悪者の定義

桜樹璃音

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3.鬼と人が暮らしていました

お兄がいなくなるまであと1日➀

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 翌日。昨日の雨が嘘のように、からりと晴れあがった。庭に出れば、太陽の光が燦々と私を照らす。

 今日は、お兄と二人きり。両親は、町に出かけている。なんでも、お兄の戸籍を鬼の本部に渡さなくてはならないらしい。私たちの住む場所から、鬼ヶ島の中心部はわりと距離があるので、明日の夜まで二人は帰ってこない。いつもなら喜んでやりたいことをやる私だけれど、今はそれどころではなかった。



「……」



 思った通り昨晩は良く眠れなかった。ずっと頭の中では、昨日出逢った、人間の事を考えていた。

 鬼子に逢ってみたかった? 話してみたかった?

 そんな人間が、この世に存在するなんて思ってもみなかった。人間は皆、野蛮で、偏屈で、傍若無人で、不細工だと思っていた。

 ……不細工だと思っていた?

 頭に浮かんだ言葉に、ぶんぶんと頭を振り回した。人間をキレイだと思うなんて。鬼子失格だ。



「……小梅? 如何したんだよ?」



 お兄が不審げにこちらを見て声をかけてきた。やばい、お兄を心配させたらイケナイ。



「ううん、何でもない」

「昨日一人で抜け出したこと、父さんに怒られたから凹んでるのか? ごめんな、俺が付いていけばよかったんだよな」



 思案気に私の顔を覗き込んでくるお兄に、空元気で笑って見せる。とりあえず、歯でも見せとくか。にぃっと笑って見せたけれど、余計変な顔をさせてしまった。失敗。



「おい、本当に大丈夫か?」

「いや、ちょっと、ね」

「小梅?」

「あー、そう言えば、昨日手拭い落としちゃったみたいなんだよねぇ、探してくるねぇ」



 駄目だ、これ以上お兄と一緒にいるとぼろが出る。そう思った私は、下駄をつっかけて、家を飛び出した。

 自然と足取りが早まる。陽の光が昨日の雨粒を照らして、きらきらと光る草花。それを見ているから、心が浮足立ったことにした。畑の横を通り過ぎて、歩く、歩く、歩く。

 どのくらい歩いたのだろう。



「いたっ」



 二日連続裸足に下駄。しかも昨日は、濡れていたから、更に摩擦係数が大きくなっていたはず。流石に鼻緒が当たっている部分に痛みを感じたので、立ち止まって自分の足を見下ろした。



「あー」



 思った通り、小さな傷が出来ていた。僅かにじわりと滲む赤。何で手当てをしようかと思案している私に、影がかかる。



「やっぱり来たね、鬼子ちゃん」



 その声に顔を上げれば、そこには、昨日と同じく漆黒を歪めてにやりと笑うアイツがいた。髪は灰白、肌も何だか白っぽい。若干の違和感は否めないが、十分上手く鬼子に化けていた。

 歩き続けてきた私は、自分でも気づかず昨日と同じ場所へと赴いていたらしい。アイツは、相も変わらず手ぶらだった。



「何、逢いに来てくれたの?」

「べ、別に、あんたに逢いに来たわけじゃ、」

「はーい、そう言う事にしといてあげる」



 そう言いながら、鬼子もどきの人間は、おいで、と手招きをする。



「変なことしないでしょうね」

「しない、でも、」

「でも!?」



 何をする気なの。



「足の手当てはするよ」



 そう言って、小さな傷が出来た私の足を指さした。



「何だ」

「何だって……逆に何されると思ってたの」

「……別に!!」



 私の反応に満足したのか、彼は、からからと笑いながら、私の隣を歩く。ひょこひょこと歩く私の速度に、この人間が自然と合わせてくれていることに気が付いたのは、洞窟の中に入ってからだった。



「……お邪魔します」

「はい、どーぞ」



 4畳ほどの小さな洞窟。目が慣れるまで待って、ぐるりと見回せば、目についたのは衣服などが干してある竹を加工した竿と、背中に背負えるように紐のついている木箱。

 洞窟の中は、太陽の光が遮られて、若干肌寒い場所だった。けれど、こじんまりとした焚火が焚いてあり、近くによれば、ほんのりと暖かかった。焚火の近くに広げてある風呂敷の上に誘導された私は、そこに腰を下ろした。

 入ってすぐに焚火に手を伸ばした私を見て、彼は申し訳なさそうに言う。



「ごめんねぇ、寒いよね。もっと太陽の光が入って来るような洞窟を見つけられたら良かったんだけど」



 私に座るように促しておいて、彼は木箱の方に向かう。そして、木箱の留め金に手を掛けた。カチャっという音がして、木箱が開く。思わず、声が出た。



「……すごい」



 1つの留め金を開いただけで、まるでからくり箱の様に、様々な場所から棚が飛び出す。



「だよねぇ、僕もすごいと思う。よくこんなの作れるよねぇ」



 呑気にそう言いながら彼は、木箱の中のいくつかの小さな棚を真剣な瞳で吟味し、1つずつ白い包みを取り出していく。仄暗い洞窟の中で、何故かその白さが目に痛かった。



「貴方、お医者様なの……?」

「いや? ただ、ちょっと薬に詳しいだけ」



 目当ての包みを見つけて満足げに頷いた彼は、そう言いながら、その辺に干してあった手拭いをビッと音を立てて破いた。

 驚いてみていれば、小さくなったほうの切れ端を水で濡らし、白い包みを開いて粉を染み込ませる。それを私の傷口にのせ、大きなほうの手拭いの切れ端を私の足に器用に巻き付ける。



「えっ、それ、」

「あ、ごめん、嫌だった? ちゃんと洗濯して、清潔にしてあるから心配しないで」

「いや、じゃなくて」

「ん?」



 手当てをする腕を止めて、きょとんと首を傾げて彼は私を見上げる。何が駄目なの? とでも言うように、二重の漆黒で真っ直ぐ私を見つめた。その真っ直ぐさに、ドギマギとしながらも私は目を離すことが出来ない。



「あの、それ、貴方の手拭いでしょ、破いてしまって良かったの?」

「なんだ、そんなこと。キミは本当に優しいんだね」



 ぷっと笑った彼は、その双眸でじっと私を見つめたまま、さも当たり前かの様に私に言う。



「手当てするって、言ったでしょ?」

「でも、」



 私は鬼子で、貴方は人間なのに。

 そう言おうとした唇は、水に手拭いを浸した時に、染粉が落ちて褐色に戻った指でそっと塞がれた。



「怪我しているのに、でももへったくれもない。勿論、人も鬼もない。怪我をしたら皆痛いし、同じように赤い血が出る。そこに違いなんて、」



 漆黒に、強い光が宿る。視線が、絡め捕られる。どくん、と心臓が鼓動を打つ。



「……ひとつも、無いよね?」

「っ」



 のらりくらりとした雰囲気からは到底想像が出来ない眼光に、ひゅっと息を呑んだ。飲み込まれてしまいそうな漆黒をこれ以上見つめることが出来ないと本能が感じて、思わずぎゅっと目を瞑る。次に開いた時には、先ほどまでの強い眼光は、何処かに消え去っていた。



「はい、終わり。ちょっと待って、今お茶入れるから」



 まるで友達を家に招いたときの様に、私のことをもてなしてくれる彼に、12歳の私は、純粋に興味を持った。差し出されたあたたかい飲み物を、恐る恐る口に含む。ふわりと薫る緑の香り。これが人間の飲み物。



「美味しい……」

「美味しいよね、僕、緑茶が一番好きなんだよね」



 そう言って彼も同じようにそのお茶を口に含む。唇に零れた雫を、ぺろりと舌がすくう。その様子に、また私の頬が熱を持つ。

 いちいち色っぽい。……これが大人の色気ってやつ?



「……あなた、何歳なの」

「僕? 17歳」

「嘘」



 お兄と同い年じゃない。お兄はこんなに、……こんなじゃないわ。



「ほんと。……キミは?」

「……12歳。明日、13歳になる」

「へぇ、見えない」

「褒めてんの?」

「褒めてる褒めてる」



 ずずっとお茶を啜りながら柔らかく笑う顔に、自然と私も笑みが零れる。



「あ、笑った、そっちのほうが可愛いよ」

「……!? そんなこと言っても何も出ないわよ!?」

「あ、そーだ、そう言えば、名前は?」



 動揺した私の馬鹿げた台詞を華麗にスルーして、彼は私に名を尋ねる。



「……小梅」

「小梅かぁ、名前まで可愛いじゃん」



 なんか悔しかったから、ダメもとでもう一回、挑戦。



「………だから何も出ないわよ」

「俺の名前、覚えた?」



 はい、撃沈。何だか悔しい想いのまま、彼の名を唇にのせた。



「…………桃」

「正解。小梅と桃かぁ、何か、風流で良くない?」



 私にはお笑い芸人のコンビ名にしか聞こえないけど。



「私とお兄の方がいいわよ」

「お兄ちゃんがいるの?」

「うん、貴方と同い年の」

「何て名前?」

「菫」

「小梅と菫? 絶対小梅と桃のほうが良くない?」



 そんなくだらない会話をしていたら、あっという間に時間は経ち。

 鴉の鳴き声が辺りに響き、橙色の光が洞窟の中に差し込み始めた。気が付けばだいぶ肌寒くなってきている。ぶるっと震えれば、それに目ざとく気が付いた桃は、ちょうど干してあった羽織を私に手渡した。



「え、これ」

「貸してあげる、僕、あんまりノコノコ歩きまわれないし、送ったりできないからそろそろ帰りな」

「分かった」



 萌黄色の羽織を肩からかけた私は、手拭いの巻かれた足で下駄をつっかけ、立ち上がる。そして、洞窟の入り口に立つ桃の横を通り過ぎた。そして、橙色の世界に一歩を踏み出そうとした。



「またね」



 後ろから投げかけられたその言葉に、足を止めて振り返った。

 仄暗い洞窟の中には、優しく笑う桃がいた。その笑顔に、思わず同じ台詞が、私の口から飛び出した。



「またね!」



 足が止まってしまうほど、言葉が出てきてしまうほど、次を約束してしまうほどに。それほどに、桃の傍にいる時間を、私は望んでいた。




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