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第5章 本当の気持ち
第16話
しおりを挟む「歳三」
ぎゅっと拳を握りしめて、その名を呼ぶ。
「……何だ」
「私、っ、」
心臓がこれでもかという程に居場所を主張する。心が爆発してしまいそう。
「……璃桜? どした、」
「好き」
我慢し続けた気持ちを、隠し続けた想いを、言葉に当てはめて唇から落とした途端、透明な感情が世界を滲ませる。
慌てて俯く。零れそうになった雫が落ちないように、精一杯目を見開く。
ツン、と鼻の奥が痛む。ぐっと歯を食いしばった。
「…………好き、なの。歳三の事が、」
堪えきれずに、一粒、溢れる。
そのまま自由落下した涙は、握り締められた私の手の甲にぱたり、と落ちる。
睫毛を超えて転がり落ちた涙の粒は、音を立てて私の目から零れて行く。
「……璃桜、」
「何も、言わないで……っ」
歳三の言葉を涙でぐちゃぐちゃな声で遮った。
聞きたくなくて。
その言葉の先を、知ってしまったら、きっと私は諦めなくちゃならないから。
「……歳三は、こんな事を言われても困ると思ったんだけど、でも、」
顔が、上げられない。
私の言葉を守って、何も言わずにいてくれる歳三に向かって、じっと俯いたまま、私は言葉を紡ぐ。
「……ごめん、歳三」
好きになってしまって。貴方を困らせて。
「好きだって、言ってくれなくてもいい。恋人らしい事なんて、何も、要らない。……でも、でもね、」
嘘つき。
本当は、誰よりも、好きだと言って欲しい。
何よりも、大切だと言って欲しい。
ぎゅっと目を瞑った。
弱虫な自分の言葉で抉られた、自分自身の胸の傷から目を背けて、無かった事にした。
「……私、それよりも何よりも……歳三の小姓でいたいの。……今までもずっと、迷惑しかかけてないかもしれないけど、」
貴方は、私を照らす太陽で、私は貴方に照らされる月で。
太陽も月も、同じ空に掛かることが出来る。
同じ場所から、同じものを見ることが出来る。
だから、――だから。
「……これまで通り、私を、使ってくれる?」
そう、涙で濡れた言葉を落とした、刹那。
ぐいっと腕が引かれる。バランスを崩した私は、歳三の腕の中に閉じ込められる。
ふわりと、煙草の香りが鼻を掠める。歳三の髪が、私の頬を撫でる。
「馬鹿野郎」
「っ」
耳元で囁かれた言葉に、胸が締め付けられるように痛む。ああ、私の心は、もう傷だらけだ。
「……いつ、俺が、お前を嫌いだって言った? 迷惑だって言った?」
「……とし、」
「前に言ったろ、俺は、お前と同じ道を見据えたいって」
何処か切ない声の輪郭が、私の耳朶を満たす。
チッ、と小さく舌打ちをした歳三は、何処か吹っ切れた様に、私の事を強く抱き締めた。
感じた事のない力加減に、息が止まる。心が、揺れる。
その名を呼ぼうとして、唇から薄く息を吸った、刹那。
「こんなに大事にしてる小姓、手放してたまるかよ」
その一言に、は、と吐息が零れた。
もう駄目だった。一度止まった涙腺は、再び決壊して、睫毛を濡らす。
歳三のその言葉は、私が貰える、最上級の誉め言葉だった。
ぼろぼろと泣き続ける私の頬を、歳三の指が滑る。感情の雫を拭う。そのまま顎の輪郭をなぞる様に頤をとった指に、くい、と上を向かされた。
「……っ」
目が、合った。
行灯の鈍い光に照らされた歳三の漆黒の瞳の中に、琥珀色の瞳を涙で潤ませた私の顔が映り込んでいた。
じっと私の事を見つめて、そして、歳三は一つ吐息を零して、言葉を紡ぐ。
「璃桜」
「歳、三……?」
私を呼んだ声の輪郭が、酷く、切なくて。思わず、名を呼び返す。
「俺には、……忘れられねぇ、奴がいる」
「……うん」
それはきっと、いつか私が見つけた、あの朱色の髪紐をくれた、“餓鬼”。
「そいつが、俺を見つけたら、……ちゃんと、言ってやるから」
「……うん……?」
「……阿呆。……何で、だよ……っ、」
聞き取れないほど小さな声でそう言った歳三は、そのまま、ぎゅう、と私を抱き締める。
強く、強く。
その哀しみに染まった声色に、その言葉の意味を聞くことも叶わず、何も言えずにただ歳三を抱き締め返す。
その背に腕を回して、必死に腕に力を込めた。
ふっと行灯の光が途切れて、部屋は宵闇に染まる。
そんな私達を闇に紛れさせながらも、じっと、夜は過ぎていく。
ああ、このまま一つになってしまえたら良いのに。そうしたら、もう二度と貴方を困らせる事など無くなるのに。
真っ暗な闇の中、歳三の腕の温もりを感じながら、ひたすらに、そう思った。
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