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3.鬼と人が暮らしていました
みんなみんな、さようなら①
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朝、瞼の上にちらつく光と鳥の鳴き声で目を覚ました。ハッとして体を起こせば、私の身体には、萌黄色の羽織の代わりに、浅葱色の羽織がかけられていた。
私が起きたのに気が付いた既に起きていた桃は、いつもの様にそっと微笑んで、さらさらとしたお出汁に白米をいれたお茶碗を差し出した。
「ほら、朝ご飯……もうお昼頃だけど」
泣きながら眠ったからだろうか、酷く重い瞼を如何にかこじ開けて、ほかほかとあたたかな湯気をあげているお茶碗を受け取る。
「桃、大丈夫なの」
「大丈夫に見えない?」
額にそんな大きな傷を負っているようには全く見えない軽口をたたく桃に、ほっとして、その安堵のせいで、またじわりと視界が歪んだ。
桃に気づかれないように、俯いたまま、あたたかいお出汁をかきこんだ。そんな私を見つめる漆黒に、気が付かないふりをした。目を合わせたら、お別れがやってくる、そんな事など、とうに分かっていた。
だから私は、出来るだけゆっくりお米を噛み締めた。けれど、終わりはいつか訪れるもので。
空っぽになったお茶碗を見つめて頑なに顔を上げようとしない私に、優しい桃の声がかかる。
「小梅、帰りな」
「で、でも、……桃は如何するの」
お兄に合わす顔がなく帰る場所がない、もとい、帰りたくない私は、桃に言い募る。
けれど、桃は、笑顔で言葉を落とす。
「いいから。僕は大丈夫だから。どうせこの島にいるのも、今日までだったし、本土に戻ったらちゃんと治療するから。あと、菫くんは今日家を出るんだろう? ちゃんとお見送りしないと」
ああ、きっとこれは、世界一やさしい、拒絶。そんな風に言われてしまったら、帰るという手段しか、私には残されていない。
もう二度と、桃には会うことはないのだろうなと、そう思う。じわりと滲んできた視界を誤魔化すように口角を上げた。にっこり笑って、桃の要求に頷いた。
「……分かった」
「いい子だ」
よしよしとその大きな褐色の手のひらで頭を撫でてくれる。それだけで、私は幸せ者だと、自分に言い聞かせた。
そうよ、人間と鬼が、一緒に居ていい訳がないもの。桃が無事に生きているだけで、幸せだと思わなければ。
想いが溢れて来ないように、ぎゅっと唇を噛み締めた。たった一日、一緒に過ごしただけなのに、如何してこうも名残惜しい。
私はこの気持ちの名前を、まだ、知らない。
準備を終えて、洞窟の入り口に立つ。
「じゃあ、行くね」
「うん。元気で」
何ら変わらず手を振る桃に、ああ、この人は、私の事など何とも思っていないんだと、自嘲の笑いが零れた。ふふっと笑う私を見て、きょとん、と首を傾げる彼に、少しだけ意地悪をしたくなった。
「……桃」
「何?」
「やっぱり私は、……小梅と桃より、……小梅と菫の方があってると思うわ」
精一杯の虚栄心を纏って、嘘を吐いた。ともすれば、ひん曲がってしまいそうな口元に、笑みを張り付けた。
そんな私を見た桃は、少しだけ目を見張り、そして直ぐにその漆黒を三日月型に緩めた。
このまま桃を見ていたら、笑顔が直ぐに剥がれてしまいそうで、くるりと背を向けた。
けれど、貴方は、洞窟の外を向いている私の前に、そっと回り込む。
そして。
「今から僕が言う事、この洞窟を出たら、忘れてね」
そう言いながら、そっと私を抱き締めた。回された筋肉質の腕に、頬に血が上る。どくん、と互いの心臓が共鳴する。
「小梅、僕、…………俺、小梅に出逢えて良かったよ」
「……っ」
こつん、と額が合わさる。私の髪と、桃の髪が、重なって混ざり合う。
「俺は、絶対に小梅を忘れないっていう約束を、キミにあげる。でも、小梅は、俺を忘れてね」
吐息が唇を掠める位置で、桃の漆黒が、長い睫毛に隠される。
「13歳のお誕生日、心から、おめでとう」
「……も、も……?」
「ごめんね」
「っ」
ちらりと見えた伏せられた瞳には、何故か分からないけれど、涙の膜が張っていた。
理由を探す間もなく、ぱっと離れた桃の身体。無意識のうちに私の腕が、その熱を追う。
「じゃあね」
すれ違いざまに、トンっと押された私の背。洞窟から一歩を踏み出す私の足。
伸ばした腕の行き先は、何処にもなかった。
ぎゅっと唇を噛み締めて、嗚咽を堪えた。ただ、ひたすらに足を動かした。
振り向くことは、しなかった。振り向いたが最後、二度と離れられなくなりそうだった。
ただ、頬を伝う雫だけは、止め処なかった。
私が起きたのに気が付いた既に起きていた桃は、いつもの様にそっと微笑んで、さらさらとしたお出汁に白米をいれたお茶碗を差し出した。
「ほら、朝ご飯……もうお昼頃だけど」
泣きながら眠ったからだろうか、酷く重い瞼を如何にかこじ開けて、ほかほかとあたたかな湯気をあげているお茶碗を受け取る。
「桃、大丈夫なの」
「大丈夫に見えない?」
額にそんな大きな傷を負っているようには全く見えない軽口をたたく桃に、ほっとして、その安堵のせいで、またじわりと視界が歪んだ。
桃に気づかれないように、俯いたまま、あたたかいお出汁をかきこんだ。そんな私を見つめる漆黒に、気が付かないふりをした。目を合わせたら、お別れがやってくる、そんな事など、とうに分かっていた。
だから私は、出来るだけゆっくりお米を噛み締めた。けれど、終わりはいつか訪れるもので。
空っぽになったお茶碗を見つめて頑なに顔を上げようとしない私に、優しい桃の声がかかる。
「小梅、帰りな」
「で、でも、……桃は如何するの」
お兄に合わす顔がなく帰る場所がない、もとい、帰りたくない私は、桃に言い募る。
けれど、桃は、笑顔で言葉を落とす。
「いいから。僕は大丈夫だから。どうせこの島にいるのも、今日までだったし、本土に戻ったらちゃんと治療するから。あと、菫くんは今日家を出るんだろう? ちゃんとお見送りしないと」
ああ、きっとこれは、世界一やさしい、拒絶。そんな風に言われてしまったら、帰るという手段しか、私には残されていない。
もう二度と、桃には会うことはないのだろうなと、そう思う。じわりと滲んできた視界を誤魔化すように口角を上げた。にっこり笑って、桃の要求に頷いた。
「……分かった」
「いい子だ」
よしよしとその大きな褐色の手のひらで頭を撫でてくれる。それだけで、私は幸せ者だと、自分に言い聞かせた。
そうよ、人間と鬼が、一緒に居ていい訳がないもの。桃が無事に生きているだけで、幸せだと思わなければ。
想いが溢れて来ないように、ぎゅっと唇を噛み締めた。たった一日、一緒に過ごしただけなのに、如何してこうも名残惜しい。
私はこの気持ちの名前を、まだ、知らない。
準備を終えて、洞窟の入り口に立つ。
「じゃあ、行くね」
「うん。元気で」
何ら変わらず手を振る桃に、ああ、この人は、私の事など何とも思っていないんだと、自嘲の笑いが零れた。ふふっと笑う私を見て、きょとん、と首を傾げる彼に、少しだけ意地悪をしたくなった。
「……桃」
「何?」
「やっぱり私は、……小梅と桃より、……小梅と菫の方があってると思うわ」
精一杯の虚栄心を纏って、嘘を吐いた。ともすれば、ひん曲がってしまいそうな口元に、笑みを張り付けた。
そんな私を見た桃は、少しだけ目を見張り、そして直ぐにその漆黒を三日月型に緩めた。
このまま桃を見ていたら、笑顔が直ぐに剥がれてしまいそうで、くるりと背を向けた。
けれど、貴方は、洞窟の外を向いている私の前に、そっと回り込む。
そして。
「今から僕が言う事、この洞窟を出たら、忘れてね」
そう言いながら、そっと私を抱き締めた。回された筋肉質の腕に、頬に血が上る。どくん、と互いの心臓が共鳴する。
「小梅、僕、…………俺、小梅に出逢えて良かったよ」
「……っ」
こつん、と額が合わさる。私の髪と、桃の髪が、重なって混ざり合う。
「俺は、絶対に小梅を忘れないっていう約束を、キミにあげる。でも、小梅は、俺を忘れてね」
吐息が唇を掠める位置で、桃の漆黒が、長い睫毛に隠される。
「13歳のお誕生日、心から、おめでとう」
「……も、も……?」
「ごめんね」
「っ」
ちらりと見えた伏せられた瞳には、何故か分からないけれど、涙の膜が張っていた。
理由を探す間もなく、ぱっと離れた桃の身体。無意識のうちに私の腕が、その熱を追う。
「じゃあね」
すれ違いざまに、トンっと押された私の背。洞窟から一歩を踏み出す私の足。
伸ばした腕の行き先は、何処にもなかった。
ぎゅっと唇を噛み締めて、嗚咽を堪えた。ただ、ひたすらに足を動かした。
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