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十月、不条理、反抗
第6話
しおりを挟む制服も脱がずに、ベッドに身体を埋めていたら、コンコン、と部屋がノックされた。
「すぐり様、旦那様がお見えです」
お見えです、って、お前の家はここじゃないのかよ、と思いながらゆるゆると起き上がる。
着替えようと思って、しゅるり、とネクタイを解いた。その音で先ほどやらかしてしまったはぐみとの事が脳裏に浮かんだ。鬱々としながら皺ひとつないシルクの様なシャツに袖を通し、濃紺のスラックスに足を通した。
そうして出来上がったのは「紅井すぐり」だった。鏡に映った自分を見て、その色素の薄い髪も、瞳も、全部無かった事にしてしまえたらいいのに、と思った。
部屋を出て広間に向かった。煌々とシャンデリアが輝くそのだだっ広い場所で、父親は相変わらずピシッとしたスーツ姿で俺を待っていた。
「……おかえり」
しぶしぶそう言えば、笑み一つ零さずに彼は眼鏡を押し上げる。
「遅かったな」
「着替えてた」
「制服のまま長い時間居ると皺になるぞ」
そんな事言ってお前だってずっとスーツでいるじゃんか。脳裏に浮かんだ言葉が喉から飛び出してくる前に、ごくん、と唾液と一緒に飲み込んだ。
綺麗に彩られて運ばれてきたのは、簡単に名前が付けられる様なメニューでは無かった。
「白えびのタルタルクレープ添えキャビアソース、でございます」
キャビアねぇ。サメの卵巣。サメには悪いけれども、超高級食材として有名なコイツよりも、俺はあの日はぐみと飲んだサイダーの味が好きだ。
マナー通りにカトラリーを使って口に運んだ。いろんな味がする。どれがどう主張しているのか分からない。咀嚼しながら、まるで「紅井」という名前をとった俺みたいだ、と思った。
きっとこの名前が無い俺は、どこに胸を張って生きていけばいいのか分からないのだ。
勉強も運動も、それなりに全部できる。教養に繋がる習い事も続けているし、高校範囲の内容なんて、家庭教師にみっちり教え込まれてとっくに終了していた。今は大学の経営学の勉強をしている。
けれど、それもこの名前があってこそ。だからきっと、俺が胸を張っていい部分じゃないのだ。
「このキャビアは美味しい」
そう言った父親に、曖昧に頷いて見せた。
「最近、どうだ」
どうせ興味何か無い癖にそう言って俺に興味があるふりをする。それが何処か嬉しい自分に溜息が零れた。
「……別に、いつも通り」
「授業に出る様になったらしいじゃないか」
「……っ」
授業に出ていない事も、筒抜け、って訳。脳裏に担任の女教師の顔が浮かんで、一瞬で消えた。手を止めた俺の事など意にも介さず、目の前の男はエビを口に中に放り込む。
「学校の授業など、別段意味も無いのだから、出る出ないは任せるが、卒業はしなさい」
「……はい」
「それにしても、すぐり、お前副会長になったのか。生徒会の顧問が報告してきたぞ」
それ何か月前の事だよ、と思って、またエビと一緒に飲み込む。ごくん。
「……副会長になったよ」
“紅井”の名前だけで、役割を得たよ。そう言おうとして、ああ、俺も大概父親と同じだなと思って吐き気がした。
まるで今飲み込んだエビが胃の中で暴れているみたいだった。
「会長はどうだ」
「……っ、会長?」
どくん、と心臓が跳ねた。動揺したことに気が付かれただろうか。
「女だってな」
そう言って、馬鹿にしたように笑う。ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
「どうせソイツも、内申点が欲しいだけだろう。世間の構造をよく理解している奴じゃないか」
「…………」
頭がいいな、と言ってはぐみの事を褒める父親に何を言えば良いか分からなかった。言い返せそうな言葉は机の上の何処を見渡しても落ちていなかった。
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