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十月、不条理、反抗
第1話
しおりを挟む俺とはぐみが終わったことは、瞬く間に広まった。
それと同時に次々に俺にすり寄ってくる女に、いつもの様に手を出すことは容易かった。けれど、俺は――何も出来ずにいた。
いつもみたいに、決まった女に俺の事だけを考えてもらえれば、この獣は満足するはずだった。
けれど、おかしなことに他の女では心が満たされなかった。酷くつまらなかった。
ふとした瞬間に、スキナー箱が脳裏を支配していた。スキナー箱を失ったネズミは、ただ、この4カ月に思いを馳せて、そうして、何か気を紛らわせることを探していた。
そんな折、たまたま偶然、授業に出た。その授業は古典だった。
「春はあけぼの、」
清少納言の「枕草子」を扱っていた。古典の教師が黒板に書いていく白いチョークの文字が、あの日の彼女を思い出させた。
夕陽に照らされながら、一節を諳んじた彼女の横顔もその後の笑顔も、キスの合間に見せる恥ずかしそうな顔も、次々と鮮明に浮かぶ。
きゅう、と胸が痛んで、思わず手のひらを心臓のあたりに当てた。
あの日、はぐみを手放した事を後悔する自分がいないと言ったら、それは嘘だった。
だって彼女は、育美の次に、“紅井すぐり”では無い部分の俺をちゃんと見つめてくれていた。きっとあのまま、はぐみの告白を受け入れていれば今でも俺たちは笑っていたに違いない。はぐみの事を傷付ける事も無かったはずだった。
けれど、どうしても、嫌だったのだ。
はぐみの事を、育美の代わりにしている自分が。
自分のクズさがどんどん浮き彫りになって、それに耐えられなかった。
そう思って、思わず笑ってしまった。
だってさ、笑えるだろ。何だよそれ、結局自分の我儘の所為じゃないか。
はぐみを傷付けたのも、大事な物を手放したのも、全部全部、自分のやった事。
だから、俺はこうして神様に罰を与えられているのだろうか。もう彼女でしか、この心の穴を埋められなくなるという新しい呪いでもかけられてしまったのだろうか。
その日以来、俺は、彼女との思い出を探す事で虚無を埋める様になった。
そうして、気が付いたことが在った。はぐみは思ったよりも俺と長い間一緒に居たらしい。そこら中に彼女の欠片は散らばっていた。
はぐみはいつも俺の前で勉強していた。だから、授業に出ていると彼女の欠片は必ず各授業一回は出て来た。
50分に1回。それはかなりのペースだった。
授業中に出てくる数式や、英単語、歴史上の人物の名前、実験器具の使い方から、彼女が勉強するときに使っていたルーズリーフとシャーペンが擦れる音にまで、彼女の欠片を見かけた。
今までの女達には、そんな想いを抱くことはなった。
どうしてだろう、と考えた。けれど、答えは見つからなかった。
はぐみと一緒に居た時間は4カ月程。そのうち7月の半ばから8月の半ばまでは逢っていなかったのだから、実質3カ月、と言ったところだろう。
なのに、如何して、彼女はこんなにも俺の周りに欠片を落としていくのか。
まざまざと蘇る彼女の香りに、心が締め付けられた。痛くて苦しくて、堪らない夜もあった。
けれど、その痛みが俺の虚無を軽減してくれた。臆病という名の獣を、宥めて、そうして、落ち着かせてくれたのだ。
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