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第12話
しおりを挟む「……失礼します」
声が聞こえて目をあげれば、からりと開いた襖の先に、そっとお辞儀をする璃桜にそっくりな女がいた。
暗闇でもわかるほどに、その頬は赤みを湛えていて。
「…………頬は、大丈夫?」
「ご心配、ありがとうございます」
「………いや、俺、何もできなくて」
「大丈夫です」
笑いもせず、怒りもせず、ただただ無表情で彼女は俺の隣へ腰を下ろす。
しん、と沈黙がおりる。何処か遠くで甲高い声が上がるのが聴こえる。
「お酒は飲まれますか」
「――ああ」
とくとくとく、と注がれる透明な液体。喉に流れて、胃に納まって。
ただ、それの繰り返し。
ごくりと自分の喉が鳴る音と、雨が降る音だけが、その場を支配していた。
それを切り裂いたのは、透き通った声で問われた、ひとつの言葉。
「貴方は、好きな人がいるのでしょう?」
綺麗な言葉遣い。彼女の発する台詞は、この欲が渦巻く場所には似つかわしくなくて、まるで夢の中にいるようなそんな錯覚に陥った。
「……ああ」
だけど、この場所は、欲に塗れた人の集う場所。そんな場所に居る自分は選ばれず零れ落ちた人間で、彼女は本物の璃桜ではなく。
「だったら」
彼女が璃桜だったらどんなに良いか、そう思いながら頷いた酷い俺に、澄んだ声で言葉を続ける。
だけど、次に彼女の口から吐かれた言葉は、俺の予想を遥かに上回っていた。
「こんなところで、油を売っている暇はないでしょう?」
「……は?」
頭の中が黒い気持ちでいっぱいだった俺に、突き放すような言葉を放ってきた。
それはまるで、銀色に鈍く光る刃の様に、俺の心の膜をずかずかと破る。
「早くお帰りになられては如何ですか、会いたい人の隣に」
「…………」
「…………それとも、何ですか。帰りたくない理由でも?」
璃桜にそっくりな唇から発せられる高慢なその口調。その薔薇の蕾から紡がれる音は、璃桜よりも少し掠れて艶やかで。
そっくりなのに、別人だという感覚がより引き立つ。
偽者。
視覚だけでなく、聴覚にまでその事実が刻まれて、カッと体が熱を持った。
気持ちが昂るままに、彼女の腕を掴んで引いた。バン、と音を立てて畳の上に彼女の身体を押し倒す。襟元を力任せに開いて、その白い鎖骨を露にした。
「っ」
白い。深い。
ドクリと滾る熱が身体を昇ってくる。
だけど。
こんな時でも、脳裏に浮かぶのは、――――――璃桜。
キミの顔だけだった。
ぎゅっと目を瞑って、頭を振った。
ああ、如何したら、お前は消えてくれんだよ? 俺が、死んだら――――いなくなって、くれんのか?
そんな俺を見て、片頬を赤く腫らした彼女は俺をねめつけ、また口を開いた。
「貴方はこんなことがしたいわけじゃ、無いのでしょう?」
「――――――黙ってろ」
うるせぇんだよ。イラつかせんなよ。
唇を、ぶつけた。
歯が、当たった。
ジワリと滲む鉄の味が、よけい惨めにさせた。
いつだって、璃桜の隣に居たいさ。当たりめぇじゃねぇか。
「…ん、う…」
零れてくる吐息を閉じ込めるように、何度も何度も唇を奪う。
露わになった柔肌に、手を滑らせる。それは、もう、本能。
触れた場所から、徐々に水音が増してくる。溢れる。零れる。
そんなことをしても、決して、心が潤うことなどないのに。絶対に、幸せが溢れることなんてないのに。
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