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十月、鍵、生きたい
第10話
しおりを挟む小さな頃の習い事。パーティーでの振る舞い。先取り学習。俺は、それらを全部、やらされてきた。父さんの思い通りに、操られてきた。
だから、それらの行動が形作っているのは「紅井」の俺。本物の俺では無い、そう思っていた。
ジワリと感情がこみ上げてくる。ぐっと奥歯を噛み締めて、如何にかやり過ごす。今、声を出そうとしたら泣いてしまう、と思った。だから、俺の事を見下ろすはぐみを、じっと下から睨みつけた。
「……さっき、貴方はお父さんの言いなりになってやって来た、と言ったけれど……」
秋の風が俺とはぐみの間を通り抜けた。落ちて行った葉が何処かでカサリと音を立てていた。
黒髪を揺らして俺を見つめる彼女は、やっぱり、酷く美しかった。
「……それも、すぐりが選んだのではないの?」
「――……っ」
その通りだった。俺は、たくさんの人に認められたくて、褒めてもらいたくて、だから、自分の手で、自分の足で、自分の心で――「紅井」を選んできた。
「お父さんのいう事をきいて、一生懸命に頑張る事を選んできたのはすぐりなのだから……だから、すぐりは、“紅井”の名前を名乗っても良いのよ」
そう言ってはぐみは、そっと俺の頬へその腕を伸ばす。ゆる、と柔らかな熱が、俺の頬を撫でる。慈しむ様に、優しく触れる。
「私は、“紅井”のすぐりも、“すぐり”のすぐりも――……だいすきよ」
だって、すぐりが頑張って来たから、今の紅井すぐりがあるのでしょう? だったら、すぐりの全ては、すぐりのものだもの。
はぐみが微笑みと共に零したその言葉に、まるで、今までの自分の全てが許されたような大きな安堵が俺を襲う。
もう二度と、――大事な物を、失いたくない。
俺にはもう、ただそれだけしか残っていない。他は、空っぽの伽藍洞。紅井の部分の俺しか、無い。
そう思っていたのに。
もう駄目だった。訳の分からない感情が、涙に形を変えて、俺の目から零れていく。
生暖かい雫は、俺の頬を滑って、ただ自由落下していく。嗚咽が喉をこじ開けて飛び出す。溢れて、止まらない。
何処かで知っていた。俺は、「紅井」の自分を認めたいと思っていた事。けれど、それを認めてしまったら「すぐり」の俺が何処かに往ってしまう様な気がしていた。育美に顔向けが出来なくなると思っていた。
「紅井」の俺の所為で、育美はたくさん傷ついたのだ。なのに俺が、「紅井」を認めてしまったら、彼女は何の為に傷ついたのか。
育美の事を大事にしている俺が消えてしまう様に思えて、如何しても、それは出来なかった。
けれど、はぐみは、そんな事すら凌駕していた。
自分だって、「紅井」の俺の所為で、たくさん嫌な思いをしただろう。傷ついて、泣いて、苦しい思いもしただろうに。
なのに――……なのに。
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