶりにお目にかかる自分の顔には、睫毛に縁どられた瞼の奥に、深紅の瞳が鎮座していた。
じっと自分の顔を見続けていれば、蘭が思ってもみなかったことを口に出した。
「小梅の瞳、あの日から、ずっと薄い桃色だった。濃くなったのは、試験で戦ってる時から」
「如何して……」
私の瞳は、ずっと琥珀色だったはずだ。お父さんと、お母さんと、お兄と同じ琥珀色。
自分の瞳から目を離せない私に、菅原さんがぼそりと言葉を落とした。
「鬼子の瞳が紅色になるのは、ただ一つ、強い殺意を持った時だ」
「っ、」
「小梅、お前……如何しても殺したい奴が、いるんだろう?」
その言葉に、脳裏に浮かぶのは、あの弛んだ優しい笑顔。そして、柔らかな、あの声。
あの日、心に空いた穴は、ずっと埋まってはいない。その証拠に、思い出すだけで、どくん、と脈打つ速度が速くなる。呼吸が、荒くなる。
ぎゅっと布団を掴み、握り締める。
「……私は、アイツを殺す為に、鬼になりたいと思ったんです」
私は今でも、心の端っこに棲みつく、あの言葉にしがみ付いている。そしてこれからも、きっとそのままだ。
“キミが殺しに来るのを、待ってる”
その約束を、果たすまでは。
「いい色だな、その瞳」
濁声でそう言った菅原さんは、私の頭にのせていた手のひらを下ろして、今度は私に向かって差し出した。目の前に差し出されたその手をよく見れば、細かい傷跡が縦横無尽に走る手のひらだった。
「交換条件だ、如月小梅。お前を特別に鬼にしよう。勿論、そこの香川蘭もセットだ」
代わりに、とにまり笑った菅原さんは。
「小梅、お前を間諜とする」
「間諜……?」
聞き慣れない音に、脳みそが当てはまる漢字を探す。そんな私を見て、睦月さんが補足をしてくれた。
「俗に言う、スパイです。貴方には、人間の住む場所に行ってもらう」
「え、そんなの、駄目だって!」
即座に声を上げたのは、蘭。立ちあがった勢いで、そのままガバッと私の身体に抱き着いた。
「俺も行くから!」
「……ちょっと、蘭。離れて」
「嫌だ、俺も一緒だってコイツらが言うまで離れねぇ!」
ここまで来ても、相変わらずの蘭に、笑いが込み上げる。駄目だ、耐えられないわ。
「ぶはっ」
「ちょ、小梅!? 笑うなよ!? 俺は真剣なんだから!」
「ごめん、面白すぎ」
思わず吹き出してしまったことを謝りながらも、笑いは止まらない。
「……蘭くんねぇ、うーん」
「俺も小梅と同じ、かんちょーってやつにしてくれよ! な、いいだろ!」
そう言って鬼のトップ二人を苦笑させている蘭の肩に、そっと手をのせた。
「蘭、大丈夫よ、この人たちを誰だと思ってるの。私に、危険な仕事はやらせないわ」
「ほんとに? 絶対に?」
「嫌だったら、私、断るもの」
そう断言して見せれば、確かに、と呟いて、蘭は大人しくなった。
「流石、菫の妹さん」と睦月さんが呟く。
……当り前よ。何年の付き合いだと思ってるの。
「んで、この契約にはのってくれんのか?」
「はい」
そう頷いて、その手を取る。ぎゅっと包み込まれた私の真白な手のひらは、菅原さんの温もりを分けてもらったかのように、その手のひらが離れてからも、温かかった。
「……ということは、俺たち、鬼になれるってこと?」
「いや、だからそうだって言ってるじゃない。馬鹿なの」
「………試験合格?」
「勿論」
「やったぁぁぁぁぁぁ!」
歓喜に椅子から飛びあがった蘭が、もう一度転げ落ちたのは、言わずもがな。
温もりの灯った己の手のひらを、そっと握る。そして、心の内で、脳裏に浮かんだ姿に、話しかけた。
お兄。私は、お兄と同じ、“鬼”になるよ。まだまだお兄には敵わないけれど、きっといつかお兄みたいになって見せる。
そして、――もう一人、脳裏に棲みつく笑顔に、話しかける。
爪が手のひらに食い込む。けれど、痛みなど、感じない。
――桃。私は、絶対にアンタを、殺しに行くから。
「……あれ、小梅? 泣いてるの?」
蘭の言葉に、ハッとして頬に指を滑らせた。触れたのは、冷たい透明な雫。
知らないうちに、頬を涙が伝っていた。
お兄の事を思い出した所為にした。
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