7 / 33
3.鬼と人が暮らしていました
お兄がいなくなるまであと1日➀
しおりを挟む翌日。昨日の雨が嘘のように、からりと晴れあがった。庭に出れば、太陽の光が燦々と私を照らす。
今日は、お兄と二人きり。両親は、町に出かけている。なんでも、お兄の戸籍を鬼の本部に渡さなくてはならないらしい。私たちの住む場所から、鬼ヶ島の中心部はわりと距離があるので、明日の夜まで二人は帰ってこない。いつもなら喜んでやりたいことをやる私だけれど、今はそれどころではなかった。
「……」
思った通り昨晩は良く眠れなかった。ずっと頭の中では、昨日出逢った、人間の事を考えていた。
鬼子に逢ってみたかった? 話してみたかった?
そんな人間が、この世に存在するなんて思ってもみなかった。人間は皆、野蛮で、偏屈で、傍若無人で、不細工だと思っていた。
……不細工だと思っていた?
頭に浮かんだ言葉に、ぶんぶんと頭を振り回した。人間をキレイだと思うなんて。鬼子失格だ。
「……小梅? 如何したんだよ?」
お兄が不審げにこちらを見て声をかけてきた。やばい、お兄を心配させたらイケナイ。
「ううん、何でもない」
「昨日一人で抜け出したこと、父さんに怒られたから凹んでるのか? ごめんな、俺が付いていけばよかったんだよな」
思案気に私の顔を覗き込んでくるお兄に、空元気で笑って見せる。とりあえず、歯でも見せとくか。にぃっと笑って見せたけれど、余計変な顔をさせてしまった。失敗。
「おい、本当に大丈夫か?」
「いや、ちょっと、ね」
「小梅?」
「あー、そう言えば、昨日手拭い落としちゃったみたいなんだよねぇ、探してくるねぇ」
駄目だ、これ以上お兄と一緒にいるとぼろが出る。そう思った私は、下駄をつっかけて、家を飛び出した。
自然と足取りが早まる。陽の光が昨日の雨粒を照らして、きらきらと光る草花。それを見ているから、心が浮足立ったことにした。畑の横を通り過ぎて、歩く、歩く、歩く。
どのくらい歩いたのだろう。
「いたっ」
二日連続裸足に下駄。しかも昨日は、濡れていたから、更に摩擦係数が大きくなっていたはず。流石に鼻緒が当たっている部分に痛みを感じたので、立ち止まって自分の足を見下ろした。
「あー」
思った通り、小さな傷が出来ていた。僅かにじわりと滲む赤。何で手当てをしようかと思案している私に、影がかかる。
「やっぱり来たね、鬼子ちゃん」
その声に顔を上げれば、そこには、昨日と同じく漆黒を歪めてにやりと笑うアイツがいた。髪は灰白、肌も何だか白っぽい。若干の違和感は否めないが、十分上手く鬼子に化けていた。
歩き続けてきた私は、自分でも気づかず昨日と同じ場所へと赴いていたらしい。アイツは、相も変わらず手ぶらだった。
「何、逢いに来てくれたの?」
「べ、別に、あんたに逢いに来たわけじゃ、」
「はーい、そう言う事にしといてあげる」
そう言いながら、鬼子もどきの人間は、おいで、と手招きをする。
「変なことしないでしょうね」
「しない、でも、」
「でも!?」
何をする気なの。
「足の手当てはするよ」
そう言って、小さな傷が出来た私の足を指さした。
「何だ」
「何だって……逆に何されると思ってたの」
「……別に!!」
私の反応に満足したのか、彼は、からからと笑いながら、私の隣を歩く。ひょこひょこと歩く私の速度に、この人間が自然と合わせてくれていることに気が付いたのは、洞窟の中に入ってからだった。
「……お邪魔します」
「はい、どーぞ」
4畳ほどの小さな洞窟。目が慣れるまで待って、ぐるりと見回せば、目についたのは衣服などが干してある竹を加工した竿と、背中に背負えるように紐のついている木箱。
洞窟の中は、太陽の光が遮られて、若干肌寒い場所だった。けれど、こじんまりとした焚火が焚いてあり、近くによれば、ほんのりと暖かかった。焚火の近くに広げてある風呂敷の上に誘導された私は、そこに腰を下ろした。
入ってすぐに焚火に手を伸ばした私を見て、彼は申し訳なさそうに言う。
「ごめんねぇ、寒いよね。もっと太陽の光が入って来るような洞窟を見つけられたら良かったんだけど」
私に座るように促しておいて、彼は木箱の方に向かう。そして、木箱の留め金に手を掛けた。カチャっという音がして、木箱が開く。思わず、声が出た。
「……すごい」
1つの留め金を開いただけで、まるでからくり箱の様に、様々な場所から棚が飛び出す。
「だよねぇ、僕もすごいと思う。よくこんなの作れるよねぇ」
呑気にそう言いながら彼は、木箱の中のいくつかの小さな棚を真剣な瞳で吟味し、1つずつ白い包みを取り出していく。仄暗い洞窟の中で、何故かその白さが目に痛かった。
「貴方、お医者様なの……?」
「いや? ただ、ちょっと薬に詳しいだけ」
目当ての包みを見つけて満足げに頷いた彼は、そう言いながら、その辺に干してあった手拭いをビッと音を立てて破いた。
驚いてみていれば、小さくなったほうの切れ端を水で濡らし、白い包みを開いて粉を染み込ませる。それを私の傷口にのせ、大きなほうの手拭いの切れ端を私の足に器用に巻き付ける。
「えっ、それ、」
「あ、ごめん、嫌だった? ちゃんと洗濯して、清潔にしてあるから心配しないで」
「いや、じゃなくて」
「ん?」
手当てをする腕を止めて、きょとんと首を傾げて彼は私を見上げる。何が駄目なの? とでも言うように、二重の漆黒で真っ直ぐ私を見つめた。その真っ直ぐさに、ドギマギとしながらも私は目を離すことが出来ない。
「あの、それ、貴方の手拭いでしょ、破いてしまって良かったの?」
「なんだ、そんなこと。キミは本当に優しいんだね」
ぷっと笑った彼は、その双眸でじっと私を見つめたまま、さも当たり前かの様に私に言う。
「手当てするって、言ったでしょ?」
「でも、」
私は鬼子で、貴方は人間なのに。
そう言おうとした唇は、水に手拭いを浸した時に、染粉が落ちて褐色に戻った指でそっと塞がれた。
「怪我しているのに、でももへったくれもない。勿論、人も鬼もない。怪我をしたら皆痛いし、同じように赤い血が出る。そこに違いなんて、」
漆黒に、強い光が宿る。視線が、絡め捕られる。どくん、と心臓が鼓動を打つ。
「……ひとつも、無いよね?」
「っ」
のらりくらりとした雰囲気からは到底想像が出来ない眼光に、ひゅっと息を呑んだ。飲み込まれてしまいそうな漆黒をこれ以上見つめることが出来ないと本能が感じて、思わずぎゅっと目を瞑る。次に開いた時には、先ほどまでの強い眼光は、何処かに消え去っていた。
「はい、終わり。ちょっと待って、今お茶入れるから」
まるで友達を家に招いたときの様に、私のことをもてなしてくれる彼に、12歳の私は、純粋に興味を持った。差し出されたあたたかい飲み物を、恐る恐る口に含む。ふわりと薫る緑の香り。これが人間の飲み物。
「美味しい……」
「美味しいよね、僕、緑茶が一番好きなんだよね」
そう言って彼も同じようにそのお茶を口に含む。唇に零れた雫を、ぺろりと舌がすくう。その様子に、また私の頬が熱を持つ。
いちいち色っぽい。……これが大人の色気ってやつ?
「……あなた、何歳なの」
「僕? 17歳」
「嘘」
お兄と同い年じゃない。お兄はこんなに、……こんなじゃないわ。
「ほんと。……キミは?」
「……12歳。明日、13歳になる」
「へぇ、見えない」
「褒めてんの?」
「褒めてる褒めてる」
ずずっとお茶を啜りながら柔らかく笑う顔に、自然と私も笑みが零れる。
「あ、笑った、そっちのほうが可愛いよ」
「……!? そんなこと言っても何も出ないわよ!?」
「あ、そーだ、そう言えば、名前は?」
動揺した私の馬鹿げた台詞を華麗にスルーして、彼は私に名を尋ねる。
「……小梅」
「小梅かぁ、名前まで可愛いじゃん」
なんか悔しかったから、ダメもとでもう一回、挑戦。
「………だから何も出ないわよ」
「俺の名前、覚えた?」
はい、撃沈。何だか悔しい想いのまま、彼の名を唇にのせた。
「…………桃」
「正解。小梅と桃かぁ、何か、風流で良くない?」
私にはお笑い芸人のコンビ名にしか聞こえないけど。
「私とお兄の方がいいわよ」
「お兄ちゃんがいるの?」
「うん、貴方と同い年の」
「何て名前?」
「菫」
「小梅と菫? 絶対小梅と桃のほうが良くない?」
そんなくだらない会話をしていたら、あっという間に時間は経ち。
鴉の鳴き声が辺りに響き、橙色の光が洞窟の中に差し込み始めた。気が付けばだいぶ肌寒くなってきている。ぶるっと震えれば、それに目ざとく気が付いた桃は、ちょうど干してあった羽織を私に手渡した。
「え、これ」
「貸してあげる、僕、あんまりノコノコ歩きまわれないし、送ったりできないからそろそろ帰りな」
「分かった」
萌黄色の羽織を肩からかけた私は、手拭いの巻かれた足で下駄をつっかけ、立ち上がる。そして、洞窟の入り口に立つ桃の横を通り過ぎた。そして、橙色の世界に一歩を踏み出そうとした。
「またね」
後ろから投げかけられたその言葉に、足を止めて振り返った。
仄暗い洞窟の中には、優しく笑う桃がいた。その笑顔に、思わず同じ台詞が、私の口から飛び出した。
「またね!」
足が止まってしまうほど、言葉が出てきてしまうほど、次を約束してしまうほどに。それほどに、桃の傍にいる時間を、私は望んでいた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる